野菊の墓 伊藤左千夫 ⑥

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。

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問題文

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(しばらくはだまっていたけれど、いつまではなしもしないでいるは)

しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるは

(なおおかしいようにおもって、むりとはなしをかんがえだす。)

なおおかしい様に思って、無理と話を考え出す。

(「たみさんはさっきなにをかんがえてあんなにわきみもしないであるいていたの」)

「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」

(「わたしなにもかんがえていやしません」)

「わたし何も考えていやしません」

(「たみさんはそりゃうそだよ。)

「民さんはそりゃ嘘だよ。

(なにかかんがえごとでもしなくてあんなふうをするわけはないさ。)

何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣はないさ。

(どんなことをかんがえていたのかしらないけれど、)

どんなことを考えていたのか知らないけれど、

(かくさないだってよいじゃないか」)

隠さないだってよいじゃないか」

(「まさおさん、すまない。)

「政夫さん、済まない。

(わたしさっきほんとにかんがえごとしていました。)

私さっきほんとにかんがえ事していました。

(わたしつくづくかんがえてなさけなくなったの。)

私つくづく考えて情なくなったの。

(わたしはどうしてまさおさんよかとしがおおいんでしょう。)

わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。

(わたしはじゅうななだというんだもの、ほんとになさけなくなるわ・・・」)

私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ・・・」

(「たみさんはなんのこというんだろう。)

「民さんは何のこと言うんだろう。

(さきにうまれたからとしがおおい、じゅうしちねんそだったからじゅうしちになったのじゃないか。)

先に生れたから年が多い、十七年育ったから十七になったのじゃないか。

(じゅうしちだからなんでなさけないのですか。)

十七だから何で情ないのですか。

(ぼくだって、さらいねんになればじゅうななさいさ。)

僕だって、さ来年になれば十七歳さ。

(たみさんはほんとにみょうなことをいうひとだ」)

民さんはほんとに妙なことを云う人だ」

(ぼくもいまたみこがいったことのこころをげせぬほどこどもでもない。)

僕も今民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。

(わかってはいるけど、わざとたわむれのようにききなして、)

解ってはいるけど、わざと戯れの様に聞きなして、

など

(ふりかえってみると、たみこはまことにかんがえこんでいるようであったが、)

振りかえって見ると、民子は真に考え込んでいる様であったが、

(ぼくとかおあわせてきまりわるげににわかにわきをむいた。)

僕と顔合せて極りわるげににわかにわきを向いた。

(こうなってくるとなにをいうても、)

こうなってくると何をいうても、

(すぐそこへもってくるのではなしがゆきつまってしまう。)

直ぐそこへ持ってくるので話がゆきつまってしまう。

(ふたりのうちでどちらかひとりが、すこうしほんのわずかにでもおしがつよければ、)

二人の内でどちらか一人が、すこうしほんの僅かにでも押が強ければ、

(こんなにはなしがゆきつまるのではない。)

こんなに話がゆきつまるのではない。

(おたがいにこころもちはおくそこまでわかっているのだから、)

お互に心持は奥底まで解っているのだから、

(よしのがみをつきやぶるほどにもちからがありさえすれば、)

吉野紙を突破るほどにも力がありさえすれば、

(はなしのいっぽをすすめておたがいにあけはなしてしまうことができるのである。)

話の一歩を進めてお互に明放してしまうことが出来るのである。

(しかしながらしんそこからおぼこなふたりは、)

しかしながら真底からおぼこな二人は、

(そのよしのがみをやぶるほどのおしがないのである。)

その吉野紙を破るほどの押がないのである。

(またここではなしのかわをきってしまわねばならぬというような、)

またここで話の皮を切ってしまわねばならぬと云う様な、

(はっきりしたいしきももちろんないのだ。)

はっきりした意識も勿論ないのだ。

(いわばいまだとりとめのないたまごてきのこいであるから、)

言わば未まだ取止めのない卵的の恋であるから、

(すこしくこころのちからがひつようなところへくるとはなしがゆきつまってしまうのである。)

少しく心の力が必要な所へくると話がゆきつまってしまうのである。

(おたがいにじぶんではなしだしては)

お互に自分で話し出しては

(じぶんがきまりわるくなるようなことをくりかえしつついくちょうかのみちをあるいた。)

自分が極りわるくなる様なことを繰返しつつ幾町かの道を歩いた。

(ことばかずこそすくなけれ、そのことばのおくにはふたりともにむりょうのおもいをつつんで、)

詞数こそ少なけれ、その詞の奥には二人共に無量の思いを包んで、

(きまりがわるいかんじょうのなかにはなんともいえないふかきゆかいをたえている。)

極りがわるい感情の中には何とも云えない深き愉快を湛えて居る。

(それでいわゆるあしもそらに、いつしかたんぼもとおりこし、やまみちへはいった。)

それでいわゆる足も空に、いつしか田んぼも通りこし、山路へ這入った。

(こんどはたみこがこころをとりなおしたらしくあざやかなこえで、)

今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、

(「まさおさん、もうはんぶんみちきましてしょうか。)

「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。

(おおながさくへはいちりにとおいっていいましたねい」)

大長柵へは一里に遠いッて云いましたねイ」

(「そうです、いちりはんにはちかいそうだが、)

「そうです、一里半には近いそうだが、

(もうはんぶんのよきましたろうよ。すこしやすみましょうか」)

もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」

(「わたしやすまなくとも、ようございますが、)

「わたし休まなくとも、ようございますが、

(さっそくおかあさんのばつがあたって、すすきのはでこんなにてをきりました。)

早速お母さんの罰があたって、薄の葉でこんなに手を切りました。

(ちょいとこれでゆわえてくださいな」)

ちょいとこれで結わえて下さいな」

(おやゆびのなかほどできずはすこしだが、ちがいがいにでた。)

親指の中ほどで疵は少しだが、血が意外に出た。

(ぼくはさっそくかみをさいてゆわえてやる。)

僕は早速紙を裂いて結わえてやる。

(たみこがりょうてをあかくしているのをみたときひじょうにかわいそうであった。)

民子が両手を赤くしているのを見た時非常にかわいそうであった。

(こんなやまのなかでやすむより、はたけへいってからやすもうというので、)

こんな山の中で休むより、畑へいってから休もうというので、

(こんどはたみこをさきにぼくがあとになっていそぐ。)

今度は民子を先に僕が後になって急ぐ。

(はちじすこしすぎとおもうじぶんにおおながさくのはたけへついた。)

八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。

(じゅうねんばかりまえにおやじがまだたっしゃなじぶん、)

十年許り前に親父がまだ達者な時分、

(となりむらのしんせきからたのまれてよぎなくかったのだそうで、)

隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、

(はたけがはったんとさんりんがにちょうほどここにあるのである。)

畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。

(このあたりいったいにたかだいはみなさんりんでそのあいだのさくがはたけになっている。)

この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。

(こしこくをもっているといえば、せけんていはよいけど、)

越石を持っていると云えば、世間体はよいけど、

(てまばかりかかってわりにあわないといつもははがいってるはたけだ。)

手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。

(さんぽうはやしでかこまれ、みなみがひらいてよそのはたけとつづいている。)

三方林で囲まれ、南が開いてよその畑とつづいている。

(きたがたかくみなみがひくいこうばいになっている。)

北が高く南が低いこうばいになっている。

(ははのすいさつどおり、わたはすえにはなっているが、)

母の推察通り、棉は末にはなっているが、

(かぜがふいたらあふれるかとおもうほどわたはえんでいる。)

風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。

(てんてんとしてはたけじゅうしろくなっているそのわたに、)

点々として畑中白くなっているその棉に、

(あさひがさしているとまぶしいようにきれいだ。)

朝日がさしているとまぶしい様に綺麗だ。

(「まあよくえんでること。きょうとりにきてよいことしました」)

「まアよくえんでること。今日採りにきてよい事しました」

(たみこはおんなだけに、わたのきれいにえんでるのをみてうれしそうにいった。)

民子は女だけに、棉の綺麗にえんでるのを見て嬉しそうにそう云った。

(はたけのまんなかほどにきりのきがにほんしげっている。)

畑の真中ほどに桐の樹が二本繁っている。

(はがおちかけているけれど、じゅうがつのねつをしのぐにはじゅうぶんだ。)

葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を凌ぐには十分だ。

(ここへあたりのきびがらをよせてふたりがじんどる。べんとうづつみをえだへつる。)

ここへあたりの黍殻を寄せて二人が陣どる。弁当包みを枝へ釣る。

(てんきのよいのにやまみちをいそいだから、あせばんであつい。)

天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。

(きものをいちまいずつぬぐ。かぜをふところへいれあしをのばしてやすむ。)

着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐へ入れ足を展ばして休む。

(あおぎったそらにみどりのまつばやし、もずもどこかでないている。)

青ぎった空にみどりの松林、百舌もどこかで鳴いている。

(こえのひびくほどやまはしずかなのだ。)

声の響くほど山は静かなのだ。

(てんとちとのあいだでひろいはたけのまんなかにふたりがはなしをしているのである。)

天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。

(「ほんとにたみこさん、きょうというきょうはごくらくのようなひですねい」)

「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」

(かおからくびからあせをふいたあとのつやつやしさ、いまさらにたみこのよこがおをみた。)

顔から頸から汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。

(「そうですねい、わたしなんだかゆめのようなきがするの。)

「そうですねイ、わたし何だか夢の様な気がするの。

(けさうちをでるときはほんとにきまりがわるくて・・・)

今朝家を出る時はほんとに極りが悪くて・・・

(ねえさんにはへんなめつきでみられる、)

嫂さんには変な眼つきで視られる、

(おますにはひやかされる、わたしはのぼせてしまいました。)

お増には冷かされる、私はのぼせてしまいました。

(まさおさんはへいきでいるからにくらしかったわ」)

政夫さんは平気でいるから憎らしかったわ」

(「ぼくだってへいきなもんですか。むらのやつらにあうのがいやだから、)

「僕だって平気なもんですか。村の奴らに逢うのがいやだから、

(ぼくはひとあしさきにでていちょうのしたでたみさんをまっていたんでさあ。)

僕は一足先に出て銀杏の下で民さんを待っていたんでさア。

(それはそうと、たみさん、きょうはほんとにおもしろくあそぼうね。)

それはそうと、民さん、今日はほんとに面白く遊ぼうね。

(ぼくはらいげつはがっこうへいくんだし、こんげつとてじゅうごにちしかないし、)

僕は来月は学校へ行くんだし、今月とて十五日しかないし、

(ふたりでしみじみはなしのできるようなことはこれからさきはむずかしい。)

二人でしみじみ話の出来る様なことはこれから先はむずかしい。

(あわれっぽいこというようだけど、)

あわれッぽいこと云うようだけど、

(ふたりのなかもきょうだけかしらとおもうのよ。ねいたみさん・・・」)

二人の中も今日だけかしらと思うのよ。ねイ民さん・・・」

(「そりゃあまさおさん、わたしはみちみちそればかりかんがえてきました。)

「そりゃア政夫さん、私は道々そればかり考えて来ました。

(わたしがさっきほんとになさけなくなってといったら、)

私がさっきほんとに情なくなってと言ったら、

(まさおさんはわらっておしまいなしたけど・・・」)

政夫さんは笑っておしまいなしたけど・・・」

(おもしろくあそぼうあそぼういうても、はなしをはじめるとすぐにこうなってしまう。)

面白く遊ぼう遊ぼう言うても、話を始めると直ぐにこうなってしまう。

(たみこはなみだをぬぐうたようであった。ちょうどよくそこへうまがみえてきた。)

民子は涙を拭うた様であった。ちょうどよくそこへ馬が見えてきた。

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