ちいさこべ 山本周五郎 ⑰(終)

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね2お気に入り登録
プレイ回数1045難易度(4.2) 3800打 長文
大火にあった若棟梁の茂次と、手伝いのりつ、親の無い子達の話。
宝塚歌劇団による舞台化・NHKによるドラマ化も行われた。
リメイクで漫画化もされている。

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問題文

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(おえつにさまたげられて、とぎれたりいいそこなったりしたが、)

嗚咽にさまたげられて、途切れたり云いそこなったりしたが、

(あったことをしょうじきにはなし、いつかしげじにいわれたとおり、)

あったことを正直に話し、いつか茂次に云われたとおり、

(「みだらなのはじぶんのほうだ」ということにきがついたといった。)

「みだらなのは自分のほうだ」ということに気がついたと云った。

(「あのこがいつもあたしにつきまとって、)

「あの子がいつもあたしにつきまとって、

(いつもなにかようをしたがったり、じっとみつめたりしていたのは、)

いつもなにか用をしたがったり、じっとみつめたりしていたのは、

(あたしをじぶんのおっかさんだとおもいたかったのよ」)

あたしを自分のおっ母さんだと思いたかったのよ」

(といっておりつはまたすすりないた、)

と云っておりつはまた啜り泣いた、

(「それをただいやらしいとおもうばかりで、)

「それをただいやらしいと思うばかりで、

(きょうまでそうときがつかなかったのはなさけないわ、)

今日までそうと気がつかなかったのはなさけないわ、

(こんなことでこどもたちがそだてられるどうりがないわ」)

こんなことで子供たちが育てられる道理がないわ」

(「ちょっとまて」としげじがいった、「まあおれのいうことをきけ」)

「ちょっと待て」と茂次が云った、「まあおれの云うことを聞け」

(かれはたちあがり、おりつのまえへきてすわった。)

彼は立ちあがり、おりつの前へ来て坐った。

(「そうじぶんばかりせめるな、おまえはまだむすめなんだ、)

「そう自分ばかり責めるな、おまえはまだ娘なんだ、

(みだらなきもちがあるなしにかかわらず、)

みだらな気持があるなしにかかわらず、

(ささいなことにもじぶんのみをまもろうとするのは、)

些細なことにも自分の身をまもろうとするのは、

(むすめとしてとうぜんなことじゃないか、とうぜんなことだろうとおれはおもう」)

娘として当然なことじゃないか、当然なことだろうとおれは思う」

(としげじはいった、「だから、こんなときにいうのはおかしいが、)

と茂次は云った、「だから、こんなときに云うのはおかしいが、

(おまえがていしゅをもち、このおやになれば、そういうおもいちがいも、しなくなり、)

おまえが亭主を持ち、子の親になれば、そういう思いちがいも、しなくなり、

(こどもたちともうまくゆくんじゃあないだろうか」)

子供たちともうまくゆくんじゃあないだろうか」

(おりつはしげじをみた。)

おりつは茂次を見た。

など

(「こんなときにいいだすのはおかしいが」としげじはおなじことをくりかえし、)

「こんなときに云いだすのはおかしいが」と茂次は同じことをくり返し、

(ひどくぶきようにいった、「いや、こういうはなしがでたからいうんだ、)

ひどくぶきように云った、「いや、こういう話が出たから云うんだ、

(おまえはどうおもってるかわからねえが、おれは、)

おまえはどう思ってるかわからねえが、おれは、

(おまえにこのうちをやっていってもらいたいんだ」)

おまえにこのうちをやっていってもらいたいんだ」

(おりつは「あ」というふうにくちをあけた。)

おりつは「あ」というふうに口をあけた。

(こえはださなかったが、くちをあけて、あっけにとられたようにしげじをみた。)

声は出さなかったが、口をあけて、あっけにとられたように茂次を見た。

(「いやか」しげじはおこったようにいった、「こどもたちにもそのほうがいいし、)

「いやか」茂次は怒ったように云った、「子供たちにもそのほうがいいし、

(おれはおまえといっしょになりたいんだ、ずっとまえから、)

おれはおまえといっしょになりたいんだ、ずっとまえから、

(いついいだそうかとまよっていたんだが、おまえはいやか」)

いつ云いだそうかと迷っていたんだが、おまえはいやか」

(おりつのかおがゆがんだ。かのじょはなみだのたまっためでかれをみつめながら、)

おりつの顔が歪んだ。彼女は涙の溜まった眼で彼をみつめながら、

(「とうりょうにはりそくがついてるじゃないの」といった。)

「棟梁には利息がついてるじゃないの」と云った。

(「りそくだって」としげじはききかえした、「りそくとはなんのことだ」)

「利息だって」と茂次は訊き返した、「利息とはなんのことだ」

(「ごめんなさい、くちがすべっちゃったのよ」とおりつはろうばいしていった、)

「ごめんなさい、口がすべっちゃったのよ」とおりつは狼狽して云った、

(「そういうふうにきいたし、みんなもしってることだし、)

「そういうふうに聞いたし、みんなも知ってることだし、

(とうりょうだってそのつもりで」)

棟梁だってそのつもりで」

(「いや」としげじはくびをふってさえぎった、)

「いや」と茂次は首を振って遮った、

(「はっきりいってくれ、りそくとはどういうこった」)

「はっきり云ってくれ、利息とはどういうこった」

(おりつがこたえた、「おゆうさんよ」)

おりつが答えた、「おゆうさんよ」

(「おゆうーー」としげじはけげんそうなめでおりつをみた。)

「おゆうーー」と茂次はけげんそうな眼でおりつを見た。

(おりつはいった。このきんじょではまえから、)

おりつは云った。この近所ではまえから、

(しげじとおゆうがふうふになるものときめていたようだ。)

茂次とおゆうが夫婦になるものときめていたようだ。

(じぶんもそうおもっていたが、じゅうにがつにでいりのこめやがはなすのをきいた。)

自分もそう思っていたが、十二月に出入りの米屋が話すのを聞いた。

(「うおまん」のさいふしんにあたって、しげじがかねをかりたとき、)

「魚万」の再普請に当って、茂次が金を借りたとき、

(ふくだやのきゅうべえがこのかねにはりそくがつくといった。)

福田屋の久兵衛がこの金には利息が付くと云った。

(それはきんりのことではなく、おゆうをよめにやるということ、)

それは金利のことではなく、おゆうを嫁にやるということ、

(つまり「おゆうがつく」といういみで、)

つまり「おゆうが付く」という意味で、

(ことしのあきあたりはそういうはこびになるだろう、)

今年の秋あたりはそういうはこびになるだろう、

(というようにきいた、とおりつはいった。)

というように聞いた、とおりつは云った。

(しげじはからだのどこかにいたみでもおこったようなかおつきで、)

茂次は躯のどこかに痛みでも起こったような顔つきで、

(じっとおりつのめをみつめた。)

じっとおりつの眼をみつめた。

(おりつはじぶんがへまなことをいったとでもかんじたのだろう、)

おりつは自分がへまなことを云ったとでも感じたのだろう、

(しりごみをするようなちょうしで、)

しりごみをするような調子で、

(「こんなことをいってわるかったかしら」といった。)

「こんなことを云って悪かったかしら」と云った。

(「ばかなやつだ」としげじはしずかにくびをふった、)

「ばかなやつだ」と茂次は静かに首を振った、

(「おれがふくだやでかねをかりたことはじじつだ、)

「おれが福田屋で金を借りたことは事実だ、

(そのときりそくがつくよとことわられたのもじじつだ、)

そのとき利息が付くよと断わられたのも事実だ、

(しかしりそくというものはかりたかねにたいしてこっちではらうもんだぜ、)

しかし利息というものは借りた金に対してこっちで払うもんだぜ、

(かねをかしたうえにむすめをりそくにつけるなんて、ばかなはなしがあってたまるか」)

金を貸したうえに娘を利息につけるなんて、ばかな話があってたまるか」

(「でもそこを、ふくだやさんがしゃれて」といいかけたが、)

「でもそこを、福田屋さんが洒落て」と云いかけたが、

(おりつはしげじのかおいろをみて、あわててくちをつぐんだ。)

おりつは茂次の顔色を見て、慌てて口をつぐんだ。

(「おい、よくきけ」としげじがゆっくりといった、)

「おい、よく聞け」と茂次がゆっくりと云った、

(「おれはうちのかんばんをしちにおいてかねをかりた、)

「おれはうちの看板を質において金を借りた、

(ふくだやはしちやだから、かえすときにはかねにりそくをつける、)

福田屋は質屋だから、返すときには金に利息をつける、

(これいじょうはっきりしたことがあるか、)

これ以上はっきりしたことがあるか、

(また、おゆうさんがかたわとかばかとかいうんならともかく、)

また、おゆうさんが片輪とかばかとかいうんならともかく、

(そうでもねえのにふくだやがそんなてのこんだまねを)

そうでもねえのに福田屋がそんな手の混んだまねを

(するわけがねえじゃねえか、そうだろう」)

するわけがねえじゃねえか、そうだろう」

(「だってとうりょうはあのひとのことすきなんでしょ」)

「だって棟梁はあのひとのこと好きなんでしょ」

(「すきだよ」としげじはうなずいた。)

「好きだよ」と茂次は頷いた。

(「あのひとだってとうりょうがすきなのよ」)

「あのひとだって棟梁が好きなのよ」

(「おい、よくきけ」としげじはまたいった、)

「おい、よく聞け」と茂次はまた云った、

(「おれはおゆうさんがすきだ、けれどもにょうぼうにするのと、)

「おれはおゆうさんが好きだ、けれども女房にするのと、

(すきだということはべつだ、それとも、ええめんどうくせえ」)

好きだということはべつだ、それとも、ええ面倒くせえ」

(かれはじれったそうにたちあがり、やぐのうえへいってあおむけにねころんだ、)

彼はじれったそうに立ちあがり、夜具の上へいって仰向けに寝ころんだ、

(「もういいからいってねちまえ」)

「もういいからいって寝ちまえ」

(おりつはだまって、うなだれたまますわっていた。)

おりつは黙って、うなだれたまま坐っていた。

(そして、かなりたってから、ひくいやわらかなこえでささやいた。)

そして、かなり経ってから、低いやわらかな声で囁いた。

(「あたしねえ、かなならもうすっかりよめるし、かくこともできるのよ」)

「あたしねえ、仮名ならもうすっかり読めるし、書くこともできるのよ」

(しげじはなにもいわなかった。)

茂次はなにも云わなかった。

(おりつはなおしばらくすわっていたが、やがてそっとたちあがると、)

おりつはなお暫く坐っていたが、やがてそっと立ちあがると、

(かりのぶつだんのまえへゆき、がっしょうしあたまをたれた。)

仮の仏壇の前へゆき、合掌し頭を垂れた。

(しげじがうすめをあけてみていると、おりつはぶつだんにむかっておじぎをし、)

茂次がうす眼をあけて見ていると、おりつは仏壇に向っておじぎをし、

(くちのなかでなにかささやきかけていた。)

口の中でなにか囁きかけていた。

(しげじにはおねがいしますということばだけがきこえた。)

茂次にはお願いしますという言葉だけが聞えた。

(そうして、おりつはしのびあしででていった。)

そうして、おりつは忍び足で出ていった。

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