一房の葡萄(4/5)有島武郎

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(せんせいはしばらくぼくをみつめていましたが、やがてせいとたちにむかってしずかに)

先生は暫く僕を見つめていましたが、やがて生徒たちに向かって静かに

(「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。)

「もう行ってもようございます。」と言って、みんなを帰してしまわれました。

(せいとたちはすこしものたらなそうに、どやどやとしたにおりていってしまいました。)

生徒達は少し物足らなそうに、どやどやと下に降りていってしまいました。

(せんせいはすこしのあいだなんともいわずに、ぼくのほうもむかずに)

先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに

(じぶんのてのつめをみつめていましたが、やがてしずかにたってきて、)

自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、

(ぼくのかたのところをだきすくめるようにして「えのぐはもうかえしましたか。」と)

僕の肩の所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」と

(ちいさなこえでおっしゃいました。ぼくはかえしたことをしっかりせんせいにしってもらいたいので)

小さな声で仰いました。僕は返した事をしっかり先生に知ってもらいたいので

(ふかぶかとうなずいてみせました。)

深々と頷いて見せました。

(「あなたはじぶんのしたことをいやなことだったとおもっていますか。」)

「あなたは自分のした事を嫌な事だったと思っていますか。」

(もういちどそうせんせいがしずかにおっしゃったときには、ぼくはもうたまりませんでした。)

もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもうたまりませんでした。

(ぶるぶるとふるえてしかたがないくちびるを、かみしめてもかみしめてもなみだごえがでて、)

ぶるぶると震えて仕方がない唇を、噛みしめても噛みしめても涙声が出て、

(めからはなみだがむやみにながれてくるのです。)

眼からは涙がむやみに流れてくるのです。

(もうせんせいにだかれたまましんでしまいたいようなこころもちになってしまいました。)

もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。

(「あなたはもうなくんじゃない。よくわかったらそれでいいから)

「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから

(なくのをやめましょう、ね。つぎのじかんにはきょうじょうにでないでもよろしいから、)

泣くのをやめましょう、ね。次の時間には教場に出ないでもよろしいから、

(わたくしのこのおへやにいらっしゃい。)

私(わたくし)のこのお部屋に入(い)らっしゃい。

(しずかにしてここにいらっしゃい。わたくしがきょうじょうからかえるまで)

静かにしてここに入らっしゃい。私が教場から帰るまで

(ここにいらっしゃいよ。いい。」とおっしゃりながらぼくをながいすにすわらせて、)

ここに入らっしゃいよ。いい。」と仰りながら僕を長椅子に坐らせて、

(そのときまたべんきょうのかねがなったので、つくえのうえのしょもつをとりあげて、)

その時また勉強の鐘が鳴ったので、机の上の書物を取り上げて、

(ぼくのほうをみていられましたが、にかいのまどまでたかくはいあがった)

僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這い上がった

など

(ぶどうづるから、ひとふさのせいようぶどうをもぎって、)

葡萄蔓(ぶどうづる)から、一房の西洋葡萄をもぎって、

(しくしくとなきつづけていたぼくのひざのうえにそれをおいて)

しくしくと泣き続けていた僕の膝の上にそれを置いて

(しずかにへやをでていきなさいました。)

静かに部屋を出て行きなさいました。

(いちじがやがやとやかましかったせいとたちはみんなきょうじょうにはいって、)

一時(いちじ)がやがやとやかましかった生徒達はみんな教場に這入って、

(きゅうにしんとするほどあたりがしずかになりました。ぼくはさびしくってさびしくって)

急にしんとするほど辺りが静かになりました。僕は淋しくって淋しくって

(しようがないほどかなしくなりました。あのくらいすきなせんせいをくるしめたかとおもうと)

しようがない程悲しくなりました。あの位好きな先生を苦しめたかと思うと

(ぼくはほんとうにわるいことをしてしまったとおもいました。)

僕は本当に悪い事をしてしまったと思いました。

(ぶどうなどはとてもたべるきになれないで、いつまでもないていました。)

葡萄などは迚(とて)も喰べる気になれないで、いつまでも泣いていました。

(ふとぼくはかたをかるくゆすぶられてめをさましました。)

ふと僕は肩を軽く揺すぶられて眼をさましました。

(ぼくはせんせいのへやでいつのまにかなきねいりをしていたとみえます。)

僕は先生の部屋でいつの間にか泣き寝入りをしていたと見えます。

(すこしやせてせいのたかいせんせいはえがおをみせて)

少し痩せて身長(せい)の高い先生は笑顔を見せて

(ぼくをみおろしていられました。ぼくはねむったためにきぶんがよくなって)

僕を見下ろしていられました。僕は眠ったために気分がよくなって

(いままであったことはわすれてしまって、すこしはずかしそうにわらいかえしながら、)

今まであった事は忘れてしまって、少し恥ずかしそうに笑い返しながら、

(あわててひざのうえからすべりおちそうになっていた)

慌てて膝の上から辷(すべ)り落ちそうになっていた

(ぶどうのふさをつまみあげましたが、すぐかなしいことをおもいだして)

葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐ悲しい事を思い出して

(わらいもなにもひっこんでしまいました。)

笑いも何も引っ込んでしまいました。

(「そんなにかなしいかおをしないでもよろしい。)

「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。

(もうみんなはかえってしまいましたから、あなたはおかえりなさい。)

もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。

(そしてあすはどんなことがあってもがっこうにこなければいけませんよ。)

そして明日(あす)はどんな事があっても学校に来なければいけませんよ。

(あなたのかおをみないとわたくしはかなしくおもいますよ。きっとですよ。」)

あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度(きっと)ですよ。」

(そういってせんせいはぼくのかばんのなかにそっとぶどうのふさをいれてくださいました。)

そう言って先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れてくださいました。

(ぼくはいつものようにかいがんどおりを、うみをながめたりふねをながめたりしながら)

僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながら

(つまらなくいえにかえりました。そしてぶどうをおいしくたべてしまいました。)

つまらなく家に帰りました。そして葡萄をおいしく喰べてしまいました。

(けれどもつぎのひがくると、ぼくはなかなかがっこうにいくきにはなれませんでした。)

けれども次の日が来ると、僕は中々学校に行く気にはなれませんでした。

(おなかがいたくなればいいとおもったり、)

お腹が痛くなればいいと思ったり、

(ずつうがすればいいとおもったりもしたけれども、)

頭痛がすればいいと思ったりもしたけれども、

(そのひにかぎってむしばいっぽんいたみもしないのです。)

その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。

(しかたなしにいやいやながらいえはでましたが、ぶらぶらとかんがえながらあるきました。)

仕方なしに嫌々ながら家は出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。

(どうしてもがっこうのもんをはいることはできないようにおもわれたのです。)

どうしても学校の門を這入る事は出来ないように思われたのです。

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