in the meantime
テストプレイなんてしてないよ。
やりずらいかもしれないけどそこは我慢して汗
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問題文
(ほんがすきです。)
本が好きです。
(ほんをじぶんのあいでんてぃてぃにするようになったのはいつごろからなのか、)
本を自分のアイデンティティにするようになったのはいつごろからなのか、
(もうおぼえていない。)
もう覚えていない。
(ものごころついたときから、いえじゅうのえほん、みんわ、しんわ、ずかんをよみあさっては、)
物心ついたときから、家中の絵本、民話、神話、図鑑を読み漁っては、
(くうそうのせかいにあそんでいたものだ。)
空想の世界に遊んでいたものだ。
(たぶん、ははがねしなによみきかせをしてくれていたえいきょうがおおきいとおもう。)
たぶん、母が寝しなに読み聞かせをしてくれていた影響が大きいと思う。
(はははきまってものがたりのとちゅうでねいってしまうから、)
母は決まって物語の途中で寝入ってしまうから、
(じぶんでつづきをよむしかなかったのだ。)
自分で続きを読むしかなかったのだ。
(しょくじやすいみんにちかいいそうで、ずっとほんをよんできた。)
食事や睡眠に近い位相で、ずっとほんを読んできた。
(それはこうこうせいのころまでつづいて、まいにちがっこうのかえりにしょてんへいき、)
それは高校生のころまで続いて、毎日学校の帰りに書店へ行き、
(なんさつもひょうしがいしたものだった。)
何冊も表紙買いしたものだった。
(だがだいがくせいになり、じかんをもてあますようになってしまうと、)
だが大学生になり、時間を持て余すようになってしまうと、
(ふしぎとどくしょじかんがめべりしていった。)
不思議と読書時間が目減りしていった。
(じょうきょうしたらむげんにほんがよめる、とあれだけわくわくしていたのに、)
上京したら無限に本が読める、とあれだけわくわくしていたのに、
(いつのまにか、そのせつじつなじょうねつがうすれてしまっていたのだ。)
いつの間にか、その切実な情熱が薄れてしまっていたのだ。
(ねつをうしなったぼくは、しかし、すくないじょうほうをおおきくみせかけることにかんしては)
熱を失ったぼくは、しかし、少ない情報を大きく見せかけることに関しては
(あるしゅのさいのうをもっていたようだった。)
ある種の才能を持っていたようだった。
(たいとる、ちょしゃ、かきだしのすうぺーじとあらすじをしっていれば、)
タイトル、著者、書き出しの数ページとあらすじを知っていれば、
(そのばしのぎのかいわにこまることはなかった。)
その場しのぎの会話に困ることはなかった。
(もちろん、おおくのひとにそこのあささをみぬかれていたとはおもうけれど。)
もちろん、多くの人に底の浅さを見抜かれていたとは思うけれど。
(そうやって、しったかぶりをしつづけて、こうこうじだいまでのいさんをくいつぶして)
そうやって、知ったかぶりをしつづけて、高校時代までの遺産を食いつぶして
(なんとかだいがくをそつぎょうしたのが、22さいのぼくだった。)
なんとか大学を卒業したのが、22歳のぼくだった。
(いつしかぼくのなかでは、「すきだからほんをよむ」のではなく、)
いつしかぼくの中では、「好きだから本を読む」のではなく、
(「ほんをよんでいるじぶんがすき」というぎゃくてんげんしょうがおこってしまっていた。)
「本を読んでいる自分が好き」という逆転現象が起こってしまっていた。
(じぶんでもとっくのむかしにそのことにきがついていたのに、)
自分でもとっくの昔にそのことに気がついていたのに、
(ただおなじことばをくりかえした。)
ただ同じことばを繰り返した。
(ほんがすきです。)
本が好きです。
(おんがくも、えいがも、おなじことだった。きづけばぼくは、かつてじゅんすいにすきだった)
音楽も、映画も、同じことだった。気づけばぼくは、かつて純粋に好きだった
(ものをたんなるすていたすとしてしかみられなくなっていた。)
ものを単なるステイタスとしてしか見られなくなっていた。
(じぶんというにんげんをこうせいするようそのひとつとして、ほんとうはなくてもいいのに)
自分という人間を構成する要素のひとつとして、本当はなくてもいいのに
(それらをひつようとするようにふるまっているにすぎなかった。)
それらを必要とするようにふるまっているにすぎなかった。
(10だいのころのじぶんには)
10代のころの自分には
(ここではないどこかにいきたいというくるおしいほどのしょうそうかんにくるしめられていた)
ここではないどこかに行きたいという狂おしいほどの焦燥感に苦しめられていた
(ぼくにはほんがひつようだったのさと、かしこいふりをしてみたりもした。)
ぼくには本が必要だったのさと、賢いふりをしてみたりもした。
(そんなねつはもうとっくにきえうせていて、あるのはただ、そうしたようそに)
そんな熱はもうとっくに消え失せていて、あるのはただ、そうした要素に
(しがみついていなければなにもなくなってしまうのではないかという、)
しがみついていなければなにもなくなってしまうのではないかという、
(ばくぜんとしたきょうふかんだけだった。しごとをはじめてからは、)
漠然とした恐怖感だけだった。仕事を始めてからは、
(やれだいほんちぇっくがあるだの、やれうたをおぼえなければならないだの、)
やれ台本チェックがあるだの、やれ歌を覚えなければならないだの、
(だれにきかせるでもないいいわけばかりして、さらにどくしょのじかんはへっていった。)
誰に聞かせるでもない言い訳ばかりして、さらに読書の時間は減っていった。
(そういう、じぶんにつごうのよいえせろじっくをつくりだすことだけが、)
そういう、自分に都合のよいえせロジックを作り出すことだけが、
(ぼくのてんからあたえられたのうりょくだった。そもそも、しゅみというのはだれかに)
ぼくの天から与えられた能力だった。そもそも、趣味というのは誰かに
(もちろんじぶんじしんにさえ)
もちろん自分自身にさえ
(きょうせいされてするものではない。)
強制されてするものではない。
(すきなことにきもちがうごいてしまうのに、りゆうなんかいらないはずなのだ。)
好きなことに気持ちが動いてしまうのに、理由なんかいらないはずなのだ。
(けれどぼくは、くうきょなじぶんをみたすために、らくなほうほうをえらんだ。)
けれどぼくは、空虚な自分を満たすために、楽な方法を選んだ。
(それはさけだったり、だみんをむさぼることであったり、)
それは酒だったり、惰眠をむさぼることであったり、
(じぶんをこうていしてくれるひとのはなしをきくことだったりと、)
自分を肯定してくれる人の話を聞くことだったりと、
(とにかくじゅどうてきなこういばかりだった。)
とにかく受動的な行為ばかりだった。
(おなじことを、てをかえしなをかえ、さもまあたらしいことのようにみせかける。)
同じことを、手を替え品を替え、さも真新しいことのように見せかける。
(そういうまやかしがどんどんとくいになっていって、そのたびにやるせないきもちが)
そういうまやかしがどんどん得意になっていって、その度にやるせない気持ちが
(つのった。うそをついてすべてをごまかしているだけなんだとおもうと、)
募った。嘘をついてすべてをごまかしているだけなんだと思うと、
(くるしかった。でも、そんなせいかつをつづけていたあるひ、)
苦しかった。でも、そんな生活を続けていたある日、
(なにかきっかけがあったわけでもないのに、)
なにかきっかけがあったわけでもないのに、
(なぜだかふと「ほんがよみたい」とおもった。)
なぜだかふと「本が読みたい」と思った。
(じぶんのかんじょうをおいかけるのがへたくそになっていたぼくは、)
自分の感情を追いかけるのがへたくそになっていたぼくは、
(それがほんしんからくるものなのか、たてまえをないめんかしてしまっているのか、)
それが本心からくるものなのか、建前を内面化してしまっているのか、
(はんだんがつかなかった。たぶん、みきわめるのがこわかったのだとおもう。)
判断がつかなかった。たぶん、見極めるのが怖かったのだと思う。
(だからすうじつかん、そのきもちをそっとしておいた。)
だから数日間、その気持ちをそっとしておいた。
(しばらくしてわかったことは、どうやらこいつは、)
しばらくしてわかったことは、どうやらこいつは、
(かつてのあのひりつくようなきがかんとも、ここすうねんのいつわりのかんじょうともちがう、)
かつてのあのひりつくような飢餓感とも、ここ数年の偽りの感情とも違う、
(しんぷるでささやかなきもちのようだ、ということだった。)
シンプルでささやかな気持ちのようだ、ということだった。
(けつろんからいうと、ぼくをすくってくれたものはふたつある。)
結論からいうと、ぼくを救ってくれたものはふたつある。
(それは、でんししょせきとまちのしょてんだ。)
それは、電子書籍と町の書店だ。
(ぼくはずっとでんししょせきにひていてきで、かみのよさがそこなわれてしまう、)
ぼくはずっと電子書籍に否定的で、紙のよさが損なわれてしまう、
(ほんというのはそのけいたいそのものにびがくがあるのだ、とかたくなだったのだけれど、)
本というのはその形態そのものに美学があるのだ、と頑なだったのだけれど、
(いざつかってみると、なかなかどうして、とてもべんりでつかいごこちがよい。)
いざ使ってみると、なかなかどうして、とても便利で使い心地がよい。
(もちろん、かみのほんとまるっきりおなじというわけにはいかないけれど、)
もちろん、紙の本とまるっきり同じというわけにはいかないけれど、
(じぶんのばあいは、しんしょやびじねすしょなど、じつようてきなほんは)
自分の場合は、新書やビジネス書など、実用的な本は
(でんしばいたいでよんだほうがすんなりあたまにはいってくることがわかった。)
電子媒体で読んだ方がすんなり頭に入ってくることがわかった。
(また、かんすうのおおいまんがなども、すぺーすをとらずにもちはこべ、)
また、巻数の多い漫画なども、スペースを取らずに持ち運べ、
(かくだいしてよむことができるのにはとてもたすかっている。)
拡大して読むことができるのにはとても助かっている。
(そういうわけで、うしなわれたどくしょのしゅうかんをもういちどぼくにねづかせてくれたのは、)
そういうわけで、失われた読書の習慣をもう一度ぼくに根づかせてくれたのは、
(まぎれもなくでんししょせきだといえる。)
まぎれもなく電子書籍だといえる。
(そういえば、おとなになってよかったとおもうことはあまりおおくないのだけれど、)
そういえば、大人になってよかったと思うことはあまり多くないのだけれど、
(へんなこだわりをすてるのがいくらからくになったことは、)
変なこだわりを捨てるのがいくらか楽になったことは、
(じぶんにとってぽじてぃぶなせいちょうだとおもう。)
自分にとってポジティブな成長だと思う。
(それから、まちのしょてん。さんぽをしているときやいどうちゅうに、)
それから、町の書店。散歩をしているときや移動中に、
(たまたまみかけたほんやさんにはいってみる。なにげなくてにとったほんをすうさつかって、)
たまたま見かけた本屋さんに入ってみる。何気なく手に取った本を数冊買って、
(きっさてんやこうえんなどでさらっとよむ。いままで、それこそこのすうねんかんというもの)
喫茶店や公園などでさらっと読む。いままで、それこそこの数年間というもの
(ついぞできなかったそんなかんたんなことが、)
ついぞできなかったそんな簡単なことが、
(でんししょせきによるりはびりをへて、ふたたびできるようになったのだ。)
電子書籍によるリハビリを経て、ふたたびできるようになったのだ。
(いまでは、がいしゅつするたびにかってきてしまうからほんだながうまってしまって、)
いまでは、外出するたびに買ってきてしまうから本棚が埋まってしまって、
(ゆかやそふぁのうえにところせましとほんがつみかさねられている。)
床やソファの上にところ狭しと本が積み重ねられている。
(きがむいたときによんで、きりがよくなったらてをとめる。)
気が向いたときに読んで、きりがよくなったら手を止める。
(あたりまえのことだろう、とあなたはおもうかもしれない。)
あたりまえのことだろう、とあなたは思うかもしれない。
(そのとおりだ。でも、ぼくにはとくべつな、)
そのとおりだ。でも、ぼくには特別な、
(ほとんどしんぴてきといってもいいことなのだ。こういうことすらも、)
ほとんど神秘的といってもいいことなのだ。こういうことすらも、
(あるいはあいでんてぃてぃをたんぽするすべにすぎないのだろうか?)
あるいはアイデンティティを担保する術にすぎないのだろうか?
(そうかもしれない。なにをもってしてほんとうにこころがうごいたといえるのか、)
そうかもしれない。なにをもってして本当に心が動いたといえるのか、
(ほんとうにすきとはどういうことなのか、ぼくにはまだよくわからない。)
本当に好きとはどういうことなのか、ぼくにはまだよくわからない。
(でも、だからこそぼくは、これからもほんをよみつづけるだろう。)
でも、だからこそぼくは、これからも本を読み続けるだろう。
(ひとつだけわかっていることがあるとすれば、そう、たぶん)
ひとつだけわかっていることがあるとすれば、そう、たぶん
(うれしかったのだ。)
嬉しかったのだ。
(またほんがよみたいとおもうことができて、ぼくはうれしかったのだ。)
また本が読みたいと思うことができて、ぼくは嬉しかったのだ。
(いつか、ほんとうに、こころからぼくにもいうことができるだろうか?)
いつか、本当に、心からぼくにも言うことができるだろうか?
(かけねなしにじゅんすいなきもちで、ださんも、みえも、とりつくろいもなく。)
掛け値なしに純粋な気持ちで、打算も、見栄も、取り繕いもなく。
(ほんがすきです。こんどはうそじゃありません。)
本が好きです。今度は嘘じゃありません。