究極世界史6 アジア諸地域の繁栄
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問題文
(にしちゃがたいはんこくしゅっしんのてぃむーるがにしとるきすたんにてぃむーるちょうをひらいた)
西チャガタイハン国出身のティムールが西トルキスタンにティムール朝を開いた
(てぃむーるはほっぽうのきぷちゃくはんこくやきたいんどにしんにゅうしあなとりあでは)
ティムールは北方のキプチャクハン国や北インドに侵入しアナトリアでは
(1402ねんあんからのたたかいでおすまんていこくをやぶりばやじっと1せいをほりょとした)
1402年アンカラの戦いでオスマン帝国を破りバヤジット1世を捕虜とした
(てぃむーるちょうのうずべきすたんしゅとさまるかんどはちゅうおうあじあのちゅうしんちだった)
ティムール朝のウズベキスタン首都サマルカンドは中央アジアの中心地だった
(13せいきまつせいほうにしんしゅつしたとるこじんはあなとりあせいほくぶにおすまんていこくをけんこく)
13世紀末西方に進出したトルコ人はアナトリア西北部にオスマン帝国を建国
(めふめと2せいは1453ねんびざんつていこくこんすたんてぃのーぷるをかんらくさせた)
メフメト2世は1453年ビザンツ帝国コンスタンティノープルを陥落させた
(すんなはせりむ1せいはまむるーくちょうのかんりかにあったりょうせいとのほごけんをえた)
スンナ派セリム1世はマムルーク朝の管理下にあった両聖都の保護権を得た
(すれいまん1せいは1529ねんうぃーんほういし38ねんぷれヴぇざのかいせんでしょうり)
スレイマン1世は1529年ウィーン包囲し38年プレヴェザの海戦で勝利
(するたんのぐんたいはてぃまーるをもつほうけんきしぐんだんといぇにちぇりぐんだんがあった)
スルタンの軍隊はティマールを持つ封建騎士軍団とイェニチェリ軍団があった
(てぃむーるちょうがおとろえいらんでしんぴしゅぎいすまーいーるがたぶりーずをせんりょうし)
ティムール朝が衰えイランで神秘主義イスマーイールがタブリーズを占領し
(さふぁヴぃーちょうをひらき、きこくごしーあはじゅうにいまーむはをこっきょうとした)
サファヴィー朝を開き、帰国後シーア派十二イマーム派を国教とした
(さふぁヴぃーちょうあっばーす1せいはしんしゅといすふぁはーんをけんせつしさいせいきだった)
サファヴィー朝アッバース1世は新首都イスファハーンを建設し最盛期だった
(16せいきにはいるとてぃむーるのしそんばーぶるがかーぶるをほんきょにきたいんどにしんしゅつ)
16世紀に入るとティムールの子孫バーブルがカーブルを本拠に北インドに進出
(1526ばーぶるはぱーにーぱっとのたたかいででりーするたんちょうろでぃーちょうにしょうり)
1526バーブルはパーニーパットの戦いでデリースルタン朝ロディー朝に勝利
(ばーぶるがむがるていこくをひらきじっしつてきけんせつしゃは3だいこうていあくばる)
バーブルがムガル帝国を開き実質的建設者は3代皇帝アクバル
(あくばるはじんとうぜいをはいししてひんどぅーきょうせいりょくをみかたにつけた)
アクバルは人頭税を廃止してヒンドゥー教勢力を味方につけた
(あうらんぐぜーぶていのときりょうどさいだい、ひんどぅーきょうじいんをはかいしじんとうぜいがふっかつ)
アウラングゼーブ帝のとき領土最大、ヒンドゥー教寺院を破壊し人頭税が復活
(にしいんどではひんどぅーこっかまらーたーおうこくがとうじょう)
西インドではヒンドゥー国家マラーター王国が登場17世紀中頃〜1818
(1511ねんまらっかおうこくはぽるとがるにせんりょうされた)
1511年マラッカ王国はポルトガルに占領された
(たいのあゆたやちょうやびるまのたうんぐーちょうがこめやしかがわのこうえきではんえい)
タイのアユタヤ朝やビルマのタウングー朝が米や鹿皮の交易で繁栄
(まにらはがれおんせんによってたいへいようをこえてめきしこあかぷることむすばれた)
マニラはガレオン船によって太平洋を越えてメキシコアカプルコと結ばれた