夏目漱石「抗夫」1
夏目漱石「抗夫」
夏目漱石の抗夫です。
独特の読み方、漢字の使い方がありますのでどうか頑張って打ち込んでいってください。
独特の読み方、漢字の使い方がありますのでどうか頑張って打ち込んでいってください。
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問題文
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(さっきからまつばらをとおってるんだが、)
さっきから松原を通ってるんだが、
(まつばらというものはよっぽどながいもんだ。)
松原と云うものは余っ程長いもんだ。
(いつまでいってもまつばかりはえていていっこうようりょうをえない。)
何時まで行っても松ばかり生えていて一向要領を得ない。
(こっちがいくらあるいたってまつのほうではってんしてくれなければだめなことだ。)
此方がいくら歩行たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。
(いっそはじめからつったったまままつとにらめっこをしているほうがましだ。)
いっそ始めから突っ立ったまま松と睨めっこをしている方が増しだ。
(とうきょうをたったのはゆうべのくじごろで、)
東京を立ったのは昨夕の九時頃で、
(よどおしむちゃくちゃにきたのほうへあるいてきたらくたびれてねむくなった。)
夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥れて眠くなった。
(とまるやどもなしかねもないからくらやみのかぐらどうへあがってちょっとねた。)
泊る宿もなし金もないから暗闇の神楽堂へ上って一寸寐た。
(なんでもはちまんさまらしい。)
何でも八幡様らしい。
(さむくてめがさめたら、まだよるはあけはなれていなかった。)
寒くて目が覚めたら、まだ夜は明け離れていなかった。
(それからのべつひらおしにここまでやってきたようなものの、)
それからのべつ平押しに此処まで遣って来た様なものの、
(こうやたらにまつばかりならんでいてはあるくせいがない。)
こうやたらに松ばかり並でいては歩く精がない。
(あしはだいぶおもくなっている。)
足は大分重くなっている。
(ふくらはぎにちいさいてつのさいづちをしばりつけたようにあがるにほねがおれる。)
膨ら脛に小さい鉄の才槌を縛り附けた様に足搔に骨が折れる。
(あわせのしりはむろんはしょってある。)
袷の尻は無論端折ってある。
(そのうえずぼんしたさえはいていないのだからふだんならきょうそうでもできる。)
その上洋袴下さえ穿いていないのだから不断なら競争でも出来る。
(が、こうまつばかりじゃしょせんかなわない。)
が、こう松ばかりじゃ所詮敵わない。
(かけぢゃやがある。)
掛茶屋がある。
(よしずのかげからみるとねんどのへっついに、さびたちゃがまがかかっている。)
葭簀の影から見ると粘土のへっついに、錆た茶釜が掛かっている。
(しょうぎがにしゃくばかりおうらいへはみだしたうえから、にさんそくわらじがぶらさがって、)
床几が二尺ばかり徃来へ食み出した上から、二三足草鞋がぶら下がって、
など
(はんてんだか、)
袢天だか、
(どてらだかわからないきものをきたおとこがせなかをこっちへむけてこしをかけている。)
どてらだか分らない着物を着た男が背中を此方へ向けて腰を掛けている。
(やすもうかな、よそうかな、とおりがかりによこめでのぞきこんでみたら、)
休もうかな、廃そうかな、通り掛りに横目で覗き込んで見たら、
(れいのはんてんとどてらのちゅうをゆくおとこがとつぜんこっちをむいた。)
例の袢天とどてらの中を行く男が突然此方を向いた。
(たばこのやにでくろくなったはを、あついくちびるのあいだからだしてわらっている。)
煙草の脂で黒くなった歯を、厚い唇の間から出して笑っている。
(これはとすこしきみがわるくなりかけるとたんに、むこうのかおはきゅうにまじめになった。)
これはと少し気味が悪くなり掛ける途端に、向うの顔は急に真面目になった。
(いままでちゃみせのばあさんとさるおもしろいはなしをしていて、)
今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、
(なんのきもつかずに、ついそのままのかおをおうらいへむけたときに、)
何の気もつかずに、ついそのままの顔を徃来へ向けた時に、
(ふとじぶんのめんそうにでっくわしたものとみえる。)
不図自分の面相に出っ喰したものと見える。
(ともかくむこうがまじめになったのでようやくあんしんした。)
ともかく向うが真面目になったので漸く安心した。
(あんしんしたとおもうまもなくまたきみがわるくなった。)
安心したと思う間もなく又気味が悪くなった。
(おとこはまじめになったかおをまじめなばしょにすえたまま、)
男は真面目になった顔を真面目な場所に据えたまま、
(しろめのうんどうがきにかかるほどのいきおいでじぶんのくちからはな、)
白眼の運動が気に掛かる程の勢いで自分の口から鼻、
(はなからひたいとじりじりあたまのうえへのぼっていく。)
鼻から額とじりじり頭の上へ登って行く。
(とりうちぼうのひさしをまたいで、)
鳥打帽の廂を跨いで、
(のうてんまでとどいたとおもうころまたしろめがじりじりしたへさがってきた。)
脳天まで届いたと思う頃又白眼がじりじり下へ降って来た。
(こんどはかおをすどおりにしてむねからへそのあたりまでくるとちょっととまった。)
今度は顔を素通りにして胸から臍のあたりまで来ると一寸留まった。
(へそのところにはがまぐちがある。さんじゅうにせんはいっている。)
臍の所には蟇口がある。三十二銭這入っている。
(しろいめはくるめがすりのうえからこのがまぐちをねらったまま、)
白い眼は久留米絣の上からこの蟇口を覘ったまま、
(もめんのへこおびをのりこしてやっとまたぐらへでた。)
木綿の兵児帯を乗り越してやっと股倉へ出た。
(またぐらからしたにあるものはからすねばかりだ。)
股倉から下にあるものは空脛ばかりだ。
(いくらみたって、みられるようなものはくっついちゃいない。)
いくら見たって、見られる様なものは食ッ附いちゃいない。
(ただふだんよりしょうしょうおもたくなっている。)
ただ不断より少々重たくなっている。
(しろいめはそのおもたくなっているところを、わざっと、じりじりみて、)
白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、
(とうとうおやゆびのあとがくろくついたまないたげたのだいまでくだっていった。)
とうとう親指の痕が黒くついた俎下駄の台まで降って行った。