風立ちぬ 堀辰雄 ⑫

背景
投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね3お気に入り登録
プレイ回数1058難易度(4.5) 4401打 長文
ジブリの「風立ちぬ」作成に当たり、参考とされた小説です。

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(そのひ、わたしはかんじゃたちがまだだれもしらずにいるらしいそのぜんじつのできごとを、)

その日、私は患者達がまだ誰も知らずにいるらしいその前日の出来事を、

(ふとしたことからききしった。)

ふとしたことから聞き知った。

(それはなんでも、れいのきみのわるいしんけいすいじゃくのかんじゃが)

それはなんでも、例の気味のわるい神経衰弱の患者が

(そのはやしのなかでいししていたというはなしだった。)

その林の中で縊死していたと云う話だった。

(そういえば、どうかするとひになんどもみかけた、あのつきそいかんごふのうでに)

そう云えば、どうかすると日に何度も見かけた、あの附添看護婦の腕に

(すがってろうかをいったりきたりしていたおおきなおとこが、)

すがって廊下を往ったり来たりしていた大きな男が、

(きのうからきゅうにすがたをけしてしまっていることにきがついた。)

昨日から急に姿を消してしまっていることに気がついた。

(「あのおとこのばんだったのかーー」)

「あの男の番だったのかーー」

(だいじゅうななごうしつのかんじゃがしんでからというものすっかりしんけいしつになっていたわたしは、)

第十七号室の患者が死んでからというものすっかり神経質になっていた私は、

(それからまだいっしゅうかんとたたないうちに)

それからまだ一週間と立たないうちに

(ひきつづいておこったそんなおもいがけないしのために、)

引き続いて起ったそんな思いがけない死のために、

(おもわずほっとしたようなきもちになった。)

思わずほっとしたような気持になった。

(そしてそれは、そんないんさんなしからとうぜんわたしがうけたにちがいないきみわるさすら、)

そしてそれは、そんな陰惨な死から当然私が受けたにちがいない気味悪さすら、

(わたしにはそのためにほとんどかんぜられずにしまったといっていいほどであった。)

私にはそのために殆んど感ぜられずにしまったと云っていいほどであった。

(「こないだしんだやつのつぎくらいにわるいといわれていたって、)

「こないだ死んだ奴の次ぎ位に悪いと言われていたって、

(なにもしぬときまっているわけのものじゃないんだからなあ」)

何も死ぬと決まっているわけのものじゃないんだからなあ」

(わたしはそうきがるそうにじぶんにむかっていってきかせたりした。)

私はそう気軽そうに自分に向って言って聞かせたりした。

(うらのはやしのなかのくりのきがにさんぼんばかりかりとられて、)

裏の林の中の栗の木が二三本ばかり伐り取られて、

(なんだかまのぬけたようになってしまったあとは、)

何んだか間の抜けたようになってしまった跡は、

(こんどはそのおかのへりを、ひきつづきにんぷたちがきりくずしだし、)

今度はその丘の縁を、引きつづき人夫達が切り崩し出し、

など

(そこからすこしきゅうなけいしゃでさがっている)

そこからすこし急な傾斜で下がっている

(びょうとうのきたがわにそったすこしばかりのあきちにそのつちをはこんでは、)

病棟の北側に沿った少しばかりの空地にその土を運んでは、

(そこいらいったいをゆるやかななぞえにしはじめていた。)

そこいら一帯を緩やかななぞえにしはじめていた。

(ひとはそこをかだんにかえるしごとにとりかかっているのだ。)

人はそこを花壇に変える仕事に取りかかっているのだ。

(「おとうさんからおてがみだよ」)

「お父さんからお手紙だよ」

(わたしはかんごふからわたされたひとたばのてがみのなかから、そのひとつをせつこにわたした。)

私は看護婦から渡された一束の手紙の中から、その一つを節子に渡した。

(かのじょはべっどにねたままそれをうけとると、)

彼女はベッドに寝たままそれを受取ると、

(きゅうにしょうじょらしくめをかがやかせながら、それをよみだした。)

急に少女らしく目をかがやかせながら、それを読み出した。

(「あら、おとうさまがまいらっしゃるんですって」)

「あら、お父様がいらっしゃるんですって」

(りょこうちゅうのちちは、そのきとをりようして)

旅行中の父は、その帰途を利用して

(ちかいうちにさなとりうむへたちよるということをかいてよこしたのだった。)

近いうちにサナトリウムへ立ち寄るということを書いて寄こしたのだった。

(それはあるじゅうがつのよくはれた、しかしかぜのすこしつよいひだった。)

それは或る十月のよく晴れた、しかし風のすこし強い日だった。

(ちかごろ、ねたきりだったのでしょくよくがおとろえ、)

近頃、寝たきりだったので食慾が衰え、

(やややせのめだつようになったせつこは、そのひからつとめてしょくじをし、)

やや痩せの目立つようになった節子は、その日からつとめて食事をし、

(ときどきべっどのうえにおきていたり、こしかけたりしだした。)

ときどきベッドの上に起きて居たり、腰かけたりしだした。

(かのじょはまたときどきおもいだしわらいのようなものをかおのうえにただよわせた。)

彼女はまたときどき思い出し笑いのようなものを顔の上に漂わせた。

(わたしはそれにかのじょがいつもちちのまえでのみうかべる)

私はそれに彼女がいつも父の前でのみ浮べる

(しょうじょらしいほほえみのしたがきのようなものをみとめた。)

少女らしい微笑の下描きのようなものを認めた。

(わたしはそういうかのじょのするがままにさせていた。)

私はそういう彼女のするがままにさせていた。

(それからすうじつたったあるごご、かのじょのちちはやってきた。)

それから数日立った或る午後、彼女の父はやって来た。

(かれはいくぶんまえよりかかおにもおいをみせていたが、)

彼はいくぶん前よりか顔にも老いを見せていたが、

(それよりももっとめだつほどせなかをかがめるようにしていた。)

それよりももっと目立つほど背中をかがめるようにしていた。

(それがなんとはなしにびょういんのくうきをかれがおそれでもしているようなようすにみせた。)

それが何んとはなしに病院の空気を彼が恐れでもしているような様子に見せた。

(そうしてびょうしつへはいるなり、かれはいつもわたしのすわりつけている)

そうして病室へはいるなり、彼はいつも私の坐りつけている

(びょうにんのまくらもとにこしをおろした。ここすうじつ、すこしからだをうごかしすぎたせいか、)

病人の枕元に腰を下ろした。ここ数日、すこし身体を動かし過ぎたせいか、

(きのうのゆうがたいくらかねつをだし、いしゃのいいつけで、)

昨日の夕方いくらか熱を出し、医者の云いつけで、

(かのじょはそのきたいもむなしく、あさからずっとあんせいをめいじられていた。)

彼女はその期待も空しく、朝からずっと安静を命じられていた。

(ほとんどもうびょうにんはなおりかけているものとおもいこんでいたらしいのに、)

殆んどもう病人はなおりかけているものと思い込んでいたらしいのに、

(まだそうしてねたきりでいるのをみて、ちちはすこしふあんそうなようすだった。)

まだそうして寝たきりで居るのを見て、父はすこし不安そうな様子だった。

(そしてそのげんいんをしらべでもするかのように、びょうしつのなかをしさいにみまわしたり、)

そしてその原因を調べでもするかのように、病室の中を仔細に見廻したり、

(かんごふたちのいちいちのどうさをみまもったり、それからばるこんにまで)

看護婦達の一々の動作を見守ったり、それからバルコンにまで

(でていってみたりしていたが、それらはいずれもかれをまんぞくさせたらしかった。)

出て行って見たりしていたが、それらはいずれも彼を満足させたらしかった。

(そのうちにびょうにんがだんだんこうふんよりもねつのせいで)

そのうちに病人がだんだん興奮よりも熱のせいで

(ほおをばらいろにさせだしたのをみると、「しかしかおいろはとてもいい」と、)

頬を薔薇色にさせ出したのを見ると、「しかし顔色はとてもいい」と、

(むすめがどこかよくなっていることをじぶんじしんになっとくさせたいかのように、)

娘が何処か良くなっていることを自分自身に納得させたいかのように、

(そればかりくりかえしていた。)

そればかり繰り返していた。

(わたしはそれからようじをこうじつにしてびょうしつをでていき、)

私はそれから用事を口実にして病室を出て行き、

(かれらをふたりきりにさせておいた。)

彼等を二人きりにさせて置いた。

(やがてしばらくしてから、ふたたびはいっていってみると、)

やがてしばらくしてから、再びはいって行って見ると、

(びょうにんはべっどのうえにおきなおっていた。そしてかけふのうえに、)

病人はベッドの上に起き直っていた。そして掛布の上に、

(ちちのもってきたかしばこやほかのかみづつみをいっぱいにひろげていた。)

父のもってきた菓子函や他の紙包を一ぱいに拡げていた。

(それはしょうじょじだいかのじょのすきだった、)

それは少女時代彼女の好きだった、

(そしていまでもすきだとちちのおもっているようなものばかりらしかった。)

そして今でも好きだと父の思っているようなものばかりらしかった。

(わたしをみると、かのじょはまるでいたずらをみつけられたしょうじょのように、)

私を見ると、彼女はまるで悪戯を見つけられた少女のように、

(かおをあかくしながら、それをかたづけ、すぐよこになった。)

顔をあかくしながら、それを片づけ、すぐ横になった。

(わたしはいくぶんきづまりになりながら、)

私はいくぶん気づまりになりながら、

(ふたりからすこしはなれて、まどぎわのいすにこしかけた。)

二人からすこし離れて、窓ぎわの椅子に腰かけた。

(ふたりは、わたしのためにちゅうだんされたらしいはなしのつづきを、)

二人は、私のために中断されたらしい話の続きを、

(さっきよりもこごえで、つづけだした。)

さっきよりもこごえで、続け出した。

(それはわたしのしらないなじみのひとびとやことがらにかんするものがおおかった。)

それは私の知らない馴染みの人々や事柄に関するものが多かった。

(そのうちのあるものは、かのじょに、)

そのうちの或る物は、彼女に、

(わたしのしりえないようなちいさなかんどうをさえあたえているらしかった。)

私の知り得ないような小さな感動をさえ与えているらしかった。

(わたしはふたりのさもたのしげなたいわを)

私は二人のさも愉たのしげな対話を

(なにかそういうえでもみているかのように、みくらべていた。)

何かそういう絵でも見ているかのように、見較べていた。

(そしてそんなかいわのあいだにちちにしめすかのじょのひょうじょうやよくようのうちに、)

そしてそんな会話の間に父に示す彼女の表情や抑揚のうちに、

(なにかひじょうにしょうじょらしいかがやきがよみがえるのをわたしはみとめた。)

何か非常に少女らしい輝きが蘇るのを私は認めた。

(そしてそんなかのじょのこどもらしいこうふくのようすが、)

そしてそんな彼女の子供らしい幸福の様子が、

(わたしに、わたしのしらないかのじょのしょうじょじだいのことをゆめみさせていた。)

私に、私の知らない彼女の少女時代のことを夢みさせていた。

(ちょっとのあいだ、わたしたちがふたりきりになったとき、わたしはかのじょにちかづいて、)

ちょっとの間、私達が二人きりになった時、私は彼女に近づいて、

(からかうようにみみうちした。)

からかうように耳打ちした。

(「おまえはきょうはなんだかみしらないばらいろのしょうじょみたいだよ」)

「お前は今日はなんだか見知らない薔薇色の少女みたいだよ」

(「しらないわ」かのじょはまるでこむすめのようにかおをりょうてでかくした。)

「知らないわ」彼女はまるで小娘のように顔を両手で隠した。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

ヒマヒマ マヒマヒのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード