ロックの歴史 その3

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ロックの歴史 その3
芸術からウッドストック。青春の終わりまで

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(5.ろっくがげいじゅつにめざめたとき)

【5.ロックが芸術に目覚めた時】

(60ねんだいこうきはひっぴーぶんかはなざかりのじだいであった。さんふらんしすこを)

60年代後期はヒッピー文化華盛りの時代であった。サンフランシスコを

(せいちとするひっぴーぶんかはにしかいがんをちゅうしんにせかいかくちにひろがっていった。それは)

聖地とするヒッピー文化は西海岸を中心に世界各地に広がっていった。それは

(どらっぐによるにんげんのたましいのかいほう、じゆうとへいわをもさくする「あたらしいいきかたのじっけん」)

ドラッグによる人間の魂の開放、自由と平和を模索する「新しい生き方の実験」

(のじだいであった。ちょうどおなじころ、ひっぴーぶんかのちゅうしんとはいちてきにたいしょうとなる)

の時代であった。ちょうど同じ頃、ヒッピー文化の中心とは位置的に対象となる

(ひがしのだいとかい、にゅーよーくでもまったくあたらしい「じっけん」がおこなわれる。ろっくの)

東の大都会、ニューヨークでも全く新しい「実験」が行われる。ロックの

(げいじゅつせいとひょうげんのかのうせいへのじっけんである。「なにかあたらしいことはないかい?」と)

芸術性と表現の可能性への実験である。「何か新しいことはないかい?」と

(いうのがとうじのひとびとのあいさつとなっていたほど、あたらしいものをもとめ、つぎつぎと)

いうのが当時の人々の挨拶となっていたほど、新しいものを求め、次々と

(あたらしいものがうみだされたじだいであった。そんなじだいのおおだてものとしてだれもが)

新しいものが生み出された時代であった。そんな時代の大立者として誰もが

(みとめるのはあんでぃ・うぉーほるであろう。かれはぽっぷ・あーとのきしゅで、)

認めるのはアンディ・ウォーホルであろう。彼はポップ・アートの旗手で、

(しょうひんとしてりゅうつうしていた、ただのせんざいのはこをそっくりそのままちがうざいしつで)

商品として流通していた、ただの洗剤の箱をそっくりそのまま違う材質で

(つくってみせたり(ぶりろのはこ)、なんしゅるいもあるきゃんべるすーぷのかんを)

作ってみせたり(ブリロの箱)、何種類もあるキャンベルスープの缶を

(しょうひんだなにあるように100こもなべてえがいて、さくひんかしたことでゆうめいだが、)

商品棚にあるように100個も並べて描いて、作品化したことで有名だが、

(そのかれがろっくかいにもかんよしてきた。うぉーほるがぷろでゅーすしたぐるーぷ)

その彼がロック界にも関与してきた。ウォーホルがプロデュースしたグループ

(ざ・ヴぇるヴぇっと・あんだーぐらうんどのとうじょうだ。げいじゅつとしてのろっくの)

ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの登場だ。芸術としてのロックの

(かのうせいがここでめいかくにていじされたのである。ぽっぷ・あーととはなにか。)

可能性がここで明確に提示されたのである。ポップ・アートとは何か。

(かんたんにいえば、「ぽっぷ」つまりたいしゅうてきなあらゆるもの、まんが、しょうひんやその)

簡単に言えば、「ポップ」つまり大衆的なあらゆるもの、漫画、商品やその

(こうこく、ゆうめいじんのしゃしんなど、にちじょうわれわれがめにしているものからうけるいめーじを)

広告、有名人の写真など、日常我々が目にしているものから受けるイメージを

(かたちにあらわしたげいじゅつのことだ。まぁ、るねっさんすかいがやもねなどいんしょうはのがかが)

形に表した芸術のことだ。まぁ、ルネッサンス絵画やモネなど印象派の画家が

(「おげいじゅつ」とおもっているひとには、うぉーほるやりきてんしゅたいんのさくひんは)

「お芸術」と思っている人には、ウォーホルやリキテンシュタインの作品は

など

(「なんでこれがげいじゅつなの?」とかんじてしまうだろうが、そうかんじることをぎゃくに)

「何でこれが芸術なの?」と感じてしまうだろうが、そう感じることを逆に

(とらえれば、「こんなものでもげいじゅつなんだ」とせっとくされる。ぽっぷあーとが)

捉えれば、「こんなものでも芸術なんだ」と説得される。ポップアートが

(「たいしゅうてきなものでもげいじゅつになりえるんだ」というひとつのかのうせいをあたえてくれた)

「大衆的なものでも芸術になり得るんだ」という一つの可能性を与えてくれた

(おかげで、いままでただのたいしゅうてきなおんがく「ろっく」のごときものでも、いめーじを)

おかげで、今までただの大衆的な音楽「ロック」のごときものでも、イメージを

(かたちにきちんとあらわせば、げいじゅつになるんだ!」というそうだいなちょうせんがはじまって)

形にきちんと表せば、芸術になるんだ!」という壮大な挑戦が始まって

(いったのだ。ヴぇるヴぇっと~はうぉーほるのぷろでゅーすとはいえ、おんがくまで)

いったのだ。ヴェルヴェット〜はウォーホルのプロデュースとは言え、音楽まで

(うぉーほるがやったわけではなく、むしろ、そのおんがくのみせかた、きかせかたを)

ウォーホルがやったわけではなく、むしろ、その音楽の見せ方、聴かせ方を

(ぷろでゅーすしたにすぎない。だんさーやえいぞうさっかなどがあつまり、そうごうてきな)

プロデュースしたに過ぎない。ダンサーや映像作家などが集まり、総合的な

(しょうのちーむをぷろでゅーすしたのだといったほうがただしいだろう。その)

ショウのチームをプロデュースしたのだと言った方が正しいだろう。その

(しょうはおどりがあり、めもくらむようなすとろぼをもちいたり、げんかくてきなしきさいの)

ショウは踊りがあり、目も眩むようなストロボを用いたり、幻覚的な色彩の

(こうさくするえいぞうをうつしてえんしゅつされた。おとはヴぇるヴぇっと~じしんによってつくられ)

交錯する映像を映して演出された。音はヴェルヴェット〜自身によって作られ

(えんそうされたが、そのえんそうはえんしゅつにまけをおとらず、じっけんてきだった。びおらに)

演奏されたが、その演奏は演出に負けを劣らず、実験的だった。ビオラに

(ぎたーのげんをはり、ちぇろのゆみでひいてひこうきのようなごうおんをつくったり、)

ギターの弦を張り、チェロの弓で弾いて飛行機のような轟音を作ったり、

(ひとつのこーどだけしかつかわないできょくをしあげたり、えんそうごあんぷにぎたーを)

ひとつのコードだけしか使わないで曲を仕上げたり、演奏後アンプにギターを

(たてかけわざときーんというはうりんぐをおこさせてたちさるなど、ぜんえいてきな)

立てかけわざとキーンというハウリングを起こさせて立ち去るなど、前衛的な

(おとのじっけんがこころみられる。おとだけでなくヴぇるヴぇっと~のちゅうしんめんばー、)

音の実験が試みられる。音だけでなくヴェルヴェット〜の中心メンバー、

(るー・りーどはあめりかのさっかれいもんど・ちゃんどらーにえいきょうをうけたと)

ルー・リードはアメリカの作家レイモンド・チャンドラーに影響を受けたと

(いっているように、しもぶんがくてきなれべるをいしきしてつくられていった。しかし、)

言っているように、詩も文学的なレベルを意識して作られていった。しかし、

(うぉーほるというびっくねーむのもとのわだいせいはあったにせよ、ヴぇるヴぇっとは)

ウォーホルというビックネームの元の話題性はあったにせよ、ヴェルヴェットは

(いちぶのいんてりにしじされただけで、ほとんどたいしゅうてきにはうけいれられずに)

一部のインテリに支持されただけで、ほとんど大衆的には受け入れられずに

(70ねんにまくをおろす。けっかてきにはざんぱいだったのだ。いっぱつやですらない。)

70年に幕を降ろす。結果的には惨敗だったのだ。一発屋ですらない。

(しかし、3jのひとり、じむ・もりそんもうぃりあむ・ぶれいくや)

しかし、3Jのひとり、ジム・モリソンもウィリアム・ブレイクや

(あれん・ぎんずばーぐというさっかにえいきょうをうけており、ぶんがくてきなしとろっくの)

アレン・ギンズバーグという作家に影響を受けており、文学的な詩とロックの

(ゆうごうをこころみているし、いぎー・ぽっぷはヴぇるヴぇっとにえいきょうをうけ、きんぷんを)

融合を試みているし、イギー・ポップはヴェルヴェットに影響を受け、金粉を

(ぜんしんにまぶしてすてーじにあがった。げいじゅつせいをいしきしたこのようなこころみは)

全身にまぶしてステージに上がった。芸術性を意識したこのような試みは

(60ねんだいこうきにはすでにちらほらみられ、やがてこうしたほそいげんりゅうからでたながれが)

60年代後期には既にチラホラ見られ、やがてこうした細い源流から出た流れが

(おおきくこのあとのじだいをおおっていくことになる。そういったいみでヴぇるヴぇっとの)

大きくこの後の時代を覆っていく事になる。そういった意味でヴェルヴェットの

(とうじょうはろっくしじょうおおきないみをもったじけんであったし、60ねんだいこうきの)

登場はロック史上大きな意味を持った事件であったし、60年代後期の

(「ろっくのげいじゅつせいをもさくしたじっけん」をいしきてきにおこなった)

「ロックの芸術性を模索した実験」を意識的に行った

(さいしょのものたちであったといえる。)

最初の者たちであったと言える。

(6.くずれゆくゆめ~woodstock~)

【6.崩れゆく夢〜WOODSTOCK〜】

(あいとへいわとじゆうと、なにかげんじつをわすれさせてくれるしげきをもとめて、あめりかじゅうの)

愛と平和と自由と、何か現実を忘れさせてくれる刺激を求めて、アメリカ中の

(わかものが、みゅーじしゃんが、ばんどが、くるったようににしかいがんであばれまわった)

若者が、ミュージシャンが、バンドが、狂ったように西海岸で暴れ回った

(60ねんだいは、まさにわかもののじだいだった。あめりかのせいしゅんだった。「せいしゅん」という)

60年代は、正に若者の時代だった。アメリカの青春だった。「青春」という

(ひびきは、うつくしく、すべてをこうていしてしまうさまなちからをもっているが、どうじにはかない。)

響きは、美しく、全てを肯定してしまう様な力を持っているが、同時に儚い。

(「せいしゅんじだいがゆめなんて、あとからほのぼのおもうもの」とうたったのはもりたこういちと)

「青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの」と歌ったのは森田公一と

(とっぷ・ぎゃらんだが、そのじだいにいき、そのばしょにいたすべてのわかもの、)

トップ・ギャランだが、その時代に生き、その場所にいた全ての若者、

(みゅーじしゃんたちはほんきでじぶんたちがあめりかをかえ、せかいをかえることが)

ミュージシャン達は本気で自分たちがアメリカを変え、世界を変えることが

(できるし、またそうなるべきだとおもっていたのだ。「いまってゆめのようなじだい)

出来るし、またそうなるべきだと思っていたのだ。「今って夢の様な時代

(だよなぁ、おれたちまさにいきてるってかんじじゃん?」なんておもいながらひっぴーを)

だよなぁ、俺たち正に生きてるって感じじゃん?」なんて思いながらヒッピーを

(やっていたわけがない。しかし、ありったけのじゆうとぼうけんがゆるされたせいしゅんじだいも、)

やっていた訳が無い。しかし、ありったけの自由と冒険が許された青春時代も、

(いつかはかぜにふかれてとんでいく。1969ねん8がつ15、16、17にちの)

いつかは風に吹かれて飛んでいく。1969年8月15、16、17日の

(3にちかんにわたっておこなわれた、しじょうさいだいの「あいとへいわとじゆう」の)

3日間に渡って行われた、史上最大の「愛と平和と自由」の

(ろっく・ふぇすてぃばる「うっど・すとっく」をぴーくにそのせいしゅんのほのおは)

ロック・フェスティバル「ウッド・ストック」をピークにその青春の炎は

(ばくはつするのだが、これがひにくなことに、40まんにんものかんきゃくをどういんして)

爆発するのだが、これが皮肉な事に、40万人もの観客を動員して

(しまったことできぎょうやしほんか、れこーどがいしゃなどに「これはかねになる」と)

しまった事で企業や資本家、レコード会社などに「これは金になる」と

(きづかせてしまい、そのすぐご、1970ねんにうっど・すとっくどうよう)

気付かせてしまい、そのすぐ後、1970年にウッド・ストック同様

(「あいとへいわとじゆう」をかかげ、いぎりすのわいととうでひらかれた)

「愛と平和と自由」を掲げ、イギリスのワイト島で開かれた

(ろっく・ふぇすてぃばるでは、うっどすとっくをうわまわる60まんにんものかんしゅうから、)

ロック・フェスティバルでは、ウッドストックを上回る60万人もの観衆から、

(しっかりにゅうじょうりょうをとることになった。(うっどすとっくはじじつじょうむりょうだった))

しっかり入場料を取る事になった。(ウッドストックは事実上無料だった)

(それにより、「ろっくはたん・しょうぎょうしゅぎのはずだ!」というげんそうからさめぬ)

それにより、「ロックは反・商業主義のはずだ!」という幻想から覚めぬ

(かんしゅうと、ぎゃらをうけとるしゅつえんしゃとのあいだにまさつがおこり、「しほんしゅぎのぶた」)

観衆と、ギャラを受け取る出演者との間に摩擦が起こり、「資本主義のブタ」

(「そんなにかねもうけしたいか」などというばせいのもとに、うらぎられたとかんじたかんしゅうは)

「そんなに金儲けしたいか」などという罵声の元に、裏切られたと感じた観衆は

(ぼうととかした。ふぃーるどをしきるかべをぶちこわし、むちつじょじょうたいとなった。)

暴徒と化した。フィールドを仕切る壁をぶち壊し、無秩序状態となった。

(このしゅんかん、らぶ&ぴーすのゆめはほうかいした・・・。)

この瞬間、ラブ&ピースの夢は崩壊した・・・。

(ふぇすてぃばるがおわってみると、そこには60まんにんぶんのごみと、おぶつと、)

フェスティバルが終わってみると、そこには60万人分のゴミと、汚物と、

(こわされたしせつのざんがいがのこされていたという。それはめがさめて、ぜんしんからちからが)

壊された施設の残骸が残されていたと言う。それは目が覚めて、全身から力が

(ぬけ、きょだつかんとふもうかんにおそわれたわかもののこころのなかをそのままうつしだしている)

抜け、虚脱感と不毛感に襲われた若者の心の中をそのまま映し出している

(ようにおもう。ごみとおぶつだけではない、それはゆめのざんがいでもあったのだ。)

様に思う。ゴミと汚物だけではない、それは夢の残骸でもあったのだ。

(らぶ&ぴーすのほうかいとともに「あいとじゆうとへいわ」のしょうちょうてきなひーろーだった)

ラブ&ピースの崩壊と共に「愛と自由と平和」の象徴的なヒーローだった

(じむ・もりそん、じみ・へんどりくす、じゃにす・じょぷりんのいわゆる)

ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリンのいわゆる

(「3j」もこのよをさる。じむ・もりそんは71ねん、じみへん、じゃにすは)

「3J」もこの世を去る。ジム・モリソンは71年、ジミヘン、ジャニスは

(70ねんにしぼう。どらっぐのかじょうせっしゅだったというのがていせつだが、いまだしんじつは)

70年に死亡。ドラッグの過剰摂取だったと言うのが定説だが、未だ真実は

(わからない。じだいをぜんぶしょっていたかのさまな、じんちをこえたさいのうと)

分からない。時代を全部背負っていたかの様な、人智を超えた才能と

(かりすませいをもった3にんのあっけないしは、60ねんだいのしゅうけつをみをもって)

カリスマ性を持った3人のあっけない死は、60年代の終結を身を持って

(あらわしているさまにもおもえる。はなびのさまにいき、しんだかれらを「かみからのおくりもの」)

表している様にも思える。花火の様に生き、死んだ彼らを「神からの贈り物」

(とおもってしまうという「ざ・ふー」のぴーと・たうんぜんとのことばが、かれらの)

と思ってしまうと言う「ザ・フー」のピート・タウンゼントの言葉が、彼らの

(せいとしに、いちばんぴったりなことばなのではないかとおもう。)

生と死に、一番ピッタリな言葉なのではないかと思う。

(あめりかのかかえていたしょもんだい(ヴぇとなむせんそう、こうみんけんうんどう、)

アメリカの抱えていた諸問題(ヴェトナム戦争、公民権運動、

(じょせいかいほううんどうなど)は、70ねんだいにはいっても、あいかわらずでもやしんこうがおこなわれ、)

女性解放運動など)は、70年代に入っても、相変わらずデモや進行が行われ、

(こくみんのもんだいいしきをしげきしていたが、それらがろっくとむすびつくことはすくなくなって)

国民の問題意識を刺激していたが、それらがロックと結びつく事は少なくなって

(いった。わいととうにしょうちょうされる、らぶ&ぴーすのはいぼくとばからしさをしった)

いった。ワイト島に象徴される、ラブ&ピースの敗北と馬鹿らしさを知った

(おおくのわかものたち、そしてみゅーじしゃんたちは、そんなしゃかいもんだいをうたったりきいたり)

多くの若者達、そしてミュージシャン達は、そんな社会問題を歌ったり聴いたり

(することにうんざりしてしまったというめんもあるだろう。それになによりあらゆる)

する事にウンザリしてしまったと言う面もあるだろう。それに何よりあらゆる

(はやりはさるのだ。らぶ&ぴーすはりゅうこう、ねつびょう、ふぁっしょんだった。こころの)

流行りは去るのだ。ラブ&ピースは流行、熱病、ファッションだった。心の

(そこからそれをしんじ、こうどうにうつったわかものもいれば、なんとなくみんなについていこうと)

底からそれを信じ、行動に移った若者もいれば、何となく皆について行こうと

(おもいながら「ぴーす」とかいっていたわかものもいただろう。いつのじだいにも)

思いながら「ピース」とか言っていた若者もいただろう。いつの時代にも

(そういうやつはいるものだ。そして「ねつびょう」からさめてみれば、ひっぴーを)

そういう奴はいるものだ。そして「熱病」から覚めてみれば、ヒッピーを

(やってどらっぐをすってたやつが、せいしゅんにみきりをつけ、しゅうしょくかつどうをしたりする。)

やってドラッグを吸ってた奴が、青春に見切りをつけ、就職活動をしたりする。

(それがげんじつなのだ。そうやってひとはせいちょうしていく。せいしゅんはおわった。)

それが現実なのだ。そうやって人は成長していく。青春は終わった。

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