恋愛論 坂口安吾(2/2)

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恋愛論 坂口安吾

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問題文

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(わたしはつまあるおとこが、りょうじんあるおんなが、こいをしてはいけないなどとはかんがえていない。)

私は妻ある男が、良人ある女が、恋をしてはいけないなどとは考えていない。

(ひとはすてられたいっぽうにどうじょうしてすてたいっぽうをうらむけれども、すてなければ)

人は捨てられた一方に同情して捨てた一方を恨むけれども、捨てなければ

(すてないために、すてられたほうとどうかのくつうをしのばねばならないので、なべて)

捨てないために、捨てられた方と同価の苦痛を忍ばねばならないので、なべて

(しつれんととくれんはくつうにおいてどうかのものだとわたしはかんがえている。わたしはいったいに)

失恋と得恋は苦痛において同価のものだと私は考えている。私はいったいに

(どうじょうはすきではない。どうじょうしてこいをあきらめるなどというのは、だいいち、くらくて、)

同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、

(わたしはいやだ。わたしはじゃくしゃよりも、きょうしゃをえらぶ。せっきょくてきないきかたをえらぶ。このみちが)

私はいやだ。私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が

(じっさいはくなんのみちなのである。なぜなら、じゃくしゃのみちはわかりきっている。くらい)

実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗い

(けれども、ぶなんで、せいしんのおおきなかくとうがふようなのだ。しかしながら、いかなる)

けれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。しかしながら、いかなる

(せいりもけっしてばんにんのものではないのである。ひとはおのおのこせいがことなり、その)

正理も決して万人のものではないのである。人はおのおの個性が異なり、その

(かんきょう、そのしゅういとのかんけいがつねにどくじなものなのだから。わたしたちのしょうせつが、)

環境、その周囲との関係が常に独自なものなのだから。私たちの小説が、

(ぎりしゃのむかしからしょうこりもなくれんあいをどうどうめぐりしているのも、こせいが)

ギリシャの昔から性懲りもなく恋愛を堂々めぐりしているのも、個性が

(こせいじしんのかいけつをするいがいにてがないからで、なにか、ばんにんにてきしたきそくがあって)

個性自身の解決をする以外に手がないからで、何か、万人に適した規則が有って

(れんあいをわりきることができるなら、しょうせつなどはかくようもなく、また、しょうせつの)

恋愛を割りきることができるなら、小説などは書く要もなく、また、小説の

(そんするいみもないのである。しかし、れんあいにはきそくがないとはいうものの、)

存する意味もないのである。しかし、恋愛には規則がないとはいうものの、

(じつは、あるしゅのきそくがある。それはじょうしきというものだ。または、いんしゅうという)

実は、ある種の規則がある。それは常識というものだ。または、因習という

(ものである。このきそくによってこころのみたされず、そのいつわりにふくしきれないたましいが、)

ものである。この規則によって心のみたされず、その偽りに服しきれない魂が、

(いわばしょうせつをうむたましいでもあるのだから、しょうせつのせいしんはつねにげんせにはんぎゃくてきな)

いわば小説を生む魂でもあるのだから、小説の精神は常に現世に反逆的な

(ものであり、よりよきなにかをさがしているものなのである。しかし、それは)

ものであり、よりよきなにかを探しているものなのである。しかし、それは

(さっかのがわからのいいぶんであり、じょうしきのがわからいえば、ぶんがくはつねにりょうぞくにはんする)

作家の側からのいい分であり、常識の側からいえば、文学は常に良俗に反する

(ものだ、ということになる。れんあいはにんげんえいえんのもんだいだ。にんげんあるかぎり、)

ものだ、ということになる。恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、

など

(そのじんせいのおそらくもっともしゅようなるものがれんあいなのだろうとわたしはおもう。にんげんえいえんの)

その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。人間永遠の

(みらいにたいして、わたしがいまここに、れんあいのしんそうなどをかたりうるものでもなく、)

未来に対して、私が今ここに、恋愛の真相などを語りうるものでもなく、

(またわれわれが、ただしきこいなどというものをみらいにかけてだんじうるはずも)

またわれわれが、正しき恋などというものを未来に賭けて断じうるはずも

(ないのである。ただ、われわれは、めいめいが、めいめいのじんせいを、)

ないのである。ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、

(せいいっぱいにいきること、それをもってみずからだけのしんじつをかなしくほこり、)

せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、

(いたわらねばならないだけだ。もんだいは、ただひとつ、みずからのしんじつとはなにか、)

いたわらねばならないだけだ。問題は、ただ一つ、みずからの真実とは何か、

(というきほんてきなことだけだろう。それについても、また、わたしはかくしんをもって)

という基本的なことだけだろう。それについても、また、私は確信をもって

(いいうることばをもたない。ただ、じょうしき、いわゆるじゅんぷうりょうぞくなるものはしんりでも)

いいうる言葉をもたない。ただ、常識、いわゆる醇風良俗なるものは心理でも

(なくせいぎでもないということで、じゅんぷうりょうぞくによってあくとくとせられることかならずしも)

なく正義でもないということで、醇風良俗によって悪徳とせられること必ずしも

(あくとくではなく、じゅんぷうりょうぞくによってばっせられるよりも、じがみずからによって)

悪徳ではなく、醇風良俗によって罰せられるよりも、自我みずからによって

(ばっせられることをおそれるべきだ、ということだけはいいえるだろう。)

罰せられることを怖るべきだ、ということだけはいい得るだろう。

(しかし、じんせいはゆらい、あんまりえんまんたこうなものではない。あいするひとはあいして)

しかし、人生は由来、あんまり円満多幸なものではない。愛する人は愛して

(くれず、ほしいものはてにはいらず、がいしてそういうしゅるいのものであるが、)

くれず、欲しいものは手に入らず、概してそういう種類のものであるが、

(それぐらいのことはじょのくちで、にんげんには「たましいのこどく」というあくまのくにがくちを)

それぐらいのことは序の口で、人間には「魂の孤独」という悪魔の国が口を

(ひろげてまっている。きょうしゃほど、おおいなるあくまをみ、あらそわざるをえないものだ。)

ひろげて待っている。強者ほど、大いなる悪魔を見、争わざるを得ないものだ。

(ひとのたましいは、なにものによってもみたしえないものである。とくにちしきはひとをあくまに)

人の魂は、何物によっても満たし得ないものである。特に知識は人を悪魔に

(つなぐいとであり、じんせいにえいえんなるもの、うらぎらざるこうふくなどはありえない。)

つなぐ糸であり、人生に永遠なるもの、裏切らざる幸福などはあり得ない。

(かぎられたいっしょうに、えいえんなどとはもとよりうそにきまっていて、えいえんのこいなどと)

限られた一生に、永遠などとはもとより嘘にきまっていて、永遠の恋などと

(しじんめかしていうのも、たんにあるしゅかんてきいめーじゅをもてあそぶことばのあやだが、)

詩人めかしていうのも、単にある主観的イメージュを弄ぶ言葉の綾だが、

(こういうしてきとうすいはけっしてゆうびこうしょうなものでもないのである。じんせいにおいては、)

こういう詩的陶酔は決して優美高尚なものでもないのである。人生においては、

(しをあいすよりも、げんじつをあいすことからはじめなければならぬ。もとよりげんじつは)

詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は

(つねにひとをうらぎるものである。しかし、げんじつのこうふくをこうふくとし、ふこうをふこうとする)

常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする

(そくぶつてきなたいどはともかくげんしゅくなものだ。してきたいどはふそんであり、くうきょである。)

即物的な態度はともかく厳粛なものだ。詩的態度は不遜であり、空虚である。

(ものじたいがしであるときに、はじめてしにいのちがありうる。)

物自体が詩であるときに、初めて詩にイノチがありうる。

(ぷらとにっくらヴとしょうして、せいしんてきれんあいをこうしょうだというのもみょうだが、にくたいは)

プラトニック・ラヴと称して、精神的恋愛を高尚だというのも妙だが、肉体は

(けいべつしないほうがいい。にくたいとせいしんというものは、つねにふたつがたがいにほかをうらぎる)

軽蔑しない方がいい。肉体と精神というものは、常に二つが互に他を裏切る

(ことがしゅくめいで、われわれのせいかつはかんがえること、すなわちせいしんがしゅであるから、)

ことが宿命で、われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、

(つねににくたいをうらぎり、にくたいをけいべつすることになれているが、せいしんはまた、にくたいに)

常に肉体を裏切り、肉体を軽蔑することに慣れているが、精神はまた、肉体に

(つねにうらぎられつつあることをわすれるべきではない。どちらも、いいかげんなもので)

常に裏切られつつあることを忘るべきではない。どちらも、いい加減なもので

(ある。ひとはれんあいによっても、みたされることはないのである。なんど、こいを)

ある。人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋を

(したところで、そのつまらなさがわかるほかにはえらくなるということもなさそうだ。)

したところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。

(むしろそのぐれつさによってつねにうらぎられるばかりであろう。そのくせ、)

むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、

(こいなしに、じんせいはなりたたぬ。しょせんじんせいがばかげたものなのだから、れんあいが)

恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛が

(ばかげていても、れんあいのひけめになるところもない。ばかはしななきゃ)

バカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ

(なおらない、というが、われわれのおろかないっしょうにおいても、ばかはもっともとうといもので)

治らない、というが、われわれの愚かな一生においても、バカは最も尊いもので

(あることも、また、めいきしなければならない。じんせいにおいて、もっともひとを)

あることも、また、銘記しなければならない。人生において、最も人を

(なぐさめるものはなにか。くるしみ、かなしみ、せつなさ。さすれば、ばかをおそれた)

慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れた

(もうな。くるしみ、かなしみ、せつなさによって、いささか、みたされるときは)

もうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時は

(あるだろう。それにすら、みたされぬたましいがあるというのか。ああ、こどく。)

あるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。

(それをいいたもうなかれ。こどくは、ひとのふるさとだ。れんあいは、じんせいのはなで)

それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花で

(あります。いかにたいくつであろうとも、このほかにはなはない。)

あります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

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