江戸川乱歩 赤い部屋⑳

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問題文
(となりにいたひとりが、たくじょうのしょくだいをとってくもんしゃのうえにさしつけた。)
隣にいた一人が、卓上の燭台をとって苦悶者の上にさしつけた。
(みると、tしはそうはくなかおをけいれんさせて、ちょうどきずついたみみずが、)
見ると、T氏は蒼白な顔を痙攣させて、丁度傷ついた蚯蚓が、
(くねくねはねまわるようなぐあいに、からだじゅうのきんにくを)
クネクネはね廻る様な工合に、身体中の筋肉を
(のばしたりちぢめたりしながら、むちゅうになってもがいていた。)
伸ばしたり縮めたりしながら、夢中になってもがいていた。
(そしてだらしなくはだかったそのむねの、くろくみえるきずぐちからは)
そしてだらしなくはだかったその胸の、黒く見える傷口からは
(かれがうごくたびに、たらりたらりとまっかなちが、)
彼が動く度に、タラリタラリとまっ紅な血が、
(しろいひふをつたってながれていた。)
白い皮膚を伝って流れていた。
(がんぐとみせたろくれんぱつのだいにはつめにはじつだんがそうてんしてあったのだ。)
玩具と見せた六連発の第二発目には実弾が装填してあったのだ。
(わたしたちは、ながいあいだ、ぼんやりそこにたったまま、)
私達は、長い間、ボンヤリそこに立ったまま、
(だれひとりみうごきするものもなかった。きかいなものがたりのあとのこのできごとは、)
誰一人身動きするものもなかった。奇怪な物語の後のこの出来事は、
(わたしたちにあまりにもはげしいしょうどうをあたえたのだ。それはとけいのめもりからいえば、)
私達に余りにも烈しい衝動を与えたのだ。それは時計の目盛から云えば、
(ほんのわずかなじかんだったかもしれない。けれども、)
ほんの僅かな時間だったかも知れない。けれども、
(すくなくともそのときのわたしには、わたしたちがそうしてなにもしないでたっているあいだが、)
少なくともその時の私には、私達がそうして何もしないで立っている間が、
(ひじょうにながいようにおもわれた。なぜならば、そのとっさのばあいに、)
非常に長い様に思われた。なぜならば、その咄嗟の場合に、
(くもんしているふしょうしゃをまえにして、わたしのあたまにはつぎのようなすいりのはたらくよゆうが)
苦悶している負傷者を前にして、私の頭には次の様な推理の働く余裕が
(じゅうぶんあったのだから。)
十分あったのだから。
(「いがいなできごとにそういない。)
「意外な出来事に相違ない。
(しかし、よくかんがえてみると、これはさいしょからちゃんと、)
しかし、よく考えて見ると、これは最初からちゃんと、
(tのこんやのぷろぐらむにかいてあったことがらなのではあるまいか。)
Tの今夜のプログラムに書いてあった事柄なのではあるまいか。
(かれはきゅうじゅうきゅうにんまではたにんをころしたけれど、さいごのひゃくにんめだけは)
彼は九十九人までは他人を殺したけれど、最後の百人目だけは
(じぶんじしんのためにのこしておいたのではないだろうか。そして、)
自分自身の為に残して置いたのではないだろうか。そして、
(そういうことにはもっともふさわしいこの「あかいへや」を、)
そういうことには最もふさわしいこの『赤い部屋』を、
(さいごのしにばしょにえらんだのではあるまいか。)
最後の死に場所に選んだのではあるまいか。
(これは、このおとこのきかいきわまるせいしつをかんがえあわせると、)
これは、この男の奇怪極まる性質を考え合わせると、
(まんざらけんとうはずれのそうぞうでもないのだ。)
まんざら見当はずれの想像でもないのだ。
(そうだ。あの、ぴすとるをがんぐだとしんじさせておいて、)
そうだ。あの、ピストルを玩具だと信じさせておいて、
(きゅうじおんなにはっぽうさせたぎこうなどは、ほかのさつじんのばあいときょうつうの、)
給仕女に発砲させた技巧などは、他の殺人の場合と共通の、
(かれどくとくのやりかたではないか。こうしておけば、げしゅにんのきゅうじおんなは)
彼独特のやり方ではないか。こうして置けば、下手人の給仕女は
(すこしもばっせられるしんぱいはない。そこにはわたしたちろくにんものしょうにんがあるのだ、)
少しも罰せられる心配はない。そこには私達六人もの証人があるのだ、
(つまり、tはかれがたにんにたいしてやったとおなじほうほうを、)
つまり、Tは彼が他人に対してやったと同じ方法を、
(かがいしゃはすこしもつみにならぬほうほうを、かれじしんにおうようしたものではないか」)
加害者は少しも罪にならぬ方法を、彼自身に応用したものではないか」
(わたしのほかのひとたちも、みなそれぞれのかんがいにふけっているようにみえた。)
私の他の人達も、皆それぞれの感慨に耽っている様に見えた。
(そして、それはおそらくわたしのものとおなじだったかもしれない。)
そして、それは恐らく私のものと同じだったかも知れない。
(じっさい、このばあい、そうとよりほかにはかんがえかたがないのだから。)
実際、この場合、そうとより他には考え方がないのだから。
(おそろしいちんもくがいちざをしはいしていた。そこには、うっぷしたきゅうじおんなの、)
恐ろしい沈黙が一座を支配していた。そこには、うっぷした給仕女の、
(さもかなしげにすすりなくこえが、しめやかにきこえているばかりだった。)
さも悲しげにすすり泣く声が、しめやかに聞こえているばかりだった。
(「あかいへや」のろうそくのひかりにてらしだされた、このいちじょうのひげきのばめんは、)
「赤い部屋」の蝋燭の光に照らし出された、この一場の悲劇の場面は、
(このよのできごととしてはあまりにもむげんてきにみえた。)
この世の出来事としては余りにも夢幻的に見えた。