究極世界史⑩

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宋の建国と崩壊

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(ちゅうごくのほくそうでとられたかきょのさいしゅうしけんであるこうていによるこうとうしもんをでんしという)

中国の北宋で採られた科挙の最終試験である皇帝による口頭試問を殿試という

(ちょうきょういんはこうしゅうのぐんじんしゅっしんでちゅうごくのおうちょうであるほくそうをけんこくした)

趙匡胤は後周の軍人出身で中国の王朝である北宋を建国した

(ほくそうのおうあんせきはざいせいなんかいぜんのためしんぽうかいかくをこころみたがしばこうらのはんたいでざせつ)

北宋の王安石は財政難改善のため新法改革を試みたが司馬光らの反対で挫折

(ほくそうのしゅとであるかいほうはごだいのうちごとういがいのしゅとでもあった)

北宋の首都である開封は五代のうち後唐以外の首都でもあった

(ぶんじんかんりょうによるとうちをぶんじんしゅぎといいかんりょうそしきのひだいかがざいせいあっぱくのいちいん)

文人官僚による統治を文人主義といい官僚組織の肥大化が財政圧迫の一因

(なんそうできんとのわへいをしゅちょうしたしんかいとたいりつをしゅちょうしたがくひ)

南宋で金との和平を主張した秦檜と対立を主張した岳飛

(きんがほくそうのしゅとかいほうをせんりょうしじょうこうとこうていをれんこうしたじけんをせいこうのへんという)

金が北宋の首都開封を占領し上皇と皇帝を連行した事件を靖康の変という

(きそうのこでありきんそうのおとうとであるこうそうはこうなんにのがれなんそうをけんこくした)

徽宗の子であり欽宗の弟である高宗は江南に逃れ南宋を建国した

(もんごるていこくだい5だいこうていであるふびらいはなんそうをほろぼした)

モンゴル帝国第5代皇帝であるフビライは南宋を滅ぼした

(なんそうのしゅとであるりんあんはげんざいのこうしゅうにあたる)

南宋の首都である臨安は現在の杭州にあたる

(ちゅうごくのそうではじめてはっこうされたしへいであるこうしはせかいはつのしへいとされる)

中国の宋で初めて発行された紙幣である交子は世界初の紙幣とされる

(ちゅうごくのそうでけいせいことよばれるしんこうじぬしそうはでんこをりようしりえきをあげた)

中国の宋で形勢戸と呼ばれる新興地主層は佃戸を利用し利益を上げた

(ちゅうごくのそうにはぎょうとよばれるしょうにんのくみあいとさくとよばれるしゅこうぎょうしゃのくみあいがあった)

中国の宋には行と呼ばれる商人の組合と作と呼ばれる手工業者の組合があった

(ちゅうごくのそうでしょうこうぎょうのはったつによってできたとしをちんといいそのだいひょうはけいとくちん)

中国の宋で商工業の発達によってできた都市を鎮といいその代表は景徳鎮

(そうだいにちょうこうかりゅういきがかいはつされこうせつじゅくすればてんかたるといわれた)

宋代に長江下流域が開発され「江浙熟すれば天下足る」と言われた

(したいふはそうだいのじゅきょうてきそようをそなえたしはいかいそうでせいけんのちゅうすうをになった)

士大夫は宋代の儒教的素養を備えた支配階層で政権の中枢を担った

(そうだいにしゅきがたいせいしたしゅしがくはにほんでもひろくまなばれた)

宋代に朱熹が大成した朱子学は日本でも広く学ばれた

(らしんばん、かやく、もくはんいんさつじゅつはいずれもちゅうごくそうだいにはつめいされたしんぎじゅつである)

羅針盤、火薬、木版印刷術はいずれも中国宋代に発明された新技術である

(そうだいできゅうていのがいんでえがかれたがふうをいんたいがといいだいひょうてきながかはほくそうのきそう)

宋代で宮廷の画院で描かれた画風を院体画といい代表的な画家は北宋の徽宗

(そうだいでぶんじんらひしょくぎょうがかがえがいたがふうをぶんじんがといいにほんにもつたえられた)

宋代で文人ら非職業画家が描いた画風を文人画といい日本にも伝えられた

など

(きったんぞくはちゅうごくかほくにりょうをけんこくしめつぼうごはちゅうおうあじあにせいりょうをけんこくした)

契丹族は中国華北に遼を建国し滅亡後は中央アジアに西遼を建国した

(りょうはしはいかのみんぞくににじゅうとうちたいせいをしきぶぞくせいとしゅうけんせいをへいようした)

遼は支配下の民族に二重統治体制を敷き部族制と州県制を併用した

(せんえんのめいはこっきょういじのだいしょうとしてほくそうからりょうにぎんやきぬをおくるというものだった)

澶淵の盟は国境維持の代償として北宋から遼に銀や絹を送るというものだった

(ちべっとけいゆうぼくみんぞくのたんぐーとぞくは11せいきのちゅうごくでせいかをけんこくした)

チベット系遊牧民族のタングート族は11世紀の中国で西夏を建国した

(やりつあぼきはぼっかいをほろぼしもんごるこうげんをおさえりょうをけんこくしたみんぞくのしどうしゃ)

耶律阿保機は渤海を滅ぼしモンゴル高原をおさえ遼を建国した民族の指導者

(もうあんぼうこくせいはもともときんのぐんじせいどでのちにしはいきこうとなった)

猛安・謀克制はもともと金の軍事制度で後に支配機構となった

(12せいきはじめじょしんぞくのわんやんあぐだはきったんのしはいからどくりつしきんをけんこくした)

12世紀初め女真族の完顔阿骨打は契丹の支配から独立し金を建国した

(きんのこうげきをのがれたやりつたいせきがせいりょうをけんこくしきったんのぶんかをせいほうでいじした)

金の攻撃を逃れた耶律大石が西遼を建国し契丹の文化を西方で維持した

(12せいきのちゅうごくできんをけんこくしたじょしんぞくはのちにまんしゅうぞくとあらためしんをけんこくした)

12世紀の中国で金を建国した女真族は後に満州族と改め清を建国した

(12せいきのちゅうごくでせいこうのへんできんにほろぼされたほくそうはかなんにのがれなんそうをたてた)

12世紀の中国で靖康の変で金に滅ぼされた北宋は華南に逃れ南宋を建てた

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