草枕 夏目漱石 1/3
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | Par99 | 3995 | D++ | 4.0 | 98.0% | 1624.1 | 6619 | 130 | 100 | 2024/11/21 |
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問題文
(いち やまみちをのぼりながら、こうかんがえた。)
一 山路を登りながら、こう考えた。
(ちにはたらけばかどがたつ。じょうにさおさせばながされる。いじをとおせばきゅうくつだ。)
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
(とかくにひとのよはすみにくい。すみにくさがこうじると、やすいところへ)
とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ
(ひきこしたくなる。どこへこしてもすみにくいとさとったとき、しがうまれて、)
引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、
(えができる。ひとのよをつくったものはかみでもなければおにでもない。やはりむこう)
画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う
(さんけんりょうどなりにちらちらするただのひとである。ただのひとがつくったひとのよが)
三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が
(すみにくいからとて、こすくにはあるまい。あればひとでなしのくにへいくばかりだ。)
住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
(ひとでなしのくにはひとのよよりもなおすみにくかろう。こすことのならぬよが)
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が
(すみにくければ、すみにくいところをどれほどか、くつろげて、つかのまのいのちを、)
住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、
(つかのまでもすみよくせねばならぬ。ここにしじんというてんしょくができて、ここに)
束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに
(がかというしめいがふる。あらゆるげいじゅつのしはひとのよをのどかにし、ひとのこころをゆたかに)
画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かに
(するがゆえにたっとい。すみにくきよから、すみにくきわずらいをひきぬいて)
するが故に尊い《たっとい》。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて
(ありがたいせかいをまのあたりにうつすのがしである、えである。あるはおんがくと)
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と
(ちょうこくである。こまかにいえばうつさないでもよい。ただまのあたりにみれば、)
彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、
(そこにしもいき、うたもわく。ちゃくそうをかみにおとさぬともきゅうそうのおんは)
そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落とさぬともキュウソウの音は
(きょうりにおこる。たんせいはがかにむかってとまつせんでもごさいの)
胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹《とまつ》せんでも五彩の
(けんらんはおのずからしんがんにうつる。ただおのがすむよを、かくかんじえて、)
絢爛《けんらん》は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、
(れいだいほうすんのかめらにぎょうきこんだくのぞっかいをきよくうららかに)
霊台方寸のカメラに澆季混濁《ぎょうきこんだく》の俗界を清くうららかに
(おさめうればたる。このゆえにむせいのしじんにはいっくなく、むしょくのがかには)
収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には
(せっけんなきも、かくじんせいをかんじえるのてんにおいて、かくぼんのうを)
尺縑《せっけん》なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を
(げだつするのてんにおいて、かくしょうじょうかいにしゅつにゅうしえるのてんにおいて、またこの)
解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの
(ふどうふじのけんこんをこんりゅうしえるのてんにおいて、がりしよくの)
不同不二の乾坤《けんこん》を建立し得るの点において、我利私慾の
(きはんをそうとうするのてんにおいて、せんきんのこよりも、)
羈絆《きはん》を掃蕩《そうとう》するの点において、千金の子よりも、
(ばんじょうのきみよりも、あらゆるぞっかいのちょうじよりもこうふくである。)
万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児《ちょうじ》よりも幸福である。
(よにすむことにじゅうねんにして、すむにかいあるよとしった。にじゅうごねんにして)
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして
(めいあんはひょうりのごとく、ひのあたるところにはきっとかげがさすとさとった。)
明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。
(さんじゅうのこんにちはこうおもうている。よろこびのふかきときうれいいよいよふかく、たのしみの)
三十の今日はこう思うている。喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの
(おおいなるほどくるしみもおおきい。これをきりはなそうとするとみがもてぬ。)
大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。
(かたづけようとすればよがたたぬ。かねはだいじだ、だいじなものがふえれば)
片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば
(ねるまもしんぱいだろう。こいはうれしい、うれしいこいがつもれば、こいをせぬむかしが)
寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔が
(かえってこいしかろ。かくりょうのかたはすうひゃくまんにんのあしをささえている。せなかにはおもい)
かえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い
(てんかがおぶさっている。うまいものをくわねばおしい。すこしくえばあきたらぬ。)
天下がおぶさっている。うまい物を食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。
(ぞんぶんくえばあとがふゆかいだ。・・・よのかんがえがここまでひょうりゅうしてきたときに、)
存分食えばあとが不愉快だ。・・・世の考がここまで漂流して来た時に、
(よのうそくはとつぜんすわりのわるいかどいしのはしをふみそこなった。へいこうをたもつために、)
余の右足は突然座りのわるい角石の端を踏み損なった。平衡を保つために、
(すわやとまえにとびだしたさそくが、しそんじのうめあわせをするとともに、よのこしは)
すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをすると共に、余の腰は
(ぐあいよくほうさんしゃくほどないわのうえにおりた。かたにかけたえのぐはこがわきのしたから)
具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。肩にかけた絵の具箱が脇の下から
(おどりだしただけで、さいわいとなんのこともなかった。たちあがるときにむこうをみると、)
躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。立ち上がる時に向うを見ると、
(みちからひだりのほうにばけつをふせたようなみねがそびえている。すぎかひのきか)
路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜《ひのき》か
(わからないがねもとからいただきまでことごとくあおぐろいなかに、やまざくらがうすあかく)
分からないが根本から頂までことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤く
(だんだらにたなびいて、つぎめがしかとみえぬくらいもやがこい。すこしてまえにはげやまが)
だんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が
(ひとつ、ぐんをぬきんでてまゆにせまる。はげたそくめんはきょじんのおのでけずりさったか、)
一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、
(するどきへいめんをやけにたにのそこにうめている。てっぺんにいっぽんみえるのはあかまつだろう。)
鋭き平面をやけに谷の底に埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。
(えだのあいだのそらさえはっきりしている。ゆくてはにちょうほどできれているが、たかいところから)
枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から
(あかいけっとがうごいてくるのをみると、のぼればあすこへでるのだろう。)
赤い毛布《けっと》が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。
(みちはすこぶるなんぎだ。つちをならすだけならさほどてまもはいるまいが、つちのなかには)
路はすこぶる難義だ。土をならすだけならさほど手間も入るまいが、土の中には
(おおきないしがある。つちはたいらにしてもいしはたいらにならぬ。いしはきりくだいても、)
大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、
(いわはしまつがつかぬ。ほりくずしたつちのうえにゆうぜんとそばだって、われらのためにみちをゆずる)
岩は始末がつかぬ。堀崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る
(けしきはない。むこうできかぬうえはのりこすか、まわらなければならん。いわの)
景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌《いわ》の
(ないところでさえあるきよくはない。さゆうがたかくって、ちゅうしんがくぼんで、)
ない所でさえ歩きよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、
(まるでひとまはばをさんかくにくって、そのちょうてんがまんなかをつらぬいていると)
まるで一間幅を三角に穿って、その頂点が真中《まんなか》を貫いていると
(ひょうしてもよい。みちをいくといわんよりかわぞこをわたるというほうがてきとうだ。もとより)
評してもよい。路を行くと云わんより川底を渡ると云う方が適当だ。固より
(いそぐたびでないから、ぶらぶらとななまがりへかかる。)
急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲《ななまがり》へかかる。
(たちまちあしのもとでひばりのこえがしだした。たにをみおろしたが、どこでないてるか)
たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか
(かげもかたちもみえぬ。ただこえだけがあきらかにきこえる。せっせとせわしく、たえまなく)
影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく
(ないている。ほういくりのくうきがいちめんにのみにさされて)
鳴いている。方幾里《ほういくり》の空気が一面に蚤に刺されて
(いたたまれないようなきがする。あのとりのなくねにはしゅんじのよゆうもない。)
いたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。
(のどかなはるのひをなきつくし、なきあかし、またなきくらさなければ)
のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ
(きがすまんとみえる。そのうえどこまでのぼっていく、いつまでものぼっていく。)
気が済まんと見える。その上どこまで登って行く、いつまでも登って行く。
(ひばりはきっとくものなかでしぬにそういない。のぼりつめたあげくは、ながれてくもにいって、)
雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、
(ただようているうちにかたちはきえてなくなって、ただこえだけがそらのうちにのこるのかも)
漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも
(しれない。いわかどをするどくまわって、あんまならまっさかさまにおつるところを、)
知れない。巌角を鋭く廻って、按摩《あんま》なら真逆様に落つるところを、
(きわどくみぎへきれて、よこにみおろすと、なのはながいちめんにみえる。ひばりはあすこへ)
際どく右へ切れて、横に見下ろすと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ
(おちるのかとおもった。いいや、あのこがねのはらからとびあがってくるのかとおもった)
落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った
(つぎにはおちるひばりと、のぼるひばりがじゅうもんじにすれちがうのかとおもった。さいごに、)
次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、
(おちるときも、のぼるときも、またじゅうもんじにすれちがうときにもげんきよくなきつづける)
落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづける
(だろうとおもった。はるはねむくなる。ねこはねずみをとることをわすれ、にんげんはしゃっきんのあることを)
だろうと思った。春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を
(わすれる。ときにはじぶんのたましいのいどころさえわすれてしょうたいなくなる。ただなのはなをとおく)
忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く
(のぞんだときにめがさめる。ひばりのこえをきいたときにたましいのありかがはんぜんする。)
望んだときに目が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。
(ひばりのなくのはくちでなくのではない、たましいぜんたいがなくのだ。たましいのかつどうがこえに)
雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声に
(あらわれたもののうちで、あれほどげんきのあるものはない。ああゆかいだ。)
あらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。
(こうおもって、こうゆかいになるのがしである。たちまちしぇれーのひばりのしを)
こう思って、こう愉快になるのが詩である。たちまちシェレーの雲雀の詩を
(おもいだして、くちのうちでおぼえたところだけあんしょうしてみたが、)
思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦《あんしょう》して見たが、
(おぼえているところはにさんくしかなかった。そのにさんくのなかにこんなのがある。)
覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
(we look before and after and pine)
We look before and after And pine
(for what is not:)
for what is not:
(our sincerest laughter with some)
Our sincerest laughter With some
(pain is fraught; our sweetest songs)
pain is fraught; Our sweetest songs
(are those that tell of)
are those that tell of
(saddest thought.)
saddest thought.
(「まえをみては、しりえをみては、ものほしと、あこがるるかなわれ。)
「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。
(はらからの、わらいといえど、くるしみの、そこにあるべし。うつくしき、)
腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、
(きわみのうたに、かなしさの、きわみのおもい、こもるとぞしれ」)
極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
(なるほどいくらしじんがこうふくでも、あのひばりのようにおもいきって、いっしんふらんに、)
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、
(ぜんごをぼうきゃくして、わがよろこびをうたうわけにはいくまい。せいようのしはむろんのこと、)
前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、
(しなのしにも、よくばんこくのうれいなどというじがある。しじんだから)
支那の詩にも、よく万斛《ばんこく》の愁などと云う字がある。詩人だから
(ばんこくでしろうとならいちごうですむかもしれぬ。してみるとしじんはつねにひとよりも)
万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常に人よりも
(くろうしょうで、ぼんこつのばいいじょうにしんけいがえいびんなのかもしれん。ちょうぞくのよろこびもあろうが、)
苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、
(むりょうのかなしみもおおかろう。そんならばしじんになるのもかんがえものだ。しばらくはみちが)
無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。しばらくは路が
(たいらで、みぎはぞうきやま、ひだりはなのはなのみつづけである。あしのもとにときどき)
平で、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々
(たんぽぽをふみつける。のこぎりのようなはがえんりょなく)
蒲公英《たんぽぽ》を踏みつける。鋸《のこぎり》のような葉が遠慮なく
(しほうへのしてまんなかにきいろなたまをようごしている。なのはなにきをとられて、)
四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、
(ふみつけたあとで、きのどくなことをしたと、ふりむいてみると、きいろなたまは)
踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は
(いぜんとしてのこぎりのなかにちんざしている。のんきなものだ。またかんがえをつづける。)
依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
(しじんにうれいはつきものかもしれないが、あのひばりをきくこころもちになればみじんのくも)
詩人に憂はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦も
(ない。なのはなをみても、ただうれしくてむねがおどるばかりだ。たんぽぽもそのとおり、)
ない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が踊るばかりだ。蒲公英もその通り、
(さくらもーーさくらはいつかみえなくなった。こうやまのなかへきてしぜんのけいぶつにせっすれば、)
桜もーー桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、
(みるものもきくものもおもしろい。おもしろいだけでべつだんのくるしみもおこらぬ。)
見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。
(おこるとすればあしがくたびれて、うまいものがたべられぬくらいの)
起るとすれば足が草臥れて《くたびれて》、旨いものが食べられぬくらいの
(ことだろう。しかしくるしみのないのはなぜだろう。ただこのけしきをいっぷくの)
事だろう。しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の
(えとしてみ、いっかんのしとしてよむからである。)
画として観、一巻の詩として読むからである。