海野十三 蠅男㊸

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※➀に同じくです。


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問題文

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(しとう)

◇死闘◇

(けものかひとか。)

獣か人か。

(かいぶつはえおとこのからだはくびのついたやせどうとばらばらのてあしからくみたてられて)

怪物蠅男の身体は首の付いた痩せ胴とバラバラの手足から組み立てられて

(いたとは、じつにぜんだいみもんのいちだいきょういである。このはえおとこのからだにかんするひみつは、)

いたとは、実に前代未聞の一大驚異である。この蠅男の身体に関する秘密は、

(まだじゅうぶんりょうかいすることができなかったが、けっしのせいねんたんていほむらそうろくはのうていから)

まだ充分了解することが出来なかったが、決死の青年探偵帆村荘六は脳底から

(わきおころうとするせんりつをおさえつけて、げんぜんとこのだいかいぶつとにらみあっている。)

沸き起ろうとする戦慄を抑えつけて、厳然とこの大怪物と睨み合っている。

(かたわらのいすには、これまたえにかいたようなれいじんいとこがひざにふせたほんのうえに)

傍らの椅子には、これまた絵に描いたような麗人糸子が膝に伏せた本の上に

(すんなりとしたかたてをおいて、なにごともしらずやすらかにねむっている。)

すんなりとした片手を置いて、何ごとも知らず安らかに眠っている。

(どうやらいとこはほむらのめいれいにしたがってすいみんざいをのんでいるらしかった。)

どうやら糸子は帆村の命令に従って睡眠剤を 服(の)んでいるらしかった。

(もちろんそれはほむらのやさしきこころづかいで、このばのいへんにこれいじょうかのじょのせんさいな)

もちろんそれは帆村の優しき心遣いで、この場の異変にこれ以上彼女の繊細な

(しんけいをおどろかせたくないというこころづかいであったにちがいない。)

神経を驚かせたくないという心遣いであったに違いない。

(かいぶつはえおとこは、みるもいまわしいつちいろのおもてにあっきのようなけいけいたるめをひからかし、)

怪物蠅男は、見るも忌まわしい土色の面に悪鬼のような炯炯たる眼を光らかし、

(はげしきいきづかいをしながら、へやのすみからじりじりとしんだいのむこうにたつ)

激しき息づかいをしながら、部屋の隅からじりじりと寝台の向こうに立つ

(ほむらたんていにむかってちかづいてくるのであった。)

帆村探偵に向かって近づいて来るのであった。

(あめかあらしか、はたらいめいか。かいじんときょうせいねんとのいきつまるようなにらみあいがつづいた。)

雨か嵐か、はた雷鳴か。怪人と侠青年との息詰まるような睨み合いが続いた。

(しょうぶはきさまのまけだっ。こうなればかんねんして、いさぎよくこうさんしろっ)

「勝負は貴様の負けだッ。こうなれば観念して、潔く降参しろッ」

(とほむらたんていはれつれつたることばをなげつけた。)

と帆村探偵は烈々たる言葉を投げつけた。

(なにをいいやがるとはえおとこははをかみならし、てめえこそ)

「なにを言いやがる」と蠅男は歯を噛み鳴らし、「手前こそ

(いきのとまらねえうちに、ねんぶつでもとなえろっ。こんどこそはてめえのどてっぱらを)

息の止まらねえうちに、念仏でも唱えろッ。今度こそは手前の土手っ腹を

(きかんじゅうではちのすのようにしてやるんだっ。それでもまだ)

機関銃で蜂の巣のようにしてやるんだッ。それでもまだ

など

(たすかるとでもおもっているのか)

助かるとでも思っているのか」

(そういってはえおとこはじりじりとぜんしんし、たれているひだりうでをしずかにあげて、)

そういって蠅男はじりじりと前進し、垂れている左腕を静かに挙げて、

(ほむらのむなもとめがけてつきだした。それはくろびかりのするうでのようでありながら、)

帆村の胸元目がけて突き出した。それは黒光りのする腕のようでありながら、

(まるでぎこちないじゅうしんのようにみえた。)

まるでぎこちない銃身のように見えた。

(ははあ、くくりつけのきかんじゅうとおいでなすったね。そんないんちきじゅうに)

「ははあ、くくり付けの機関銃とお出でなすったね。そんなインチキ銃に

(うたれてたまるものか)

撃たれてたまるものか」

(よおし、これをくらっておうじょうしろっ)

「よオし、これを喰らって往生しろッ」

(とはえおとこのだいかつとともにながいくろまんとのかたさきがぶるぶるとけいれんするよりはやく、)

と蠅男の大喝と共に長い黒マントの肩先がブルブルと痙攣するより早く、

(だだだっとみみをつんざくようなはげしいじゅうせい!)

ダダダッと耳をつんざくような激しい銃声!

(うぬっーーほむらはさっとしんだいのかげにみをしずめた。ーーとみるよりもはやく、)

「うぬッーー」帆村はさっと寝台の陰に身を沈めた。ーーと見るよりも早く、

(はえおとこのすきをねらってしんだいのしたからぱっとなげつけたしぶいろのとあみ!)

蠅男の隙を狙って寝台の下からパッと投げつけた渋色の投網!

(あみはくうかんにはなびのようにひらいて、はえおとこのずじょうからばっさりおちかかったが、)

網は空間に花火のように開いて、蠅男の頭上からバッサリ落ちかかったが、

(はえおとこもさるもの、ふいをうたれながらもつつーっとみをひけば、あみは)

蠅男もさるもの、不意を打たれながらもツツーッと身を引けば、網は

(かちりとはえおとこのひだりうでのなかにしこまれたきかんじゅうにからみついた。)

かちりと蠅男の左腕の中に仕込まれた機関銃に絡み付いた。

(なまいきなっーーとはえおとこがけしきばむところをほむらはすかさず、)

「生意気なッーー」と蠅男が気色ばむ所を帆村はすかさず、

(えいっとおおごえもろともすかさずなげつけたじょうぶなよりあさのなげなわ)

「えいッ」と大声もろともすかさず投げ付けた丈夫な撚り麻の投げ縄

(ーーそれがみごとはえおとこのひだりうでのなかほどをきりりとしめあげた。)

ーーそれが見事蠅男の左腕の中程をキリリと締め上げた。

(さあ、どうだっとほむらはかんせいをあげ、きをはずさずあさなわのはしを)

「さあ、どうだッ」と帆村は歓声を上げ、気を外さず麻縄の端を

(しんだいのあしにとおして、それをささえにまんしんのちからをこめてえいやっとひけば、)

寝台の脚に通して、それを支えに満身の力をこめてえいやッと引けば、

(さすがのはえおとこもおもわずつつーっとまえにのめろうとするのを、うむとこらえて)

流石の蠅男も思わずツツーッと前にのめろうとするのを、ウムと堪えて

(ひかれまいと、そりみになってていこうするうち、どうしたはずみかどーんという)

引かれまいと、反り身になって抵抗するうち、どうしたはずみかドーンと云う

(おおきなひびきをうってはえおとこのひだりうではかたのつけねからすっぽりぬけおち)

大きな響きを打って蠅男の左腕は肩の付根からすっぽり抜け落ち

(ゆかのうえにころがった。)

床の上に転がった。

(あっ、しまったーーとはえおとこがてつのつめをもったのこりのみぎうでをのばして)

「あッ、しまったーー」と蠅男が鉄の爪を持った残りの右腕を伸ばして

(ゆかのうえのぬけたひだりうでをひろおうとするのを、ほむらはそうさせてはなるものかと)

床の上の抜けた左腕を拾おうとするのを、帆村はそうさせてはなるものかと

(しんだいのうえをひらりととびこし、かくしもっていたくわのぼくとうでやっとはえおとこのあごを)

寝台の上をヒラリと飛び越し、隠し持っていた桑の木刀でヤッと蠅男の頤を

(ぎゃくにはらえば、ぎゃっとさしものはえおとこもつうだにたまらず、どうとゆかうえに)

逆に払えば、「ギャッ」とさしもの蠅男も痛打にたまらず、どうと床上に

(だいのじになってひっくりかえった。)

大の字になって引っ繰り返った。

(たたかいはほむらのかいしょうとみえた。)

闘いは帆村の快勝と見えた。

(おとなしくしろっとほむらははえおとこのうえにうまのりになり、いきなりあいての)

「おとなしくしろッ」と帆村は蠅男の上に馬乗りになり、いきなり相手の

(のどをぐっとしめつけたーーそれがよくなかった。はえおとこにはまだ)

咽喉(のど)をグッと締め付けたーーそれがよくなかった。蠅男にはまだ

(にんげんばなれのしたものすごくがんきょうなみぎうでののこっていたことをわすれていたのだ。)

人間離れのした物凄く頑強な右腕の残っていたことを忘れていたのだ。

(きりきりきりとかいおんをたててはえおとこのみぎうでがきじゅうきのようにさんめーとるばかりも)

キリキリキリと怪音を立てて蠅男の右腕が起重機のように三メートルばかりも

(のびたかとおもうと、それがぞうのはなのようにくるくるっとほむらのはいごに)

伸びたかと思うと、それが象の鼻のようにくるくるっと帆村の背後に

(まがってきて、おおきなはさみのようなてつのつめがほむらのほそくびめがけてぐっと)

曲がって来て、大きな鋏のような鉄の爪が帆村の細首目がけてぐっと

(おそいかからんとするーーあっ、あぶない!)

襲いかからんとするーーあッ、危ない!

(いとこはさきほどからめをさましていた。いくらつよいすいみんざいでも、へやのなかで)

糸子は先程から目を醒ましていた。いくら強い睡眠剤でも、部屋の中で

(きかんじゅうをうたれてはねむってもいられない。かのじょはとつぜんめのまえにてんかいしている)

機関銃を撃たれては眠ってもいられない。彼女は突然目の前に展開している

(ものすごいしとうのこうけいにのまれて、たましいをうばわれたひとのようにぼうぜんとなりゆきを)

物凄い死闘の光景に呑まれて、魂を奪われた人のように呆然と成り行きを

(ながめていたのである。しかしいま、あいじんほむらのいちめいにかかわるだいききをめのまえに)

眺めていたのである。しかし今、愛人帆村の一命に係わる大危機を目の前に

(しては、どうしてそのまますくんでいられよう。かのじょはすばやくしんぺんをみまわし、)

しては、どうしてそのまま竦んでいられよう。彼女は素早く身辺を見廻し、

(つくえのうえにのっていたなきちちのしょうぞういりのがくめんをとりあげるよりはやいか)

机の上に載っていた亡き父の肖像入りの額面を取り上げるより早いか

(ふたりのほうにかけよりはえおとこのがんめんめがけてはっしとうちおろした。)

二人の方に駈け寄り蠅男の顔面目掛けて発止と打ち下ろした。

(うむっ。ーーとはえおとこはうなりごえをあげ、ほむらのはいごにのびようとしたてつのつめが)

「うむッ。ーー」と蠅男は呻り声をあげ、帆村の背後に伸びようとした鉄の爪が

(わなわなとこくうをつかんだ。)

わなわなと虚空を掴んだ。

(いとこさん、あぶないからどいていらっしゃい)

「糸子さん、危ないからどいていらっしゃい」

(ほむらはいとこにちゅういをした。そこにいっすんのすきがあった。それをみのがすような)

帆村は糸子に注意をした。そこに一寸の隙があった。それを見逃すような

(はえおとこではなかった。)

蠅男ではなかった。

(えいやっーーとはえおとこははらのうえにのっていたほむらをしたから)

「えいやッーー」と蠅男は腹の上に乗っていた帆村を下から

(ざぶとんかなにかのようにどんとはねとばした。あっというまにほむらはちゅうを)

座布団か何かのようにどんと跳ね飛ばした。あッと云う間に帆村は宙を

(いってんしてうんよくしんだいのうえにたたきつけられたが、もしそこにやわらかいしんだいが)

一転して運よく寝台の上に叩きつけられたが、もしそこに柔らかい寝台が

(なかったらほむらのりょうがんはぽんぽんとびだしていたかもしれない。)

無かったら帆村の両眼はぽんぽん飛び出していたかも知れない。

(ほむらはくらくらするあたまをおさえて、ばちにんぎょうのようにしんだいをとびおりた。)

帆村はくらくらする頭を押さえて、撥人形のように寝台を飛び降りた。

(このときすばやくおきなおったはえおとこはみぎてをのべてかたわらのがらすまどを)

このとき素早く起き直った蠅男は右手を伸べて傍らのガラス窓を

(あまどごしにばりばりとやぶり、そのあなからばけこうもりのようにひらりとそとへ)

雨戸越しにバリバリと破り、その穴から化け蝙蝠のようにヒラリと外へ

(とびだした。)

飛び出した。

(ほむらがつづいてそとにとびだしてみると、はえおとこはどこへいったものかかげもすがたもなく、)

帆村が続いて外に飛び出してみると、蠅男は何処へ行ったものか影も姿もなく、

(こがいにはただひっそりかんとしたこくあんあんたるやみばかりがあった。)

戸外には唯ひっそり閑とした黒暗暗たる闇ばかりがあった。

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