ロックの歴史 その12
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問題文
(15.ろっくふきょうたいさく(さんぎょうろっくたんじょう))
【15.ロック不況対策(産業ロック誕生)】
(80ねんだいにはいると、ないようよりもおんがくしゅたいの「さんとらえいが」なるものがはやり)
80年代に入ると、内容よりも音楽主体の「サントラ映画」なるものが流行り
(だした。こんにちはまずその「さんとらえいが」がうまれたはいけいをみてみよう。)
出した。今日はまずその「サントラ映画」が生まれた背景を見てみよう。
(70ねんだいは、あとに「ろっくしにのこるめいばん」とうたわれるような、しつのたかい)
70年代は、後に「ロック史に残る名盤」と謳われるような、質の高い
(れこーどがぞくぞくりりーすされ、れこーどがたいりょうにうれたじだいであった。そして)
レコードが続々リリースされ、レコードが大量に売れた時代であった。そして
(どうじにそれをおくるばんどやみゅーじしゃんが、そののうりょくとぎじゅつによって、または)
同時にそれを送るバンドやミュージシャンが、その能力と技術によって、又は
(なみはずれたぱふぉーまんすやしょうによって、ふぁんやたいしゅうから「しんかくか」)
並外れたパフォーマンスやショウによって、ファンや大衆から「神格化」
(されたじだいだった。しかしそのいっぽうで、あめりかでは78ねんごろからきゅうげきに)
された時代だった。しかしその一方で、アメリカでは78年頃から急激に
(「でぃすこ」および「でぃすこみゅーじっく」がはやりだす。そのたんちょうで)
「ディスコ」および「ディスコ・ミュージック」が流行り出す。その単調で
(きかいかされたあじけないおとのたいとうは、よくようある「なまのおと」をしんじるぜんろっく)
機械化された味気ない音の台頭は、抑揚ある「生の音」を信じる全ロック・
(みゅーじしゃんたちにはんかんときょうふをあたえた。でぃすこそんぐのぎたーそろも)
ミュージシャン達に反感と恐怖を与えた。ディスコソングのギター・ソロも
(なければしゃうともない、はんぶんいんすとぅるめんたるのような「かるさ」)
無ければシャウトも無い、半分インストゥルメンタルの様な「軽さ」
(「あじけなさ」は、きっととうじのわかものにはしんせんだったのだとおもう。それになにより)
「味気なさ」は、きっと当時の若者には新鮮だったのだと思う。それに何より
(でぃすこは「おどるためのbgm」であるから、しゅじんこうはえんそうするばんどや)
ディスコは「踊る為のBGM」であるから、主人公は演奏するバンドや
(みゅーじしゃんではなく、おどりたいひとというのも、たいしゅうをひきつけたよういん)
ミュージシャンではなく、踊りたい人というのも、大衆を惹き付けた要因
(だろう。ようするにききてがしゅじんこうとなったのだ。ぐうぞうすうはいにあきたたいしゅうが、)
だろう。要するに聴き手が主人公となったのだ。偶像崇拝に飽きた大衆が、
(こんどは「じぶんがしゅじんこうになりたい」とおもったとしてもなんらふしぎはない。)
今度は「自分が主人公になりたい」と思ったとしても何ら不思議はない。
(そしてでぃすこやだんすほーるでしゅじんこうになるには、かっこよくおどればよいだけ)
そしてディスコやダンスホールで主人公になるには、カッコよく踊れば良いだけ
(だった。だいひっとせいしゅんえいが「さたでーないとふぃーばー」のすとーりーが)
だった。大ヒット青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のストーリーが
(まさにそれだった。さらにつけくわえるとすれば、どうじきのぱんくぶーむもその)
まさにそれだった。さらに付け加えるとすれば、同時期のパンクブームもその
(「しろうとせい」において「だれもがしゅじんこう」になるよちはよぶんすぎるほどあった。)
「素人性」において「誰もが主人公」になる余地は余分すぎるほどあった。
(そんなでぃすことぱんくのたいとうで、いっしゅんにしてかこのおんがくとなりつつあった)
そんなディスコとパンクの台頭で、一瞬にして過去の音楽となりつつあった
(きそんのろっくは、70ねんだいまっき、すいたいのいっとをたどる。じっさい、70ねんだいをきずいた)
既存のロックは、70年代末期、衰退の一途をたどる。実際、70年代を築いた
(びっぐばんどたちもつかれはてへとへとになっていた。えあろすみすは)
ビッグバンドたちも疲れ果てヘトヘトになっていた。エアロ・スミスは
(ぼーかるのすてぃーヴんたいらーとりーどぎたりすとのじょーぺりーの)
ボーカルのスティーヴン・タイラーとリードギタリストのジョー・ペリーの
(ふわがしゅうふくふのうのじょうたいにおちいり、とうとう79ねんにぎたーひーろーだった)
不和が修復不能の状態に陥り、とうとう79年にギター・ヒーローだった
(じょーぺりーがだったい。つづいてさいどぎたりすとのぶらっどうぃっと)
ジョー・ペリーが脱退。続いてサイド・ギタリストのブラッド・ウィット・
(ふぉーどまでだったいしてしまい、えあろすみすはなかばかいさんじょうたいとなった。)
フォードまで脱退してしまい、エアロスミスは半ば解散状態となった。
(きっすもおなじころ、どらっぐのもんだいをかかえていたどらまーのぴーたーくりすが)
キッスも同じ頃、ドラッグの問題を抱えていたドラマーのピーター・クリスが
(だったい。78ねんに「だぶるぷらちなむ」というべすとばんをりりーすし、はっぴょうと)
脱退。78年に「ダブル・プラチナム」というベスト盤をリリースし、発表と
(どうじにかつどうていしせんげんをする。70ねんだいのあめりかさいだいのびっぐばんどだった)
同時に活動停止宣言をする。70年代のアメリカ最大のビッグ・バンドだった
(いーぐるすも「ほてるかりふぉるにあ」のさつじんてきなひっとによって、その)
イーグルスも「ホテル・カリフォルニア」の殺人的なヒットによって、その
(ぷれっしゃーからか、79ねんはっぴょうの「ろんぐらん」をらすとあるばむにして)
プレッシャーからか、79年発表の「ロング・ラン」をラストアルバムにして
(かいさん。このように、どんどんあめりかから「ろっく」がきえつつあった・・・。)
解散。この様に、どんどんアメリカから「ロック」が消えつつあった・・・。
(さて、そんなどるばこばんどたちがつぎつぎとかつどうていししたりいんたいしたりするなかで、)
さて、そんなドル箱バンド達が次々と活動停止したり引退したりする中で、
(「うれる」しょうひんのなくなったおんがくぎょうかいはだいふきょうにおちいる。しかもそれにおいうちを)
「売れる」商品の無くなった音楽業界は大不況に陥る。しかもそれに追い討ちを
(かけるように、fmらじおやmtvのとうじょうによって、ますますだれもれこーどを)
掛ける様に、FMラジオやMTVの登場によって、ますます誰もレコードを
(かわなくなっていった。そこでほんとうならばおんがくぎょうかいは「しんじんのはっくつ」という)
買わなくなっていった。そこで本当ならば音楽業界は「新人の発掘」という
(ことをしてあらたなるすたーをうみだし、しーんをかっせいかさせなければならなかった)
事をして新たなるスターを生み出し、シーンを活性化させなければならなかった
(のだが、70ねんだいまっきのあめりかのおんがくぎょうかいはそれをおこたった。みぎもひだりもわからぬ)
のだが、70年代末期のアメリカの音楽業界はそれを怠った。右も左も分からぬ
(しんじんをはっくつし、そだて、ぷろもーしょん(せんでん)をするのはばくだいなかねとじかんが)
新人を発掘し、育て、プロモーション(宣伝)をするのは莫大な金を時間が
(かかる。うれるかどうかもさだかではないしんじんにすべてをかける、そんなばくちめいた)
かかる。売れるかどうかも定かではない新人に全てを賭ける、そんな博打めいた
(ことはしたくなかったのだ。そこでおもいついたのが「おんがくとえいがのゆうごう」だった。)
事はしたくなかったのだ。そこで思いついたのが「音楽と映画の融合」だった。
(えいぞうとおんがくをあわせることで、よりこうかてきにたいしゅうにばいばいいよくをあおることができた。)
映像と音楽を合わせる事で、より効果的に大衆に売買意欲を煽る事ができた。
(これらのなかにはえいががいしゃだけでなく、mtvがせいさくしたものもおおくあった。)
これらの中には映画会社だけでなく、MTVが製作したものも多くあった。
(これはこうかてきめんで、ぜんかいかいたさまなひっとしょうひんを、つぎつぎうみだしていった。)
これは効果覿面で、前回書いた様なヒット商品を、次々生み出していった。
(もうひとつの「ろっくふきょうたいさく」は「ちゅうけんばんどであんぜんなしょうぶをする」という)
もう一つの「ロック不況対策」は「中堅バンドで安全な勝負をする」という
(しゅほうである。ちゅうけんばんどとはそれなりにながしれわたっていて、きゃりあも)
手法である。中堅バンドとはそれなりに名が知れ渡っていて、キャリアも
(まあまあある、しんじんとちがっておんがくぎょうかいのみぎもひだりもわかっている、れこーどがいしゃに)
まあまあ有る、新人と違って音楽業界の右も左も分かっている、レコード会社に
(とってひかくてきあつかいやすそうなばんどのことである。れこーどぎょうかいのそんなじょうけんに)
とって比較的扱い易そうなバンドのことである。レコード業界のそんな条件に
(かない、かつれこーどがいしゃのもとめる「まんにんにうけるであろうきょく」をつくることが)
かない、且つレコード会社の求める「万人に受けるであろう曲」を作る事が
(できたtoto、じゃーじー、reoすぴーどわごん、ふぉりなー、)
出来たTOTO、ジャージー、REOスピード・ワゴン、フォリナー、
(さヴぁいばーといったばんどは、70ねんだいまっきから80ねんだいしょきにかけて)
サヴァイバーといったバンドは、70年代末期から80年代初期にかけて
(れこーどがいしゃのねらいどおりひっとをとばし、にんきをはくす。とくにじゃーにーの)
レコード会社の狙い通りヒットを飛ばし、人気を博す。特にジャーニーの
(79ねんはっぴょうの「えぼりゅーしょん」は300まんまいものうりあげをきろくし、)
79年発表の「エボリューション」は300万枚もの売り上げを記録し、
(おんがくぎょうかいのふきょうをふきとばした。しかしとうじに、なんらしゅちょうなりこせいなりが)
音楽業界の不況を吹き飛ばした。しかし当時に、何ら主張なり個性なりが
(かんじられないかれらのぽっぷすでもあり、ろっくでもあるようなききやすい)
感じられない彼等のポップスでもあり、ロックでもある様な聴きやすい
(さうんどは「れこーどがいしゃのいうままにつくった」ようにみえることから、)
サウンドは「レコード会社の言うままに作った」様に見えることから、
(「さんぎょうろっく」というれってるをはられ、いちぶのおんがくぎょうひょうろんかからひはんされた。)
「産業ロック」と言うレッテルを貼られ、一部の音楽業評論家から批判された。
((ちなみにさんぎょうろっくのことをえいごでは「だいなそーろっく」という。)
(ちなみに産業ロックのことを英語では「ダイナソーロック」と言う。
(だいなそー=きょうりゅう=おおげさ、おおあじといういみである)そんなあるいみくるしまぎれと)
ダイナソー=恐竜=大げさ、大味という意味である)そんなある意味苦し紛れと
(いってもいいようなあんいなせんりゃくでおちゃをにごしていたあめりかのろっくしーんに)
言ってもいい様な安易な戦略でお茶を濁していたアメリカのロック・シーンに
(おーすとらりあ、いぎりすなどのかいがいのばんどがかつをいれはじめる・・・。)
オーストラリア、イギリスなどの海外のバンドが喝を入れ始める・・・。