雨あがる 山本周五郎 ⑤

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プレイ回数1158順位1973位  難易度(4.2) 3517打 長文
腕は立つが人が良すぎるゆえ仕官の口がない伊兵衛と妻の話。
人を押しのけて出世することが出来ない伊兵衛と、妻おたよが長雨のため街道筋の宿屋に逗留している。
寺尾聰、宮崎美子、主演で映画化。

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問題文

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(しかしいけなかった。きかいはあったけれども、)

しかしいけなかった。機会はあったけれども、

(さてぎりょうだめしのしあいをする、となるとふしぎにぐあいがわるい。)

さて技倆だめしの試合をする、となるとふしぎにぐあいが悪い。

(そのとちそのはんのしはん、またはむてきとていひょうのあるものを)

その土地その藩の師範、または無敵と定評のある者を

(れいのようにごくかんたんにまかしてしまう。)

例のようにごく簡単に負かしてしまう。

(するとあまりのあっけなさにおざがしらけて、)

するとあまりのあっけなさにお座がしらけて、

(なんとなくかんじょうがこじれたようになり、)

なんとなく感情がこじれたようになり、

(うでまえはほめられるがしかんのはなしはまとまらない、というけっかになった。)

腕前は褒められるが仕官のはなしはまとまらない、という結果になった。

(こんなはずはない、これだけのじつりょくがあるのにどこがわるいのだろう。)

こんな筈はない、これだけの実力があるのにどこが悪いのだろう。

(かれははんせいもしじゅくりょもしなやみもした。)

彼は反省もし熟慮もし悩みもした。

(にどかさんどはうまくいったこともある、)

二度か三度はうまくいったこともある、

(だがそうなるとまたべつのこしょうがおこった。)

だがそうなるとまたべつの故障が起こった。

(じぶんにまけてしょくをうしなうあいてがきのどくになるとか、)

自分に負けて職を失う相手が気の毒になるとか、

(あいてになきごとをいわれる(じじつ「どうかしかんをじたいしてもらいたい、)

相手に泣き言を云われる(事実「どうか仕官を辞退して貰いたい、

(じぶんがいましっしょくするとさいしをろとうにまよわせなければならないから」と)

自分がいま失職すると妻子を路頭に迷わせなければならないから」と

(あいそされたこともある)といったぐあいで、)

哀訴されたこともある)といったぐあいで、

(そうなるとかれとしてはきょうしゅくしへいこうし、こちらからあやまってみをしりぞく、)

そうなると彼としては恐縮し閉口し、こちらからあやまって身を退く、

(ということになるのであった。)

ということになるのであった。

(しゅかをさるときはかなりなりょひをもっていたが、)

主家を去るときはかなりな旅費を持っていたが、

(さんねんめにはそれもなくなり、やむなくまちどうじょうなどで)

三年めにはそれも無くなり、やむなく町道場などで

(かけじあいをするようになった。これはだんぜんうまくいった。)

賭け試合をするようになった。これは断然うまくいった。

など

(むこうがおうじてくれさえすればまちがいなくかつし、)

向うが応じて呉れさえすれば間違いなく勝つし、

(ときにはばくだいなかねになることもあった。)

ときには莫大な金になることもあった。

(しかしやがてつまにきづかれ、ないていさめられ、)

しかしやがて妻に気づかれ、泣いて諫められ、

(こんごはぜったいにしないというちかいをさせられたのである。)

今後は絶対にしないという誓いをさせられたのである。

(いうまでもない、たちまちきゅうはくした。)

云うまでもない、たちまち窮迫した。

(わたくしもてないしょくくらいいたしますから、)

わたくしも手内職くらい致しますから、

(どうかあせらずにじせつをおまちあそばせ。おたよはそういいはじめた。)

どうかあせらずに時節をお待ちあそばせ。おたよはそう云い始めた。

(かのじょはきゅうひゃくごじゅっこくのじゅんろうしょくのいえにうまれ、ゆたかにのびのびとそだった。)

彼女は九百五十石の準老職の家に生れ、豊かにのびのびと育った。

(それがなれないほうろうのたびのくろうで、)

それが馴れない放浪の旅の苦労で、

(からだもよわり、すっかりやつれてしまった。)

躯も弱り、すっかりやつれてしまった。

(いへえはそのすがたをみるだけでもいきがつまりそうになる。)

伊兵衛はその姿を見るだけでも息が詰りそうになる。

(みもだえをしたいほどあわれになるので、)

身もだえをしたいほど哀れになるので、

(ないしょくなどときくとふるえあがってきょぜつした。)

内職などと聞くと震えあがって拒絶した。

(とんでもない、それだけはあやまって、)

とんでもない、それだけはあやまって、

(かわりにかれじしんがいちもんあきないをかんがえた。)

代りに彼自身が一文あきないを考えた。

(あきないといってもきまったものではない。)

あきないといってもきまったものではない。

(やじろべえとか、とびうさぎとか、たけとんぼ、かみでっぽう、ふえなど、)

弥次郎兵衛とか、跳び兎とか、竹蜻蛉、紙鉄砲、笛など、

(ごくたんじゅんながんぐをじぶんでつくったのや、)

ごく単純な玩具を自分で作ったのや、

(きせつとばしょによってはこぶなやかに、かえるなどといういきものをとって、)

季節と場所によっては小鮒や蟹、蛙などという生き物を捕って、

(もっぱらちいさなこどもあいてにうるのである。)

もっぱら小さな子供相手に売るのである。

(とまるやどもしだいにかくがさがって、いつかしらんきちんやどにもなれた。)

泊る宿もしだいに格が下って、いつかしらん木賃宿にも馴れた。

(もともとかれはこどもがすきなので、そんなあきないもけっしてふゆかいではないし、)

もともと彼は子供が好きなので、そんなあきないも決して不愉快ではないし、

(やすやどのきゃくたちも(れいがいはあるが)じゅんぼくでにんじょうにあつく、)

安宿の客たちも(例外はあるが)純朴で人情にあつく、

(またおたがいがらくはくしているというきょうつうのいたわりもあって、)

またお互いが落魄しているという共通のいたわりもあって、

(いかにもきやすくつきあうことができた。)

いかにも気易くつきあうことができた。

(「それがみについてしまったのだ、なさけない、)

「それが身に付いてしまったのだ、なさけない、

(なさけないとおもいませんか、いへえうじ」)

なさけないと思いませんか、伊兵衛うじ」

(かれはべそをかき、ためいきをした。きがつくとまつばやしのなかにたちどまったままで、)

彼はべそをかき、溜息をした。気がつくと松林の中に立停ったままで、

(しきりにかさをあまだれがたたいていた。)

しきりに笠を雨垂れが叩いていた。

(「もうそろそろほんきにならなければ、)

「もうそろそろ本気にならなければ、

(いくらなんでもおたよがかわいそうじゃないか、)

いくらなんでもおたよが可哀そうじゃないか、

(おたよがどんなきもちでいるか、ということをかんがえたら、)

おたよがどんな気持でいるか、ということを考えたら、

(そうでしょう、そうだろういへえ」)

そうでしょう、そうだろう伊兵衛」

(かれはふとわきのほうへふりむいた。)

彼はふと脇のほうへ振向いた。

(そっちのほうでひとごえがしはじめたからである。)

そっちのほうで人声がし始めたからである。

(みるとまつばやしのすぐむこうのそうげんに、)

見ると松林のすぐ向うの草原に、

(しごにんのさむらいたちがあつまってなにかはなしていた。)

四五人の侍たちが集まってなにか話していた。

(みのかさをきてつりざおをもって、)

簑笠をきて釣り竿を持って、

(こんなところにぼんやりたたずんでいるかっこうをみつかったらはずかしい。)

こんな処にぼんやり佇んでいる恰好をみつかったら恥ずかしい。

(いそいであるきだそうとしたが、そこでまたふりかえった。)

いそいで歩きだそうとしたが、そこでまた振返った。

(なにかけんあくなこえがしたとおもったら、)

なにか険悪な声がしたと思ったら、

(さむらいたちがぎらりぎらりとかたなをぬいたのである。)

侍たちがぎらりぎらりと刀を抜いたのである。

(ーーああいけない。いへえはびっくりした。)

ーーああいけない。伊兵衛はびっくりした。

(そして、それがひとりのわかものをごにんがとりまいているのだとわかると、)

そして、それが一人の若者を五人がとり巻いているのだとわかると、

(われしらずつりどうぐをなげだし、まつばやしのなかからそっちへかけだしていった。)

われ知らず釣り道具を投げだし、松林の中からそっちへ駆けだしていった。

(「おやめなさい、やめてください」)

「おやめなさい、やめて下さい」

(かれはそうさけびながらてをふった。)

彼はそう叫びながら手を振った。

(こうさけんで、これまたかたなをひらめかしてむかってきた。)

こう叫んで、これまた刀を閃かして向って来た。

(いへえはこまってよこへさけ、「よしてください、そんな、あああぶない、)

伊兵衛は困って横へ避け、「よして下さい、そんな、ああ危ない、

(それだけはどうか、とにかくここは、あっ」)

それだけはどうか、とにかく此処は、あっ」

(てをふり、おじぎをし、こんがんしながら、みぎにひだりに、)

手を振り、おじぎをし、懇願しながら、右に左に、

(とんだりよけたりまわりこんだり、なんともめまぐるしくかつやくし、)

跳んだり除けたり廻りこんだり、なんともめまぐるしく活躍し、

(みるみるうちにごにんのてからかたなをうばいとり、)

みるみるうちに五人の手から刀を奪い取り、

(それをりょうてでひとまとめにして、あたまのうえへたかくあげながら、)

それを両手でひとまとめにして、頭の上へ高くあげながら、

(「どうかゆるしてください、しつれいはおわびします、)

「どうか許して下さい、失礼はお詫びします、

(このとおりですから、どうかひとまず」などといいいいにげまわった。)

このとおりですから、どうかひとまず」などと云い云い逃げまわった。

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