貨幣 太宰治(1/2)

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貨幣 太宰治

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(いこくごにおいては、めいしにそれぞれだんじょのせいべつあり。)

異国語においては、名詞にそれぞれ男女の性別あり。

(しかして、かへいをじょせいめいしとす。)

然して、貨幣を女性名詞とす。

(わたしは、ななまんななせんはっぴゃくごじゅういちごうのひゃくえんしへいです。あなたのさいふのなかの)

私は、七七八五一号の百円紙幣です。あなたの財布の中の

(ひゃくえんしへいをちょっとしらべてみてくださいまし。あるいはわたしはそのなかに、はいって)

百円紙幣をちょっと調べてみて下さいまし。あるいは私はその中に、はいって

(いるかもしれません。もうわたしは、くたくたにつかれて、じぶんがいまだれのふところのなかに)

いるかも知れません。もう私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中に

(いるのやら、あるいはくずかごのなかにでもほうりこまれているのやら、さっぱり)

いるのやら、あるいは屑篭の中にでもほうり込まれているのやら、さっぱり

(けんとうもつかなくなりました。ちかいうちには、もだんがたのしへいがでて、わたしたち)

見当も附かなくなりました。ちかいうちには、モダン型の紙幣が出て、私たち

(きゅうしきのしへいはみなやかれてしまうのだとかいううわさもききましたが、もうこんな、)

旧式の紙幣は皆焼かれてしまうのだとかいう噂も聞きましたが、もうこんな、

(いきているのだか、しんでいるのだかわからないようなきもちでいるよりは、)

生きているのだか、死んでいるのだかわからないような気持でいるよりは、

(いっそさっぱりやかれてしまってしょうてんしとうございます。やかれたあとで、てんごくへ)

いっそさっぱり焼かれてしまって昇天しとうございます。焼かれた後で、天国へ

(いくかじごくへいくか、それはかみさままかせだけれども、ひょっとしたら、わたしは)

行くか地獄へ行くか、それは神様まかせだけれども、ひょっとしたら、私は

(じごくへおちるかもしれないわ。うまれたときには、いまみたいに、こんないや)

地獄へ落ちるかも知れないわ。生れた時には、今みたいに、こんな賤《いや》

(しいていたらくではなかったのです。あとになったらもうにひゃくえんしへいやら)

しいていたらくではなかったのです。後になったらもう二百円紙幣やら

(せんえんしへいやら、わたしよりもありがたがられるしへいがたくさんでてきましたけれども、)

千円紙幣やら、私よりも有難がられる紙幣がたくさん出て来ましたけれども、

(わたしのうまれたころには、ひゃくえんしへいが、おかねのじょおうで、はじめてわたしがとうきょうのだいぎんこうの)

私の生れたころには、百円紙幣が、お金の女王で、はじめて私が東京の大銀行の

(まどぐちからあるひとのてにわたされたときには、そのひとのてはすこしふるえていました。)

窓口からある人の手に渡された時には、その人の手は少し震えていました。

(あら、ほんとうですわよ。そのひとは、わかいだいくさんでした。そのひとは、はらがけの)

あら、本当ですわよ。その人は、若い大工さんでした。その人は、腹掛けの

(どんぶりに、わたしをおりたたまずにそのままそっといれて、おなかがいたいみたいに)

どんぶりに、私を折り畳まずにそのままそっといれて、おなかが痛いみたいに

(ひだりのてのひらをはらがけにかるくおしあて、みちをあるくときにも、でんしゃにのっている)

左の手のひらを腹掛けに軽く押し当て、道を歩く時にも、電車に乗っている

(ときにも、つまりぎんこうからいえへと、そのひとはさっそくわたしをかみだなにあげておがみました)

時にも、つまり銀行から家へと、その人はさっそく私を神棚にあげて拝みました

など

(わたしのじんせいへのかどでは、このようにこうふくでした。わたしはそのだいくさんのおたくに)

私の人生への門出は、このように幸福でした。私はその大工さんのお宅に

(いつまでもいたいとおもったのです。けれどもわたしは、そのだいくさんのおたくには、)

いつまでもいたいと思ったのです。けれども私は、その大工さんのお宅には、

(ひとばんしかいることができませんでした。そのよるはだいくさんはたいへんごきげんが)

一晩しかいる事が出来ませんでした。その夜は大工さんはたいへん御機嫌が

(よろしくて、ばんしゃくなどやらかして、そうしてわかいこがらなおかみさんにむかい、)

よろしくて、晩酌などやらかして、そうして若い小柄なおかみさんに向かい、

(「ばかにしちゃいけねえ。おれにだって、おとこのはたらきというものがある」などと)

「馬鹿にしちゃいけねえ。おれにだって、男の働きというものがある」などと

(いっていばりときどきたちあがってわたしをかみだなからおろして、りょうてでいただくような)

いって威張り時々立ち上がって私を神棚からおろして、両手でいただくような

(かっこうでおがんでみせて、わかいおかみさんをわらわせていましたが、そのうちにふうふの)

恰好で拝んで見せて、若いおかみさんを笑わせていましたが、そのうちに夫婦の

(あいだにけんかがおこり、とうとうわたしはよっつにたたまれておかみさんのちいさいさいふのなかに)

間に喧嘩が起り、とうとう私は四つに畳まれておかみさんの小さい財布の中に

(いれられてしまいました。そうしてそのあくるあさ、おかみさんにしちやにつれて)

いれられてしまいました。そうしてその翌る朝、おかみさんに質屋に連れて

(いかれて、おかみさんのきものじゅうまいとかえられ、わたしはしちやのつめたくしめっぽいきんこの)

行かれて、おかみさんの着物十枚とかえられ、私は質屋の冷くしめっぽい金庫の

(なかにいれられました。みょうにそこびえがして、おなかがいたくてこまっていたら、わたしは)

中にいれられました。妙に底冷えがして、おなかが痛くて困っていたら、私は

(またそとにだされてひのめをみることができました。こんどはわたしは、いがくせいの)

また外に出されて日の目を見る事が出来ました。こんどは私は、医学生の

(けんびきょうひとつとかえられたのでした。わたしはそのいがくせいにつれられて、ずいぶん)

顕微鏡一つとかえられたのでした。私はその医学生に連れられて、ずいぶん

(とおくへりょこうしました。そうしてとうとう、せとないかいのあるちいさいしまのりょかんで、)

遠くへ旅行しました。そうしてとうとう、瀬戸内海のある小さい島の旅館で、

(わたしはそのいがくせいにすてられました。それからいっかげつちかくわたしはそのりょかんの、ちょうばの)

私はその医学生に捨てられました。それから一箇月近く私はその旅館の、帳場の

(こだんすのひきだしにいれられていましたが、なんだかそのいがくせいは、わたしをすてて)

小箪笥の引出しにいれられていましたが、何だかその医学生は、私を捨てて

(りょかんをでてからまもなくせとないかいにみをとうじてしんだという、じょちゅうたちの)

旅館を出てから間もなく瀬戸内海に身を投じて死んだという、女中たちの

(とりざたをちらとこみみにはさみました。「ひとりでしぬなんてあほらしい。)

取沙汰をちらと小耳にはさみました。「ひとりで死ぬなんて阿呆らしい。

(あんなきれいなおとことなら、わたしはいつでもいっしょにしんであげるのにさ」と)

あんな綺麗な男となら、わたしはいつでも一緒に死んであげるのにさ」と

(でっぷりふとったしじゅうくらいの、ふきでものだらけのじょちゅうがいって、みんなをわらわせて)

でっぷり太った四十くらいの、吹出物だらけの女中がいって、皆を笑わせて

(いました。それからわたしはごねんかんしこく、きゅうしゅうとわたりあるき、めっきりふけこんで)

いました。それから私は五年間四国、九州と渡り歩き、めっきり老け込んで

(しまいました。そうしてしだいにわたしはかるんぜられ、ろくねんぶりでまたとうきょうへまい)

しまいました。そうしてしだいに私は軽んぜられ、六年振りでまた東京へ舞い

(もどったときには、あまりかわりはてたじぶんのみなりゆきに、ついじこけんおしちゃい)

戻った時には、あまり変り果てた自分の身なりゆきに、つい自己嫌悪しちゃい

(ましたわ。とうきょうへかえってきてからはわたしはただもうやみやのつかいばしりをつとめるおんなに)

ましたわ。東京へ帰って来てからは私はただもう闇屋の使い走りを勤める女に

(なってしまったのですもの。ご、ろくねんとうきょうからはなれているうちにわたしもかわり)

なってしまったのですもの。五、六年東京から離れているうちに私も変り

(ましたけれども、まあ、とうきょうのかわりようったら。よるのはちじごろ、ほろよいの)

ましたけれども、まあ、東京の変りようったら。夜の八時ごろ、ほろ酔いの

(ぶろーかーにつれられて、とうきょうえきからにほんばし、それからきょうばしへでてぎんざをあるき)

ブローカーに連れられて、東京駅から日本橋、それから京橋へ出て銀座を歩き

(しんばしまで、そのあいだ、ただもうまっくらで、ふかいもりのなかをあるいているようなきもちで)

新橋まで、その間、ただもうまっくらで、深い森の中を歩いているような気持で

(ひとひとりとおらないのはもちろん、みちをよこぎるねこのこいっぴきもみあたりませんでした。)

人ひとり通らないのはもちろん、路を横切る猫の子一匹も見当りませんでした。

(おそろしいしのふきつなぎょうそうをていしていました。それからまもなく、れいの)

おそろしい死の不吉な形相を呈していました。それからまもなく、れいの

(どかんどかん、しゅうしゅうがはじまりましたけれども、あのまいにちまいやの)

ドカンドカン、シュウシュウがはじまりましたけれども、あの毎日毎夜の

(だいこんらんのなかでも、わたしはやはりやすむひまもなくあのひとのてから、このひとのてと、)

大混乱の中でも、私はやはり休むひまもなくあの人の手から、この人の手と、

(まるでりれーきょうそうのばとんみたいにめまぐるしくわたりあるき、おかげでこのような)

まるでリレー競走のバトンみたいに目まぐるしく渡り歩き、おかげでこのような

(しわくちゃのすがたになったばかりでなく、いろいろなもののしゅうきがからだに)

皺《しわ》くちゃの姿になったばかりでなく、いろいろなものの臭気がからだに

(ついて、もう、はずかしくて、やぶれかぶれになってしまいました。)

附いて、もう、恥ずかしくて、やぶれかぶれになってしまいました。

(あのころは、もうにほんも、やぶれかぶれになっていたじきでしょうね。わたしが)

あのころは、もう日本も、やぶれかぶれになっていた時期でしょうね。私が

(どんなひとのてから、どんなひとのてに、なんのもくてきで、そうしてどんなむごいかいわを)

どんな人の手から、どんな人の手に、何の目的で、そうしてどんなむごい会話を

(もっててわたされていたか、それはもうみなさんも、じゅうにぶんにごぞんじのはずで、)

もって手渡されていたか、それはもう皆さんも、十二分にご存じのはずで、

(ききあきみあきていらっしゃることでしょうから、くわしくはもうしあげませんが)

聞き飽き見飽きていらっしゃることでしょうから、くわしくは申し上げませんが

(けだものみたいになっていたのは、ぐんばつとやらいうものだけではなかったように)

けだものみたいになっていたのは、軍閥とやらいうものだけではなかったように

(わたしにはおもわれました。それはまたにほんのひとにかぎったことでなく、にんげんせいいっぱんの)

私には思われました。それはまた日本の人に限ったことでなく、人間性一般の

(だいもんだいであろうとおもいますが、こよいしぬかもしれぬということになったら、ぶつよくも)

大問題であろうと思いますが、今宵死ぬかも知れぬという事になったら、物慾も

(しきよくもきれいにわすれてしまうのではないかしらともかんがえられるのに、どうして)

色慾も綺麗に忘れてしまうのではないかしらとも考えられるのに、どうして

(なかなかそのようなものでもないらしく、にんげんはいのちのふくろこうじにおちこむと、)

なかなかそのようなものでもないらしく、人間は命の袋小路に落ち込むと、

(わらいあわずに、むさぼりくらいあうものらしうございます。このよのなかの)

笑い合わずに、むさぼりくらい合うものらしうございます。この世の中の

(ひとりでもふこうなひとのいるかぎり、じぶんもこうふくにはなれないとおもうことこそ、ほんとうの)

ひとりでも不幸な人のいる限り、自分も幸福にはなれないと思う事こそ、本当の

(にんげんらしいかんじょうでしょうに、じぶんだけ、あるいはじぶんのいえだけのつかのまのあんらくを)

人間らしい感情でしょうに、自分だけ、あるいは自分の家だけの束の間の安楽を

(えるために、りんじんをののしり、あざむき、おしたおし、(いいえ、あなた)

得るために、隣人を罵《ののし》り、あざむき、押し倒し、(いいえ、あなた

(だって、いちどはそれをなさいました。むいしきでさなって、ごじしんそれに)

だって、いちどはそれをなさいました。無意識でさなって、ご自身それに

(きがつかないなんてのは、さらにいかるべきことです。はじてください。にんげんならば)

気がつかないなんてのは、さらに怒るべき事です。恥じて下さい。人間ならば

(はじてください。はじるというのはにんげんだけにあるかんじょうですから)まるでもう)

恥じて下さい。恥じるというのは人間だけにある感情ですから)まるでもう

(じごくのもうじゃがつかみあいのけんかをしているようなこっけいでひさんなずばかり)

地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしているような滑稽で悲惨な図ばかり

(みせつけられてまいりました。けれども、わたしはこのようにかとうなつかいばしりの)

見せつけられてまいりました。けれども、私はこのように下等な使い走りの

(せいかつにおいても、いちどやにどは、ああ、うまれてよかったとおもったこともない)

生活においても、いちどや二度は、ああ、生れてよかったと思ったこともない

(わけではございませんでした。いまはもうこのようにつかれきって、じぶんがどこに)

わけではございませんでした。いまはもうこのように疲れ切って、自分がどこに

(いるのやら、それさえけんとうがつかなくなってしまったほど、まるで、もうろくの)

いるのやら、それさえ見当がつかなくなってしまったほど、まるで、もうろくの

(かたちですが、それでもいまもってわすれられぬほのかにたのしいおもいでもあるのです。)

形ですが、それでもいまもって忘れられぬほのかに楽しい思い出もあるのです。

(そのひとつは、わたしがとうきょうからきしゃで、さん、よじかんでいきつけるあるしょうとかいにやみやの)

その一つは、私が東京から汽車で、三、四時間で行き着けるある小都会に闇屋の

(ばあさんにつれられてまいりましたときのことですが、ただいまは、それをちょっと)

婆さんに連れられてまいりました時のことですが、ただいまは、それをちょっと

(おしらせいたしましょう。わたしはこれまで、いろんなやみやからやみやへわたりあるいて)

お知らせ致しましょう。私はこれまで、いろんな闇屋から闇屋へ渡り歩いて

(きましたが、どうもおんなのやみやのほうが、おとこのやみやよりもわたしをにばいにもゆうこうに)

来ましたが、どうも女の闇屋のほうが、男の闇屋よりも私を二倍にも有効に

(つかうようでございました。おんなのよくというものは、おとこのよくよりもさらにてっていして)

使うようでございました。女の慾というものは、男の慾よりもさらに徹底して

(あさましく、すさまじいところがあるようでございます。わたしをそのしょうとかいにつれて)

あさましく、凄まじいところがあるようでございます。私をその小都会に連れて

(いったばあさんも、ただものではないらしくあるおとこにびーるをいっぽんわたしてその)

行った婆さんも、ただものではないらしくある男にビールを一本渡してその

(かわりにわたしをうけとり、そうしてこんどはそのしょうとかいにぶどうしゅのかいだしにきて、)

かわりに私を受け取り、そうしてこんどはその小都会に葡萄酒の買出しに来て、

(ふつうやみねのそうばはぶどうしゅいっしょうごじゅうえんとかろくじゅうえんとかであったらしいのに、)

ふつう闇値の相場は葡萄酒一升五十円とか六十円とかであったらしいのに、

(ばあさんはひざをすすめてひそひそひそひそいってながいことねばり、ときどきいやらしく)

婆さんは膝をすすめてひそひそひそひそいって永い事ねばり、時々いやらしく

(わらったりなにかしてとうとうわたしいちまいでよんしょうをてにいれおもそうなかおもせずせおって)

笑ったり何かしてとうとう私一枚で四升を手に入れ重そうな顔もせず背負って

(かえりましたが、つまり、このやみばあさんのしゅわんひとつでびーるいっぽんがぶどうしゅよんしょう、)

帰りましたが、つまり、この闇婆さんの手腕一つでビール一本が葡萄酒四升、

(すこしみずをわってびーるびんにつめかえるとにじっぽんちかくにもなるのでしょう、)

少し水を割ってビール瓶につめかえると二十本ちかくにもなるのでしょう、

(とにかく、おんなのよくはていどをこえています。それでもそのばあさんは、すこしも)

とにかく、女の慾は程度を越えています。それでもその婆さんは、少しも

(うれしいようなかおをせず、どうもまったくひどいよのなかになったものだ、と)

うれしいような顔をせず、どうもまったくひどい世の中になったものだ、と

(おおまじめでぐちをいってかえっていきました。わたしはぶどうしゅのやみやのおおきいさいふの)

大真面目で愚痴をいって帰って行きました。私は葡萄酒の闇屋の大きい財布の

(なかにいれられ、うとうとねむりかけたら、すぐにまたひっぱりだされて、こんどは)

中にいれられ、うとうと眠りかけたら、すぐにまたひっぱり出されて、こんどは

(しじゅうちかいりくぐんたいいにてわたされました。)

四十ちかい陸軍大尉に手渡されました。

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