ロックの歴史 その2
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問題文
(3.びーとるずとぼぶでぃらん)
【3.ビートルズとボブディラン】
(あめりかのおおくのみゅーじしゃんがいぎりすぜいのいきおいにおされていたとうじの)
アメリカの多くのミュージシャンがイギリス勢の勢いに押されていた当時の
(じょうきょうかでもれいがいはあった。すてぃーヴぃー・わんだーやしゅーぷりーむすなどを)
状況下でも例外はあった。スティーヴィー・ワンダーやシュープリームスなどを
(ようするりずむ・あんど・ぶるーすのしにせ「もーたうん」だけは、こういった)
擁するリズム・アンド・ブルースの老舗「モータウン」だけは、こういった
(いぎりすぜいのしんしゅつにどうじることなくつぎつぎとひっとをりょうさんしていった。これはべつに)
イギリス勢の進出に動じる事なく次々とヒットを量産していった。これは別に
(もーたうんのほうがすぐれていたとか、そういうはなしではなく、こくじんかしゅちゅうしんの)
モータウンの方が優れていたとか、そう言う話ではなく、黒人歌手中心の
(もーたうんと、はくじんちゅうしんのろっく/ふぉーくはまーけっととしてもぶんかとしても)
モータウンと、白人中心のロック/フォークはマーケットとしても文化としても
(きょりがあったからである。つまりりすなーのそうがちがったのである。)
距離があったからである。つまりリスナーの層が違ったのである。
(さて、ぼぶでぃらんによってかいたくされた、とうじのふぉーく・ぶーむについて。)
さて、ボブディランによって開拓された、当時のフォーク・ブームについて。
(びーとるずをはじめとしたいぎりすぜいがとべいしたころのあめりかでは、おもにがくせいを)
ビートルズをはじめとしたイギリス勢が渡米した頃のアメリカでは、主に学生を
(ちゅうしんとした、はんたいせい・はんせいふうんどうのほのおがひろがりつつあった。あるものははんせんへいわを)
中心とした、反体制・反政府運動の炎が広がりつつあった。ある者は反戦平和を
(かかげ、あるものはじんしゅさべつてっぱいをさけび、またあるものはだんじょびょうどうをうたい、あるものは)
掲げ、ある者は人種差別撤廃を叫び、またある者は男女平等を謳い、ある者は
(ひょうげんのじゆう・げんろんのじゆうをもとめてはしりまわる。60ねんだいはわかものがせっきょくてきにせいじに)
表現の自由・言論の自由を求めて走り回る。60年代は若者が積極的に政治に
(さんかし、もんだいいしきをぶつけたじだいであった。こうしたうんどうねっしんながくせいたちに)
参加し、問題意識をぶつけた時代であった。こうした運動熱心な学生たちに
(しじされていたのがぼぶでぃらんなどのふぉーくみゅーじしゃんたちだったのだが、)
支持されていたのがボブディラン等のフォークミュージシャン達だったのだが、
(とうじは、かれらのようにしゃかいにたいしもんだいいしきをもったきょくをうたうふぉーくしんがー)
当時は、彼等のように社会に対し問題意識を持った曲を唄うフォークシンガー
(たつをひとくくりに「ぷろてすと・しんがー」とよんでいた。(ぷろてすととは)
達を一括りに「プロテスト・シンガー」と呼んでいた。(プロテストとは
(いぎをもうしたてる、またはこうぎするといういみ)そしてふぉーくしじしゃたちは)
異議を申し立てる、または抗議すると言う意味)そしてフォーク支持者達は
(らヴ・そんぐちゅうしんの、ぶなんでかたにはまったおんがくをきらい、しゃかいふうしてきなしせかいの)
ラヴ・ソング中心の、無難で型にはまった音楽を嫌い、社会風刺的な詩世界の
(あるふぉーく・そんぐをこのんでいたのである。ぼぶでぃらんは62ねんの)
あるフォーク・ソングを好んでいたのである。ボブディランは62年の
(ふぁーすと・あるばむ「ぼぶ・でぃらん」では、ほとんどきょくがじさくではない、)
ファースト・アルバム「ボブ・ディラン」では、ほとんど曲が自作ではない、
(かばーきょくであったが、つづく63ねんの「ふりーほいーりん・ぼぶ・でぃらん」で)
カバー曲であったが、続く63年の「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」で
(いよいよそのどくじのしせかいをうちだしてゆく。そして63ねんのさーどあるばむ)
いよいよその独自の詩世界を打ち出してゆく。そして63年のサードアルバム
(「じだいはかわる」、64ねんの「あなざー・さいど・おぶ・ぼぶ・でぃらん」の)
「時代は変わる」、64年の「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の
(せいこうによって、かれはふぉーくふぁんたちからあついしんらいとしじをかちとることになる。)
成功によって、彼はフォークファン達から厚い信頼と支持を勝ち取る事になる。
(とくにせかんどあるばむにしゅうろくされている「かぜにふかれて」や「せんそうのおやだま」では)
特にセカンドアルバムに収録されている「風に吹かれて」や「戦争の親玉」では
(はんせんやじんしゅさべつをもちーふにしたかしがうたわれ、うんどうかのふぉーくしじしゃたちに)
反戦や人種差別をモチーフにした歌詞が歌われ、運動家のフォーク支持者達に
(すろーがんてきなきょくとしてあつかわれる。)
スローガン的な曲として扱われる。
(あめりかにしんしゅつしたびーとるずは、このようなおんがくがしゃかいうんどうとむすびついている)
アメリカに進出したビートルズは、このような音楽が社会運動と結びついている
(じょうきょうにおどろいた。いぎりすでもがくせいうんどうはあったが、あめりかほどはげしくは)
状況に驚いた。イギリスでも学生運動はあったが、アメリカほど激しくは
(なかったし、ぱわふるでもなかった。じょん・れのんにいたっては、でぃらんと)
なかったし、パワフルでもなかった。ジョン・レノンにいたっては、ディランと
(めんかいしたときに、「きみたちのおんがくにはしゅちょうがない」とまでいわれてしまっている。)
面会した時に、「君達の音楽には主張がない」とまで言われてしまっている。
(いこうびーとるずは、おんがくてきなへんかとともにしのないようもへんかして、せいじやしゃかいに)
以降ビートルズは、音楽的な変化とともに詩の内容も変化して、政治や社会に
(ついてのめっせーじをふくんだがっきょくもはっぴょうするようになる。そのいっぽうで)
ついてのメッセージを含んだ楽曲も発表するようになる。その一方で
(ぼぶでぃらんもまたびーとるずのえいきょうにより、それまであこーすてぃっく・)
ボブディランもまたビートルズの影響により、それまでアコースティック・
(ぎたーだったのをえれき・ぎたーにもちかえ、1965ねんにはっぴょうしたあるばむ)
ギターだったのをエレキ・ギターに持ち替え、1965年に発表したアルバム
(「ぶりんぎんぐ・いっと・おーる・ばっく・ほーむ」はろっくさうんどを)
「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」はロックサウンドを
(とりいれたものとなりさんぴりょうろんをまきおこした。そしてあるばむはっぴょうのどうねんに)
取り入れたものとなり賛否両論を巻き起こした。そしてアルバム発表の同年に
(ひらかれたにゅーぽーと・ふぉーく・ふぇすてぃばるにおいてでぃらんが)
開かれたニューポート・フォーク・フェスティバルにおいてディランが
(おおがかりなきざいをもちこみ、だいおんきょうでえれき・ぎたーをならすや、がんこな)
大掛かりな機材を持ち込み、大音響でエレキ・ギターを鳴らすや、頑固な
(ふぉーくふぁんたちからぶーいんぐのあらしがまきおこるというじけんまではっせい。)
フォークファン達からブーイングの嵐が巻き起こるという事件まで発生。
(でぃらんはしかたなくすてーじをおりたのだが、かんけいしゃにせっとくされひとりだけで)
ディランは仕方なくステージを降りたのだが、関係者に説得され一人だけで
(ふたたびすてーじにもどり、あこーすてぃっくいっぽんで「いっつ・おーる・おーヴぁー・)
再びステージに戻り、アコースティック一本で「イッツ・オール・オーヴァー・
(なう(すべておしまい)」というきょくをえんそうした。これはいまやでんせつである。)
ナウ(全ておしまい)」という曲を演奏した。これは今や伝説である。
(しかしながらこのでぃらんのあるばむ「ぶりんぎん~」はぜんべい6い、ぜんえい1いに)
しかしながらこのディランのアルバム「ブリンギン〜」は全米6位、全英1位に
(かがやきでぃらんのそれまでのどのあるばむよりもうれたのであった。この)
輝きディランのそれまでのどのアルバムよりも売れたのであった。この
(あるばむいこうでぃらんはかしのなかにしゃかいもんだいをてーまにとりあげているような)
アルバム以降ディランは歌詞の中に社会問題をテーマに取り上げているような
(きょくはみをひそめていき、そのかつどうすたいるもじょじょにしゃかいうんどうてきなものからは)
曲は身を潜めていき、その活動スタイルも徐々に社会運動的なものからは
(きょりをおくようになる。といっても、60ねんだいのぜんはんはびーとるずをひっとうとした)
距離を置くようになる。と言っても、60年代の前半はビートルズを筆頭とした
(いぎりすぜいがあめりかにろっくのぎゃくゆにゅうをしたのをかわきりにべいえいそうほうのわかい)
イギリス勢がアメリカにロックの逆輸入をしたのを皮切りに米英双方の若い
(みゅーじしゃんたちがおたがいにしげきしあい、おんがくてきなめんでおおきくへんかしていった)
ミュージシャン達がお互いに刺激し合い、音楽的な面で大きく変化していった
(のとどうじに、ろっくん・ろーるがわかものたちのあいだでしゃかいうんどうのしんぼるとして)
のと同時に、ロックン・ロールが若者達の間で社会運動のシンボルとして
(しじされるようになりはじめたじきであったことはまちがいない。)
支持されるようになり始めた時期であったことは間違いない。
(4.きょうえんの60ねんだい~あめりかのせいしゅん~)
【4.狂宴の60年代〜アメリカの青春〜】
(じみ・へんのぎたーをきくと、ぬかるみのなかをすっぱだかでもだえているような、)
ジミ・ヘンのギターを聴くと、ぬかるみの中を素っ裸で悶えているような、
(いやらしいきぶんになる。じゃにすのうたごえをきくと、せかいじゅうのおとこというおとこを)
いやらしい気分になる。ジャニスの歌声を聴くと、世界中の男という男を
(ものにできるようなきぶんになる。でかいびるでもひとつきでぶっこわしてしまえる)
モノにできるような気分になる。でかいビルでも一突きでぶっ壊してしまえる
(くらいつよきになってくる。どあーずのきょくをきくと「2001ねんうちゅうのたび」のよう)
くらい強気になってくる。ドアーズの曲を聴くと「2001年宇宙の旅」のよう
(じぶんもたいじにもどっていめーじのうちゅうをふわふわとただよっているような)
自分も退治に戻ってイメージの宇宙をふわふわと漂っているような
(きぶんになる・・・。ひとによってかんじかたはさまざまだが、すくなくともかれらのおんがくを)
気分になる・・・。人によって感じ方は様々だが、少なくとも彼等の音楽を
(めをつぶってきいていると、ふだんのじぶんより、よりかんのうてきな、よりちからづよい、)
目をつぶって聴いていると、普段の自分より、より官能的な、より力強い、
(よりいめーじゆたかなじぶんにであえるのではないだろうか。ようするにかれらの)
よりイメージ豊かな自分に出会えるのではないだろうか。要するに彼等の
(おんがくをきけば「どらっぐをやるとこういうきぶんになるのかな」というぎじたいけんが)
音楽を聴けば「ドラッグをやるとこういう気分になるのかな」という疑似体験が
(できるわけだ。どらっぐはひとをじゆうにする。どうとくかんねんやしゅうちしんをいっしゅんでふき)
できるわけだ。ドラッグは人を自由にする。道徳観念や羞恥心を一瞬で吹き
(とばしてくれ、こころのおもむくまま、からだのよくするがままのしぜんなじょうたいにひとをみちびく。)
飛ばしてくれ、心の趣くまま、体の欲するがままの自然な状態に人を導く。
(またらっかんてきになり、ささいなことにとんちゃくしなくなる。じぶんがおおきくなったような)
また楽観的になり、些細なことに頓着しなくなる。自分が大きくなったような
(きがして、なんでもできるぱわーをもったようなさっかくをおこす。そしてちかくが)
気がして、何でも出来るパワーを持ったような錯覚を起こす。そして知覚が
(えいびんになり、みたこともないきばつないめーじがあふれでてくる。)
鋭敏になり、見たこともない奇抜なイメージが溢れ出てくる。
(60ねんだいこうはんにあらわれたひっぴーたちは、そんなばんのうのゆめのくすりをとことんつかって、)
60年代後半に現れたヒッピー達は、そんな万能の夢の薬をとことん使って、
(りそうのせかいをこうせいしようとみずからのからだをもってじっせんした。かみはのばしたいほうだいに)
理想の世界を構成しようと自らの体を持って実践した。髪は伸ばしたい放題に
(のばし、すてっぷなんてきにせず)
伸ばし、ステップなんて気にせず
(おどりたいようにおどる、たべものをもつものはないものにわけあたえ、ねぐらのある)
踊りたいように踊る、食べ物を持つものはないものに分け与え、寝ぐらのある
(ものはないものにそこをかいほうする。かわのみずをきょうゆうし、しゅうちしんをすておとこもおんなも)
ものはないものにそこを開放する。川の水を共有し、羞恥心を捨て男も女も
(はだかでみずあびをする・・・。いままでどうとくやきせいのかちかんというなでしばりつけていた)
裸で水浴びをする・・・。今まで道徳や既成の価値観という名で縛り付けていた
(ものをいっきにときはなち、かがくばんのうしゅぎをきらい、こうりつしゅぎをいわい、じゆうとしぜんを)
ものを一気に解き放ち、科学万能主義を嫌い、効率主義を祝い、自由と自然を
(あいし、ぼうりょくをにくみ、あらゆるにんげんとこうりゅうをもって、にんげんであることを)
愛し、暴力を憎み、あらゆる人間と交流を持って、人間であることを
(いわいあった。ぼぶでぃらんやびーとるずによってろっくはしゃかいてきな)
祝い合った。ボブディランやビートルズによってロックは社会的な
(めっせーじせいをつよくし、それにめざめたわかものたちはさらににんげんほんらいのりそうのせかい、)
メッセージ性を強くし、それに目覚めた若者達はさらに人間本来の理想の世界、
(りそうのいきかたをもさくしていったのだ。「あたらしいいきかたのじっけん」)
理想の生き方を模索していったのだ。「新しい生き方の実験」
(それがひっぴーぶんかだ。そしてひっぴーぶんかをささえ、またささえられてしょうちょうてきな)
それがヒッピー文化だ。そしてヒッピー文化を支え、また支えられて象徴的な
(そんざいとなったすたーが、さきにしるした、じみ・へんどりっくす、じゃにす・)
存在となったスターが、先に記した、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・
(じょぷりん、どあーずのじむ・もりそんの3にん、いわゆる「3j」であった。)
ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンの3人、いわゆる「3J」であった。
(3jにかぎらずこのじきのみゅーじしゃんたちのほとんどはどらっぐをやっている。)
3Jに限らずこの時期のミュージシャン達のほとんどはドラッグをやっている。
(はでなぱふぉーまんすもこのじきさいこうちょうだ。じみ・へんはぎたーをはでひき、)
派手なパフォーマンスもこの時期最高潮だ。ジミ・ヘンはギターを歯で弾き、
(あんぷをおかし、ぎたーをもやした。そんなじみ・へんときそいあうかのように、)
アンプを犯し、ギターを燃やした。そんなジミ・ヘンと競い合うかのように、
(ざ・ふーはえんそうごすべてのがっきをはこわしつくし、じむ・もりそんはすてーじで)
ザ・フーは演奏後全ての楽器を破壊し尽くし、ジム・モリソンはステージで
(「ふぁ」をれんこしたといわれている。あとに「ぱんくのかみさま」といわれる)
「FX」を連呼したと言われている。後に「パンクの神様」と言われる
(「すとぅーじず」のいぎー・ぽっぷは、ぜんしんにぴーなつばたーをぬりたくって、)
「ストゥージズ」のイギー・ポップは、全身にピーナツバターを塗りたくって、
(かんきゃくせきにだいぶした。いまでこそみなれたぱふぉーまんすだが、とうじとしては)
観客席にダイブした。今でこそ見慣れたパフォーマンスだが、当時としては
(きちがいじみたこうどうだったろう。また、れっど・つぇっぺりんのぎたりすと、)
基地外じみた行動だったろう。また、レッド・ツェッペリンのギタリスト、
(じみー・ぺいじがばいおりんのゆみでえれきぎたーをひいたのもゆうめいだ。)
ジミー・ペイジがバイオリンの弓でエレキギターを弾いたのも有名だ。
(このひとたちは「やってはいけない」ということすべてにてをだしたんじゃないかと)
この人達は「やってはいけない」ということ全てに手を出したんじゃないかと
(いうくらい、やりたいほうだい。「やれないことはない」といわんばかりだ。)
いうくらい、やりたい放題。「やれないことはない」と言わんばかりだ。
(とうぜん、そんなみゅーじしゃんやひっぴーたちをおさえつけようといううごきが)
当然、そんなミュージシャンやヒッピー達を押さえつけようという動きが
(でてくる。けいさつのかいにゅうである。どらっぐやこうぜんいせつざいなどでたいほされた)
出てくる。警察の介入である。ドラッグや公然いせつ罪などで逮捕された
(みゅーじしゃんは、かぞえきれない。こうしてみゅーじしゃんとけいさつのしょうとつは)
ミュージシャンは、数え切れない。こうしてミュージシャンと警察の衝突は
(くりかえされることになり、「ろっく=はんけんりょく」というかたがもじどおりげんじつの)
繰り返されることになり、「ロック=反権力」という型が文字通り現実の
(ものとしてかくりつされていったのである。)
ものとして確立されていったのである。