野菊の墓 伊藤左千夫 ②

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。
瞽女(ごぜ)は、三味線をたずさえ村々を回っていた盲目の女性旅芸人。

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問題文

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(むらのあるうちさごぜがとまったからききにゆかないか、)

村の或家さ瞽女がとまったから聴きにゆかないか、

(さいもんがきたからききにいこうのときんじょのおんなどもがさそうても、)

祭文がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、

(たみこはなんとかことわりをいうてけっしてうちをでない。)

民子は何とか断りを云うて決して家を出ない。

(となりむらのまつりではなびやかざりものがあるからとのことで、)

隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、

(れいのむこうのおはまやとなりのおせんらがおおさわぎしてみにゆくというに、)

例の向うのお浜や隣のお仙等が大騒ぎして見にゆくというに、

(うちのものらまでたみさんもいっしょにいってみてきたらというても、)

内のものらまで民さんも一所に行って見てきたらと云うても、

(たみこはははのびょうきをいいまえにしていかない。)

民子は母の病気を言い前にして行かない。

(ぼくもあまりそんなところへでるはいやであったからうちにいる。)

僕も余りそんな所へ出るは嫌であったから家に居る。

(たみこはこそこそとぼくのところへはいってきて、)

民子はこそこそと僕の所へ這入ってきて、

(こごえで、わたしはうちにいるのがいちばんおもしろいわといってにっこりわらう。)

小声で、私は内に居るのが一番面白いわと云ってニッコリ笑う。

(ぼくもなんとなしたみこをばそんなところへやりたくなかった。)

僕も何となし民子をばそんな所へやりたくなかった。

(ぼくがみっかおきよっかおきにははのくすりをとりにまつどへゆく。)

僕が三日置き四日置きに母の薬を取りに松戸へゆく。

(どうかするとかえりがおそくなる。)

どうかすると帰りが晩くなる。

(たみこはさんどもよんどもうらざかのうえまででてわたしのほうをみていたそうで、)

民子は三度も四度も裏坂の上まで出て渡しの方を見ていたそうで、

(いつでもうちじゅうのものにひやかされる。)

いつでも家中のものに冷かされる。

(たみこはまじめになって、おかあさんがしんぱいして、)

民子は真面目になって、お母さんが心配して、

(みておいでみておいでというからだといいわけをする。)

見てお出で見てお出でというからだと云い訣をする。

(うちのものはみなひそひそわらっているとのはなしであった。)

家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。

(そういうしだいだから、さくおんなのおますなどは、)

そういう次第だから、作おんなのお増などは、

(むしょうとたみこをこづらにくがって、なにかというと、)

むしょうと民子を小面憎がって、何かというと、

など

(「たみこさんはまさおさんとこへばかりいきたがる、)

「民子さんは政夫さんとこへ許り行きたがる、

(ひまさえあればまさおさんにこびりついている」)

隙さえあれば政夫さんにこびりついている」

(などとしきりにいいはやしたらしく、)

などと頻りに云いはやしたらしく、

(となりのおせんやむこうのおはまらまでかれこれうわさをする。)

隣のお仙や向うのお浜等までかれこれ噂をする。

(これをきいてかあによめがははにちゅういしたらしく、)

これを聞いてか嫂が母に注意したらしく、

(あるひはははつねになくむずかしいかおをして、)

或日母は常になくむずかしい顔をして、

(ふたりをまくらもとへよびつけいみありげなこごとをいうた。)

二人を枕もとへ呼びつけ意味有り気な小言を云うた。

(「おとこもおんなもじゅうごろくになればもはやこどもではない。)

「男も女も十五六になればもはや児供ではない。

(おまえらふたりがあまりなかがよすぎるとてひとがかれこれいうそうじゃ。)

お前等二人が余り仲が好過ぎるとて人がかれこれ云うそうじゃ。

(きをつけなくてはいけない。たみこがとしかさのくせによくない。)

気をつけなくてはいけない。民子が年かさの癖によくない。

(これからはもうけっしてまさのところへなどいくことはならぬ。)

これからはもう決して政の所へなど行くことはならぬ。

(わがこをゆるすではないがまさはいまだこどもだ。)

吾子を許すではないが政は未だ児供だ。

(たみやはじゅうしちではないか。つまらぬうわさをされるとおまえのからだにきずがつく。)

民やは十七ではないか。つまらぬ噂をされるとお前の体に疵がつく。

(まさおだってきをつけろ。らいげつからちばのちゅうがくへいくんじゃないか」)

政夫だって気をつけろ。来月から千葉の中学へ行くんじゃないか」

(たみこはとしがおおいしかつはいみあって)

民子は年が多いし且つは意味あって

(ぼくのところへゆくであろうとおもわれたときがついたか、)

僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、

(ひじょうにはじいったようすに、かおまっかにしてうつむいている。)

非常に愧入った様子に、顔真赤にして俯向いている。

(つねはははにすこしくらいこごといわれてもずいぶんだだをいうのだけれど、)

常は母に少し位小言云われても随分だだをいうのだけれど、

(このひはただりょうてをついてうつむいたきりひとこともいわない。)

この日はただ両手をついて俯向いたきり一言もいわない。

(なんのやましいところのないぼくはすこぶるふへいで、)

何のやましい所のない僕は頗る不平で、

(「おかあさん、そりゃあまりごむりです。)

「お母さん、そりゃ余り御無理です。

(ひとがなんといったって、わたしらはなんのわけもないのに、)

人が何と云ったって、私等は何の訣もないのに、

(なにかたいへんわるいことでもしたようなおこごとじゃありませんか。)

何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。

(おかあさんだっていつもそういってたじゃありませんか。)

お母さんだっていつもそう云ってたじゃありませんか。

(たみことおまえとはきょうだいもおなじだ、)

民子とお前とは兄弟も同じだ、

(おかあさんのめからはおまえもたみこもすこしもへだてはない、)

お母さんの眼からはお前も民子も少しも隔てはない、

(なかよくしろよといつでもいったじゃありませんか」)

仲よくしろよといつでも云ったじゃありませんか」

(ははのしんぱいもどうりのあることだが、)

母の心配も道理のあることだが、

(ぼくらもそんないやらしいことをいわれようとはすこしもおもっていなかったから、)

僕等もそんないやらしいことを云われようとは少しも思って居なかったから、

(ぼくのふへいもいくらかのことわりはある。)

僕の不平もいくらかの理はある。

(はははにわかにやさしくなって、)

母は俄にやさしくなって、

(「おまえたちになんのわけもないことはおかあさんもしっているがね、)

「お前達に何の訣もないことはお母さんも知ってるがネ、

(ひとのくちがうるさいから、ただこれからすこしきをつけてというのです」)

人の口がうるさいから、ただこれから少し気をつけてと云うのです」

(いろあおざめたははのかおにもいつしかぼくらをしんからかわいがるえみがたたえている。)

色青ざめた母の顔にもいつしか僕等を真から可愛がる笑みが湛えて居る。

(やがて、「たみやはあのまたくすりをもってきて、)

やがて、「民やはあのまた薬を持ってきて、

(それからぬいかけのあわせをきょうじゅうにしあげてしまいなさい。)

それから縫掛けの袷を今日中に仕上げてしまいなさい。

(まさはたったついでにはなをきってぶつだんへあげてください。)

政は立ったついでに花を剪って仏壇へ捧げて下さい。

(きくはまださかないか、そんならしおんでもきってくれよ」)

菊はまだ咲かないか、そんなら紫苑でも切ってくれよ」

(ほんにんたちはなんのきなしであるのに、)

本人達は何の気なしであるのに、

(ひとがかれこれいうのでかえってむじゃきでいられないようにしてしまう。)

人がかれこれ云うのでかえって無邪気でいられない様にしてしまう。

(ぼくはははのこごともいちにちしかおぼえていない。)

僕は母の小言も一日しか覚えていない。

(にさんにちたってたみさんはなぜちかごろはこないのかしらんとおもったくらいであったけれど、)

二三日たって民さんはなぜ近頃は来ないのか知らんと思った位であったけれど、

(たみこのほうでは、それからというものはようすがからっとかわってしもうた。)

民子の方では、それからというものは様子がからっと変ってしもうた。

(たみこはそのごぼくのところへはいっさいかおだししないばかりでなく、)

民子はその後僕の所へは一切顔出ししないばかりでなく、

(ざしきのうちでいきあっても、ひとのいるまえなどではよういにものもいわない。)

座敷の内で行逢っても、人のいる前などでは容易に物も云わない。

(なんとなくきまりわるそうに、)

何となく極りわるそうに、

(まぶしいようなふうでいそいでとおりすぎてしまう。)

まぶしい様な風で急いで通り過ぎて終う。

(よんどころなくものをいうにも、)

拠処なく物を云うにも、

(いままでのぶえんりょにへだてのないふうはなく、)

今までの無遠慮に隔てのない風はなく、

(いやにていねいにあらたまってくちをきくのである。)

いやに丁寧に改まって口をきくのである。

(ときにはぼくがあまりにわかにあらたまったのをおかしがってわらえば、)

時には僕が余り俄に改まったのを可笑がって笑えば、

(たみこもついにはそででわらいをかくしてにげてしまうというふうで、)

民子も遂には袖で笑いを隠して逃げてしまうという風で、

(とにかくひとえのがきがふたりのあいだにむすばれたようなきあいになった。)

とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気合になった。

(それでもあるひのよじすぎに、)

それでも或日の四時過ぎに、

(ははのいいつけでぼくがせどのなすばたけになすをもいでいると、)

母の云いつけで僕が背戸の茄子畑に茄子をもいで居ると、

(いつのまにかたみこがざるをてにもって、ぼくのうしろにきていた。)

いつのまにか民子が笊を手に持って、僕の後にきていた。

(「まさおさん・・・」)

「政夫さん・・・」

(だしぬけによんでわらっている。)

出し抜けに呼んで笑っている。

(「わたしもおかあさんからいいつかってきたのよ。)

「私もお母さんから云いつかって来たのよ。

(きょうのぬいものはかたがこったろう、すこしやすみながらなすをもいできてくれ。)

今日の縫物は肩が凝ったろう、少し休みながら茄子をもいできてくれ。

(あしたこうじづけをつけるからって、)

明日麹漬をつけるからって、

(おかあさんがそういうから、わたしとんできました」)

お母さんがそう云うから、私飛んできました」

(たみこはひじょうにうれしそうにげんきいっぱいで、ぼくが、)

民子は非常に嬉しそうに元気一パイで、僕が、

(「それではぼくがさきにきているのをたみさんはしらないできたの」というとたみこは、)

「それでは僕が先にきているのを民さんは知らないで来たの」と云うと民子は、

(「しらなくてさ」にこにこしながらなすをとりはじめる。)

「知らなくてサ」にこにこしながら茄子を採り始める。

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