酒のあとさき 坂口安吾(1/2)
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問題文
(わたしはにほんしゅのあじはきらひで、びーるのあじもきらひだ。けれどものむのは)
私は日本酒の味はきらひで、ビールの味もきらひだ。けれども飲むのは
(よひたいからで、よつぱらつてふみがむかんかくになるまでは、いきをころして、くすりの)
酔ひたいからで、酔つ払つて不味が無感覚になるまでは、息を殺して、薬の
(やうにのみくだしているのである。わたしはからだはおおきいけれどもいがよわいので、)
やうに飲み下しているのである。私は身体は大きいけれども胃が弱いので、
(ふみをおさへてのむにほんしゅや、びーるはかならずはいてくるしむが、くるしみながらなおのむ)
不味を抑へて飲む日本酒や、ビールは必ず吐いて苦しむが、苦しみながら尚のむ
(きもちよくのめるのはこうきゅうのこにゃっくとういすきーだけだが、いまはもうてに)
気持よく飲めるのは高級のコニャックとウイスキーだけだが、今はもう手に
(はいらず、のむよしもない。じんやうぉとかやあぶさんでもにほんしゅよりはいい。)
はいらず、飲むよしもない。ジンやウォトカやアブサンでも日本酒よりはいい。
(しょうりょうでよへるものは、みかくにかかはらずよいのである。よふためにのむさけだから)
少量で酔へるものは、味覚にかかはらず良いのである。酔ふために飲む酒だから
(よいごのぎょうじょうがごんごどうだんはもうすまでもなく、さめればうつうつとしてかいこんの)
酔後の行状が言語道断は申すまでもなく、さめれば鬱々として悔恨の
(ほぞをかむこと、これはあらゆるさけのみのつうへいで、おもふに、よつばらつた)
臍《ほぞ》をかむこと、これはあらゆる酒飲みの通弊で、思ふに、酔つ払つた
(えつらくのじかんよりもさめてくつうのじかんのほうがたしかにながいのであるが)
悦楽《えつらく》の時間よりも醒めて苦痛の時間の方がたしかに長いのであるが
(それはじんせいじたいとおなじことで、なぜさけをのむかといへば、なぜいきながら)
それは人生自体と同じことで、なぜ酒をのむかと云へば、なぜ生きながら
(へるかとおなじことであるらしい。よふことはすべてくつうで、とくれんのくるしみは)
へるかと同じことであるらしい。酔ふことはすべて苦痛で、得恋の苦しみは
(しつれんのくるしみとおなじもので、おんなのひととあひかおをみているうちはよいけれども、)
失恋の苦しみと同じもので、女の人と会ひ顔を見ているうちはよいけれども、
(わかれるとすぐくるしくなつて、よるがねむれなかつたりするものである。とくれんといふ)
別れるとすぐ苦しくなつて、夜がねむれなかつたりするものである。得恋といふ
(だんじょふたりおなじじょうたいにあるときは、おんなのほうがうまれながらにずぶといもので、げんじつてきな)
男女二人同じ状態にあるときは、女の方が生れながらに図太いもので、現実的な
(せいかくがよくわかるものであり、だからおんなのさけのみがすくないのかもしれぬ。おんなは)
性格がよく分るものであり、だから女の酒飲みが少ないのかも知れぬ。女は
(そのときじゅうしちであつたから、じゅういちとしうえのわたしはにじゅうはちであつたわけだ。このじゅうしちの)
そのとき十七であつたから、十一年上の私は二十八であつたわけだ。この十七の
(むすめがたいへんなさけのみなのである、ぐらすのういすきーをかならずぐいとひといきで)
娘が大変な酒飲みなのである、グラスのウイスキーを必ずぐいと一息で
(のむのである。なんばいぐらいのんだかわすれたが、とにかくむちゃなむすめで、)
飲むのである。何杯ぐらい飲んだか忘れたが、とにかく無茶な娘で、
(もなみだつたかどこかでてーぶるのうえのがらすのかびんをこはしてろくえんだか)
モナミだつたかどこかでテーブルの上のガラスの花瓶をこはして六円だか
(せいきゅうされると、べつのてーぶるのかびんをとりあげてえいっとたたきわつてじゅうにえん)
請求されると、別のテーブルの花瓶をとりあげてエイッと叩き割つて十二円
(はらつてでてくるむすめであつた。しよつちうおとこととまつたり、りょこうしたりしていたが)
払つて出てくる娘であつた。しよつちう男と泊つたり、旅行したりしていたが
(しょじょなので、むすめはわたしにしょじょではないといつてがんきょうにいひはつたけれども、)
処女なので、娘は私に処女ではないと云つて頑強に言ひ張つたけれども、
(しょじょであつたとおもふ。にほんばしにういんざあといふげいじゅつかあいてのようしゅやができて、)
処女であつたと思ふ。日本橋にウインザアといふ芸術家相手の洋酒屋ができて、
(そこのじょきゅうであつたが、てんないそうしょくはあおやまじろうで、まきのしんいち、こばやしひでお、)
そこの女給であつたが、店内装飾は青山二郎で、牧野信一、小林秀雄、
(なかじまけんぞう、かわかみてつたろう、かうかおぶれをおもひだすと、これはとうじのわたしのぶんがく)
中島健蔵、河上徹太郎、かう顔ぶれを思ひだすと、これは当時の私の文学
(ぐるーぷで、しゅんようどうから「ぶんがく」といふどうじんざっしをだしていた、けっきょくその)
グループで、春陽堂から「文学」といふ同人雑誌をだしていた、結局その
(どうじんだけになつてしまふが、そのほかなかはらちゅうやとしつたのがこのみせであつた。)
同人だけになつてしまふが、そのほか中原中也と知つたのがこの店であつた。
(なおきさんじゅうごがきていた。あのとうじのぶんしはかずきをまもつて)
直木三十五が来ていた。あの当時の文士は一城《かずき》をまもつて
(こしたんたん、しらないどうぎょうしゃにはかおもふりむけないから、)
虎視眈々《こしたんたん》、知らない同業者には顔もふりむけないから、
(だれがきていたかあとはしらない。なかはらちゅうやは、じゅうしちのむすめがすきであつたが、)
誰が来ていたかあとは知らない。中原中也は、十七の娘が好きであつたが、
(むすめのほうはわたしがすきであつたからちゅうやはかねてうらみをむすんでいて、あるばんのこと、)
娘の方は私が好きであつたから中也はかねて恨みを結んでいて、ある晩のこと、
(かれはりんせきのわたしにむかつて、やいへげもにー、とさけんでたちあがつて、とつぜんなぐりかかつた)
彼は隣席の私に向つて、やいへゲモニー、と叫んで立上つて、突然殴りかかつた
(けれども、よんしゃくななすんぐらいのこおとこでわたしがおおおとこだからおそれてちかづかず、)
けれども、四尺七寸ぐらいの小男で私が大男だから怖れて近づかず、
(いちめーとるぐらいはなれたところでさかんにふっとわーくよろしくさゆうの)
一米《メートル》ぐらい離れたところで盛にフットワークよろしく左右の
(すとれーとをくりだし、ときにすうぃんぐやあっぱーかっとをきらめかして)
ストレートをくりだし、時にスウィングやアッパーカットを閃《きらめ》かして
(いる。わたしがおおわらひしたのはもうすまでもない。ごふんぐらいひとりでかくとうしてちゅうやは)
いる。私が大笑ひしたのは申すまでもない。五分ぐらい一人で格闘して中也は
(きつねにつままれたやうにいすにこしかける。どうだ、いっしょにのまないか、こつちへ)
狐につままれたやうに椅子に腰かける。どうだ、一緒に飲まないか、こつちへ
(こないか、わたしがさそふと、きさまはどいつのへげもにーだ、きさまはえれえ、といひ)
来ないか、私が誘ふと、貴様はドイツのヘゲモニーだ、貴様は偉え、と言ひ
(ながらわりこんできて、それからしけじけおうらいするしんゆうになつたが、)
ながら割りこんできて、それから繁々《しけじけ》往来する親友になつたが、
(そのごはじゅうしちのむすめについてはかれはもういっさいわれかんせずといふかおをした。それほど)
その後は十七の娘については彼はもう一切われ関せずといふ顔をした。それほど
(ほれてはいなかつたので、ほんとはわたしとともだちになりたがつていたのだ。そして)
惚れてはいなかつたので、ほんとは私と友達になりたがつていたのだ。そして
(ちゅうやはそれからあとはよくわかれたにょうぼうといっしょにさけをのみにきたが、このおんなが)
中也はそれから後はよく別れた女房と一緒に酒をのみにきたが、この女が
(またにほんむるいのおそれるべきおんなであつた。わたしはじゅうしちのむすめのことをかんがへると、うしなはれた)
又日本無類の怖るべき女であつた。私は十七の娘のことを考へると、失はれた
(ねんれいを、ひじょうになつかしむおもひになる。もう、ふたたびあのやうなうそのやうな)
年齢を、非常になつかしむ思ひになる。もう、再びあのやうな嘘のやうな
(まのぬけたはなしはめぐりあふことがありえない、ねんれいてきに、いな、にじゅうはちのわたしは)
間の抜けた話はめぐりあふことが有り得ない、年齢的に、否、二十八の私は
(おどろくほどこどもでもあつた。わたしはそのころべつのおんなのひとにしつれんみたいなことをして)
驚くほど子供でもあつた。私はそのころ別の女の人に失恋みたいなことをして
((これがまたはつきりしつれんでもないのだからしまつがわるい、ひじょうにいりくんだ)
(これが又はつきり失恋でもないのだから始末がわるい、非常にいりくんだ
(せいしんじょうのからみがあつた)さういふわけで、じゅうしちのむすめのことなどいきづりの)
精神上の絡みがあつた)さういふわけで、十七の娘のことなど行きづりの
(きもちしかなかつたのに、むすめのほうではやおやおしちのやうにおもひこんでわたしをあいして)
気持しかなかつたのに、娘の方では八百屋お七のやうに思ひこんで私を愛して
(このむすめはへんなてれんてくだなどまだがんちゅうにないのだから、さけのみのわたしをあいするゆえに)
この娘は変な手練手管などまだ眼中にないのだから、酒飲みの私を愛する故に
(かのじょもまたいせいよくさけをのみ(まつたくつねにぐっと、ひといきでだれでもあっけにとられる)
彼女も亦威勢よく酒をのみ(まつたく常にグッと、一息で誰でも呆気にとられる
(のだ)そしてわたしたちはのみなかまのかんこのこえにおくられてどうどうとしゅっぱつし、)
のだ)そして私達は飲み仲間の歓呼《かんこ》の声に送られて堂々と出発し、
(ぎんざをのみあるいてじゅんさにしかられたり、そして、あつちのほてるだの、こつちの)
銀座を飲み歩いて巡査に叱られたり、そして、あつちのホテルだの、こつちの
(やどやでよひつぶれた。けれどもむすめはがんとしてにくたいのこうしょうをきょぜつし、むすめはわたしに、)
宿屋で酔ひつぶれた。けれども娘は頑として肉体の交渉を拒絶し、娘は私に、
(わたしはしょじょではないのよといつてだきついていろいろなやましいことをするのだけれども、)
私は処女ではないのよと言つて抱きついて色々悩しいことをするのだけれども、
(このむすめはたしかにしょじょとはいかなるものであるか、だんじょかんけいのさいごの、こうしょうが)
この娘はたしかに処女とは如何なるものであるか、男女関係の最後の、交渉が
(どういふものであるか、ぜんぜんしらなかつたのだとおもふ。だからわたしとこのむすめは)
どういふものであるか、全然知らなかつたのだと思ふ。だから私とこの娘は
(なかはらちゅうやだのおきかずいちだのにしだよしろうだののみなかまのせいえんにおくられて)
中原中也だの隠岐和一だの西田義郎だの飲み仲間の声援に送られて
(しきりにしょほうのほてるでよるをあかしたけれども、まつたくにくたいのこうしょうは)
頻《しき》りに諸方のホテルで夜を明したけれども、まつたく肉体の交渉は
(ない。わたしはおもふに、しゅうせんごあらわれたふらっぱーのなかにはあんがいこのしゅのなにも)
ない。私は思ふに、終戦後現れたフラッパーの中には案外この種の何も
(しらないおんながそうとうかずいるのではないかとかんがへている。そしてこのしゅのなにも)
知らない女が相当数いるのではないかと考へている。そしてこの種の何も
(しらないむすめにかぎつてがいけいてきにだいむきどうをやらかすのではないかとかんがへる。)
知らない娘に限つて外形的に大無軌道をやらかすのではないかと考へる。
(わたしがきょうとに「ふぶきものがたり」をかいていたとき、げしゅくやのむすめがこのとしごろできょうとなだいの)
私が京都に「吹雪物語」を書いていたとき、下宿屋の娘がこの年頃で京都名題の
(ふりょうしょうじょで、むきどうであつたがすなおなきだてのよいむすめであつた。そのご、)
不良少女で、無軌道であつたが素直な気立てのよい娘であつた。その後、
(ちゅうがくせいのさんにんのふりょうしょうねんにらんぼうされてはんきょうらんになつてそれからてんらくが)
中学生の三人の不良少年に乱暴されて半狂乱になつてそれから転落が
(はじまつたが、けっきょくこのしゅのうんめいはしかたがないので、ふりょうしょうじょはたいがいよいたましいの)
始つたが、結局この種の運命は仕方がないので、不良少女は大概よい魂の
(しょゆうしゃなのだがきょうようがひくいからおちるとたかさがなくなる。わたしのともだちのじゅうしちのむすめは)
所有者なのだが教養が低いから堕ちると高さがなくなる。私の友達の十七の娘は
(そのごけっこんしてよいははになつているはずであるが、このむすめはふらんすぶんがくしゃのむすめで)
その後結婚して良い母になつている筈であるが、この娘はフランス文学者の娘で
(にほんのこてんぶんがくにほんかくてきなきょうようをもつており、わたしのげんこうをよんでかなやごじを)
日本の古典文学に本格的な教養を持つており、私の原稿を読んで仮名や誤字を
(ていせいしてくれたがわたしがまたいまもつてかんじだのかなづかひなどずさんきわまる)
訂正してくれたが私が又今もつて漢字だの仮名遣ひなど杜撰《ずさん》極る
(ちしきのもちぬしなのだから、あんまりたくさんごじがあつたりかなづかひがまちがいつていたり)
知識の持主なのだから、あんまり沢山誤字があつたり仮名遣ひが間違つていたり
(して、じゅうしちのふりょうしょうじょにかなづかひをおしへてもらつてきょうしゅくしたものである。)
して、十七の不良少女に仮名遣ひを教へて貰つて恐縮したものである。
(わたしはいがよわいので、さけやびーるだとかならずはいてくるしむので、これはぢっとのんで)
私は胃が弱いので、酒やビールだと必ず吐いて苦しむので、これはヂッと飲んで
(いるとなおいけない。すこしづつのんではしござけをするとわりあいによい。)
いると尚いけない。少しづつ飲んで梯子酒《はしござけ》をすると割合によい。
(いちばんよいのはきしゃのしょくどうで、これはつねにからだがゆれているから、よくしょうかして)
一番よいのは汽車の食堂で、これは常に身体がゆれているから、よく消化して
(はくことがほとんどないのである。だからだんすをやらうかとおもつたが、むかしの)
吐くことが殆どないのである。だからダンスをやらうかと思つたが、昔の
(だんすほーるはさけをのませないものだから、ひじょうにいやみなところで、だんすも)
ダンスホールは酒を飲ませないものだから、非常に厭味なところで、ダンスも
(ついおぼえるきもちにならなかつた。それでも、どうもさけをのんでうごかないのが)
つい覚える気持にならなかつた。それでも、どうも酒を飲んで動かないのが
(くつうのたねでありすぎたから、さかばのじょきゅうからおしへてもらつて(しごにち))
苦痛の種でありすぎたから、酒場の女給から教へてもらつて(四五日)
(ぼっくすといふやつ、これがまたばかばかしくて、いつそひとついしいばくにでも)
ボックスといふ奴、これが又バカバカしくて、いつそひとつ石井漠にでも
(でしいりしてやらうかとおもつたぐらいである。あのころはういすきーでも)
弟子入りしてやらうかと思つたぐらいである。あのころはウイスキーでも
(じょにーうぉーかあのあかれべるだともうくすりのやうにいやなあじがはなにつき、わたしは)
ジョニーウォーカアの赤レベルだともう薬のやうに厭な味が鼻につき、私は
(こにゃっくかおーるどぱあでないときもちよくよふことができなかつた。いまは)
コニャックかオールドパアでないと気持よく酔ふことができなかつた。今は
(ちめるでものみかねないていたらくで、みかくのほうがしそうよりもげらくしてしまつた)
チメルでも飲みかねないていたらくで、味覚の方が思想よりも下落してしまつた
(そしてちかごろはしゅりょうがすくなくなり、はやくよふやうになつたから、かえつてはく)
そして近頃は酒量がすくなくなり、早く酔ふやうになつたから、却つて吐く
(ことがすくなくなつたが、にほんしゅとびーるはいまもだめで、しょうちゅうでもいんちき・)
ことがすくなくなつたが、日本酒とビールは今もだめで、焼酎でもインチキ・
(ういすきーでもめちるのしんるいでも、ともかくしょうりょうでよふあるこーるのほうを)
ウイスキーでもメチルの親類でも、ともかく少量で酔ふアルコールの方を
(ちんちょうする。しょうわじゅうにねんのいちがつだかにがつだかであつたとおもふ。わたしはどてらの)
珍重する。昭和十二年の一月だか二月だかであつたと思ふ。私はドテラの
(きながしのままきゅうにおもひたつてきょうとへいつた。おきかずいちをたずね、かれからへやを)
着流しのまま急に思ひたつて京都へ行つた。隠岐和一を訪ね、彼から部屋を
(さがしてもらつて、こどくのなかでしょうせつをかいてみようとけついしたのである。そのばん)
探してもらつて、孤独の中で小説を書いてみようと決意したのである。その晩
(わたしはおきにしょうたいされてぎおんのおちゃやでさけをのんだ。ぎおんのまいこといふものを)
私は隠岐に招待されて祇園のお茶屋で酒をのんだ。祇園の舞妓といふものを
(みるためであつたが、さんじゅうろくにんだかのまいこがいるうちにじゅうなんにんだかつぎつぎに)
見るためであつたが、三十六人だかの舞妓がいるうち二十何人だか次々に
(みせてもらつたが、かわいいのはことばばかりで、かおもうつくしいとはおもはれずへんに)
見せてもらつたが、可愛いのは言葉ばかりで、顔も美しいとは思はれず変に
(こまっちゃくれているばかり、はなしといへばはやしちょうじろうだのたーきーのこと、)
コマッチャクれているばかり、話といへば林長二郎だのターキーのこと、
(でんとうてきなきょうようといふものをなにもみだすことができない。じゅうごろくのじょがくせいとはなしを)
伝統的な教養といふものを何も見出すことができない。十五六の女学生と話を
(するほうがどれぐらいせいけつでいいかわからない。おどりなどいっこうにみばえのしない、)
する方がどれぐらい清潔でいいか分らない。踊りなど一向に見栄えのしない、
(ただてがのびたりひつくりかへつたりちぢんだり、うごかないほうがよつぽどましだと)
ただ手が延びたりひつくりかへつたり縮んだり、動かない方がよつぽどましだと
(わたしはうんざりしてさけをのんでいた。)
私はウンザリして酒をのんでいた。