風立ちぬ 堀辰雄 ㉔

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね1お気に入り登録1
プレイ回数965難易度(4.5) 3815打 長文
ジブリの「風立ちぬ」作成に当たり、参考とされた小説です。

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問題文

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(やっとまよなかちかくになってちちはついた。)

やっと真夜中近くになって父は着いた。

(しかしおまえはそういうちちをちらりとみながら、)

しかしお前はそういう父をちらりと見ながら、

(くちびるのまわりにふとほほえみともつかないようなものをただよわせたきりだった。)

くちびるのまわりにふと微笑ともつかないようなものを漂わせたきりだった。

(ちちはなにもいわずにそんなおまえのしょうすいしきったかおをじっとみまもっていた。)

父は何も云わずにそんなお前の憔悴し切った顔をじっと見守っていた。

(そうしてはときおりわたしのほうへいかにもふあんそうなめをむけた。)

そうしてはときおり私の方へいかにも不安そうな目を向けた。

(が、わたしはそれにはきがつかないようなふりをして、)

が、私はそれには気がつかないようなふりをして、

(ただ、おまえのほうばかりをみるともなしにみやっていた。)

唯、お前の方ばかりを見るともなしに見やっていた。

(そのうちにとつぜんおまえがなにかくちごもったようなきがしたので、)

そのうちに突然お前が何か口ごもったような気がしたので、

(わたしがおまえのかたわらによってゆくと、ほとんどきこえるかきこえないくらいのちいさなこえで、)

私がお前の傍に寄ってゆくと、殆ど聞えるか聞えない位の小さな声で、

(「あなたのかみにゆきがついているの」とおまえはわたしにむかっていった。)

「あなたの髪に雪がついているの」とお前は私に向って云った。

(いま、こうやってひとりきりでひのかたわらにうずくまりながら、)

いま、こうやって一人きりで火の傍にうずくまりながら、

(ふいとよみがえったそんなおもいでにさそわれるようにして、)

ふいと蘇ったそんな思い出に誘われるようにして、

(わたしがなんのきなしにじぶんのてをとうはつにもっていってみると、)

私が何んの気なしに自分の手を頭髪に持っていって見ると、

(それはまだぬれるともなくぬれていて、つめたかった。)

それはまだ濡れるともなく濡れていて、冷めたかった。

(わたしはそうやってみるまで、それにはすこしもきがつかずにいた。)

私はそうやって見るまで、それには少しも気がつかずにいた。

(じゅうにがついつかこのすうじつ、いいようもないほどよいてんきだ。)

十二月五日   この数日、云いようもないほどよい天気だ。

(あさのうちはべらんだいっぱいにひがさしこんでいて、)

朝のうちはべランダ一ぱいに日が射し込んでいて、

(かぜもなく、とてもあたたかだ。)

風もなく、とても温かだ。

(けさなどはとうとうそのべらんだにちいさなたくやいすをもちだして、)

けさなどはとうとうそのべランダに小さな卓や椅子を持ち出して、

(まだいちめんにゆきにうずもれたたにをまえにしながら、ちょうしょくをはじめたくらいだ。)

まだ一面に雪に埋もれた谷を前にしながら、朝食をはじめた位だ。

など

(ほんとうにこうしてひとりっきりでいるのはなんだかもったいないようだ、)

本当にこうして一人っきりでいるのはなんだか勿体ないようだ、

(とおもいながらちょうしょくにむかっているうち、)

と思いながら朝食に向っているうち、

(ひょいとすぐめのまえのかれたかんぼくのねもとへめをやると、)

ひょいとすぐ目の前の枯れた灌木の根もとへ目をやると、

(いつのまにかきじがきている。)

いつのまにか雉子が来ている。

(それもにわ、ゆきのなかにえさをあさりながら、ごそごそとあるきまわっているーー)

それも二羽、雪の中に餌をあさりながら、ごそごそと歩きまわっているーー

(「おい、きてごらん、きじがきているぞ」)

「おい、来て御覧、雉子が来ているぞ」

(わたしはあたかもおまえがこやのなかにいでもするかのようにそうぞうして、)

私はあたかもお前が小屋の中に居でもするかのように想像して、

(こえをひくめてそうひとりごちながら、じっといきをつめてそのきじをみまもっていた。)

声を低めてそう一人ごちながら、じっと息をつめてその雉子を見守っていた。

(おまえがうっかりあしおとでもたてはしまいかと、それまできづかいながらーー)

お前がうっかり足音でも立てはしまいかと、それまで気づかいながらーー

(そのとたん、どこかのこやで、やねのゆきが)

その途端、どこかの小屋で、屋根の雪が

(どおっとたにじゅうにひびきわたるようなおとをたてながらなだれおちた。)

どおっと谷じゅうに響きわたるような音を立てながらなだれ落ちた。

(わたしはおもわずどきりとしながら、まるでじぶんのあしもとからのように)

私は思わずどきりとしながら、まるで自分の足もとからのように

(にわのきじがとびたってゆくのをあっけにとられてみていた。)

二羽の雉子が飛び立ってゆくのを呆気にとられて見ていた。

(そのときほとんどどうじに、わたしはじぶんのすぐかたわらにたったまま、)

そのとき殆ど同時に、私は自分のすぐ傍に立ったまま、

(おまえがそういうときのくせで、なにもいわずに、)

お前がそういう時の癖で、何も言わずに、

(ただおおきくめをみはりながらわたしをじっとみつめているのを、)

ただ大きく目をみはりながら私をじっと見つめているのを、

(くるしいほどまざまざとかんじた。)

苦しいほどまざまざと感じた。

(ごご、わたしははじめてたにのこやをおりて、ゆきのなかにうずまったむらをひとまわりした。)

午後、私ははじめて谷の小屋を下りて、雪の中に埋まった村を一周りした。

(なつからあきにかけてしかこのむらをしっていないわたしには、)

夏から秋にかけてしかこの村を知っていない私には、

(いまいちようにゆきをかぶっているもりだの、みちだの、くぎづけになったこやだのが、)

いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、釘づけになった小屋だのが、

(どれもこれもみおぼえがありそうでいて、)

どれもこれも見覚えがありそうでいて、

(どうしてもそのいぜんのすがたをおもいだされなかった。)

どうしてもその以前の姿を思い出されなかった。

(むかし、わたしがこのんであるきまわったすいしゃのみちにそって、いつかわたしのしらないあいだに、)

昔、私が好んで歩きまわった水車の道に沿って、いつか私の知らない間に、

(ちいさなかとりっくきょうかいさえできていた。)

小さなカトリック教会さえ出来ていた。

(しかもそのうつくしいしらきづくりのきょうかいは、)

しかもその美しい素木造りの教会は、

(そのゆきをかぶったとがったやねのしたから、)

その雪をかぶった尖った屋根の下から、

(すでにもうくろずみかけたかべいたすらもみせていた。)

すでにもう黒ずみかけた壁板すらも見せていた。

(それがいっそうそのあたりいったいをわたしになにかみしらないようにおもわせだした。)

それが一層そのあたり一帯を私に何か見知らないように思わせ出した。

(それからわたしはよくおまえとつれだってあるいたことのあるもりのなかへも、)

それから私はよくお前と連れ立って歩いたことのある森の中へも、

(まだかなりふかいゆきをわけながらはいっていってみた。)

まだかなり深い雪を分けながらはいって行って見た。

(やがてわたしは、どうやらみおぼえのあるようなきのする)

やがて私は、どうやら見覚えのあるような気のする

(いっぽんのもみのきをみとめだした。)

一本のもみの木を認め出した。

(が、ようやくやっとそれにちかづいてみたら、そのもみのなかから)

が、漸やっとそれに近づいて見たら、その樅の中から

(ぎゃっとするどいとりのなきごえがした。)

ギャッと鋭い鳥の啼き声がした。

(わたしがそのまえにたちどまると、いちわの、ついぞみかけたこともないような、)

私がその前に立ち止まると、一羽の、ついぞ見かけたこともないような、

(あおみをおびたとりがちょっとおどろいたようにはばたいてとびたったが、)

青味を帯びた鳥がちょっとおどろいたようにはばたいて飛び立ったが、

(すぐほかのえだにうつったままかえってわたしにいどみでもするように、)

すぐ他の枝に移ったままかえって私に挑みでもするように、

(ふたたびぎゃっ、ぎゃっとなきたてた。)

再びギャッ、ギャッと啼き立てた。

(わたしはそのもみのきからさえ、こころならずもたちさった。)

私はその樅の木からさえ、心ならずも立ち去った。

(じゅうにがつなのかしゅうかいどうのかたわらの、ふゆがれたはやしのなかで、)

十二月七日   集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、

(わたしはとつぜんふたこえばかりかっこうのなきつづけたのをきいたようなきがした。)

私は突然二声ばかりかっこうの啼きつづけたのを聞いたような気がした。

(そのなきごえはひどくとおくでしたようにも、)

その啼き声はひどく遠くでしたようにも、

(またひどくちかくでしたようにもおもわれて、)

又ひどく近くでしたようにも思われて、

(それがわたしをそこいらのかれやぶのなかだの、かれきのうえだの、)

それが私をそこいらの枯藪の中だの、枯木の上だの、

(そらざまをみまわせさせたが、それっきりそのなきごえはきこえなかった。)

空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。

(それはやはりどうもじぶんのききちがえだったようにわたしにもおもわれてきた。)

それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。

(が、それよりもさきに、そのあたりのかれやぶだの、かれきだの、そらだのは、)

が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、

(すっかりなつのなつかしいすがたにたちかえって、わたしのうちにあざやかによみがえりだした。)

すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡に鮮かに蘇えり出した。

(けれども、そんなさんねんまえのなつの、)

けれども、そんな三年前の夏の、

(このむらでわたしのもっていたすべてのものがすでにうしなわれて、)

この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、

(いまのじぶんになにひとつのこってはいないことを、)

いまの自分に何一つ残ってはいない事を、

(わたしがほんとうにしったのもそれといっしょだった。)

私が本当に知ったのもそれと一しょだった。

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