恋愛論 坂口安吾(1/2)

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恋愛論 坂口安吾

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(れんあいとはいかなるものか、わたしはよくしらない。そのいかなるものであるかを、)

恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。そのいかなるものであるかを、

(いっしょうのぶんがくにさがしつづけているようなものなのだから。だれしもこいというものに)

一生の文学に探しつづけているようなものなのだから。誰しも恋というものに

(つきあたる。あるいはつきあたらずにけっこんするひともあるかもしれない。やがて)

突きあたる。あるいは突きあたらずに結婚する人もあるかもしれない。やがて

(しかしおっとをつまをあいす。あるいはうまれたこどもをあいす。かていそのものを)

しかし良人《おっと》を妻を愛す。あるいは生れた子供を愛す。家庭そのものを

(あいす。かねをあいす。きものをあいす。わたしはふざけているのではない。にほんごでは、)

愛す。金を愛す。着物を愛す。私はフザけているのではない。日本語では、

(こいと、あいというごがある。いくらかにゅあんすがちがうようだ。あるいはふたつを)

恋と、愛という語がある。いくらかニュアンスがちがうようだ。あるいは二つを

(ずいぶんちがったようにかいしたりかんじたりしているひともあるだろう。がいこくでは)

ずいぶん違ったように解したり感じたりしている人もあるだろう。外国では

((わたしのしるよーろっぱのにさんのくにでは)あいもこいもおなじで、ひとをあいすというおなじ)

(私の知るヨーロッパの二三の国では)愛も恋も同じで、人を愛すという同じ

(ことばでものをあいすという。にほんでは、ひとをあいし、ひとをこいしもするが、つうれいものを)

言葉で物を愛すという。日本では、人を愛し、人を恋しもするが、通例物を

(こいすとはいわない。まれに、そういうときは、あいすとちがったいみ、もうすこしきょうれつな)

恋すとはいわない。まれに、そういう時は、愛すと違った意味、もう少し強烈な

(きょうてきなちからがこめられているようなかんじである。もっとも、こいす、というごには、)

狂的な力がこめられているような感じである。もっとも、恋す、という語には、

(いまだしょゆうせざるものにおもいこがれるようなにゅあんすもあり、あいすというと、)

いまだ所有せざるものに思いこがれるようなニュアンスもあり、愛すというと、

(もっとおちついて、しずかで、すんでいて、すでにしょゆうしたものを、)

もっと落ちついて、静かで、澄んでいて、すでに所有したものを、

(いつくしむようなかんじもある。だからこいすというごには、もとめるはげしさ、)

いつくしむような感じもある。だから恋すという語には、もとめるはげしさ、

(きょうてきなきがんがこめられているようなおもむきでもある。わたしはじしょをしらべたわけでは)

狂的な祈願がこめられているような趣きでもある。私は辞書をしらべたわけでは

(ないのだが、しかし、こいとあいのふたごにれきしてきな、くべつされげんていされたいみ、)

ないのだが、しかし、恋と愛の二語に歴史的な、区別され限定された意味、

(にゅあんすがめいかくにきていされているようにはおもわれぬ。)

ニュアンスが明確に規定されているようには思われぬ。

(むかし、きりしたんがはじめてにほんにとらいしたころ、このあいというごで)

昔、切支丹《きりしたん》が初めて日本に渡来したころ、この愛という語で

(ひじょうにくろうしたというはなしがある。あちらではあいすはこのむで、ひとをあいす、ものを)

非常に苦労したという話がある。あちらでは愛すは好むで、人を愛す、物を

(あいす、みないちようにこのむというへいぼんなごがひとつあるだけだ。ところが、にほんの)

愛す、みな一様に好むという平凡な語が一つあるだけだ。ところが、日本の

など

(ぶしどうでは、ふぎはおいえのごはっとで、いろこいというと、すぐふぎとくる。れんあいは)

武士道では、不義はお家の御法度で、色恋というと、すぐ不義とくる。恋愛は

(よこしまなものにきめられていて、せいじゅんないみがあいのいちじにふくまれて)

よこしまなものにきめられていて、清純な意味が愛の一字にふくまれて

(おらぬのである。きりしたんはあいをとく。かみのあい、きりしとのあい、けれどもあいは)

おらぬのである。切支丹は愛を説く。神の愛、キリシトの愛、けれども愛は

(ふぎにつらなるにゅあんすがつよいのだから、このやくごにこんわくしたので、くしんの)

不義につらなるニュアンスが強いのだから、この訳語に困惑したので、苦心の

(あげくにはつめいしたのが、たいせつということばだ。すなわち「でうすのごたいせつ」)

あげくに発明したのが、大切という言葉だ。すなわち「神《でうす》のご大切」

(「きりしとのごたいせつ」としょうし、よはなんじをあいす、というのを、よはなんじをたいせつに)

「キリシトのご大切」と称し、余は汝を愛す、というのを、余は汝を大切に

(おもう、とやくしたのである。じっさい、きょうわれわれのにちじょうのかんようにおいても、あいとか)

思う、と訳したのである。実際、今日われわれの日常の慣用においても、愛とか

(こいはなんとなくいたにつかないことばのひとつで、ぼくはあなたをあいします、などというと)

恋は何となく板につかない言葉の一つで、僕はあなたを愛します、などというと

(ぶたいのうえでうわのそらにしゃべっているような、われわれのせいかつのじばんに)

舞台の上でウワの空にしゃべっているような、われわれの生活の地盤に

(みっちゃくしないそらぞらしさがかんじられる。あいす、というのはなんとなくきざだ。そこで、)

密着しない空々しさが感じられる。愛す、というのは何となくキザだ。そこで、

(ぼくはあなたがすきだ、という。このほうがほんものらしいじゅうりょうがあるようなきが)

僕はあなたがすきだ、という。この方がホンモノらしい重量があるような気が

(するから、ようするにえいごのらヴとおなじけっかになるようだが、しかし、にほんごの)

するから、要するに英語のラヴと同じ結果になるようだが、しかし、日本語の

(すきだ、だけではちからぶそくのかんがあり、ちょこれーとなみにしかすきでないような)

すきだ、だけでは力不足の感があり、チョコレートなみにしかすきでないような

(ものたりなさがあるから、しかたなしに、とてもすきなんだ、とりきむことになる。)

物たりなさがあるから、しかたなしに、とてもすきなんだ、と力むことになる。

(にほんのことばはめいじいらい、がいらいぶんかにあわせてまにあわせたことばがおおいせいか、)

日本の言葉は明治以来、外来文化に合わせて間に合わせた言葉が多いせいか、

(ことばのいみと、それがわれわれのにちじょうにかんようされることばのいのちがまちまちで)

言葉の意味と、それがわれわれの日常に慣用される言葉のイノチがまちまちで

(あったり、どうぎごがたようでそのそれぞれにもやがかかっているようなきょうかいせんの)

あったり、同義語が多様でその各々に靄《もや》がかかっているような境界線の

(ふめいかくなことばがおおい。これをしょうしてことばのくにというべきか、われわれのぶんかが)

不明確な言葉が多い。これを称して言葉の国というべきか、われわれの文化が

(そこからごりやくをうけているか、わたしはおおいにうたがっている。ほれたというとげひんな)

そこから御利益を受けているか、私は大いに疑っている。惚れたというと下品な

(きがする。げひんなこい、じょうひんなこい、あるいはじっさいいろいろのこいがあるのだろうから)

気がする。下品な恋、上品な恋、あるいは実際いろいろの恋があるのだろうから

(ほれた、あいした、こうつかいわけて、たったいちじのどうしでかんたんめいりょうにくべつがついて)

惚れた、愛した、こう使いわけて、たった一字の動詞で簡単明瞭に区別がついて

(にほんごはべんりのようだが、しかし、わたしはあべこべのふあんをかんじる。すなわち、)

日本語は便利のようだが、しかし、私はあべこべの不安を感じる。すなわち、

(たったいちごのつかいわけによって、いともあざやかにくべつをつけてそれですまして)

たった一語の使いわけによって、いともあざやかに区別をつけてそれですまして

(しまうだけ、ものじたいのふかいきび、どくとくなこせいてきなしょひょうしょうをみのがしてしまう。)

しまうだけ、物自体の深い機微、独特な個性的な諸表象を見のがしてしまう。

(ことばにたよりすぎ、ことばにまかせすぎ、ものじたいにそくしてせいかくなひょうげんをかんがえ、)

言葉にたよりすぎ、言葉にまかせすぎ、物自体に即して正確な表現を考え、

(つまりわれわれのことばはものじたいをしるためのどうぐだという、かんがえかた、かんさつの)

つまりわれわれの言葉は物自体を知るための道具だという、考え方、観察の

(ほんしつてきなたいどをおろそかにしてしまう。ようするに、にほんごのたようせいはふんいきてきで)

本質的な態度をおろそかにしてしまう。要するに、日本語の多様性は雰囲気的で

(ありすぎ、したがって、にほんじんのしんじょうのくんれんをもふんいきてきにしている。)

ありすぎ、したがって、日本人の心情の訓練をも雰囲気的にしている。

(われわれのたようなことばはこれをあやつるにきわめてじざいほうじょうなしんじょうてきよくやを)

われわれの多様な言葉はこれをあやつるにきわめて自在豊饒な心情的沃野を

(かんじさせてたのもしいかぎりのようだが、じつはわれわれはそのおかげで、)

感じさせてたのもしい限りのようだが、実はわれわれはそのおかげで、

(わかったようなわからぬような、ばんじふんいきですましてそつぎょうしたようなきもちに)

わかったようなわからぬような、万事雰囲気ですまして卒業したような気持に

(なっているだけの、げんししじんのげんろんのじゆうにめぐまれすぎて、げんしさながらの)

なっているだけの、原始詩人の言論の自由に恵まれすぎて、原始さながらの

(ことだまのさきわうくにに、ぶんかのかりいしょうをしているようなものだ。)

コトダマのさきわう国に、文化の借り衣装をしているようなものだ。

(ひとはれんあいというものに、とくべつふんいきをくうそうしすぎているようだ。しかし、)

人は恋愛というものに、特別雰囲気を空想しすぎているようだ。しかし、

(れんあいは、ことばでもなければ、ふんいきでもない。ただ、すきだ、ということの)

恋愛は、言葉でもなければ、雰囲気でもない。ただ、すきだ、ということの

(ひとつなのだろう。すきだ、というしんじょうにむすうのさがあるかもしれぬ。そのさの)

一つなのだろう。すきだ、という心情に無数の差があるかもしれぬ。その差の

(なかに、すき、と、こいとのべつがあるのかもしれないが、さはさであって、)

中に、すき、と、恋との別があるのかもしれないが、差は差であって、

(ふんいきではないはずである。)

雰囲気ではないはずである。

(れんあいというものはつねにいちじのげんえいで、かならずほろび、さめるものだ、ということを)

恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを

(しっているおとなのこころはふこうなものだ。わかいひとたちはおなじことをしっていても、)

知っている大人の心は不幸なものだ。若い人たちは同じことを知っていても、

(じょうねつのげんじつのせいめいりょくがそれをしらないが、おとなはそうではない、じょうねつじたいが)

情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が

(しっている、こいはまぼろしだということを。ねんれいにはねんれいのはなやかじつがあるのだから、)

知っている、恋は幻だということを。年齢には年齢の花や果実があるのだから、

(こいはまぼろしにすぎないというじじつについては、わかいひとびとは、ただ、うけたまわった、)

恋は幻にすぎないという事実については、若い人々は、ただ、承った、

(ききおく、というていどでよろしいのだとわたしはおもう。ほんとうのことというものは)

ききおく、という程度でよろしいのだと私は思う。ほんとうのことというものは

(ほんとうすぎるから、わたしはきらいだ。しねばはっこつになるという。しんでしまえば)

ほんとうすぎるから、私はきらいだ。死ねば白骨になるという。死んでしまえば

(それまでだという。こういうあたりまえすぎることは、むいみであるに)

それまでだという。こういうあたりまえすぎることは、無意味であるに

(すぎないものだ。きょうくんにはふたつあって、せんじんがそのためにしっぱいしたからこうじんも)

すぎないものだ。教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人も

(しっぱいするにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない)

失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない

(せいしつのものと、ふたつである。れんあいはこうしゃにぞくするもので、しょせんまぼろしであり、えいえんの)

性質のものと、二つである。恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の

(こいなどはうそのこっちょうだとわかっていても、それをするな、といいえないせいしつの)

恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質の

(ものである。それをしなければじんせいじたいがなくなるようなものなのだから。)

ものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。

(つまりは、にんげんはしぬ、どうせしぬものならはやくしんでしまえということが)

つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが

(なりたたないのとおなじだ。わたしはいったいにまんようしゅう、こきんしゅうのこいうたなどを、)

成り立たないのと同じだ。私はいったいに万葉集、古今集の恋歌などを、

(しんじょうがそぼくじゅんすいにとろされているというので、こうどのぶんがくのようにおもうひとびと、)

真情が素朴純粋に吐露されているというので、高度の文学のように思う人々、

(そういうそぼくなしそうがきらいである。きょくたんにいえば、あのようなこいうたは、どうぶつの)

そういう素朴な思想が嫌いである。極端にいえば、あのような恋歌は、動物の

(ほんのうのさけび、いぬやねこがそのあいじょうによってほえなくこととどうだんで、それが)

本能の叫び、犬や猫がその愛情によって吠え鳴くことと同断で、それが

(ことばによってひょうげんされているだけのことではないか。こいをすれば、よるも)

言葉によって表現されているだけのことではないか。恋をすれば、夜も

(ねむれなくなる。わかれたあとにはしぬほどくるしい。てがみをかかずにいられない。)

ねむれなくなる。別れたあとには死ぬほど苦しい。手紙を書かずにいられない。

(そのてがみがどんなにうまくかかれたにしても、ねこのなきごえとしょせんはおなじこと)

その手紙がどんなにうまく書かれたにしても、猫の鳴き声と所詮は同じこと

(なので、いじょうのれんあいのそうはばんだいふえきのしんじつであるが、しんじつすぎるからとくに)

なので、以上の恋愛の相は万代不易の真実であるが、真実すぎるから特に

(いうべきひつようはないので、こいをすればだれでもそうなる。きまりきったことだから)

いうべき必要はないので、恋をすれば誰でもそうなる。きまりきったことだから

(かってにそうするがいいだけのはなしだ。はつこいだけがそうなのではなく、なんどめの)

勝手にそうするがいいだけの話だ。初恋だけがそうなのではなく、何度目の

(こいでも、こいはつねにそういうもので、とくこいはしつれんとおなじこと、ねむれなかったり、)

恋でも、恋は常にそういうもので、特恋は失恋と同じこと、眠れなかったり、

(しぬほどせつなくふあんであったりするものだ。そんなことはじゅんじょうでもなんでもない)

死ぬほど切なく不安であったりするものだ。そんなことは純情でもなんでもない

(いちにねんのうちには、また、べつのひとにそうなるのだから。わたしたちが、れんあいについて)

一二年のうちには、また、別の人にそうなるのだから。私たちが、恋愛について

(かんがえたりしょうせつをかいたりするいみは、こういうげんしてきな(ふへんな)しんじょうの)

考えたり小説を書いたりする意味は、こういう原始的な(不変な)心情の

(あたりまえのすがたをつきとめようなどということではない。にんげんのせいかつという)

あたりまえの姿をつきとめようなどということではない。人間の生活という

(ものは、めいめいがけんせつすべきものなのである。めいめいがじぶんのじんせいをいっしょうを)

ものは、めいめいが建設すべきものなのである。めいめいが自分の人生を一生を

(けんせつすべきものなので、そういうどりょくのれきしてきなあしあとが、ぶんかというものを)

建設すべきものなので、そういう努力の歴史的な足跡が、文化というものを

(そだてあげてきた。れんあいとてもおなじことで、ほんのうのせかいから、ぶんかのせかいへ)

育てあげてきた。恋愛とても同じことで、本能の世界から、文化の世界へ

(ひきだし、めいめいのてによってこれをつくろうとするところから、もんだいが)

ひきだし、めいめいの手によってこれを作ろうとするところから、問題が

(はじまるのである。aくんとbこがこいをした。ふたりはそれぞれねむられぬ。わかれた)

はじまるのである。A君とB子が恋をした。二人は各々ねむられぬ。別れた

(あとではしぬほどくるしい。てがみをかく、なきぬれる。そこまでは、ふたりのおやも)

あとでは死ぬほど苦しい。手紙を書く、泣きぬれる。そこまでは、二人の親も

(そのまたそせんも、まごもしそんもかわりがないから、もんくはいらぬ。しかし、これほど)

そのまた祖先も、孫も子孫も変りがないから、文句はいらぬ。しかし、これほど

(こいしあうごりょうにんも、にさんねんごにはごたぶんにもれず、つかみあいのけんかもやるし、)

恋しあう御両人も、二三年後には御多分にもれず、つかみあいの喧嘩もやるし、

(べつのおもかげをむねにやどしたりするのである。なにかよいほうほうはないものかとかんがえる。)

別の面影を胸に宿したりするのである。何かよい方法はないものかと考える。

(しかし、たいがいそこまではかんがえない。そしてaくんとbこはけっこんする。はたして、)

しかし、大概そこまでは考えない。そしてA君とB子は結婚する。はたして、

(れいがいなくけんたいし、あだごころもおきてくる。そこで、どうすべきかとかんがえる。)

例外なく倦怠し、仇心も起きてくる。そこで、どうすべきかと考える。

(そのかいとうをわたしにだせといっても、むりだ。わたしはしらない。わたしじしんが、)

その解答を私にだせといっても、無理だ。私は知らない。私自身が、

(わたしじしんだけのかいとうをさがしつづけているにすぎないのだから。)

私自身だけの解答を探しつづけているにすぎないのだから。

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