究極世界史5 明朝清朝中国 14〜17世紀の中国
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問題文
(こうきんらんでかつやくしたひんのうしゅっしんのしゅげんしょうはちょうこうかりゅういきのこくそうちたいをせいは)
紅巾の乱で活躍した貧農出身の朱元璋は長江下流域の穀倉地帯を制覇
(1368ねんしゅげんしょうはなんきんでみんちょうをたてこうていこうぶていたいそに)
1368年朱元璋は南京で明朝をたて皇帝洪武帝太祖に
(1392ねんわこうをやぶってめいせいをたかめたりせいけいがこうらいをたおしかんじょうにちょうせん)
1392年倭寇を破って名声を高めた李成桂が高麗を倒し漢城に朝鮮
(こうぶていはそぜいのふえきこうさつやとちのぎょりんずさつをせいびしみんしゅうきょうかりくゆをさだめた)
洪武帝は租税の賦役黄冊や土地の魚鱗図冊を整備し民衆教化六諭を定めた
(こうぶていはいっぱんじんとぐんじんのこせきをわけてえいしょせい)
洪武帝は一般人と軍人の戸籍を分けて衛所世
(こうぶていのしごほっぽうのえんおうがきょへいしないらんがおこったせいなんのえき)
洪武帝の死後北方の燕王が挙兵し内乱が起こった靖難の役
(えんおうはなんきんをせんりょうしえいらくていに)
燕王は南京を占領し永楽帝に
(えいらくていがいすらーむきょうとのかんがんていわをえんせいさせまらっかおうこくもはってん)
永楽帝がイスラーム教徒の宦官鄭和を遠征させマラッカ王国も発展
(にっぽんでけんとうしいらいのちょうこうぼうえきがみんでふっかつかんごうぼうえき)
日本で遣唐使以来の朝貢貿易が明で復活勘合貿易
(みんをげきたいしどくりつしたれいちょうもちょうこうをむすびしゅしがくをとりいれた)
明を撃退し独立した黎朝も朝貢を結び朱子学を取り入れた
(せいほくもんごるのおいらとがみんのせいとうていをとらえたどぼくのへん)
西北モンゴルのオイラトが明の正統帝を捉えた土木の変
(みんすえ,ここうじゅくすればてんかたる,こうせいしょうのけいとくちんなどのとうじき)
明末、湖広熟すれば天下たる、江西省の景徳鎮などの陶磁器
(みんのじだいのうぜいをぎんにいっぽんかしたいちじょうべんぽうのかいかく)
明の時代納税を銀に一本化した一条鞭法の改革
(がかしょかのとうきしょうはこうきゅうかんりょうをけいけんしげいじゅつかとしてもめいせいをえた)
画家書家の董其昌は高級官僚を経験し芸術家としても名声を得た
(じゅがくではおうようめいがようめいがくでむがくなしょみんにもどうとくがあるとしゅちょうした)
儒学では王陽明が陽明学で無学な庶民にも道徳があると主張した
(ちゅうごくでまておりっちがきりすときょうをふきょうしこんよばんこくぜんずであらたなちりちしきをつたえた)
中国でマテオリッチが基督教を布教し坤輿万国全図で新たな地理知識を伝えた
(ぽるとがるじんはまかお、おらんだじんはたいわんなどあらたなぼうえきちゅうしんち)
ポルトガル人はマカオ、オランダ人は台湾など新たな貿易中心地
(ちゅうごくとうほくのじょしんまんしゅうはりえきをめぐりしょぶぞくそうごのあらそいがげきか)
中国東北の女真満州は利益をめぐり諸部族相互の争いが激化
(ぬるはちがじりつしじょしんしょぶぞくをしたがえ1616ねんあいしんをけんこく)
ヌルハチが自立し女真諸部族を従え1616年アイシン(満州語で金)を建国
(ぬるはちはぐんせいはっきをへんせい)
ヌルハチは軍制八旗を編成
(だいにだいたいそうほんたいじはうちもんごるのちゃはるしょうをしたがえ、1636ねんこくごうをしんに)
第二代太宗ホンタイジは内モンゴルの察哈爾省を従え、1636年国号を清に
(ばんれきていのじだいちょうきょせいのざいせいかいかくはせいじこんらんをまねいた)
万暦帝の時代張居正の財政改革は政治混乱を招いた
(1644ねんみんはりじせいにぺきんをせんりょうされめつぼう、みんのぶしょうごさんけいはしんにこうふく)
1644年明は李自成に北京を占領され滅亡、明の武将呉三桂は清に降伏
(ぶそうぼうえきだんではんしんかつどうしていたていせいこういちぞくは1661ねんたいわんをせんりょう)
武装貿易団で反清活動していた鄭成功一族は1661年台湾を占領
(4だいめこうきていがさんぱんのらんでごさんけい、かいきんせいさくでちょんしをこうふくさせぜんこくとういつ)
4代目康煕帝が三藩の乱で呉三桂、海禁政策で鄭氏を降伏させ全国統一
(しんちょうはこうきじてん、ここんとしょしゅうせい、しこぜんしょなどへんさんじぎょうをおこしがくしゃをみかたに)
清朝は康熙字典、古今図書集成、四庫全書など編纂事業を起こし学者を味方に
(はんしんてきげんろんにたいしてもじのごくでだんあつきんしょをおこなった)
反清的言論に対して文字の獄で弾圧禁書を行なった
(17せいきまついこうこうきていのじだいろしあとたたかいねるちんすくじょうやくでこっきょうけってい)
17世紀末以降康熙帝の時代ロシアと戦いネルチンスク条約で国境決定
(6だいけんりゅうていはたりむぼんちのじゅんがるをほろぼしひがしとるきすたんをしんきょうとした)
6代乾隆帝はタリム盆地のジュンガルを滅ぼし東トルキスタンを新疆とした
(しんちょうはもんごるせいかいちべっとしんきょうをはんぶとしりはんいんがとうかつした)
清朝はモンゴル青海チベット新疆を藩部とし理藩院が統括した
(16せいきいこうちょうせんではかきょせいどでやんばんといういえがらのかんりょうがだいぶぶんをしめた)
16世紀以降朝鮮では科挙制度で両班という家柄の官僚が大部分を占めた
(ちょうせんやんばんはみんのせいとうなけいしょうしゃしょうちゅうかであるいしきからじゅがくをじゅうしした)
朝鮮両班は明の正統な継承者小中華である意識から儒学を重視した
(ふっけんやかんとんのいちぶのひとがきんれいをおかしとうなんあじあでけいざいりょくをのばしなんようかきょう)
福建や広東の一部の人が禁令をおかし東南アジアで経済力を伸ばし南洋華僑
(18せいきなかばけんりゅうていはおうしゅうせんをこうしゅうにげんていしこうこうにぼうえきをかんりさせた)
18世紀半ば乾隆帝は欧州船を広州に限定し公行に貿易を管理させた
(18せいきはじめちていぎんせいでじんとうぜいていぜいがとちぜいにおりこまれせいどがかんりゃくか)
18世紀初め地丁銀制で人頭税丁税が土地税に織り込まれ制度が簡略化
(ふらんするい14せいがちゅうごくにはけんしたぶーヴぇがちゅうごくじっそくちずこうよぜんらんず)
フランスルイ14世が中国に派遣したブーヴェが中国実測地図皇輿全覧図