雨あがる 山本周五郎 ②

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プレイ回数1325難易度(4.2) 4195打 長文
腕は立つが人が良すぎるゆえ仕官の口がない伊兵衛と妻の話。
人を押しのけて出世することが出来ない伊兵衛と、妻おたよが長雨のため街道筋の宿屋に逗留している。
寺尾聰、宮崎美子、主演で映画化。

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問題文

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(そこはのうかのろのまににたへやで、)

そこは農家の炉の間に似た部屋で、

(かたほうがみせさきからうらへぬけるどまになっている。)

片方が店先から裏へぬける土間になっている。

(たたみはろくじょうとはちじょうがかぎがたにつながってしかれ、)

畳は六帖と八帖が鍵形につながって敷かれ、

(あがりはなのいたじきとのあいだにおおきなろがきってある。)

上り端の板敷との間に大きな炉が切ってある。

(のうかとちがうのはてんじょうがひくいのと、)

農家と違うのは天じょうが低いのと、

(たいていのきゃくがべつにへやをとらず、そこでこみあってねるし、)

たいていの客がべつに部屋を取らず、そこでこみあって寝るし、

(なべかまをかりてそのろでにたきもするため、)

鍋釜を借りてその炉で煮炊きもするため、

(それらにひつようなどうぐるいがならんでいることなどであった。)

それらに必要な道具類が並んでいることなどであった。

(そのおんなはろばたにいた。かたてをふところにいれ、たてひざをして、)

その女は炉端にいた。片手をふところに入れ、立膝をして、

(あおじろくふけんこうにやせたかおをひきつらせ、)

蒼白く不健康に痩せた顔をひきつらせ、

(ぎらぎらするようなめであたりをにらみまわし、)

ぎらぎらするような眼であたりを睨みまわし、

(そうしてつんざくようなこえでわめきたてる、)

そうしてつんざくような声で喚きたてる、

(ほかのきゃくたちはみなはなれて、ひざをかかえてうなだれたり、ねそべったり、)

他の客たちはみな離れて、膝を抱えてうなだれたり、寝そべったり、

(こどもをしっかりだいたりして、じっといきをころしていた。)

子供をしっかり抱いたりして、じっと息をころしていた。

(それはあらしのつうかするのをしんぼうづよくまっているそうかのいぬといったかんじだった。)

それは嵐の通過するのを辛抱づよく待っている喪家の犬といった感じだった。

(「しつれいですがもうやめてください」)

「失礼ですがもうやめて下さい」

(いへえはおんなのまえへいって、やさしくなだめるようにいった。)

伊兵衛は女の前へいって、やさしくなだめるように云った。

(「ここにはそんなわるいひとはいないとおもうんです、)

「此処にはそんな悪い人はいないと思うんです、

(みんなよいひとたちで、それはあなたもしっていらっしゃるでしょう」)

みんな善い人たちで、それは貴女も知っていらっしゃるでしょう」

(「ほっといてください」おんなはそっぽをむいた、)

「放っといて下さい」女はそっぽを向いた、

など

(「おぶけさんにはかかわりのないことですよ、)

「お武家さんには関わりのないことですよ、

(あたしゃいやしいかぎょうこそしていますがね、)

あたしゃ卑しい稼業こそしていますがね、

(じぶんのものをぬすまれてだまってるほどよわいしりはもっちゃいないんですから」)

自分の物を盗まれて黙ってるほど弱い尻は持っちゃいないんですから」

(「そうですとも、むろんそうですよ、しかしそれはわたしがつぐないますから、)

「そうですとも、むろんそうですよ、しかしそれは私が償いますから、

(どうかそれでかんべんすることにしてください」)

どうかそれで勘弁することにして下さい」

(「なにもおぶけさんにそんなしんぱいをしていただくことはありませんよ、)

「なにもお武家さんにそんな心配をして頂くことはありませんよ、

(あたしゃものがおしくっていってるんじゃないんですから」)

あたしゃ物が惜しくって云ってるんじゃないんですから」

(「そうですとも、むろんですよ、しかしにんげんにはまちがいということもあるし、)

「そうですとも、むろんですよ、しかし人間には間違いということもあるし、

(おたがいにこうしておなじやねのしたにいることでもあるし、)

お互いにこうして同じ屋根の下にいることでもあるし、

(とにかくそこは、どうかひとつ、わたしがすぐになんとかしてきますから」)

とにかくそこは、どうかひとつ、私がすぐになんとかして来ますから」

(それだけいうと、いへえはなにやらいそがしそうにたっていった。)

それだけ云うと、伊兵衛はなにやら忙しそうに立っていった。

(「せいもんはせいもん、これはこれ」)

「誓文は誓文、これはこれ」

(やどのなをおおきくかいたばんがさをさして、)

宿の名を大きく書いた番傘をさして、

(そとへでるとすぐかれはこうひとりごとをいい、)

外へ出るとすぐ彼はこう独り言を云い、

(くすぐられでもするようにびしょうをうかべた。)

くすぐられでもするように微笑をうかべた。

(「めのまえにこういうことがおこったいじょう、)

「眼の前にこういう事が起こった以上、

(じぶんのりょうしんだけまもるというわけにはいきませんからね、)

自分の良心だけ守るというわけにはいきませんからね、

(ええ、それはかえってりょうしんにはんするこういですよ、いや」)

ええ、それは却って良心に反する行為ですよ、いや」

(かれはふとまじめなかおになり、「いや、なにもしないんだから)

彼はふとまじめな顔になり、「いや、なにもしないんだから

(こういとはいわないでしょう、むこうい、ともいわないですね」)

行為とはいわないでしょう、無行為、ともいわないですね」

(わけのわからないことをつぶやきながら、ひどくいそいそと、)

わけのわからないことを呟きながら、ひどくいそいそと、

(げんきなあしどりで、じょうかまちのほうへあるいていった。)

元気な足どりで、城下町のほうへ歩いていった。

(かれがやどへかえったのは、よじかんほどのちのことであった。)

彼が宿へ帰ったのは、四時間ほどのちのことであった。

(さけをのんだのだろう、まっかなかおをしていたが、)

酒を飲んだのだろう、まっ赤な顔をしていたが、

(もっとおどろいたことには、かれのあとからごろくにんのわかものやこぞうたちが、)

もっと驚いたことには、彼のあとから五六人の若者や小僧たちが、

(いろいろなぶっしをもってついてきたことである。)

いろいろな物資を持ってついて来たことである。

(こめやはこめのたわらを、やおやはひとかごのやさいを、さかなやははんだいふたつにさかなを、)

米屋は米の俵を、八百屋は一と籠の野菜を、魚屋は盤台二つに魚を、

(さかやはごしょういりのさかだるにみそしょうゆを、)

酒屋は五升入りの酒樽に味噌醤油を、

(そしてかしやのあとからたいりょうのまきとすみなど。)

そして菓子屋のあとから大量の薪と炭など。

(「これはまあどうなすったんです」)

「これはまあどうなすったんです」

(やどのしゅふがでてきてめをみはった。)

宿の主婦が出て来て眼をみはった。

(わかものやこぞうたちはかつぎこんだものをあがりはなやどまへずらっとならべた。)

若者や小僧たちは担ぎ込んだ物を上り端や土間へずらっと並べた。

(「けいきなおしをしようとおもいましてね」)

「景気直しをしようと思いましてね」

(いへえはめをほそくしてわらい、あきれているどうしゅくしゃたちにむかっていった。)

伊兵衛は眼を細くして笑い、呆れている同宿者たちに向って云った。

(「みなさんすみませんがてをかしてください、)

「みなさん済みませんが手を貸して下さい、

(ながあめのえんぎなおしにみんなでひとくちやりましょう、)

なが雨の縁起直しにみんなでひと口やりましょう、

(すこしばかりではずかしいんですが、どうかてわけをして、)

少しばかりで恥ずかしいんですが、どうか手分けをして、

(わたしもめしぐらいたきますから、てりょうりということでやろうじゃありませんか」)

私も飯ぐらい炊きますから、手料理ということでやろうじゃありませんか」

(どうしゅくしゃたちのあいだに、よろこびともくるしみともはんべつのつかない、)

同宿者たちのあいだに、喜びとも苦しみとも判別のつかない、

(たんそくのようなこえがおこった。)

嘆息のような声が起こった。

(すぐにはだれもうごかなかった、だがいへえがかしをだしてみせ、)

すぐには誰も動かなかった、だが伊兵衛が菓子を出してみせ、

(げんさん(おけのたがなおしをする)のこどもが、)

源さん(桶のタガ直しをする)の子供が、

(そのははおやのひざからとびあがるのとともに、)

その母親の膝からとびあがるのと共に、

(しごにんいっしょにたちあがってきた。)

四五人いっしょに立ちあがって来た。

(やどのなかはきゅうにかっきでゆれあがった。)

宿の中は急に活気で揺れあがった。

(なにかがわっとあふれだしたようであった。)

なにかがわっと溢れだしたようであった。

(やどのしゅじんふうふとちゅうねんのじょちゅうもなかまにはいって、)

宿の主人夫婦と中年の女中も仲間にはいって、

(さかなややさいがひろげられ、ろにもかまどにもひがたかれた。)

魚や野菜がひろげられ、炉にも釜戸にも火が焚かれた。

(げんきのいいさけびやわらいごえがたえまなしにおこり、)

元気のいい叫びや笑い声が絶え間なしに起こり、

(おんなたちはひつようもないのにきゃあきゃあいったり、ひとのせなかをたたいたりした。)

女たちは必要もないのにきゃあきゃあ云ったり、人の背中を叩いたりした。

(「だんなはどうかすわっておくんなさい」)

「旦那はどうか坐ってお呉んなさい」

(みんなはいへえにいった。)

みんなは伊兵衛に云った。

(「こっちはわたしどもでやりますから、)

「こっちはわたし共でやりますから、

(いただいたうえにそんなことまでおさせもうしちゃあすみません」)

頂いたうえにそんなことまでおさせ申しちゃあ済みません」

(したくができたらよぶから、などとこんがんするようにいったが、)

支度が出来たら呼ぶから、などと懇願するように云ったが、

(いへえはいっこうにしょうちせず、ときどきつまのいるこべやのほうを)

伊兵衛は一向に承知せず、ときどき妻のいる小部屋のほうを

(ちらちらみやりながら、ぶきようなどうさでしきりにかつやくした。)

ちらちら見やりながら、ぶきような動作でしきりに活躍した。

(せっきょうぶしのじいさんはすこしちゅうふうぎみであるが、とくにせきにんをかんじたというふうで、)

説教節の爺さんは少し中風ぎみであるが、特に責任を感じたというふうで、

(だれよりもねっしんにほんそうしていた。)

誰よりも熱心に奔走していた。

(どうやらよういがととのうころには、)

どうやら用意がととのう頃には、

(たそがれのこくなったへやに(しゅじんのこういで)はちけんのあかりがともされ、)

黄昏の濃くなった部屋に(主人の好意で)八間の灯がともされ、

(あんどんもさんところにだされた。)

行燈も三ところに出された。

(「さあおとこのひとたちはだんなとごいっしょにすわってください、)

「さあ男の人たちは旦那とごいっしょに坐って下さい、

(あとはもうはこぶだけだから」)

あとはもう運ぶだけだから」

(おんなたちはこういってせきたてた。)

女たちはこう云ってせきたてた。

(「うちのにおかんばんをさせちゃだめですよ、)

「うちのにお燗番をさせちゃだめですよ、

(かんのつくまえにのんじまいますからね」)

燗のつくまえに飲んじまいますからね」

(するとわきにいたおんなが、それではおまえさんのかんなべは)

すると脇にいた女が、それではおまえさんの燗鍋は

(いつもあたたまるひまがないだろう、などいい、きゃあとわらいののしりあった。)

いつも温まるひまがないだろう、など云い、きゃあと笑い罵ののしりあった。

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