こころ④ 夏目漱石
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問題文
(わたしはつきのすえにとうきょうへかえった。)
私は月の末に東京へ帰った。
(せんせいのひしょちをひきあげたのはそれよりずっとまえであった。)
先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっとまえであった。
(わたしはせんせいとわかれるときに、)
私は先生と別れる時に、
(「これからおりおりおたくへうかがってもよござんすか」ときいた。)
「これからおりおりお宅へ伺ってもよござんすか」と聞いた。
(せんせいはかんたんにただ「ええいらっしゃい」)
先生は簡単にただ「ええいらっしゃい」
(といっただけであった。)
と言っただけであった。
(そのじぶんのわたしはせんせいとほどこんいになったつもりでいたので、)
その時分の私は先生とほど懇意になったつもりでいたので、
(せんせいからもうすこしこまやかなことばをよきしてかかったのである。)
先生からもう少し濃やかな言葉を予期してかかったのである。
(それでこのものたりないへんじがすこしわたしのじしんをいためた。)
それでこの物足りない返事が少し私の自信をいためた。
(せんせいはそれにきがついているようでもあり、)
先生はそれに気が付いているようでもあり、
(まったくきがつかないようでもあった。)
まったく気が付かないようでもあった。
(わたしはまたけいびなしつぼうをくりかえしながら、)
私はまた軽微な失望を繰り返しながら、
(それがためにせんせいからはなれていくきにはなれなかった。)
それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。
(むしろそれとははんたいで、ふあんにうごかされるたびに、)
むしろそれとは反対で、不安に動かされるたびに、
(もっとまえへすすみたくなった。)
もっと前へ進みたくなった。
(もっとまえへすすめば、わたしのよきするあるものが、)
もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、
(いつかめのまえにまんぞくにあらわれてくるだろうおとおもった。)
いつか目の前に満足に現れてくるだろうおと思った。
(わたしはわかかった。けれどもすべてのにんげんにたいして、)
私は若かった。けれどもすべての人間に対して、
(わかいちがこうすなおにはたらこうとはおもわなかった。)
若い血がこうすなおに働らこうとは思わなかった。
(わたしはなぜせんせいにたいしてだけ、)
私はなぜ先生に対してだけ、
(こんなこころもちがおこるのかわからなかった。)
こんな心持ちが起こるのかわからなかった。
(それがせんせいのなくなったきょうになって、はじめてわかってきた。)
それが先生の亡くなった今日になって、はじめてわかってきた。
(せんせいははじめからわたしをきらっていたのではなかったのである。)
先生ははじめから私をきらっていたのではなかったのである。
(せんせいがわたしにしめしたときどきのすげないあいさつやれいたんにみえるどうさは、)
先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡にみえる動作は、
(わたしをとおざけようとするふかいのひょうげんではなかったのである。)
私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。
(いたましいせんせいは、じぶんにちかづこうとするにんげんに、)
いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、
(ちかづくほどのかちのないものだからよせというけいこくをあたえたのである。)
近づくほどの価値のないものだからよせという警告を与えたのである。
(ひとのなつかしみにおうじないせんせいは、ひとをけいべつするまえに、)
ひとのなつかしみに応じない先生は、ひとを軽蔑するまえに、
(まずじぶんをけいべつしていたものとみえる。)
まず自分を軽蔑していたものとみえる。
(わたしはむろんせんせいをたずねるつもりでとうきょうへかえってきた。)
私はむろん先生をたずねるつもりで東京へ帰って来た。
(かえってからじゅぎょうのはじまるまでにはまだにしゅうかんのひかずがあるので、)
帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、
(そのうちにいちどいっておこうとおもった。)
そのうちに一度行っておこうと思った。
(しかしかえってふつかみっかとたつうちに、)
しかし帰って二日三日とたつうちに、
(かまくらにいたときのきぶんがだんだんうすくなってきた。)
鎌倉にいた時の気分がだんだん薄くなってきた。
(そうしてそのうえにいろどられるだいとかいのくうきが、)
そうしてそのうえに彩られる大都会の空気が、
(きおくのふっかつにともなうつよいしげきとともに、)
記憶の復活に伴う強い刺激とともに、
(こくわたしのこころをそめつけた。)
濃く私の心を染め付けた。
(わたしはおうらいでがくせいのかおをみるたびにあたらしいがくねんにたいする)
私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する
(きぼうときんちょうとをかんじた。)
希望と緊張とを感じた。
(わたしはしばらくせんせいのことをわすれた。)
私はしばらく先生のことを忘れた。
(じゅぎょうがはじまって、いっかげつばかりするとわたしのこころに、)
授業が始まって、一か月ばかりすると私の心に、
(またいっしゅのゆるみができてきた。)
また一種の弛みができてきた。
(わたしはなんだかふそくなかおをしておうらいをあるきはじめた。)
私はなんだか不足な顔をして往来を歩きはじめた。
(ものほしそうにじぶんのへやのなかをみまわした。)
物欲しそうに自分の部屋の中を見回した。
(わたしのあたまにはふたたびせんせいのかおがういてでた。)
私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。
(わたしはまたせんせいにあいたくなった。)
私はまた先生に会いたくなった。
(はじめてせんせいのいえをたずねたとき、せんせいはるすであった。)
はじめて先生の家をたずねた時、先生は留守であった。
(にどめにいったのはつぎのにちようだとおぼえている。)
二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。
(はれたそらがみにしみこむようにかんぜられるいいひよりであった。)
晴れた空が身にしみ込むように感ぜられるいい日和であった。
(そのひもせんせいはるすであった。)
その日も先生は留守であった。
(かまくらにいたとき、わたしはせんせいじしんのくちから、)
鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、
(いつもたいていいえにいるということをきいた。)
いつもたいてい家にいるということを聞いた。
(むしろがいしゅつぎらいだということもきいた。)
むしろ外出ぎらいだということも聞いた。
(にどきてにどともあえなかったわたしは、そのことばをおもいだして、)
二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、
(りゆうもないふあんをどこかにかんじた。)
理由もない不安をどこかに感じた。
(わたしはすぐげんかんさきをさらなかった。)
私はすぐ玄関先を去らなかった。
(げじょのかおをみてすこしちゅうちょしてそこにたっていた。)
下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。
(このまえめいしをとりついだきおくのあるげじょは、)
このまえ名刺を取次いだ記憶のある下女は、
(わたしをまたしておいてまたなかへはいった。)
私を待たしておいてまた中へ入った。
(するとおくさんらしいひとがかわってでてきた。)
すると奥さんらしい人が代わって出てきた。
(うつくしいおくさんであった。)
美しい奥さんであった。
(わたしはそのひとからていねいにせんせいのでさきをおしえられた。)
私はその人から丁寧に先生の出先を教えられた。
(せんせいはれいげつそのひになるとぞうしがやのぼちにあるあるほとけへ)
先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にあるある仏へ
(はなをたむけにいくしゅうかんなのだそうである。)
花を手向けに行く習慣なのだそうである。
(「たったいまでたばかりで、じゅうぶんになるか、ならないかでございます」)
「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」
(とおくさんはきのどくそうにいってくれた。)
と奥さんは気の毒そうに言ってくれた。
(わたしはえしゃくしてそとへでた。にぎやかなまちのほうへにちょうほどあるくと、)
私は会釈して外へ出た。にぎやかな町の方へ二丁ほど歩くと、
(わたしもさんぽがてらぞうしがやへいってみるきになった。)
私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。
(せんせいにあえるかあえないかというこうきしんもうごいた。)
先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。
(それですぐきびすをめぐらした。)
それですぐ踵をめぐらした。