誰も知らぬ 太宰治(1/3)

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね2お気に入り登録1
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誰も知らぬ 太宰治

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問題文

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(だれもしってはいないのですが、ーーとよんじゅういっさいのやすいふじんはすこしわらってものがたる。)

誰も知ってはいないのですが、ーーと四十一歳の安井夫人は少し笑って物語る。

(ーーおかしなことがございました。わたしがにじゅうさんさいのことでありますから、)

ーー可笑しなことがございました。私が二十三歳のことでありますから、

(もう、かれこれにじゅうねんもむかしのはなしでございます。だいしんさいのちょっとまえのことで)

もう、かれこれ二十年も昔の話でございます。大震災のちょっと前のことで

(ございました。あのころも、いまも、うしごめのこのあたりは、あまりかわっておりませぬ。)

ございました。あの頃も、今も、牛込のこの辺は、あまり変って居りませぬ。

(おもてどおりがすこしひろくなって、わたしのいえのにわもはんぶんほどけずりとられてどうろに)

おもて通りが少し広くなって、私の家の庭も半分ほど削り取られて道路に

(されてしまいました。いけがあったのですが、それもつぶされてしまって、)

されてしまいました。池があったのですが、それも潰されてしまって、

(かわったといえば、まあそれくらいのもので、いまでも、やはりにかいのえんがわからは、)

変ったと言えば、まあそれくらいのもので、今でも、やはり二階の縁側からは、

(まっすぐにふじがみえますし、へいたいさんのらっぱもあさゆうきこえてまいります。)

真直に富士が見えますし、兵隊さんの喇叭《らっぱ》も朝夕聞えてまいります。

(ちちがながさきのけんちじをしていたときに、まねかれて、こちらのくちょうにしゅうにんしたので)

父が長崎の県知事をしていたときに、招かれて、こちらの区長に就任したので

(ございますが、それは、ちょうどわたしがじゅうにのなつのことで、ははも、そのころは)

ございますが、それは、ちょうど私が十二の夏のことで、母も、その頃は

(ざいめいちゅうでありました。ちちは、とうきょうの、このうしごめのうまれで、そふはりくちゅうもりおかの)

在命中でありました。父は、東京の、この牛込の生れで、祖父は陸中盛岡の

(ひとであります。そふは、わかいときにひとりでふらりととうきょうにでてきてはんぶんせいじか、)

人であります。祖父は、若いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、

(はんぶんあきんどのようななんだかあぶなかしいことをやって、まあ、しんしょうとでもいうので)

半分商人のような何だか危かしいことをやって、まあ、紳商とでもいうので

(しょうか、それでも、どうやらせいこうして、ちゅうねんでうしごめのこのやしきをかいいれ、)

しょうか、それでも、どうやら成功して、中年で牛込のこの屋敷を買い入れ、

(おちつくことができたようです。うそか、ほんとか、わかりませんけれど、)

落ちつくことが出来たようです。嘘か、ほんとか、わかりませんけれど、

(ずっといぜん、とうきょうえきでごさいやくにおあいなされたはらたかしとはどうきょうで、しかもそふの)

ずっと以前、東京駅で御災厄にお遭いなされた原敬とは同郷で、しかも祖父の

(ほうがねんぱいからいっても、またせいじのけいれきからいっても、はるかにせんぱいだった)

ほうが年輩からいっても、また政治の経歴からいっても、はるかに先輩だった

(ので、そふはなにかとはらたかしにさしずをすることができて、はらたかしのほうでも、まいとし)

ので、祖父は何かと原敬に指図をすることができて、原敬のほうでも、毎年

(おしょうがつには、だいじんになられてからでさえ、うしごめのこのいえにねんしのあいさつにたち)

お正月には、大臣になられてからでさえ、牛込のこの家に年始の挨拶に立ち

(よられたものだそうですが、これは、あまりあてになりません。なぜって、)

寄られたものだそうですが、これは、あまりあてになりません。なぜって、

など

(そふがわたしに、そういっておしえたのは、わたしが、じゅうにのとき、ふぼといっしょにはじめて)

祖父が私に、そう言って教えたのは、私が、十二の時、父母と一緒にはじめて

(とうきょうの、このいえにかえり、そふは、それまでひとりうしごめにのこってくらしていたのですが)

東京の、この家に帰り、祖父は、それまで一人牛込に残って暮していたのですが

(もう、はちじゅうすぎのきたないおじいさんになっていて、わたしはまた、それまでおやくにんの)

もう、八十すぎの汚いおじいさんになっていて、私はまた、それまでお役人の

(ちちがうらわ、こうべ、わかやま、ながさきとにんちをてんてんとわたりあるいているのについてあるいて)

父が浦和、神戸、和歌山、長崎と任地を転々と渡り歩いているのについて歩いて

(うまれたところもうらわのかんしゃですし、とうきょうのいえへあそびにきたことも、ほんのかぞえる)

生れたところも浦和の官舎ですし、東京の家へ遊びに来たことも、ほんの数える

(ほどしかありませんでしたから、そふにはなじみがうすくて、じゅうにのとき、このいえに)

ほどしかありませんでしたから、祖父には馴染が薄くて、十二のとき、この家に

(はじめておちつき、そふといっしょにくらすようになってからも、なんだかたにんの)

はじめて落ちつき、祖父と一緒に暮すようになってからも、なんだか他人の

(ようなきがして、きたならしく、それにそふのことばには、とてもつよいとうほくなまりが)

ような気がして、きたならしく、それに祖父の言葉には、とても強い東北訛が

(ありましたのでなにをおっしゃっているのか、よくわからず、いよいよしたしみが)

在りましたので何をおっしゃっているのか、よくわからず、いよいよ親しみが

(げんさいされてしまうのでした。わたしがそふに、ちっともなつかないので、そふはてを)

減殺されてしまうのでした。私が祖父に、ちっともなつかないので、祖父は手を

(かえしなをかえわたしのきげんをとったもので、れいのはらたかしのはなしも、なつのよるおにわの)

換え品を変え私の機嫌をとったもので、れいの原敬の話も、夏の夜お庭の

(すずみだいにおおあぐらをかいてすわって、こんなぐあいにひじをはって、うちわを)

涼み台に大あぐらをかいて坐って、こんな工合に肘を張って、団扇《うちわ》を

(つかいながらわたしにきかせてくださったのですが、わたしは、すぐにたいくつして、わざと)

使いながら私に聞かせて下さったのですが、私は、すぐに退屈して、わざと

(おおげさにあくびをしたら、そふは、ちらとそれをよこめでみて、きゅうにごちょうを)

大袈裟にあくびをしたら、祖父は、ちらとそれを横目で見て、急に語調を

(かえて、はらたかしはおもしろくなし、よし、それではうしごめななふしぎ、むかしな、などとこえを)

変えて、原敬は面白くなし、よし、それでは牛込七不思議、昔な、などと声を

(ひそめてかたりだすのでした。なんだか、ずるいかんじのおじいさんでした。)

ひそめて語り出すのでした。なんだか、ずるい感じのおじいさんでした。

(はらたかしのはなしだって、あてにならないとおもいます。あとでちちにそのことをきいたら、)

原敬の話だって、あてにならないと思います。あとで父にそのことを聞いたら、

(ちちは、ほろにがくわらって、いちどくらいは、このいえへきたかもしれません、)

父は、ほろにがく笑って、いちどくらいは、この家へ来たかも知れません、

(おじいさんはうそをいいません、とやさしくおしえてわたしのあたまをなでてくださいました。)

おじいさんは嘘を言いません、と優しく教えて私の頭を撫でて下さいました。

(そふは、わたしがじゅうろくのときになくなりました。すきでないおじいさんだった)

祖父は、私が十六のときになくなりました。好きでないおじいさんだった

(のですが、でも、わたしはおそうしきのひには、ずいぶんなきました。おそうしきがあんまり)

のですが、でも、私はお葬式の日には、ずいぶん泣きました。お葬式があんまり

(かれいすぎたので、それで、こうふんしてないちゃったのかもしれません。)

華麗すぎたので、それで、興奮して泣いちゃったのかも知れません。

(おそうしきのあくるひ、がっこうへでたら、せんせいがたも、みんなわたしにおくやみをいって)

お葬式の翌る日、学校へ出たら、先生がたも、みんな私にお悔みを言って

(くださって、わたしはそのつど、なきました。おともだちからも、いがいのほどにどうじょうされ、)

下さって、私はその都度、泣きました。お友達からも、意外のほどに同情され、

(わたしはおどおどしてしまいました。いちがやのじょがっこうにとほでかよっていたのですが、)

私はおどおどしてしまいました。市ヶ谷の女学校に徒歩で通っていたのですが、

(あのころは、わたしはちいさいじょおうのようで、ぶんにすぎるほどにしあわせで)

あのころは、私は小さい女王のようで、ぶんに過ぎるほどに仕合せで

(ございました。ちちがよんじゅうでうらわのがくむぶちょうをしていたときにわたしがうまれて、)

ございました。父が四十で浦和の学務部長をしていたときに私が生れて、

(あとにもさきにも、こどもといえばわたしひとりだったので、ちちにもははにも、またしゅういの)

あとにも先にも、子供といえば私ひとりだったので、父にも母にも、また周囲の

(ものたちにも、ずいぶんだいじにされました。じぶんでは、きのよわいさびしがりの)

者たちにも、ずいぶん大事にされました。自分では、気の弱い淋しがりの

(ふびんのこのつもりでいたのですが、いまかんがえてみると、やはり、)

不憫《ふびん》の子のつもりでいたのですが、いま考えてみると、やはり、

(わがままのこうまんなこであったようでございます。いちがやのじょがっこうへはいってすぐ)

わがままの高慢な子であったようでございます。市ヶ谷の女学校へはいってすぐ

(せりかわさんというおともだちができましたけれど、そのとうじはそれでも、せりかわさんに)

芹川さんというお友達が出来ましたけれど、その当時はそれでも、芹川さんに

(やさしくていねいにつきあっているつもりでいたのですが、これも、)

優しく叮嚀《ていねい》につき合っているつもりでいたのですが、これも、

(いまかんがえてみると、やっぱりわたしは、ひどくおもいあがって、めんどうくさいけれど)

いま考えてみると、やっぱり私は、ひどく思いあがって、めんどうくさいけれど

(しんせつにしてあげるというようなたいども、はたからみるとあったかもしれません。)

親切にしてあげるというような態度も、はたから見ると在ったかも知れません。

(せりかわさんもまた、ずいぶんすなおに、わたしのいうことぜんぶをしじしてくださるので、)

芹川さんもまた、ずいぶん素直に、私のいうこと全部を支持して下さるので、

(いきおいふじんとけらいみたいなかたちになってしまうのでした。せりかわさんのおうちは、)

勢い夫人と家来みたいな形になってしまうのでした。芹川さんのお家は、

(わたしのいえの、すぐむかいで、ごぞんじでしょうかしら、かげつどうというおかしやが)

私の家の、すぐ向いで、ご存じでしょうかしら、華月堂というお菓子屋が

(ございましたでしょう、ええ、いまでもむかしのままはんじょうしております、)

ございましたでしょう、ええ、いまでも昔のまま繁昌して居ります、

(いざよいもなかといって、くりのはいったあんのもなかを、むかしからじまんに)

いざよい最中《もなか》といって、栗のはいった餡の最中を、昔から自慢に

(いたしてうっております。いまはもう、だいがかわってせりかわさんのおにいさんが、)

いたして売って居ります。いまはもう、代がかわって芹川さんのお兄さんが、

(とうしゅとなってあさからばんまでいっしょうけんめいにはたらいております。おかみさんも、なかなかの)

当主となって朝から晩まで一生懸命に働いて居ります。おかみさんも、仲々の

(はたらきものらしく、いつもちょうばにすわってでんわのちゅうもんをうかがっては、てきぱきこぞうさん)

働き者らしく、いつも帳場に坐って電話の注文を伺っては、てきぱき小僧さん

(たちにようじをいいつけております。わたしとおともだちだったせりかわさんは、じょがっこうをでて)

たちに用事を言いつけて居ります。私とお友達だった芹川さんは、女学校を出て

(さんねんめに、もういいひとをみつけておよめにいってしまいました。いまはなんでも)

三年目に、もういい人を見つけてお嫁に行ってしまいました。いまは何でも

(ちょうせんのけいじょうとやらにいられるようでございます。もう、にじゅうねんちかくも)

朝鮮の京城とやらに居られるようでございます。もう、二十年ちかくも

(あいません。だんなさまは、みたのぎじゅくをでたきれいなおかたでして、いまちょうせんの)

逢いません。旦那さまは、三田の義塾を出た綺麗なおかたでして、いま朝鮮の

(けいじょうで、なんとかいうかなりおおきなしんぶんしゃをけいえいしておられるとかいうはなしで)

京城で、なんとかいう可成り大きな新聞社を経営して居られるとかいう話で

(ございます。せりかわさんとわたしとは、じょがっこうをでてからも、こうさいをつづけて)

ございます。芹川さんと私とは、女学校を出てからも、交際をつづけて

(おりましたが、こうさいといっても、わたしのほうからせりかわさんのおうちへあそびにいった)

居りましたが、交際といっても、私のほうから芹川さんのお家へ遊びに行った

(ことはいちどもなく、いつもせりかわさんのほうからわたしをたずねてきて、わだいは、)

ことは一度も無く、いつも芹川さんのほうから私を訪ねて来て、話題は、

(たいていしょうせつのことでございました。せりかわさんは、がっこうにいたころからそうせきや)

たいてい小説のことでございました。芹川さんは、学校に居た頃から漱石や

(ろかのものをあいどくしていて、さくぶんなどもなかなかおとなびておじょうずでしたが、)

蘆花《ろか》のものを愛読していて、作文なども仲々大人びてお上手でしたが、

(わたしは、そのほうめんは、さっぱりだめでございました。ちっともきょうみを)

私は、その方面は、さっぱりだめでございました。ちっとも興味を

(もてなかったのです。それでも、がっこうをでてからは、せりかわさんのちょいちょい)

持てなかったのです。それでも、学校を出てからは、芹川さんのちょいちょい

(もってきてくださるしょうせつぼんを、たいくつまぎれにかりてよんでいるうちに、すこしは)

持って来て下さる小説本を、退屈まぎれに借りて読んでいるうちに、少しは

(しょうせつのおもしろさも、わかってきたようでした。けれども、わたしのおもしろいとおもったほんは)

小説の面白さも、わかって来たようでした。けれども、私の面白いと思った本は

(せりかわさんはあまり、いいとはおっしゃらず、せりかわさんのいいとおっしゃるほんは、)

芹川さんは余り、いいとはおっしゃらず、芹川さんのいいとおっしゃる本は、

(わたしには、いみがよくわかりませんでした。わたしはおうがいのれきししょうせつがすきでした)

私には、意味がよくわかりませんでした。私は鴎外の歴史小説が好きでした

(けれど、せりかわさんは、わたしをふるくさいといってわらって、おうがいよりはありしまたけおの)

けれど、芹川さんは、私を古くさいと言って笑って、鴎外よりは有島武郎の

(ほうが、ずっとしんこくだとわたしにおしえて、そのおかたのほんを、にさんさつもってきて)

ほうが、ずっと深刻だと私に教えて、そのおかたの本を、二三冊持って来て

(くださいましたけれど、わたしがよんでも、ちっともわかりませんでした。いまよむと)

下さいましたけれど、私が読んでも、ちっともわかりませんでした。いま読むと

(またちがったかんじをうけるかもしれませんけれども、どうもあのありしまという)

またちがった感じを受けるかも知れませんけれども、どうもあの有島という

(かたのは、どうでもいいような、ぎろんばかりおおくて、わたしにはおもしろく)

かたのは、どうでもいいような、議論ばかり多くて、私には面白く

(ございませんでした。わたしは、きっとぞくじんなのでございましょう。そのころの)

ございませんでした。私は、きっと俗人なのでございましょう。そのころの

(しんしんさっかには、むしゃのこうじとか、しがとか、それからたにざきじゅんいちろう、きくちひろし、)

新進作家には、武者小路とか、志賀とか、それから谷崎潤一郎、菊地寛、

(あくたがわとか、たくさんございましたが、わたしは、そのなかではしがなおやときくちひろしの)

芥川とか、たくさんございましたが、私は、その中では志賀直哉と菊地寛の

(たんぺんしょうせつがすきで、そのことでもまたせりかわさんに、しそうがひんじゃくだとかなんとか)

短篇小説が好きで、そのことでもまた芹川さんに、思想が貧弱だとか何とか

(いわれてわらわれましたけれど、わたしにはあまりりくつのおおいさくひんは、だめで)

言われて笑われましたけれど、私には余り理窟の多い作品は、だめで

(ございました。せりかわさんは、おいでになるたびごとになにかしんかんのざっしやら、)

ございました。芹川さんは、おいでになる度毎に何か新刊の雑誌やら、

(しょうせつしゅうやらをもってこられて、いろいろとわたしにしょうせつのすじがきや、またさっかたちの)

小説集やらを持って来られて、いろいろと私に小説の筋書や、また作家たちの

(うわさばなしをきかせてくださるのですが、どうもあまりねっちゅうしているので、おかしいと)

噂話を聞かせて下さるのですが、どうも余り熱中しているので、可笑しいと

(おもっておりましたところが、あるひとうとうせりかわさんは、そのねっちゅうのげんいんらしい)

思って居りましたところが、或る日とうとう芹川さんは、その熱中の原因らしい

(ものをわたしにはっけんされてしまいました。おんなのともだちというものは、ちょっとでも)

ものを私に発見されてしまいました。女の友達というものは、ちょっとでも

(したしくなると、すぐにあるばむをみせあうものでございますが、いつか、)

親しくなると、すぐにアルバムを見せ合うものでございますが、いつか、

(せりかわさんはおおきなしゃしんちょうをもってきて、わたしにみせてくださいましたけれど、)

芹川さんは大きな写真帖を持って来て、私に見せて下さいましたけれど、

(わたしはせりかわさんの、うるさいほどていねいなせつめいを、いいかげんにあいづちうって)

私は芹川さんの、うるさいほど叮嚀な説明を、いい加減に相槌打って

(はいちょうしながらいちまいいちまいみていって、そのうちに、とてもきれいながくせいさんが、)

拝聴しながら一枚一枚見ていって、そのうちに、とても綺麗な学生さんが、

(ばらのはなぞののはいけいのまえに、ほんをもってたっているしゃしんがありましたので、)

薔薇の花園の背景の前に、本を持って立っている写真がありましたので、

(わたしはおやきれいなおかたねえ、とおもわずいってしまって、なぜだかかおがあつく)

私はおや綺麗なおかたねえ、と思わず言ってしまって、なぜだか顔が熱く

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