ちいさこべ 山本周五郎 ⑯
リメイクで漫画化もされている。
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問題文
(あるよる、ねどこのなかへはいってから、おりつはおなじようなことをかんがえ、)
或る夜、寝床の中へはいってから、おりつは同じようなことを考え、
(あやされるような、かなしいようなきぶんにひたりながら、)
あやされるような、かなしいような気分にひたりながら、
(おゆうがよめにきたら、じぶんはこのいえをでてゆくのだ、)
おゆうが嫁に来たら、自分はこの家を出てゆくのだ、
(などときおったそうぞうでじぶんをあまやかしていたが、)
などと気負った想像で自分をあまやかしていたが、
(まもなく、ろうかにかすかなものおとがするのをきいて、)
まもなく、廊下にかすかなもの音がするのを聞いて、
(どきっとし、いきをひそめた。)
どきっとし、息をひそめた。
(じこくはじゅういちじにちかいだろう、みんなねしずまっているから、)
時刻は十一時にちかいだろう、みんな寝しずまっているから、
(ずいぶんあしおとをしのばせているらしいが、)
ずいぶん足音を忍ばせているらしいが、
(ろうかをこちらへ、だれかのあゆみよってくるのがよくわかった。)
廊下をこちらへ、誰かの歩みよって来るのがよくわかった。
(まただ、きっとまたあのこだ。おりつはじっとみみをすました。)
まただ、きっとまたあの子だ。おりつはじっと耳をすました。
(いつかしげじにいわれたことがあるので、かれにはなにもつげなかったが、)
いつか茂次に云われたことがあるので、彼にはなにも告げなかったが、
(すこしまえからときどきそんなことがある。)
少しまえからときどきそんなことがある。
(おりつがねどこへはいってしばらくすると、そっとろうかをしのんできて、)
おりつが寝床へはいって暫くすると、そっと廊下を忍んで来て、
(しょうじのそとからなかのようすをうかがっているらしい。)
障子の外から中のようすをうかがっているらしい。
(まもなくまたしのびあしでさってゆくのだが、)
まもなくまた忍び足で去ってゆくのだが、
(こどもべやのしょうじをしめるおとがきこえるので、)
子供部屋の障子を閉める音が聞えるので、
(こどもたちのだれかだということ、とすればきくじだろうとけんとうがついていた。)
子供たちの誰かだということ、とすれば菊二だろうと見当がついていた。
(いやらしい。おりつはこころのなかでつぶやきながら、)
いやらしい。おりつは心の中で呟きながら、
(このごろめだってせたけののびた、きくじのようすをおもいうかべた。)
このごろ目立って背丈の伸びた、菊二のようすを思いうかべた。
(あしおとはしょうじのそとでとまった。)
足音は障子の外で止った。
(いつものようにこちらのねいきをうかがっているのだろう。)
いつものようにこちらの寝息をうかがっているのだろう。
(おりつもじっといきをひそめた。)
おりつもじっと息をひそめた。
(するとしょうじがことりとおとをたて、ついでしずかに、)
すると障子がことりと音をたて、ついで静かに、
(きわめてしずかに、しょうじをあけるのがきこえた。)
極めて静かに、障子をあけるのが聞えた。
(おりつはぞっとそうけだった。てあしがしぜんとちぢまり、こきゅうがのどにつまった。)
おりつはぞっと総毛立った。手足がしぜんとちぢまり、呼吸が喉に詰った。
(しょうじをあけた、どうするきだろう。)
障子をあけた、どうする気だろう。
(おりつはぎゅっとめをつむった。)
おりつはぎゅっと眼をつむった。
(ふあんというよりもほとんどきょうふのために、ぜんしんがこわばり、)
不安というよりも殆んど恐怖のために、全身が硬ばり、
(そして、こわばったままでふるえだした。)
そして、硬ばったままでふるえだした。
(そのときささやくこえがきこえた。)
そのとき囁く声が聞えた。
(かすれた、ひくいのどごえで、けれどもきんちょうのためするどくなっているおりつのみみに、)
かすれた、低い喉声で、けれども緊張のためするどくなっているおりつの耳に、
(はっきりときこえた。)
はっきりと聞えた。
(「おっかさん」とそのこえがささやいた、「おやすみなさい」)
「おっ母さん」とその声が囁いた、「おやすみなさい」
(そうしてまたごくしずかに、そろそろとしょうじがしまり、)
そうしてまたごく静かに、そろそろと障子が閉り、
(しのびあしのおとがろうかをゆっくりとさっていった。)
忍び足の音が廊下をゆっくりと去っていった。
(おりつはもうそのあしおともこどもべやのしょうじのおともきこうとはしなかった。)
おりつはもうその足音も子供部屋の障子の音も聞こうとはしなかった。
(かのじょはおおきくめをみはり、)
彼女は大きく眼をみはり、
(あんどんをくらくしてあるへやのひとところをみまもったまま、)
行燈を暗くしてある部屋のひとところを見まもったまま、
(かなりながいあいだみうごきもしずにいた。)
かなり長いあいだ身動きもしずにいた。
(そのうちに、おおきくみはっためからなみだがあふれだし、)
そのうちに、大きくみはった眼から涙があふれだし、
(のどへおえつがこみあげてきた。)
喉へ嗚咽がこみあげてきた。
(おりつはすすりなきをしながらおき、あんどんにかけてあったはんてんをとると、)
おりつはすすり泣きをしながら起き、行燈に掛けてあった半纒を取ると、
(ねまきのうえからひっかけてろうかへでた。)
寝衣の上からひっかけて廊下へ出た。
(おりつはしのびあしでろうかをゆき、しげじのへやへはいった。)
おりつは忍び足で廊下をゆき、茂次の部屋へはいった。
(そして、そこへすわって、りょうてでかおをおおってすすりないた。)
そして、そこへ坐って、両手で顔を掩って啜り泣いた。
(しげじはめをさましていた。おりつのはいってきたときにめをさまし、)
茂次は眼をさましていた。おりつのはいって来たときに眼をさまし、
(ふしんにおもいながら、そっとようすをみていた。)
不審に思いながら、そっとようすをみていた。
(しかしおりつがないているのをきいて、)
しかしおりつが泣いているのを聞いて、
(ねたままで、「なんだ」とよびかけた。)
寝たままで、「なんだ」と呼びかけた。
(「あたし」とおりつがささやいた、「あしたおひまをもらいます」)
「あたし」とおりつが囁いた、「明日おひまをもらいます」
(しげじはおきなおった、「なんだって」)
茂次は起き直った、「なんだって」
(「あたしがこどもをそだてるなんてまちがいです、)
「あたしが子供を育てるなんて間違いです、
(あたしはがくもんもないばかだし、それに」とおりつはのどをつまらせていった、)
あたしは学問もないばかだし、それに」とおりつは喉を詰らせて云った、
(「それに、こころもいやしいいやなおんななんです」)
「それに、心も卑しいいやな女なんです」
(「ちょっとまて」としげじがさえぎった、「こんなよるのよなかにやってきて、)
「ちょっと待て」と茂次が遮った、「こんなよるの夜中にやって来て、
(いきなりそんなことをいわれたってわけがわからねえ、)
いきなりそんなことを云われたってわけがわからねえ、
(いったいどうしたっていうんだ」)
いったいどうしたっていうんだ」
(おりつはいまのできごとをはなした。)
おりつはいまの出来事を話した。