野菊の墓 伊藤左千夫 ⑩

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。

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問題文

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(たみこのふうをみてぼくもにわかにかなしくなってなきたくなった。)

民子の風を見て僕も俄に悲しくなって泣きたくなった。

(なみだはまぶたをつたってめがくもった。)

涙はまぶたを伝って眼が曇った。

(なぜかなしくなったかりゆうははっきりしない。)

なぜ悲しくなったか理由ははっきりしない。

(ただたみこがかわいそうでならなくなったのである。)

ただ民子が可哀相でならなくなったのである。

(たみことぼくとのたのしいかんけいもこのひのよるまではつづかなく、)

民子と僕との楽しい関係もこの日の夜までは続かなく、

(じゅうさんにちのひるのひかりとともにまったくきえうせてしまった。)

十三日の昼の光と共に全く消えうせてしまった。

(うれしいにつけてもおもいのたけはかたりつくさず、)

嬉しいにつけても思いのたけは語りつくさず、

(うきかなしいことについてはもちろんひゃくぶんのいちだもかたりあわないで、)

憂き悲しいことについては勿論百分の一だも語りあわないで、

(ふたりのかんけいはやみのまくにはいってしまったのである。)

二人の関係は闇の幕に這入ってしまったのである。

(じゅうよっかはまつりのしょにちでただものせわしくひがくれた。)

十四日は祭の初日でただ物せわしく日がくれた。

(おたがいにきのないふうはしていても、てにせわしいしごとのあるばかりに、)

お互に気のない風はしていても、手にせわしい仕事のあるばかりに、

(とにかくおもいまぎらすことができた。)

とにかく思い紛らすことが出来た。

(じゅうごにちとじゅうろくにちとは、しょくじのほかようじもないままに、)

十五日と十六日とは、食事の外用事もないままに、

(しょしつへこもりとおしていた。)

書室へ籠りとおしていた。

(ぼんやりつくえにもたれたなりなにをするでもなく、)

ぼんやり机にもたれたなり何をするでもなく、

(またふたりのかんけいをどうしようかというようなことすらもかんがえてはいない。)

また二人の関係をどうしようかという様なことすらも考えてはいない。

(ただたみこのことがあたまにみちているばかりで、)

ただ民子のことが頭に充ちているばかりで、

(きわめてたんじゅんにたみこをおもうているほかにかんがえははたらいておらぬ。)

極めて単純に民子を思うている外に考えは働いて居らぬ。

(このふつかのあいだにたみことさんよんかいはあったけれど、)

この二日の間に民子と三四回は逢ったけれど、

(はなしもできずほほえみをこうかんするげんきもなく、)

話も出来ず微笑を交換する元気もなく、

など

(うらさびしいこころもちをたがいにめにうったうるのみであった。)

うら淋しい心持を互に目に訴うるのみであった。

(ふたりのこころもちがいますこしませておったならば、)

二人の心持が今少しませて居ったならば、

(このふつかのあいだにもしょうらいのことなどずいぶんはなしあうことができたのであろうけれど、)

この二日の間にも将来の事など随分話し合うことが出来たのであろうけれど、

(しぶといこころもちなどはけほどもなかったふたりには、)

しぶとい心持などは毛ほどもなかった二人には、

(そのばあいになかなかそんなことはできなかった。)

その場合になかなかそんな事は出来なかった。

(それでもぼくはじゅうろくにちのごごになって、)

それでも僕は十六日の午後になって、

(なんとはなしにいかのようなことをまきがみへかいて、)

何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、

(ひぐれにちょっときたたみこにぼくがいなくなってからみてくれといってわたした。)

日暮に一寸来た民子に僕が居なくなってから見てくれと云って渡した。

(「あさからここへはいったきり、なにをするきにもならない。)

『朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。

(そとへでるきにもならず、ほんをよむきにもならず、)

外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、

(ただくりかえしくりかえしたみさんのことばかりおもっている。)

ただ繰返し繰返し民さんの事ばかり思って居る。

(たみさんといっしょにいればかみさまにだかれてくもにでものっているようだ。)

民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。

(ぼくはどうしてこんなになったんだろう。)

僕はどうしてこんなになったんだろう。

(がくもんをせねばならないみだから、がっこうへはいくけれど、)

学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、

(こころではたみさんとはなれたくない。)

心では民さんと離れたくない。

(たみさんはじぶんのとしのおおいのをきにしているらしいが、)

民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、

(ぼくはそんなことはなんともおもわない。)

僕はそんなことは何とも思わない。

(ぼくはたみさんのおもうとおりになるつもりですから、)

僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、

(たみさんもそうおもっていてください。あしたははやくたちます。)

民さんもそう思っていて下さい。明日は早く立ちます。

(とうきのやすみにはかえってきてたみさんにあうのをたのしみにしております。)

冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります。

(じゅがつじゅうろくにちまさおたみこさま」)

十月十六日  政夫 民子様』

(がっこうへいくとはいえ、つみがあってはやくやられるというきょうぐうであるから、)

学校へ行くとは云え、罪があって早くやられると云う境遇であるから、

(ひとのわらいごえはなしごえにもいちいちひがみごころがおきる。)

人の笑声話声にも一々ひがみ心が起きる。

(みなふたりにたいするちょうしょうかのようにきかれる。)

皆二人に対する嘲笑かの様に聞かれる。

(いっそはやくがっこうへいってしまいたくなった。)

いっそ早く学校へ行ってしまいたくなった。

(けっしんがさだまればげんきもかいふくしてくる。)

決心が定まれば元気も恢復してくる。

(このよるはあたまもすこしくさえてゆうはんもこころもちよくたべた。)

この夜は頭も少しくさえて夕飯も心持よくたべた。

(がっこうのことなにくれとなくははとはなしをする。)

学校のこと何くれとなく母と話をする。

(やがてねについてからも、「なんだばかばかしい、)

やがて寝に就いてからも、「何だ馬鹿馬鹿しい、

(じゅうごかそこらのこぞうのくせに、おんなのことなどばかりくよくよかんがえて・・・)

十五かそこらの小僧の癖に、女のことなどばかりくよくよ考えて・・・

(そうだそうだ、あしたはさっそくがっこうへいこう。)

そうだそうだ、あしたは早速学校へ行こう。

(たみこはかわいそうだけれど・・・もうかんがえまい、)

民子は可哀相だけれど・・・もう考えまい、

(かんがえたってしかたがない、がっこうがっこう・・・」)

考えたって仕方がない、学校学校・・・」

(ひとりぐちききつつねむりにはいったようなわけであった。)

独口ききつつ眠りに入った様な訣であった。

(ふねでかわからいちかわへでるつもりだから、じゅうしちにちのあさ、こさめのふるのに、)

船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、

(いっさいのにもつをかばんひとつにつめこみ)

一切の持物をカバンひとつにつめ込み

(たみことおますにおくられてやぎりのわたしへおりた。)

民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。

(むらのもののにぶねにびんじょうするわけでもうふねはきている。)

村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。

(ぼくはたみさんそれじゃ・・・というつもりでものどがつまってこえがでない。)

僕は民さんそれじゃ・・・と言うつもりでも咽がつまって声が出ない。

(たみこはぼくにつつみをわたしてからは、じぶんのてのやりばにこまって)

民子は僕に包を渡してからは、自分の手のやりばに困って

(むねをなでたりえりをなでたりして、したばかりむいている。)

胸を撫でたり襟を撫でたりして、下ばかり向いている。

(めにもつなみだをおますにみられまいとして、からだをわきへそらしている。)

眼にもつ涙をお増に見られまいとして、体を脇へそらしている、

(たみこがあわれなすがたをみてはぼくもなみだがおさえきれなかった。)

民子があわれな姿を見ては僕も涙が抑え切れなかった。

(たみこはきょうをわかれとおもってか、)

民子は今日を別れと思ってか、

(かみはさっぱりとしたいちょうがえしにうすくけしょうをしている。)

髪はさっぱりとした銀杏返しに薄く化粧をしている。

(すすいろとこんのこまかいべんけいじまで、はおりもながぎもおなじいよねざわつむぎに、)

煤色と紺の細かい弁慶縞で、羽織も長着も同じい米沢紬に、

(ひんのよいゆうぜんちりめんのおびをしめていた。)

品のよい友禅縮緬の帯をしめていた。

(たすきをかけたたみこもよかったけれどきょうのたみこはまたいっそうひきたってみえた。)

襷を掛けた民子もよかったけれど今日の民子はまた一層引立って見えた。

(ぼくのきのせいででもあるか、)

僕の気のせいででもあるか、

(たみこはじゅうさんにちのよるからはひとひひとひとやつれてきて、)

民子は十三日の夜からは一日一日とやつれてきて、

(このひのいたいたしさ、ぼくはなかずにはいられなかった。)

この日のいたいたしさ、僕は泣かずには居られなかった。

(むしがしらせるとでもいうのか、これがしょうがいのわかれになろうとは、)

虫が知らせるとでもいうのか、これが生涯の別れになろうとは、

(ぼくはもちろんたみことて、よもやそうはおもわなかったろうけれど、)

僕は勿論民子とて、よもやそうは思わなかったろうけれど、

(このときのつらさかなしさは、とてもたにんにはなしても)

この時のつらさ悲しさは、とても他人に話しても

(しんじてくれるものはないとおもうくらいであった。)

信じてくれるものはないと思う位であった。

(もっともたみこのおもいはぼくよりふかかったにそういない。)

もっとも民子の思いは僕より深かったに相違ない。

(ぼくはちゅうがっこうをそつぎょうするまでにも、しごねんかんのあるからだであるのに、)

僕は中学校を卒業するまでにも、四五年間のある体であるのに、

(たみこはじゅうしちでことしのうちにもえんだんのはなしがあってりょうしんからそういわれれば、)

民子は十七で今年の内にも縁談の話があって両親からそう言われれば、

(むぞうさにこばむことのできないみであるから、)

無造作に拒むことの出来ない身であるから、

(ゆくすえのことをいろいろかんがえてみるとしんぱいのおおいわけである。)

行末のことをいろいろ考えて見ると心配の多い訣である。

(とうじのぼくはそこまではかんがえなかったけれど、)

当時の僕はそこまでは考えなかったけれど、

(したしくめにしみたたみこのいたいたしいすがたは)

親しく目に染みた民子のいたいたしい姿は

(いくねんたってもきのうのことのようにめにうかんでいるのである。)

幾年経っても昨日の事のように眼に浮んでいるのである。

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