ちいさこべ 山本周五郎 ⑬
リメイクで漫画化もされている。
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問題文
(そのよるのことであるが、やぐをのべにきたおりつが、)
その夜のことであるが、夜具をのべに来たおりつが、
(ひどくつんけんしているし、かおもあおじろくこわばってみえるので、)
ひどくつんけんしているし、顔も蒼白くこわばってみえるので、
(しげじはふしんにおもい、どうしたのか、ときいた。)
茂次は不審に思い、どうしたのか、と訊いた。
(「なにがです」とおりつはたいそうなきりこうじょうでいった、)
「なにがです」とおりつはたいそうな切り口上で云った、
(「あたしがどうかしたんですか」)
「あたしがどうかしたんですか」
(しげじはかっとなり、たちあがってゆくと、)
茂次はかっとなり、立ちあがってゆくと、
(いきなりおりつにひらてうちをくれた。)
いきなりおりつに平手打ちをくれた。
(おりつのほおでたかいおとがし、しげじがいった。)
おりつの頬で高い音がし、茂次が云った。
(「なんでもねえならそんなふくれっつらをするな」)
「なんでもねえならそんなふくれっ面をするな」
(おりつはうたれたほおへてをやりながら、くちをあけてしげじをみた。)
おりつは打たれた頬へ手をやりながら、口をあけて茂次を見た。
(そのおおきくみはられためをみると、しげじはきゅうに、じぶんがなぐられでもしたような、)
その大きくみはられた眼を見ると、茂次は急に、自分が殴られでもしたような、
(びっくりしたかおになり、「わるかった」といいながらわきへそむいた。)
びっくりした顔になり、「わるかった」と云いながら脇へそむいた。
(「すまなかった、きがたってたんだ」とかれはぶきようにいった、)
「済まなかった、気が立ってたんだ」と彼はぶきように云った、
(「いろいろことがかさなっているもんだから、ーーかんべんしてくれ」)
「いろいろ事が重なっているもんだから、ーー勘弁してくれ」
(「あたしにあやまることはないわ」とおりつがふるえながらいった、)
「あたしにあやまることはないわ」とおりつがふるえながら云った、
(「あやまるんなら、ほとけさまにあやまってちょうだい」)
「あやまるんなら、仏さまにあやまってちょうだい」
(しげじはゆっくりとおりつをみた。)
茂次はゆっくりとおりつを見た。
(「ほとけに、ーーどうしろって」)
「仏に、ーーどうしろって」
(「あんたを、とうりょうをおこらせたのはあたしよ、)
「あんたを、棟梁を怒らせたのはあたしよ、
(ぶたれるのはあたりまえだからなんともおもやしないわ、でも、ーー」)
ぶたれるのはあたりまえだからなんとも思やしないわ、でも、ーー」
(おりつはまえかけでかおをおい、そこへすわりながらいった、)
おりつは前掛で顔をおおい、そこへ坐りながら云った、
(「くらさんやぎんさんのほうじをしてあげるのに、)
「倉さんや銀さんの法事をしてあげるのに、
(どうしておやかたやおかみさんをあのままにしておくんですか」)
どうして親方やおかみさんをあのままにしておくんですか」
(しげじは「そのことはいうな」といいながら、のべてあるやぐのわきへすわった。)
茂次は「そのことは云うな」と云いながら、のべてある夜具の脇へ坐った。
(「いいえいいます」とおりつはまえかけをひざのうえへおろしながらいった、)
「いいえ云います」とおりつは前掛を膝の上へおろしながら云った、
(「あなたはぶつだんにかまうなといってしめたまま、おせんこうもみずもあげないし、)
「あなたは仏壇に構うなと云って閉めたまま、お線香も水もあげないし、
(めいにちがきてもくようもしない、そんなことってありますか、)
命日が来ても供養もしない、そんなことってありますか、
(あのぶつだんのなかにあるのは、あなたのふたおやのおこつですよ、)
あの仏壇の中にあるのは、あなたのふた親のお骨ですよ、
(そうしきもださず、おてらへもあずけないんなら、せめておもりものをあげるとか、)
葬式も出さず、お寺へも預けないんなら、せめてお盛物をあげるとか、
(とうみょうやおせんこうぐらいあげるのがあたりまえじゃないの、)
燈明やお線香ぐらいあげるのがあたりまえじゃないの、
(ーーそれさえもしないでいて、)
ーーそれさえもしないでいて、
(くらさんやぎんさんのほうじをするなんてあんまりだわ、)
倉さんや銀さんの法事をするなんてあんまりだわ、
(それじゃあおとうさんやおっかさんにたいしてあんまりじゃないの」)
それじゃあお父さんやおっ母さんに対してあんまりじゃないの」
(おりつはまたまえかけでかおをおおい、かたをふるわせておえつした。)
おりつはまた前掛で顔を掩い、肩をふるわせて嗚咽した。
(しげじはこうべをたれ、しばらくおりつのすすりなくこえをきいていた。)
茂次は頭を垂れ、暫くおりつのすすり泣く声を聞いていた。
(「これだけはだまっているつもりだったが、いっちまおう」)
「これだけは黙っているつもりだったが、云っちまおう」
(とやがてしげじがひくいこえでいった、「おれがぶつだんをしめたままにしておくのは、)
とやがて茂次が低い声で云った、「おれが仏壇を閉めたままにして置くのは、
(おやじやおふくろをほとけあつかいにしたくないからだ」)
おやじやおふくろを仏あつかいにしたくないからだ」
(おりつのおえつがとまった。)
おりつの嗚咽が止った。
(「ばかげたこどもっぽいかんがえかたかもしれないが、)
「ばかげた子供っぽい考えかたかもしれないが、
(おれにはどうしても、おやじやおふくろがしんだものとはおもえない、)
おれにはどうしても、おやじやおふくろが死んだものとは思えない、
(あそこにこつつぼがふたつあるからには、しんだことにまぎれはないだろう、)
あそこに骨壺が二つあるからには、死んだことに紛れはないだろう、
(いきているとはおもわないが、ほとけになってもらいたくはないんだ、)
生きているとは思わないが、仏になってもらいたくはないんだ、
(おれがだいとめをたてなおすまで、もとのおやじとおふくろのままで、)
おれが大留を立て直すまで、元のおやじとおふくろのままで、
(あそこからおれをみていてもらいたいんだ、)
あそこからおれを見ていてもらいたいんだ、
(こんなことはせけんにはとおらないだろう、)
こんなことは世間にはとおらないだろう、
(ほとけをそまつにするといわれるだろうが、だれになんといわれてもいい、)
仏をそまつにすると云われるだろうが、誰になんと云われてもいい、
(おれはそのときがくるまで、けっしてふたりをほとけあつかいにはしないつもりだ」)
おれはそのときがくるまで、決して二人を仏あつかいにはしないつもりだ」
(おりつはうっとのどをつまらせ、けんめいになくのをこらえながら、)
おりつはうっと喉を詰らせ、けんめいに泣くのをこらえながら、
(「ごめんなさい」とよろめくようにいった。)
「ごめんなさい」とよろめくように云った。
(「よけえなことをいってごめんなさい、)
「よけえなことを云ってごめんなさい、
(あたしなんにもしらなかったもんだから」)
あたしなんにも知らなかったもんだから」
(「わかればいいんだ」としげじがさえぎった、)
「わかればいいんだ」と茂次が遮ぎった、
(「しかしこれだけはけっしてしゃべらねえでくれ」)
「しかしこれだけは決してしゃべらねえでくれ」
(「ええ」とおりつはうなずき、まえかけでめをふきながらいった、)
「ええ」とおりつは頷き、前掛で眼を拭きながら云った、
(「でも、そういうわけだったら、)
「でも、そういうわけだったら、
(なにもおじゅうじさんのわるくちをいうことはなかったじゃありませんか」)
なにもお住持さんのわるくちを云うことはなかったじゃありませんか」
(「くちのわるいのはうまれつきだ」といってしげじはおりつをみた、)
「口の悪いのは生れつきだ」と云って茂次はおりつを見た、
(「なぐったりしてわるかった、かんべんしてくれ」)
「殴ったりしてわるかった、勘弁してくれ」
(おりつはないてはれぼったくなっためでかれにほほえみ、)
おりつは泣いて腫れぼったくなった眼で彼に頬笑み、
(それからいった、「これでにどめよ」)
それから云った、「これで二度めよ」
(じゅうにがつにはいると、まずみょうじんしたのさかどいやのふしんがあがり、)
十二月にはいると、まず明神下の酒問屋の普請があがり、
(ついでいわつきちょうのほうもしあがった。)
ついで岩附町のほうも仕上った。
(そのまえにうおまんのさいふしんのはなしがつたわったためだろう、)
そのまえに魚万の再普請の話が伝わったためだろう、
(ふしんのもうしこみがつぎからつぎときたが、しげじはななけんながやいつつむねと、)
普請の申込が次から次と来たが、茂次は七軒長屋五つ棟と、
(こじまちょうのかみどんやとふたつのふしんだけうけおった。)
小島町の紙問屋と二つの普請だけ請負った。
(ながやのほうはすぐちかくのまつえだちょうで)
長屋のほうはすぐ近くの松枝町で
(「だいとめ」のしごとではないと、だいろくたちにはんたいされたが、)
「大留」の仕事ではないと、大六たちに反対されたが、
(いえがなくてこまるのはながやにすむにんげんだ、としげじははねつけた。)
家がなくて困るのは長屋に住む人間だ、と茂次ははねつけた。