チャンス(5/6)太宰治

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問題文

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(「ああ、ほんきだとも、ほんきだとも。」「だめですよ。まちがっています。」)

「ああ、本気だとも、本気だとも。」「だめですよ。間違っています。」

(とわかいこはまゆをひそめてまじめにいい、それからわたしにはよくわからない)

と若い子は眉をひそめて真面目に言い、それから私にはよく分からない

(「かりゅういんご」とでもいうようなみょうなことばをつかって、さんにんのもんつきのげいしゃが)

「花柳隠語」とでも言うような妙な言葉を使って、三人の紋付の芸者が

(おおいにいいあらそいをはじめた。しかしわたしのおもいは、ただいってんにむかって)

大いに言い争いを始めた。しかし私の思いは、ただ一点に向かって

(ぎょうけつされていたのである。こたつのうえにはおりょうりのおぜんがのせられてある。)

凝結されていたのである。炬燵の上にはお料理のお膳が載せられてある。

(そのおぜんのいちぐうに、すずめやきのさらがある。)

そのお膳の一隅(いちぐう)に、雀(すずめ)焼きの皿がある。

(わたしはそのすずめやきがくいたくてならぬのだ。ころしもきせつはだいかんである。)

私はその雀焼きが食いたくてならぬのだ。頃しも季節は大寒である。

(だいかんのすずめのにくには、こってりとあぶらがのっていてもっともおいしいのである。)

大寒の雀の肉には、こってりと油が乗っていて最も美味しいのである。

(かんすずめといって、このだいかんのすずめはつがるのどうじのにんきもので、)

寒雀(かんすずめ)と言って、この大寒の雀は津軽の童子の人気者で、

(わなやらなにやらさまざまのしかけをして、このにんきものをひっとらえては、しおやきにして)

罠やら何やら様々の仕掛けをして、この人気者をひっ捕らえては、塩焼きにして

(ほねごとたべるのである。らむねのたまくらいのちいさいあたまもぜんぶ)

骨ごと食べるのである。ラムネの玉くらいの小さい頭も全部

(ばりばりかみくだいてたべるのである。あたまのなかのみそはまた)

ばりばり噛み砕いて食べるのである。頭の中の味噌はまた

(すてきにおいしいということになっていた。はなはだやばんなことにはちがいないが、)

素敵に美味しいという事になっていた。甚だ野蛮な事には違いないが、

(そのどくとくのみかくのみりょくにうちかつことができず、わたしなどもこどものころには、)

その独特の味覚の魅力に打ち勝つ事が出来ず、私なども子供の頃には、

(やはりこのかんすずめをおいまわしたものだ。おしのさんがもんつきのながいすそをひきずって、)

やはりこの寒雀を追い回したものだ。お篠さんが紋付の長い裾を引きずって、

(そのおりょうりのおぜんをささげてへやへはいってきて、(すらりとしたからだつきで、)

そのお料理のお膳を捧げて部屋へ入って来て、(すらりとした体つきで、

(ほそおもてのこふうなびじんがたのひとであった。)

細面(ほそおもて)の古風な美人型の人であった。

(としは、にじゅうに、さんくらいであったろうか。あとできいたことだが、そのひろさきの)

歳は、二十二、三くらいであったろうか。後で聞いた事だが、その弘前の

(あるゆうりょくしゃのおめかけで、まあ、とうじはいちりゅうのねえさんであったようである))

或る有力者のおめかけで、まあ、当時は一流のねえさんであったようである)

(そうして、わたしのあたっているこたつのうえにおいたしゅんかん、すでにわたしはそのおぜんの)

そうして、私のあたっている炬燵の上に置いた瞬間、既に私はそのお膳の

など

(いちぐうにすずめやきをはっけんし、や、かんすずめ!とないしんひそかにきょうきしたのである。)

一隅に雀焼きを発見し、や、寒雀!と内心ひそかに狂喜したのである。

(たべたかった。しかし、わたしはかなりのみえぼうであった。)

食べたかった。しかし、私はかなりの見栄坊であった。

(もんつきをきたうつくしいげいしゃさんにんにとりまかれて、ばりばりとかんすずめをほねごと)

紋付を着た美しい芸者三人に取り巻かれて、ばりばりと寒雀を骨ごと

(かみくだいてみせるゆうきはなかった。ああ、あのあたまのなかのみそは)

噛み砕いて見せる勇気は無かった。ああ、あの頭の中の味噌は

(どんなにかおいしいだろう。おもえば、かんすずめもずいぶんしばらくたべなかったな、)

どんなにか美味しいだろう。思えば、寒雀もずいぶんしばらく食べなかったな、

(ともだえても、もうぜんとそれをほおばるばんゆうはないのである。)

と悶えても、猛然とそれを頬張る蛮勇は無いのである。

(わたしはしかたなくぎんなんのみをつまようじでつついてたべたりしていた。)

私は仕方なく銀杏の実を爪楊枝でつついて食べたりしていた。

(しかし、どうしても、あきらめきれない。)

しかし、どうしても、諦め切れない。

(いっぽう、おんなどものいいあらそいは、いつまでもごたごたつづいている。)

一方、女どもの言い争いは、いつまでもごたごた続いている。

(わたしはたちあがって、かえるといった。おしのは、おくるといった。わたしたちは、)

私は立ち上がって、帰ると言った。お篠は、送ると言った。私たちは、

(どやどやとげんかんにでた。あ、ちょっと、といって、わたしはあすかのごとくおくのへやに)

どやどやと玄関に出た。あ、ちょっと、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に

(ひきかえし、ぎょろりとすごくあたりをみまわし、やにわにおぜんのかんすずめにわを)

引き返し、ぎょろりと凄く辺りを見廻し、矢庭(やにわ)にお膳の寒雀二羽を

(つかんでふところにねじこみ、それからゆっくりげんかんへでていって、)

掴んで懐にねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、

(「わすれもの。」としゃがれたこえでうそをいった。)

「忘れ物。」と嗄(しゃが)れた声で嘘を言った。

(おしのはおこそずきんをかぶって、おとなしくわたしのあとについてきた。)

お篠はお高祖頭巾をかぶって、大人しく私の後について来た。

(わたしははやくげしゅくへいって、ゆっくりにわのかんすずめをたべたいと)

私は早く下宿へ行って、ゆっくり二羽の寒雀を食べたいと

(そればかりおもっていた。ふたりはゆきみちをあるきながら、かくべつなんのかいわもない。)

そればかり思っていた。二人は雪路を歩きながら、格別なんの会話も無い。

(げしゅくのもんはしまっていた。「ああ、いけない。しめだしをくっちゃった。」)

下宿の門は閉まっていた。「ああ、いけない。締め出しを食っちゃった。」

(そのいえのごしゅじんはげんかくなひとで、わたしのきたくのおそすぎるときには、)

その家の御主人は厳格な人で、私の帰宅の遅すぎる時には、

(こらしめのいみでもんをしめてしまうのである。)

懲らしめの意味で門を閉めてしまうのである。

(「いいわよ。」おしのはおちついて、「しってるりょかんがありますから。」)

「いいわよ。」お篠は落ち着いて、「知ってる旅館がありますから。」

(ひきかえして、そのおしののしっているりょかんにあんないしてもらった。)

引き返して、そのお篠の知っている旅館に案内してもらった。

(かなりじょうとうのやどやである。おしのはとをたたいてばんとうをおこし、わたしのことをたのんだ。)

かなり上等の宿屋である。お篠は戸を叩いて番頭を起こし、私の事を頼んだ。

(「さようなら。どうも、ありがとう。」とわたしはいった。)

「さようなら。どうも、ありがとう。」と私は言った。

(「さようなら。」とおしのもいった。)

「さようなら。」とお篠も言った。

(これでよし、あとはひとりですずめやきということになる。わたしはへやにとおされ、)

これでよし、あとは一人で雀焼きという事になる。私は部屋に通され、

(ばんとうのしいてくれたふとんにさっさともぐりこんで、さて、これから)

番頭の敷いてくれた蒲団(ふとん)にさっさと潜り込んで、さて、これから

(ゆっくりかんすずめをとおもったとたんにげんかんで、「ばんとうさん!」とさけぶおしののこえ。)

ゆっくり寒雀をと思った途端に玄関で、「番頭さん!」と叫ぶお篠の声。

(わたしはぎょっとしてみみをすました。「あのね、げたのはなおをきらしちゃったの。)

私はぎょっとして耳を澄ました。「あのね、下駄の鼻緒を切らしちゃったの。

(おねがいだから、すげてね。あたしそのあいだ、おきゃくさんのへやでまってるわ。」)

お願いだから、すげてね。あたしその間、お客さんの部屋で待ってるわ。」

(これはいけないと、わたしはまくらもとのすずめやきをかけぶとんのしたにかくした。)

これはいけないと、私は枕元の雀焼きを掛け蒲団の下に隠した。

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