夏帽子 萩原朔太郎 ②

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地方の高等学生だった私は、ある夏帽子を被ってみたい願いがあった。
私はついに海老茶色のリボンのついた一高の夏防止をかぶり、日光の避暑地へ行った。
その旅先で少女と出会う。

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問題文

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(だがすぐうしろのほうから、おんなのよびかけてくるこえをきいた。)

だがすぐ後の方から、女の呼びかけてくる声を聞いた。

(「あの、おたづねいたしますが・・・」)

「あの、おたづね致しますが・・・」

(それはあねのほうのむすめであつた。かのじょはたしかに、わたしよりもひとつふたつとしうえにみえ、)

それは姉の方の娘であつた。彼女はたしかに、私よりも一つ二つ年上に見え、

(れいりなうつくしいめをしたおんなであつた。)

怜悧な美しい瞳をした女であつた。

(「たきのほうへいくのは、このみちでよいのでせうか?」)

「滝の方へ行くのは、この道で好いのでせうか?」

(さういつてなれなれしくびしょうした。)

さう言つて慣れ慣れしく微笑した。

(「はあ!」わたしはきゅうくつにしかくばつて、へいたいのやうなへんじをした。)

「はあ!」 私は窮屈に四角ばつて、兵隊のやうな返事をした。

(おんなはしばらく、じつとわたしのかおをながめていたが、やがてよなれたちょうしではなしかけた。)

女は暫らく、じつと私の顔を眺めてゐたが、やがて世慣れた調子で話しかけた。

(「しつれいですが、あなたいちこうのおかたですね?」)

「失礼ですが、あなた一高のお方ですね?」

(わたしはちょっとへんじにこまつた。「いいえ」といふひていのことばが、)

私は一寸返事に困つた。「いいえ」といふ否定の言葉が、

(ただちにしゅんかんにくちにうかんだ。けれどもつぎのしゅんかんには、ぼうしのことがあたまにうかんで、)

直ちに瞬間に口に浮んだ。けれども次の瞬間には、帽子のことが頭に浮んで、

(どきりとひやあせをながしてしまつた。わたしはかんがへるよゆうもなく、)

どきりと冷汗を流してしまつた。私は考へる余裕もなく、

(こんらんしてあいまいのへんじをした。「はあ!」)

混乱して曖昧の返事をした。「はあ!」

(「するとあなたは・・・」おんなはあびせかけるやうにしつもんした。)

「すると貴方は・・・」 女は浴せかけるやうに質問した。

(「あきもとししゃくのごしそくですね。わたしはよくしつていますわ。」)

「秋元子爵の御子息ですね。私はよく知つて居ますわ。」

(わたしはこんどこそおおきなこえで、はつきりとへんじをした。「いいえ。ちがひます。」)

私は今度こそ大きな声で、はつきりと返事をした。「いいえ。ちがひます。」

(けれどもおんなは、なおうたがひぶかさうにわたしをみつめた。あるりゆうのしれないはにかみと、)

けれども女は、尚疑ひ深さうに私を見つめた。或る理由の知れないはにかみと、

(ふあんなけねんとにせきたてられて、わたしはおんなづれをあとにのこし、)

不安な懸念とにせき立てられて、私は女づれを後に残し、

(はやあしでずんずんとさきにいつてしまつた。)

速足でずんずんと先に行つてしまつた。

(わたしがほてるにかえつたとき、ぐうぜんにもそのむすめらが、りんしつのきゃくであることをはっけんした。)

私がホテルに帰つた時、偶然にもその娘等が、隣室の客であることを発見した。

など

(かれらはそのとしおいたははといっしょに、さんにんでここにきていた。)

彼等はその年老いた母と一緒に、三人で此所に来て居た。

(いろいろなはんぷくするきかいからして、さけがたくわたしはそのおんなづれとこんいになつた。)

いろいろな反覆する機会からして、避けがたく私はその女づれと懇意になつた。

(ついにはあねむすめとわたしだけで、もりのなかをさんぽするやうななかにもなつた。)

遂には姉娘と私だけで、森の中を散歩するやうな仲にもなつた。

(そのとしうえのおんなは、あきらかにわたしにこいをしていた。)

その年上の女は、明らかに私に恋をして居た。

(かのじょはいつも、わたしのことを「わかさま」とよんだ。)

彼女はいつも、私のことを『若様』と呼んだ。

(わたしはさいしょ、おんなのむじゃきないじわるから、いたずらにいふのだとおもつたので、)

私は最初、女の無邪気な意地悪から、悪戯に言ふのだと思つたので、

(わざともったいぶつたようすなどして、さもきぞくらしくへんじをした。だがあるとき、)

わざと勿体ぶつた様子などして、さも貴族らしく返事をした。だが或る時、

(かのじょはまじめになつてはなしをした。ずつとまえから、じぶんはいちこうのうんどうかいや)

彼女は真面目になつて話をした。ずつと前から、自分は一高の運動会や

(そのほかのきかいで、あきもとししゃくのれいそくをよくしつていること。そしてわたしこそ、)

その他の機会で、秋元子爵の令息をよく知つてること。そして私こそ、

(たしかにそのとうにんにちがひなく、どんなにしらばくれてかくしていても、)

たしかにその当人にちがひなく、どんなにしらばくれて隠してゐても、

(じぶんにはわかつてるといふことを、おんなのつよいかくしんでしゅちょうした。)

自分には解つてるといふことを、女の強い確信で主張した。

(そのつよいかくしんは、わたしのどんなべんばくでも、てっかいさせることができなかつた。)

その強い確信は、私のどんな弁駁でも、撤回させることができなかつた。

(しまひにはしかたがなく、わたしのほうでもよいかげんに、)

しまひには仕方がなく、私の方でも好加減に、

(かぞくのむすことしてふるまつていた。)

華族の息子としてふるまつて居た。

(さいごのひがせまつてきた。)

最後の日が迫つて来た。

(かなかなぜみのないているもりのこみちで、なつのゆうけいをせにあびながら、)

かなかな蝉の鳴いてる森の小路で、夏の夕景を背に浴びながら、

(おんなはそつとわたしにちかづき、むねのひみつをうちあけようとするようすがみえた。)

女はそつと私に近づき、胸の秘密を打ち明けようとする様子が見えた。

(わたしはそのながいまえから、じぶんをいつわつているくのうにたへなくなつてた。)

私はその長い前から、自分を偽つてゐる苦悩に耐へなくなつてた。

(じぶんはいちこうのせいとでもなく、いわんやきぞくのむすこでもない。)

自分は一高の生徒でもなく、況んや貴族の息子でもない。

(それにずうずうしくせいぼうをかぶり、よいきになつて「わかさま」とよばれている。)

それに図々しく制帽を被り、好い気になつて『若様』と呼ばれて居る。

(どんなにべんごしてかんがへても、わたしはふりょうしょうねんのてんけいであり、)

どんなに弁護して考へても、私は不良少年の典型であり、

(かれらとおなじこういをしているのである。わたしはかいこんにたへなくなつた。)

彼等と同じ行為をしてゐるのである。私は悔恨に耐へなくなつた。

(そしていちやのうちにこうりをととのへ、しゅっぱつしようとかんがへた。)

そして一夜のうちに行李を調へ、出発しようと考へた。

(よくちょうはやく、わたしはうらやまへひとりでのぼつた。そこにはなつくさがしげつており、)

翌朝早く、私は裏山へ一人で登つた。そこには夏草が繁つて居り、

(あぶらぜみがこだちにないていた。わたしはつつみからぼうしをだし、もろてににぎつてむしりきつた。)

油蝉が木立に鳴いて居た。私は包から帽子を出し、双手に握つてむしり切つた。

(むぎわらのべりべりとさけるおとが、ふしぎにかなしくむねにせまつた。)

麦藁のべりべりと裂ける音が、不思議に悲しく胸に迫つた。

(そのえびちゃいろのりぼんでさへも、じめんのどろにまみれ、)

その海老茶色のリボンでさへも、地面の泥にまみれ、

(わたしのげたにふみつけられていた。)

私の下駄に踏みつけられてゐた。

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