森鴎外 山椒大夫3
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問題文
(ふねとふねとはしだいにとおざかる。うしろにはえをまつひなのように、ふたりのこどもが)
舟と舟とは次第に遠ざかる。後ろには餌《え》を待つ雛のように、二人の子供が
(あいたくちがみえていて、もうこえはきこえない。うばたけはさどじろうに「もしせんどうさん、)
あいた口が見えていて、もう声は聞えない。姥竹は佐渡二郎に「もし船頭さん、
(もしもし」とこえをかけていたが、さどはかまわぬので、とうとうあかまつのみきのような)
もしもし」と声をかけていたが、佐渡は構わぬので、とうとう赤松の幹のような
(あしにすがった。「せんどうさん。これはどうしたことでございます。あのおじょうさま、)
脚にすがった。「船頭さん。これはどうしたことでございます。あのお嬢さま、
(わかさまにわかれて、いきてどこへいかれましょう。おくさまもおなじことで)
若さまに別れて、生きてどこへ往かれましょう。奥さまも同じことで
(ございます。これからなにをたよりにおくらしなさいましょう。どうぞあのふねの)
ございます。これから何をたよりにお暮らしなさいましょう。どうぞあの舟の
(いくほうへこいでいってくださいまし。ごしょうでございます」「うるさい」とさどは)
往く方へ漕いで行って下さいまし。後生でございます」「うるさい」と佐渡は
(うしろざまにけった。うばたけはふなとこにたおれた。かみはみだれてふなばたに)
後ろざまに蹴った。姥竹は舟笭《ふなとこ》に倒れた。髪は乱れて舷に
(かかった。うばたけはみをおこした。「ええ。これまでじゃ。おくさま、ごめんください)
かかった。姥竹は身を起した。「ええ。これまでじゃ。奥さま、ご免下さい
(まし」こういってまっさかさまにうみにとびこんだ。「こら」といってせんどうは)
まし」こう言ってまっさかさまに海に飛び込んだ。「こら」と言って船頭は
(ひじをさしのばしたが、まにあわなかった。ははおやはうちぎをぬいでさどが)
臂を差し伸ばしたが、まにあわなかった。母親は袿《うちぎ》を脱いで佐渡が
(まえへだした。「これはそまつなものでございますが、おせわになったおれいにさしあげ)
前へ出した。「これは粗末な物でございますが、お世話になったお礼に差し上げ
(ます。わたくしはもうこれでおいとまをもうします」こういってふなばたにてをかけた。)
ます。わたくしはもうこれでお暇を申します」こう言って舷に手をかけた。
(「たわけが」と、さどはかみをつかんでひきたおした。「うぬまでしなせてなる)
「たわけが」と、佐渡は髪をつかんで引き倒した。「うぬまで死なせてなる
(ものか。だいじなしろものじゃ」さどのじろうはつなでをひきだして)
ものか。大事な貨《しろもの》じゃ」佐渡の二郎は牽紱《つなで》を引き出して
(ははおやをくるくるまきにしてころがした。そしてきたへきたへとこいでいった。)
母親をくるくる巻きにして転がした。そして北へ北へと漕いで行った。
(「おかあさまおかあさま」とよびつづけているあねとおとうととをのせて、みやざきのさぶろうが)
「お母あさまお母あさま」と呼び続けている姉と弟とを載せて、宮崎の三郎が
(ふねはきしにそうてみなみへはしっていく。「もうよぶな」とみやざきがしかった。「みずのそこの)
舟は岸に沿うて南へ走って行く。「もう呼ぶな」と宮崎が叱った。「水の底の
(いろくずにはきこえても、あのおなごにはきこえぬ。おなごどもは)
鱗介《いろくず》には聞えても、あの女子《おなご》には聞えぬ。女子どもは
(さどへわたってあわのとりでもおわせられることじゃろう」)
佐渡へ渡って粟《あわ》の鳥でも逐《お》わせられることじゃろう」
(あねのあんじゅとおとうとのずしおうとはだきあってないている。こきょうをはなれるも、とおいたびを)
姉の安寿と弟の厨子王とは抱き合って泣いている。故郷を離れるも、遠い旅を
(するもははといっしょにすることだとおもっていたのに、いまはからずもひきわけられて)
するも母と一しょにすることだと思っていたのに、今はからずも引き分けられて
(ふたりはどうしていいかわからない。ただかなしさばかりがむねにあふれて、この)
二人はどうしていいかわからない。ただ悲しさばかりが胸にあふれて、この
(わかれがじぶんたちのみのうえをどれだけかわらせるか、そのほどさえわきまえ)
別れが自分たちの身の上をどれだけ変らせるか、そのほどさえ弁《わきま》え
(られぬのである。ひるになってみやざきはもちをだしてくった。そしてあんじゅと)
られぬのである。午《ひる》になって宮崎は餅を出して食った。そして安寿と
(ずしおうにもひとつずつくれた。ふたりはもちをてにとってたべようともせず、めを)
厨子王にも一つずつくれた。二人は餅を手に取って食べようともせず、目を
(みあわせてないた。よるはみやざきがかぶせたとまのしたで、なきながら)
見合わせて泣いた。夜は宮崎がかぶせた苫《とま》の下で、泣きながら
(ねいった。こうしてふたりはいくにちかふねにあかしくらした。みやざきはえっちゅう、のと、)
寝入った。こうして二人は幾日か舟に明かし暮らした。宮崎は越中、能登、
(えちぜん、わかさのつつうらうらをうりあるいたのである。しかしふたりがおさないのに、からだも)
越前、若狭の津々浦々を売り歩いたのである。しかし二人がおさないのに、体も
(かよわくみえるので、なかなかかおうというものがない。たまにかいてがあっても)
か弱く見えるので、なかなか買おうと言うものがない。たまに買い手があっても
(ねだんのそうだんがととのわない。みやざきはしだいにきげんをそんじて、「いつまでも)
値段の相談が調《ととの》わない。宮崎は次第に機嫌を損じて、「いつまでも
(なくか」とふたりをうつようになった。みやざきがふねはまわりまわって、たんごのゆらのみなとに)
泣くか」と二人を打つようになった。宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良の港に
(きた。ここにはいしうらというところにおおきいやしきをかまえて、たはたにべいばくを)
来た。ここには石浦というところに大きい邸《やしき》を構えて、田畑に米麦を
(うえさせ、やまではかりをさせ、うみではすなどりをさせ、)
植えさせ、山では猟《かり》をさせ、海では漁《すなどり》をさせ、
(こがいをさせ、はたおりをさせ、かなもの、すえもの、)
蚕飼《こがい》をさせ、機織《はたおり》をさせ、金物、陶物《すえもの》、
(きのうつわ、なにからなにまで、それぞれのしょくにんをつかってつくらせるさんしょうだゆうという)
木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って作らせる山椒大夫という
(ぶげんしゃがいて、ひとならいくらでもかう。みやざきはこれまでも、よそに)
分限者《ぶげんしゃ》がいて、人なら幾らでも買う。宮崎はこれまでも、よそに
(かいてのないしろものがあると、さんしょうだゆうがところへもってくることに)
買い手のない貨《しろもの》があると、山椒大夫がところへ持って来ることに
(なっていた。みなとにでばっていただゆうのやっこがしらは、あんじゅ、ずしおうを)
なっていた。港に出張っていた大夫の奴頭《やっこがしら》は、安寿、厨子王を
(すぐにしちかんもんにかった。「やれやれ、がきどもをかたづけてみがかるうなった」と)
すぐに七貫文に買った。「やれやれ、餓鬼どもを片づけて身が軽うなった」と
(いって、みやざきのさぶろうはうけとったぜにをふところにいれた。そしてはとばのさけてんに)
言って、宮崎の三郎は受け取った銭を懐に入れた。そして波止場の酒店に
(はいった。)
はいった。
(ひとかかえにあまるはしらをたてならべてつくったたいかのおくぶかいひろまにひとましほうの)
一抱えに余る柱を立て並べて造った大厦《たいか》の奥深い広間に一間四方の
(ろをきらせて、すみびがおこしてある。そのむこうにしとねをさんまい)
炉を切らせて、炭火がおこしてある。その向うに茵《しとね》を三枚
(かさねてしいて、さんしょうだゆうはおしまずきにもたれている。さゆうには)
畳《かさ》ねて敷いて、山椒大夫は几《おしまずき》にもたれている。左右には
(じろう、さぶろうのふたりのむすこがこまいぬのようにならんでいる。)
二郎、三郎の二人の息子が狛犬《こまいぬ》のように列《なら》んでいる。
(もとだゆうにはさんにんのだんしがあったが、たろうはじゅうろくさいのとき、とうぼうをくわだてて)
もと大夫には三人の男子があったが、太郎は十六歳のとき、逃亡を企てて
(とらえられたやっこに、ちちがてずからやきいんをするのをじっとみていて、)
捕えられた奴に、父が手ずから烙印《やきいん》をするのをじっと見ていて、
(ひとこともものをいわずに、ふいといえをでてゆくえがしれなくなった。いまから)
一言も物を言わずに、ふいと家を出て行くえが知れなくなった。今から
(じゅうくねんまえのことである。やっこがしらがあんじゅ、ずしおうをつれてまえへでた。そしてふたりの)
十九年前のことである。奴頭が安寿、厨子王を連れて前へ出た。そして二人の
(こどもにじぎをせいといった。ふたりのこどもはやっこがしらのことばがみみにはいらぬ)
子供に辞儀をせいと言った。二人の子供は奴頭の詞《ことば》が耳に入らぬ
(らしく、ただめをみはってだゆうをみている。ことしろくじゅっさいになるだゆうの、しゅを)
らしく、ただ目をみはって大夫を見ている。今年六十歳になる大夫の、朱を
(ぬったようなかおは、ひたいがひろくあごがはって、かみもひげもぎんいろにひかっている。)
塗ったような顔は、額が広く顎が張って、髪も鬚《ひげ》も銀色に光っている。
(こどもらはおそろしいよりはふしぎがって、じっとそのかおをみているのである。)
子供らは恐ろしいよりは不思議がって、じっとその顔を見ているのである。
(だゆうはいった。「こうてきたこどもはそれか。いつもかうやっことちごうて、なにに)
大夫は言った。「買うて来た子供はそれか。いつも買う奴と違うて、何に
(つこうてよいかわからぬ、めずらしいこどもじゃというから、わざわざつれてこさせて)
使うてよいかわからぬ、珍しい子供じゃというから、わざわざ連れて来させて
(みれば、いろのあおざめた、かぼそいわらわどもじゃ。なににつこうてよいかは、)
みれば、色の蒼ざめた、か細い童《わらわ》どもじゃ。何に使うてよいかは、
(わしにもわからぬ」そばからさぶろうがくちをだした。すえのおとうとではあるが、もう)
わしにもわからぬ」そばから三郎が口を出した。末の弟ではあるが、もう
(さんじゅうになっている。「いやおとっさん。さっきからみていれば、じぎをせいと)
三十になっている。「いやお父っさん。さっきから見ていれば、辞儀をせいと
(いわれてもじぎもせぬ。ほかのやっこのようになのりもせぬ。よわよわしゅうみえても)
言われても辞儀もせぬ。ほかの奴のように名のりもせぬ。弱々しゅう見えても
(しぶといものどもじゃ。ほうこうはじめはおとこがしばかり、おんながしおくみときまっている。)
しぶとい者どもじゃ。奉公初めは男が柴刈り、女が汐汲みときまっている。
(そのとおりにさせなされい」「おっしゃるとおり、なはわたくしにももうしませぬ」)
その通りにさせなされい」「おっしゃるとおり、名はわたくしにも申しませぬ」
(と、やっこがしらがいった。だゆうはあざわらった。「おろかものとみえる。なはわしがつけて)
と、奴頭が言った。大夫は嘲笑った。「愚か者と見える。名はわしがつけて
(やる。あねはいたつきをしのぶぐさ、おとうとはわがなをわすれぐさ)
やる。姉はいたつきを垣衣《しのぶぐさ》、弟は我が名を萱草《わすれぐさ》
(じゃ。しのぶぐさははまへいって、ひにさんがのしおをくめ。わすれぐさはやまへいって)
じゃ。垣衣は浜へ往って、日に三荷《が》の潮を汲め。萱草は山へ往って
(ひにさんがのしばをかれ。よわよわしいからだにめんじて、にはかろうしてとらせる」さぶろうが)
日に三荷の柴を刈れ。弱々しい体に免じて、荷は軽うして取らせる」三郎が
(いった。「かぶんのいたわりようじゃ。こりゃ、やっこがしら。はやくつれてさがってどうぐを)
言った。「過分のいたわりようじゃ。こりゃ、奴頭。早く連れて下がって道具を
(わたしてやれ」やっこがしらはふたりのこどもをしんざんこやにつれていって、あんじゅにはおけと)
渡してやれ」奴頭は二人の子供を新参小屋に連れて往って、安寿には桶と
(ひさご、ずしおうにはかごとかまをわたした。どちらにもひるげをいれる)
杓《ひさご》、厨子王には籠と鎌を渡した。どちらにも午餉《ひるげ》を入れる
(かれいけがそえてある。しんざんこやはほかのぬひのいどころとは)
橇子《かれいけ》が添えてある。新参小屋はほかの奴婢《ぬひ》の居所とは
(べつになっているのである。やっこがしらがでていくころには、もうあたりがくらくなった。)
別になっているのである。奴頭が出て行くころには、もうあたりが暗くなった。
(このいえにはあかりもない。)
この屋《いえ》には燈火《あかり》もない。
(よくじつのあさはひどくさむかった。ゆうべはこやにそなえてあるふすまがあまり)
翌日の朝はひどく寒かった。ゆうべは小屋に備えてある衾《ふすま》があまり
(きたないので、ずしおうがこもをさがしてきて、ふねでとまをかずいた)
きたないので、厨子王が薦《こも》を探して来て、舟で苫《とま》をかずいた
(ように、ふたりでかずいてねたのである。きのうやっこがしらにおしえられたように、)
ように、二人でかずいて寝たのである。きのう奴頭に教えられたように、
(ずしおうはかれいけをもってくりやへかれいをうけとりに)
厨子王は樏子《かれいけ》を持って厨《くりや》へ餉《かれい》を受け取りに
(いった。やねのうえ、ちにちらばったわらのうえにはしもがふっている。くりやはおおきい)
往った。屋根の上、地にちらばった藁の上には霜が降っている。厨は大きい
(どまで、もうおおぜいのぬひがきてまっている。おとことおんなとはうけとるばしょがちがうのに)
土間で、もう大勢の奴婢が来て待っている。男と女とは受け取る場所が違うのに
(ずしおうはあねのとじぶんのともらうとするので、いちどはしかられたが、あすからは)
厨子王は姉のと自分のともらうとするので、一度は叱られたが、あすからは
(めいめいがもらいにくるとちかって、ようようかれいけのほかに、めんつうにいれた)
めいめいがもらいに来ると誓って、ようよう樏子のほかに、面桶に入れた
(かたかゆと、きのまりにいれたゆとのににんまえをもうけとった。)
饘《かたかゆ》と、木の椀《まり》に入れた湯との二人前をも受け取った。
(かたかゆをいれてかしいである。あねとおとうととはあさげをたべながら、)
饘は塩を入れて炊《かし》いである。姉と弟とは朝餉《あさげ》を食べながら、
(もうこうしたみのうえになっては、うんめいのもとにうなじをかがめる)
もうこうした身の上になっては、運命のもとに項《うなじ》を屈《かが》める
(よりほかはないと、けなげにもそうだんした。そしてあねははまべへ、おとうとはやまじをさして)
よりほかはないと、けなげにも相談した。そして姉は浜辺へ、弟は山路をさして
(いくのである。だゆうがやしきのさんのきど、にのきど、いちのきどをいっしょにでて、)
行くのである。大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一しょに出て、
(ふたりはしもをふんで、みかえりがちにさゆうへわかれた。ずしおうがのぼるやまは)
二人は霜を履《ふ》んで、見返りがちに左右へ別れた。厨子王が登る山は
(ゆらがたけのすそで、いしうらからはすこしみなみへいってのぼるのである。)
由良《ゆら》が嶽《たけ》の裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。
(しばをかるところは、ふもとからとおくはない。ところどころしばいろのいわの)
柴を苅る所は、麓《ふもと》から遠くはない。ところどころ柴色の岩の
(あらわれているところをとおって、ややひろいひらちにでる。そこにぞうきがしげって)
露《あら》われている所を通って、やや広い平地に出る。そこに雑木が茂って
(いるのである。ずしおうはぞうきばやしのなかにたってあたりをみまわした。しかししばは)
いるのである。厨子王は雑木林の中に立ってあたりを見廻した。しかし柴は
(どうしてかるものかと、しばらくはてをつけかねて、あさひにしものとけかかる、)
どうして苅るものかと、しばらくは手を着けかねて、朝日に霜の融けかかる、
(しとねのようなおちばのうえに、ぼんやりすわってときをすごした。)
茵《しとね》のような落ち葉の上に、ぼんやりすわって時を過した。
(ようようきをとりなおして、ひとえだふたえだかるうちに、ずしおうはゆびをいためた。)
ようよう気を取り直して、一枝二枝苅るうちに、厨子王は指を傷《いた》めた。
(そこでまたおちばのうえにすわって、やまでさえこんなにさむい、はまべにいった)
そこでまた落ち葉の上にすわって、山でさえこんなに寒い、浜辺に行った
(ねえさまは、さぞしおかぜがさむかろうと、ひとりなみだをこぼしていた。ひがよほど)
姉さまは、さぞ潮風が寒かろうと、ひとり涙をこぼしていた。日がよほど
(のぼってから、しばをせおってふもとへおりる、ほかのきこりがとおりかかって、)
昇ってから、柴を背負って麓へ降りる、ほかの樵《きこり》が通りかかって、
(「おまえもだゆうのところのやっこか、しばはひになんがかるのか」ととうた。)
「お前も大夫のところの奴か、柴は日に何荷《が》苅るのか」と問うた。
(「ひにさんがかるはずのしばを、まだすこしもかりませぬ」とずしおうはしょうじきにいった。)
「日に三荷苅るはずの柴を、まだ少しも苅りませぬ」と厨子王は正直に言った。
(「ひにさんがのしばならば、ひるまでににがかるがいい。しばはこうして)
「日に三荷の柴ならば、午《ひる》までに二荷苅るがいい。柴はこうして
(かるものじゃ」きこりはわががをおろしておいて、すぐにいちがかってくれた。)
苅るものじゃ」樵は我が荷をおろして置いて、すぐに一荷苅ってくれた。