夢野久作 笑う唖女 ④

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(「いよお。これはめでたい」)

「イヨオ。これは芽出度《めでた》い」

(というとんきょなこえがして、すみおのはいごのろうかからでんろくろうがおどりだして)

という頓狂《とんきょ》な声がして、澄夫の背後の廊下から伝六郎が躍出して

(きた。またもおおさかずきをあおりつけて、すてきによっぱらっているらしく、)

来た。又も大盃を呷《あお》り付けて、素敵に酔払っているらしく、

(きちずもうのおおぜきをとったというもろはだをぬいで、)

吉角力《きちずもう》の大関を取ったという双肌《もろはだ》を脱いで、

(すばらしいきんにくびをろしゅつしている。)

素晴らしい筋肉美を露出している。

(「よおよお。これはめでたい、こんれいのかどぐちにはらみおんなとはめでたい、)

「ヨオヨオ。これは芽出度い、婚礼の門口に孕《はら》み女とは芽出度い、

(いやあなれあうらやまのおはなぼうじゃねえかい。こんげどうにんげん。かたわものとは)

イヤア……汝《なれ》あ裏山のお花坊じゃねえかい。こん外道人間。片輪者とは

(いいながらおやのしんだこともしらじい、どこをうろつきおったかい。)

いいながら親の死んだ事も知らじい、どこをウロ付きおったかい。

(どこのをばはろうできおったかい。ええ。これこれ」)

どこの×××××をば孕《はろ》うで来おったかい。ええ。コレ……コレ……」

(といううちにおはなのりょうわきのしたにてをいれてかるがるとだきあげた。おはなはひきはなされま)

と云ううちにお花の両脇の下に手を入れて軽々と抱き上げた。お花は引離されま

(いとするいっしょうけんめいさに、かたてでいろいろなてまねをしいしい、せんこうはなびのようにあばれ)

いとする一生懸命さに、片手で色々な手真似をしいしい、線香花火のように暴れ

(だした。ぼろきれのこしまきがぬけおちそうになったままさけびつづけた。)

出した。繿縷布片《ぼろきれ》の腰巻が脱け落ちそうになったまま叫び続けた。

(「あわあわあわ。えべえべえべえべ。ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃ」)

「アワアワアワ。エベエベエベエベ。ギャアギャアギャアギャアギャ」

(「あははは、わかったわかった。かんしんかんしん。うむうむ。えべえべえべじゃ。)

「アハハハ、わかったわかった。感心感心。ウムウム。エベエベエベじゃ。

(べっべっ。くさいなあきさまはあははは。わかったわかった。つまりちかいうちに)

ベッベッ。臭いなあ貴様は……アハハハ。わかったわかった。つまり近いうちに

(こどもがうまれるけに、このわかせんせいにたのんでうませてもらいたいちうのか)

子供が生まれるけに、この若先生に頼んで生ませてもらいたいチウのか……

(うむうむ。なかなかようわかっとる。えべえべ。かんしんかんしん」)

ウムウム。なかなか良うわかっとる。エベエベ。感心感心」

(「えべえべえべえべえべ」)

「エベエベエベエベエベ」

(「ええ。なくななくな。えんぎのわるい。うむうむ。わかったわかったそうか)

「ええ。泣くな泣くな。縁起の悪い。ウムウム。わかったわかったそうか

(そうか。よしよし。おれがたのもうでやるたのもうでやる。おとなしうしとれ」)

そうか。よしよし。俺が頼うでやる頼うでやる。柔順《おとな》しうしとれ」

など

(「えべえべえべえべ」)

「エベエベエベエベ」

(「なあわかせんせい。たまげなさることはない。これあめでたいことですばい。)

「なあ若先生。魂消《たまげ》なさる事はない。これあ芽出度い事ですばい。

(たといきちがいじゃろが、おしやんじゃろがなんじゃろが、これあふくの)

たとい精神異状者《きちがい》じゃろが、唖女じゃろが何じゃろが、これあ福の

(かみさまですばい。なにもしらじいきた、きょうのおいわいのおつかわしめです)

神様ですばい。何も知らじい来た、今日のお祝いの御使姫《つかわしめ》です

(ばい。なんとかしてものおきのすみでもなんでもけっこうですけに、おいてやってください)

ばい。何とかして物置の隅でも何でも結構ですけに、置いてやって下さい

(ませや。ほんらいならばやくばでせわせにゃならぬところですけれど、このむらにゃ)

ませや。本来ならば役場で世話せにゃならぬところですけれど、この村にゃ

(せつびがございませんけに、なあせんせい。くどくでございますけにきょうの)

設備が御座いませんけに、なあ先生。功徳で御座いますけに……きょうの

(おいわいにきたにんげんならなにかのいんねんとおもうて、なあわかせんせいこれくらい、)

お祝いに来た人間なら何かの因縁と思うて、なあ若先生……これ位、

(めでたいことはございまっせんばい」)

芽出度い事は御座いまっせんばい」

(「」)

「……………」

(「どうぞもしどうぞわかせんせい。せんせいのびょういんはこのくどくのひょうばんだけでもだいはんじょう)

「どうぞもし……どうぞ若先生。先生の病院はこの功徳の評判だけでも大繁昌

(ですばい。あははなあはなぼう。いわいめでたのわかまつさまよとなさあ。)

ですばい。アハハ……なあ花坊。祝い芽出度の若松様よ……トナ……さあ。

(はなちゃん。このてをはなしなさい。おとなしうこのおびをはなしなさい。)

花ちゃん。この手を離しなさい。柔順しうこの帯を離しなさい。

(このわかせんせいがみてやるとおっしゃるけに」)

この若先生が診《み》てやると仰言《おっしゃ》るけに……」

(もろはだぬぎのでんろくろうが、おとにきこえたきょうりょくで、おはなのうでをもぎはなそ)

双肌脱《もろはだぬぎ》の伝六郎が、音に聞こえた強力で、お花の腕をもぎ離そ

(うとするたびに、おびぎわをつかまれているすみおはしきだいのうえでよろよろとよろめいた。)

うとする度に、帯際を掴まれている澄夫は式台の上でヨロヨロとよろめいた。

(「これこれ。はなせというたら。おそろしいちからじゃ。これこれここ、はなしおれという)

「コレコレ。離せと云うたら。恐ろしい力じゃ。コレコレここ、離しおれと云う

(たらいうたてきこえんけにおうじょうするのう。はかまのひもがきれるてや。)

たら……云うたて聞こえんけに往生するのう。袴の紐が切れるてや。

(ええわかせんせい。このはかまとおびをとかっしゃれ。あとはわたしがひきうけますけに」)

ええ若先生。この袴と帯を解かっしゃれ。アトは私が引受けますけに……」

(いまにもきぜつしそうになまあせをたらしながらおしやんのひとみをいっしんにぎょうししていた)

今にも気絶しそうに生汗を滴《た》らしながら唖女の瞳を一心に凝視していた

(すみおは、このときやっときをとりなおしたらしく、でんろくろうのかおをみてまっかになった。)

澄夫は、この時やっと気を取直したらしく、伝六郎の顔を見て真赤になった。

(あんるいをうかめたひとみではいごのくりのはかせをふりかえると、すこしばかりあたまをさげた。)

暗涙を浮かめた瞳で背後の栗野博士を振返ると、すこしばかり頭を下げた。

(やっとのおもいでくちびるをわななかした。)

やっとの思いで唇をわななかした。

(「まことにおそれいりますが、もるふぃんをすこしばかり、おねがいできます)

「誠に……恐れ入りますが、モルフィンを少しばかり、お願い出来ます

(まいかいちぷろぐらいでけっこうですが」)

まいか……一プロ……ぐらいで結構ですが……」

(「おっと。もるひねならしつれいながらわたしがつくりましょう。ながらくこのびょういんの)

「オット。モルヒネなら失礼ながら私が作りましょう。長らくこの病院の

(るすばんをさせられて、あんないをしっておりまするので」)

留守番をさせられて、案内を知っておりまするので……」

(くりのはかせのはいごからとんのろうじんがやぎひげをつきだした。)

栗野博士の背後から頓野老人が山羊鬚を突出した。

(「にばんめのたなのみぎのはしでござったの」)

「二番目の棚の右の端で御座ったの」

(といううちにじぶんでふたつみっつうなずきながら、おおぎょうにはかまのりょうそわを)

と云ううちに自分で二つ三つうなずきながら、大仰に袴の両岨《りょうそわ》を

(とったとんのろうじんは、げんかんわきのやっきょくによちよちとはしりこんだ。ほんとうにこのいえの)

取った頓野老人は、玄関脇の薬局にヨチヨチと走り込んだ。ホントウにこの家の

(あんないをしっているらしく、つきあたりのくすりとだなのがらすどをひらいて、きゅうしきの)

案内を知っているらしく、突当りの薬戸棚の硝子《ガラス》戸を開いて、旧式の

(くろがきせいのひやくばこをとりだしてちょうやくだなのうえにおいた。そのなかから)

黒柿製の秘薬筥《ばこ》を取出して調薬棚の上に置いた。その中から

(つまみだしたこがたのちゅうしゃきにじょうりゅうすいをしちぶめほどいれて、はこのかたすみの)

抓《つま》み出した小型の注射器に蒸溜水を七分目ほど入れて、箱の片隅の

(ちいさなくすりびんのなかのしろいこなを、やくほうしのうえにおとすと、ゆびのさきでむぞうさに)

小さな薬瓶の中の白い粉を、薬包紙の上に零《おと》すと、指の先で無雑作に

(つまみとりながらちゅうしゃきのなかへぽろぽろとひねりこんだ。かっせんとはりを)

抓み取りながら注射器の中へポロポロとヒネリ込んだ。活栓《かっせん》と針を

(てばやくそえて、なかみのえきたいをしーそーしきにうごかすと、くすりののこりをはこのなかのびんに)

手早く添えて、中味の液体をシーソー式に動かすと、薬の残りを箱の中の瓶に

(かえして、みぎてにあるこーるをひたしただっしめんと、ばんそうこう)

返して、右手にアルコールを涵《ひた》した脱脂綿と、万創膏《ばんそうこう》

(をもちながらやっきょくをでてきた。)

を持ちながら薬局を出て来た。

(「へっへっへ。わしはがんらいたんせきでなあ。のみすぎるとむねがいたみだす。いたみだすと)

「ヘッヘッヘ。わしは元来胆石でなあ。飲み過ぎると胸が痛み出す。痛み出すと

(じぶんでこのちゅうしゃをやってねむるのがたのしみでなあ。ひっひっ。このみりょうならへたな)

自分でこの注射をやって眠るのが楽しみでなあ。ヒッヒッ。この見量なら下手な

(てんびんよりもよっぽどたしかじゃ。いのちがけのれんしゅうしとるけになあ。)

天秤よりもヨッポドたしかじゃ。生命《いのち》がけの練習しとるけになあ。

(さあつくってきました。ろくぶんげれんのいちじゃからちょうどいちぷろの)

……さあ作って来ました。六分ゲレンの一じゃからちょうど一プロの

(いちぐらむじゃ。あいてがあいてじゃけにそうとうききまっしょう。さあ」)

一瓦《グラム》じゃ。相手が相手じゃけに相当利きまっしょう。さあ……」

(すみおは、こうしたとんのろうじんのじまんのはなれわざをかくべつ、おどろいたようすもなくうけとった。)

澄夫は、こうした頓野老人の自慢の離れ業を格別、驚いた様子もなく受取った。

(むぞうさにくるいおんなのみぎうでをつかまえてちゅうしゃした。)

無造作に狂女の右腕を捕まえて注射した。

(おしやんのおはなはいたがらなかった。かえってなんとなくうれしそうにちゅうしゃきとすみお)

唖女のお花は痛がらなかった。却《かえっ》て何となく嬉しそうに注射器と澄夫

(のかおをみくらべてにこにこしていたが、ちゅうしゃがすむと、なんとおもったかきゅうにおとなしく)

の顔を見比べてニコニコしていたが、注射が済むと、何と思ったか急に温柔しく

(てをはなして、でんろくろうといっさくにてをひかれながら、ぼろのこしまきをひきすり)

手を離して、伝六郎と一作に手を引かれながら、繿縷《ぼろ》の腰巻を引擦り

(びきすりたちあがった。もうまっくらになったのきしたを、うらてのものおきなやのところへきた。なや)

引擦り立ち上った。もう真暗になった軒下を、裏手の物置納屋の処へ来た。納屋

(のまえまできたとき、かのじょはもうねむけをかんじているらしかった。さきにたったいっさくが)

の前まで来た時、彼女はモウ眠気を感じているらしかった。先に立った一作が

(つくってくれたふるわらと、ふるござのねどこへころりとよこになってめをとじた。)

造ってくれた古藁と、古茣蓙《ござ》の寝床へコロリと横になって眼を閉じた。

(おおきなはらのうえにひだりてをなげかけると、もうすやすやとねいきをたてていた。)

大きな腹の上に左手を投げかけると、もうスヤスヤと寝息を立てていた。

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