数の子は音を食うもの 北大路魯山人
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問題文
(おしょうがつになると、たいがいのひとはかずのこをくう。)
お正月になると、大概の人は数の子を食う。
(わたしはしょうがつでなくても、こうぶつとして、ふだんでもよろこんでくっている。)
私は正月でなくても、好物として、ふだんでもよろこんで食っている。
(なかなかうまいものだ。)
なかなか美味いものだ。
(さて、どんなあじがあるかといわれてもちょっとこまるが、とにかくうまい。)
さて、どんな味があるかと言われてもちょっと困るが、とにかく美味い。
(しかし、かんがえてみると、かずのこをはのうえにのせてぱちぱちぷつぷつとかむ、)
しかし、考えてみると、数の子を歯の上に載せてパチパチプツプツと噛む、
(あのおとのひびきがよい。)
あの音の響きがよい。
(もしかずのこからこのおとのひびきをとりのけたら、とうていあのびみはなかろう。)
もし数の子からこの音の響きを取り除けたら、到底あの美味はなかろう。
(おとがあじをたすけるとか、おんきょうがあじのおもきをなしているものには、)
音が味を助けるとか、音響が味の重きをなしているものには、
(さかなのたまごなどのほかに、くらげ、きくらげ、かきもち、せんべい、たくあんなど。)
魚の卵などのほかに、海月、木耳、かき餅、煎餅、沢庵など。
(そのほか、おとのひびきがあるためにうまいというものをかぞえあげたらきりがない。)
そのほか、音の響きがあるために美味いというものを数え上げたら切りがない。
(もともとたべものは、したのうえのあじわいばかりでうまいとしているのではない。)
もともとたべものは、舌の上の味わいばかりで美味いとしているのではない。
(しゃきしゃきしてうまいもの、ぐみぐみしていることがよいもの、)
シャキシャキして美味いもの、グミグミしていることが佳いもの、
(ねちねちしてよいもの、かりかりしてぜんなるもの、ぐにゃぐにゃしてうまいもの、)
ネチネチして良いもの、カリカリして善なるもの、グニャグニャして旨いもの、
(もちもちまたぼくぼくしてかなるもの、ざらざらしていてうまいもの、)
モチモチまたボクボクして可なるもの、ザラザラしていて旨いもの、
(ねばねばするのがよいもの、しゃりしゃりしてうまいもの、)
ネバネバするのが良いもの、シャリシャリして美味いもの、
(こりこりしたもの、だんりょくがあってうまいもの、)
コリコリしたもの、弾力があって美味いもの、
(だんりょくのないためにうまいもの、やわらかくてよいものわるいもの、)
弾力のないためにうまいもの、柔らかくて善いもの悪いもの、
(かたくてよいものわるいもの・・・ざっとかんがえても、いじょうのように)
硬くて可いもの悪いもの・・・ざっと考えても、以上のように
(しょっかくがたべもののうまさまずさのだいぶぶんをしはいしているものである。)
触覚がたべものの美味さ不味さの大部分を支配しているものである。
(そういういみにおいて、かずのこも)
そういう意味において、数の子も
(こうちゅうにぎょらんのだんがんのようにさくれつするこうきょうがくによって、)
口中に魚卵の弾丸のように炸裂する交響楽によって、
(かずのこのしんみをはっきしているのである。)
数の子の真味を発揮しているのである。
(それゆえ、はのわるいひとには、これほどつまらないものはないだろう。)
それゆえ、歯のわるい人には、これほどつまらないものはないだろう。
(かずのこはほかのさかなとちがい、おやにしんのたいちゅうにいるときから、)
数の子は他の魚とちがい、親にしんの胎中にいる時から、
(かんぶつをみずでもどしたものとほぼおなじかたさをもっていて、)
乾物を水でもどしたものとほぼ同じ硬さをもっていて、
(なまでたべてもぱりぱりおとをはっするものである。)
生で食べてもパリパリ音を発するものである。
(このごろはれいぞうのおかげでなまのかずのこや、)
このごろは冷蔵のおかげで生の数の子や、
(なまをしおづけしたものがとかいにきてしょうみされ、)
生を塩漬けしたものが都会にきて賞美され、
(りょうりやなぞは、みためがうつくしいところから、)
料理屋なぞは、見た目が美しいところから、
(これをもちいているが、あじほんいのうまさからいうと、)
これを用いているが、味本位の美味さからいうと、
(いったんひものにしたものをみずでもどしてやわらかくして、)
一旦干ものにしたものを水でもどしてやわらかくして、
(むかしからのしきたりどおりのかずのこにしてたべるほうがうまい。)
昔からの仕来り通りの数の子にして食べるほうが美味い。
(ほしたものをみずでもどしたほうがもとのなまよりうまいというようなものは、)
干したものを水でもどしたほうが元の生より美味いというようなものは、
(なまことか、ふかのひれ、あるしゅのきのこるいなどにそのれいをみるが、)
海鼠とか、ふかのひれ、ある種のきのこ類などにその例を見るが、
(あまりおおくあるれいではない。)
あまり多くある例ではない。
(かずのこのおやざかな、すなわちにしんからしてそうであって、)
数の子の親魚、すなわちにしんからしてそうであって、
(にしんのなまはにてもやいてもさほどうまくないが、)
にしんの生は煮ても焼いてもさほど美味くないが、
(これをいったんよつざきにしたのをかんぶつにし、)
これを一旦四つ裂きにしたのを乾物にし、
(それをまたみずでもどしてやわらかくし、)
それをまた水でもどしてやわらかくし、
(そのうえ、りょうりしたものはりっぱにびしょくとしてとりあつかいえるちからをもっている。)
その上、料理したものは立派に美食として取扱い得る力をもっている。
(にしん、ぼうだらなぞというものは、)
にしん、棒だらなぞというものは、
(りょうりがまずいとかんしんしないものであるが、りょうりがてきとうにあんばいされると、)
料理が不味いと感心しないものであるが、料理が適当に塩梅されると、
(どうどうとびしょくかをよろこばすだけのとくしゅのうまさをもっている。)
堂々と美食家をよろこばすだけの特殊の美味さをもっている。
(にしんやぼうだらをびみとしてくわないようなびしょくかがあるとしたら、)
にしんや棒だらを美味として食わないような美食家があるとしたら、
(それはにせものである。)
それはにせものである。
(かずのこをくうのにほかのあじをしみこませることはきんもつだ。)
数の子を食うのに他の味を滲み込ませることは禁物だ。
(だからみそづけやかすづけは、)
だから味噌漬けや粕漬けは、
(ほんとうにかずのこのうまさをしるものはけっしてよろこばない。)
ほんとうに数の子の美味さを知る者は決してよろこばない。
(しょうゆにつけこんでおくこともきんもつだ。)
醤油に漬け込んでおくことも禁物だ。
(みずにもどしてやわらかくなったものをよくあらい、)
水にもどしてやわらかくなったものをよく洗い、
(てきとうのおおきさにゆびさきでほぐし、はながつおかまたはこながつおのよいものを、)
適当の大きさに指先でほぐし、花がつおかまたは粉がつおのよいものを、
(すこしよけいめにかけて、そのうえにしょうゆをかけ、)
少し余計目にかけて、その上に醤油をかけ、
(しょうゆがあまりたまごのなかにしみこまないうちにくうのが、)
醤油があまり卵の中に滲み込まないうちに食うのが、
(かずのこをうまくくういちばんのほうほうである。)
数の子を美味く食う一番の方法である。
(しかも、これがざいらい、せけんでふつうにおこなわれているほうほうである。)
しかも、これが在来、世間でふつうに行われている方法である。
(これいがい、かわったりょうりをしてみても、ただめさきがかわっているというだけで、)
これ以外、変った料理をしてみても、ただ目先が変っているというだけで、
(みかくに、これがうまいというようなものにでくわさない。)
味覚に、これが美味いというようなものに出くわさない。
(なままたはしおづけのかずのこは、ほうちょうでななめにうすくきったものを、)
生または塩漬けの数の子は、庖丁で斜めに薄く切ったものを、
(あますにしばらくつけておいてもよいが、)
甘酢にしばらく漬けておいてもよいが、
(いや、そのほうがよいようでもあるが、)
いや、そのほうがよいようでもあるが、
(ほしかずのこは、ほうちょうできると、どうもおもしろくないし、うまくもない。)
干し数の子は、庖丁で切ると、どうも面白くないし、美味くもない。
(これはやはりゆびさきでほぐしたものにかぎるようだ。)
これはやはり指先でほぐしたものにかぎるようだ。
(かずのこには、こうちゅうでぱりぱりさくれつせず、かたのごときおとのひびきをはっせず、)
数の子には、口中でパリパリ炸裂せず、型の如き音の響きを発せず、
(にちゃにちゃして、すこししぶみのあるようなものがあるが、)
ニチャニチャして、少し渋味のあるようなものがあるが、
(それはたまごがたいちゅうにおいてせいじゅくしていないのである。)
それは卵が胎中において成熟していないのである。
(いわばりんげつまぎわのものでなくて、にんしんごかげつろっかげつていどのみじゅくなものである。)
言わば臨月間際のものでなくて、妊娠五カ月六カ月程度の未熟なものである。
(このようなせいじゅくしないものは、いかにかずのこといえども、まずいものである。)
このような成熟しないものは、いかに数の子といえども、不味いものである。
((しょうわごねん))
(昭和五年)