酒のあとさき 坂口安吾(2/2)

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(まいこのひとりにひがしやまだんすほーるのだんさあがすきでそのだんさあとおどりたいと)

舞妓の一人に東山ダンスホールのダンサアが好きでそのダンサアと踊りたいと

(いひだしたのがいて、わたしたちはじどうしゃをはしらせしごにんのまいこをつれてしんやの)

言ひだしたのがいて、私達は自動車を走らせ四五人の舞妓をつれて深夜の

(だんすほーるへいつた。もうじゅうにじをすぎていた。このだんすほーるはひがしやまの)

ダンスホールへ行つた。もう十二時をすぎていた。このダンスホールは東山の

(ちゅうふくにたつたいっけんたてられたけしきのよいところで、もしさけをのましてくれるなら)

中腹にたつた一軒たてられた景色のよいところで、もし酒を飲ましてくれるなら

(わたしはそとのばしょではさけをのまないとおもつたほどのよいところであつた。まいこの)

私は外の場所では酒を飲まないと思つたほどの良いところであつた。舞妓の

(ひとりが、おどりませうとわたしにいつた。よろしい、わたしはそくざにへんじをした。わたしが)

一人が、踊りませうと私に言つた。よろしい、私は即座に返事をした。私が

(だんすほーるといふところでおどつたのは、このときただいちどあるのみ。どてらの)

ダンスホールといふところで踊つたのは、このときただ一度あるのみ。ドテラの

(きながしでちいさなまいこと(このまいこはとくべつちいさかつた)おどつたことがあるだけ。)

着流しで小さな舞妓と(この舞妓は特別小さかつた)踊つたことがあるだけ。

(わたしはこのとき、すいがんもーろーたるなかでひとつのうつくしさにあっけにとられていた。)

私はこのとき、酔眼モーローたるなかで一つの美しさに呆気にとられていた。

(それはまいこのきもの、あのとくべつなだらりのおび、ざしきのなかでおどつたりぺちゃくちゃ)

それは舞妓の着物、あの特別なダラリの帯、座敷の中で踊つたりペチャクチャ

(しゃべつているときはちんぷでいっこうにうつくしいともおもはなかつたのだが、だんすほーるの)

喋つているときは陳腐で一向に美しいとも思はなかつたのだが、ダンスホールの

(ぐんしゅうにまじると、ぐんをあっしてめだつのだ。だんさあのやかいふくなどはひんじゃくきわまる)

群集にまじると、群を圧して目立つのだ。ダンサアの夜会服などは貧弱極る

(ものにみえ、おとこもおんなもなべてほかのみすぼらしさがかくぜんとめにしみわたるのである。)

ものに見え、男も女もなべて他のみすぼらしさが確然と目にしみ渡るのである。

(でんとうのもつかんろくといふものをおもひしらされたのであるが、それにしてもでんとうの)

伝統のもつ貫禄といふものを思ひ知らされたのであるが、それにしても伝統の

(いしょうをまとふ、そのないようがくうきょではしかたがないので、しかし、ちいさなまいこの)

衣装をまとふ、その内容が空虚では仕方がないので、然し、小さな舞妓の

(きものがぐんしゅうのなみをそそとくぐりぬけていくうつくしさは)

キモノが群集の波を楚々《そそ》とくぐりぬけて行く美しさは

(いまでもわたしのめにしみている。)

今でも私の目にしみている。

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