セロ弾きのゴーシュ(2/9)宮沢賢治
・読み辛い箇所は、平仮名を漢字に直したり、句読点を追加している箇所があります
・「扉」の読みは、「と」で統一しました
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問題文
(そのばんおそく、ごーしゅはなにかおおきなくろいものをしょって)
その晩遅く、ゴーシュは何か巨(おお)きな黒いものをしょって
(じぶんのいえへかえってきました。いえといってもそれはまちはずれのかわばたにある)
自分の家へ帰ってきました。家といってもそれは町外れの川ばたにある
(こわれたすいしゃごやで、ごーしゅはそこにたったひとりですんでいて)
壊れた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人で住んでいて
(ごぜんはこやのまわりのちいさなはたけで、とまとのえだをきったり)
午前は小屋の周りの小さな畑で、トマトの枝を切ったり
(きゃべじのむしをひろったりして)
甘藍(キャベジ)の虫をひろったりして
(ひるすぎになるといつもでていっていたのです。)
昼過ぎになるといつも出て行っていたのです。
(ごーしゅがうちへはいってあかりをつけると、さっきのくろいつつみをあけました。)
ゴーシュがうちへ入って明かりをつけると、さっきの黒い包みを開けました。
(それはなんでもない。あのゆうがたのごつごつしたせろでした。)
それは何でもない。あの夕方のごつごつしたセロでした。
(ごーしゅはそれをゆかのうえにそっとおくと、いきなりたなからこっぷをとって)
ゴーシュはそれを床の上にそっと置くと、いきなり棚からコップを取って
(ばけつのみずをごくごくのみました。それからあたまをひとつふっていすへかけると)
バケツの水をごくごく飲みました。それから頭を一つ振って椅子へかけると
(まるでとらみたいないきおいでひるのふをひきはじめました。)
まるで虎みたいな勢いで昼の譜を弾き始めました。
(ふをめくりながら、ひいてはかんがえ、かんがえてはひき、いっしょうけんめいしまいまでいくと)
譜をめくりながら、弾いては考え、考えては弾き、一生けん命終いまで行くと
(またはじめからなんべんもなんべんも、ごうごうごうごうひきつづけました。)
また初めから何遍も何遍も、ごうごうごうごう弾き続けました。
(よなかもとうにすぎて、)
夜中もとうに過ぎて、
(しまいはもうじぶんがひいているのかもわからないようになって)
終いはもう自分が弾いているのかも分からないようになって
(かおもまっかになり、めもまるでちばしってとてもものすごいかおつきになり)
顔もまっ赤になり、眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになり
(いまにもたおれるかとおもうようにみえました。)
今にも倒れるかと思うように見えました。
(そのときたれかうしろのとをとんとんとたたくものがありました。)
そのとき誰(たれ)か後ろの扉(と)をとんとんと叩くものがありました。
(「ほーしゅくんか。」ごーしゅはねぼけたようにさけびました。)
「ホーシュ君か。」ゴーシュは寝ぼけたように叫びました。
(ところがすうととをおしてはいってきたのは)
ところがすうと扉を押して入ってきたのは
(いままでごろっぺんみたことのある、おおきなみけねこでした。)
今まで五六ぺん見たことのある、大きな三毛猫でした。
(ごーしゅのはたけからとったはんぶんじゅくしたとまとをさもおもそうにもってきて)
ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来て
(ごーしゅのまえにおろしていいました。)
ゴーシュの前に下ろして云いました。
(「ああくたびれた。なかなかうんぱんはひどいやな。」)
「ああくたびれた。なかなか運搬はひどいやな。」
(「なんだと」ごーしゅがききました。)
「何だと」ゴーシュが聞きました。
(「これおみやです。たべてください。」みけねこがいいました。)
「これおみやです。食べてください。」三毛猫が云いました。
(ごーしゅはひるからのむしゃくしゃをいっぺんにどなりつけました。)
ゴーシュは昼からのむしゃくしゃを一遍に怒鳴りつけました。
(「だれがきさまにとまとなどもってこいといった。)
「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。
(だいいちおれがきさまらのもってきたものなどくうか。)
第一俺がきさまらの持って来たものなど食うか。
(それからそのとまとだっておれのはたけのやつだ。)
それからそのトマトだって俺の畑のやつだ。
(なんだ。あかくもならないやつをむしって。)
何だ。赤くもならないやつをむしって。
(いままでもとまとのくきをかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。)
今までもトマトの茎をかじったり蹴散らしたりしたのはお前だろう。
(いってしまえ。ねこめ。」)
行ってしまえ。猫め。」
(するとねこはかたをまるくしてめをすぼめてはいましたが)
すると猫は肩を丸くして眼をすぼめてはいましたが
(くちのあたりでにやにやわらっていいました。)
口の辺りでにやにや笑って云いました。
(「せんせい、そうおいかりになっちゃ、おからだにさわります。)
「先生、そうお怒りになっちゃ、お体に障ります。
(それよりしゅーまんのとろめらいをひいてごらんなさい。)
それよりシューマンのトロメライを弾いてごらんなさい。
(きいてあげますから。」)
聞いてあげますから。」
(「なまいきなことをいうな。ねこのくせに。」せろひきはしゃくにさわって)
「生意気なことを云うな。猫のくせに。」セロ弾きは癪にさわって
(このねこのやつ、どうしてくれようとしばらくかんがえました。)
この猫のやつ、どうしてくれようとしばらく考えました。
(「いやごえんりょはありません。どうぞ。)
「いやご遠慮はありません。どうぞ。
(わたしはどうもせんせいのおんがくをきかないとねむられないんです。」)
私はどうも先生の音楽を聴かないと眠られないんです。」
(「なまいきだ。なまいきだ。なまいきだ。」)
「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」
(ごーしゅはすっかりまっかになって、ひるまがくちょうのしたように)
ゴーシュはすっかりまっ赤になって、昼間楽長のしたように
(あしぶみしてどなりましたが、にわかにきをかえていいました。)
足踏みして怒鳴りましたが、にわかに気を変えて云いました。
(「ではひくよ。」ごーしゅはなんとおもったか)
「では弾くよ。」ゴーシュは何と思ったか
(とにかぎをかってまどもみんなしめてしまい、それからせろをとりだして)
扉に鍵をかって窓もみんな閉めてしまい、それからセロを取り出して
(あかしをけしました。するとそとからはつかすぎのつきのひかりが)
明かしを消しました。すると外から二十日過ぎの月の光が
(へやのなかへはんぶんほどはいってきました。)
室(へや)の中へ半分ほど入ってきました。