ちいさこべ 山本周五郎 ⑪
リメイクで漫画化もされている。
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問題文
(かれらはおゆうのかおいろをびんかんによみとって、)
かれらはおゆうの顔色を敏感によみとって、
(あまえたりふざけたり、きゅうにおとなしくなったりする。)
あまえたりふざけたり、急におとなしくなったりする。
(おゆうはあまりしからないが、だまっていても、ぴりっとするものを)
おゆうはあまり叱らないが、黙っていても、ぴりっとするものを
(こどもたちにかんじさせるようであった。)
子供たちに感じさせるようであった。
(ただそのなかでひとり、きくじだけはおりつからはなれなかった。)
ただその中で一人、菊二だけはおりつからはなれなかった。
(みんながおゆうをとりまいてさわいでいても、かれはおりつのそばにいて、)
みんながおゆうを取巻いて騒いでいても、彼はおりつのそばにいて、
(なにかおりつのやくにたとうとする。)
なにかおりつの役に立とうとする。
(おりつがうるさそうにおいたてると、そばをはなれはするが、)
おりつがうるさそうに追いたてると、そばをはなれはするが、
(おりつからめをはなそうとはしないのであった。)
おりつから眼をはなそうとはしないのであった。
(わるくするとまちがいがおこるな。としげじはおもった。)
わるくすると間違いが起こるな。と茂次は思った。
(きくじはひたむきにしたっているようだ、)
菊二はひたむきに慕っているようだ、
(そのきもちをはねつけずに、いいほうへむければなんのことはない。)
その気持をはねつけずに、いいほうへ向ければなんのことはない。
(だがもしおりつが「いやらしい」というかんじをもち、)
だがもしおりつが「いやらしい」という感じをもち、
(かれをきょぜつするたいどにでれば、きくじはみずからきずつき、)
彼を拒絶する態度に出れば、菊二はみずから傷つき、
(ばあいによればやけにもなるかもしれない。)
場合によればやけにもなるかもしれない。
(むずかしいし、あぶないところだ、としげじはおもった。)
むずかしいし、危ないところだ、と茂次は思った。
(かえるときにしげじは、おゆうにむかってかごでゆけとすすめた。)
帰るときに茂次は、おゆうに向って駕籠でゆけとすすめた。
(しかしおゆうはわらってうけつけず、かんだまでいっしょにあるいてかえった。)
しかしおゆうは笑って受けつけず、神田までいっしょに歩いて帰った。
(そのよる、ふしんばのひとつがかじでやけた。)
その夜、普請場の一つが火事で焼けた。
(やけたのはにほんばしよしかわちょうの「うおまん」で、)
焼けたのは日本橋吉川町の「魚万」で、
(ほとんどふしんがおわりかかっていたのを、きれいに、やけてしまったのである。)
殆んど普請が終りかかっていたのを、きれいに、焼けてしまったのである。
(これは「だいとめ」にとっておおきないたでだった。)
これは「大留」にとって大きな痛手だった。
(りょうりぢゃやだからというだけでなく、きゃくすじとあるじまんべえのこのみとで、)
料理茶屋だからというだけでなく、客筋とあるじ万兵衛の好みとで、
(こぐちはもちろん、すべてにこうかなざいりょうがつかってあった。)
木口はもちろん、すべてに高価な材料が使ってあった。
(それがすっかりはいになった。)
それがすっかり灰になった。
(できあがってひきわたしてからならべつだが、)
出来あがって引渡してからなら別だが、
(まだこっちのてをはなれていないから、)
まだこっちの手をはなれていないから、
(そんがいは「だいとめ」がふたんしなければならない。)
損害は「大留」が負担しなければならない。
(やねや、さかん、たてぐやなどにも、)
屋根屋、左官、建具屋などにも、
(はらうものは「だいとめ」がはらわなければならないのである。)
払うものは「大留」が払わなければならないのである。
(そこのさいりょうをしていたのはふじぞうで、)
そこの宰領をしていたのは藤造で、
(しげじたちといっしょにやけあとをみまわりながら、)
茂次たちといっしょに焼け跡を見廻りながら、
(「どうしよう」と、まるでのぼせあがったようになっていた。)
「どうしよう」と、まるでのぼせあがったようになっていた。
(「もらいびでよかった」としげじはいった、)
「もらい火でよかった」と茂次は云った、
(「じかならてがうしろへまわるところだ」)
「自火なら手がうしろへまわるところだ」
(そして「うおまん」をたずねた。)
そして「魚万」を訪ねた。
(これはとおりのむこうのかりごやで、さいわいやけずにのこっていたが、)
これは通りの向うの仮小屋で、幸い焼けずに残っていたが、
(しげじはまんべえにあって、すぐさいふしんにかかるといった。)
茂次は万兵衛に会って、すぐ再普請にかかると云った。
(ふじぞうのわきにいただいろくとすけじろうは、あっというかおでしげじをみたし、)
藤造の脇にいた大六と助二郎は、あっという顔で茂次を見たし、
(まんべえもいがいだったらしく、それはちょっとむりではないか、といいかけたが、)
万兵衛も意外だったらしく、それはちょっと無理ではないか、と云いかけたが、
(しげじはだいじょうぶやると、あっさりいった。)
茂次は大丈夫やると、あっさり云った。
(「ただしひとつおねがいがあります」としげじはつづけた、)
「但し一つお願いがあります」と茂次は続けた、
(「しょうじきにいいますが、これまでていっぱいにやってきましたから、)
「正直に云いますが、これまで手いっぱいにやって来ましたから、
(ざいりょうをぎんみするゆとりがありません、)
材料を吟味するゆとりがありません、
(だいとめがたちなおったら、あらためてふしんをしなおすということにして、)
大留が立ち直ったら、改めて普請を仕直すということにして、
(おきにいらないところがあっても、こんどはめをつぶってもらいたいんです」)
お気にいらないところがあっても、こんどは眼をつぶってもらいたいんです」
(「わたしのほうはむろんそれでいいが」)
「私のほうはむろんそれでいいが」
(とまんべえはまだしんじきれないようすでいった、)
と万兵衛はまだ信じきれないようすで云った、
(「しかしほんとうにむりじゃあないのかい」)
「しかし本当にむりじゃあないのかい」
(しげじはそれにはこたえずに、「おねがいします」といった。)
茂次はそれには答えずに、「お願いします」と云った。
(うちへかえるとちゅう、だいろくたちはなにかささやきあっていたが、)
うちへ帰る途中、大六たちはなにか囁きあっていたが、
(かえるなり、さんにんで「はなしがある」ときりだした。)
帰るなり、三人で「話がある」ときりだした。
(しげじはきくまでもない、よけいなことはいうなといった。)
茂次は聞くまでもない、よけいなことは云うなと云った。
(だが、さんにんはさいふしんがふかのうなことを、かわるがわるしゅちょうした。)
だが、三人は再普請が不可能なことを、代る代る主張した。
(こっちがかさいでやられたあとであるし、うおまんでもそのじじょうはしっている。)
こっちが火災でやられたあとであるし、魚万でもその事情は知っている。
(ここはてつけのかねをかえしてあやまるほうがいい。それがじゅんとうだといった。)
ここは手付の金を返してあやまるほうがいい。それが順当だと云った。
(しげじは「おやじもそうするか」とかれらにききかえした。)
茂次は「おやじもそうするか」とかれらに訊き返した。
(「しかし」とだいろくがいった、「いまはとうりょうのだいじゃあない、)
「しかし」と大六が云った、「いまは棟梁の代じゃあない、
(とうりょうはもうなくなったひとだし、わかとうりょうはたかなわやあべかわちょうはじめ、)
棟梁はもう亡くなった人だし、若棟梁は高輪やあべ川町はじめ、
(どうぎょうのつきあいまでことわんなすった、)
同業のつきあいまで断わんなすった、
(たすけてといったらきばのわしちぐらいなもので、)
助け手といったら木場の和七ぐらいなもので、
(それでとうりょうのだいとおなじようにやってけるとおもうんですか」)
それで棟梁の代と同じようにやってけると思うんですか」
(「おれはそんなこたあいわねえ、)
「おれはそんなこたあ云わねえ、
(ただ、こういうばあいにおやじもあやまるかどうか、)
ただ、こういう場合におやじもあやまるかどうか、
(ってきいてるんだ、あやまるとおもうか」)
って訊いてるんだ、あやまると思うか」
(「そりゃ、けれどもじじょうてえものがまるでちがうから」)
「そりゃ、けれども事情てえものがまるで違うから」
(「そんならどうしてふしんをうけおった」としげじはいった、)
「そんならどうして普請を請負った」と茂次は云った、
(「かじでまるやけになりおやじもしんだ、)
「火事でまる焼けになりおやじも死んだ、
(そんななかでみっつもおおきなふしんをうけおうなんて、はじめからむりなこった、)
そんな中で三つも大きな普請を請負うなんて、初めからむりなこった、
(おれにいってくれればことわったんだ、)
おれに云ってくれれば断わったんだ、
(たかなわなりあべかわちょうなりにかたがわりをしてもらい、)
高輪なりあべ川町なりに肩替りをしてもらい、
(まずひとおちつきしてからのことにしただろう、)
まずひとおちつきしてからのことにしただろう、
(けれども、ーーるすのおめえたちはだいとめをたてなおすいっしんでうけおった、)
けれども、ーー留守のおめえたちは大留を立て直す一心で請負った、
(そのきもちがわかるからむりだとはおもったがなんにもいわなかったんだ」)
その気持がわかるからむりだとは思ったがなんにも云わなかったんだ」
(さんにんはこうべをたれた。)
三人は頭を垂れた。
(「これこれのいえをたてますとうけおったら、やくじょうどおりいえをたてて、)
「これこれの家を建てますと請負ったら、約定どおり家を建てて、
(ふしんぬしにひきわたすのがとうりょうのしごとだ」としげじはいった、)
普請ぬしに引渡すのが棟梁の仕事だ」と茂次は云った、
(「こっちがてづまりになったからといってとちゅうであやまるなんてまねは、)
「こっちが手詰りになったからといって途中であやまるなんてまねは、
(おやじはいっぺんだってやったこたあありゃあしねえ、)
おやじは一遍だってやったこたあありゃあしねえ、
(おれはまだわかぞうだがおやじのせがれだ、)
おれはまだ若ぞうだがおやじの伜だ、
(べらぼうめ、このくらいのこってねをあげてたまるか」)
べらぼうめ、このくらいのこって音をあげてたまるか」
(そしてすぐに、「ついでだからいっておこう」とちょうしをかえ、)
そしてすぐに、「ついでだから云っておこう」と調子を変え、
(たかなわやあべかわちょう、どうぎょうなかまからちょうないのぎりづきあいをことわったのは、)
高輪やあべ川町、同業なかまから町内の義理づきあいを断ったのは、
(たんにかたいじではなく、みんなのやっかいになりたくないためである、といった。)
単にかた意地ではなく、みんなの厄介になりたくないためである、と云った。