雨あがる 山本周五郎 ⑦
寺尾聰、宮崎美子、主演で映画化。
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問題文
(あおやまていではしゅこうのもてなしをうけた。)
青山邸では酒肴のもてなしを受けた。
(あいきゃくはなく、しゅぜんとふたりだけで、はやしというわかいかしがきゅうじをした。)
相客はなく、主膳と二人だけで、林という若い家士が給仕をした。
(ろうしょくというがどのくあいのみぶんであるか、)
老職というがどのくらいの身分であるか、
(ずいぶんこうだいなかまえだし、きゃくまからみえるなかにわのじゅせきも、)
ずいぶん広大な構えだし、客間から見える中庭の樹石も、
(じんじょうよりはこったもののようであった。)
尋常よりは凝ったもののようであった。
(しゅぜんはあさのできごとにはふれず、)
主膳は朝の出来事には触れず、
(れいをのべるとすぐにいへえのしゅわんをほめだした。)
礼を述べるとすぐに伊兵衛の手腕を褒めだした。
(「じつはみちからはいけんしていたのだが、かれらもそうとうにうでじまんなのだが、)
「実は道から拝見していたのだが、かれらも相当に腕自慢なのだが、
(まるでこどものようにあしらわれたのにはいっきょうでした、しつれいだがごりゅうぎは」)
まるで子供のようにあしらわれたのには一驚でした、失礼だが御流儀は」
(「はあ、おのはとばっとうをやりました、しかしもちろんまだみじゅくでして」)
「はあ、小野派と抜刀をやりました、しかしもちろんまだ未熟でして」
(「むようなごけんそんはおいて、それだけのおうでまえをもちながら)
「無用な御謙遜は措いて、それだけのお腕前をもちながら
(ろうにんしておられるには、なにかしさいのあることとおもうが、)
浪人しておられるには、なにか仔細のあることと思うが、
(もしさしつかえなければおはなしくださらぬか」)
もし差支えなければお話し下さらぬか」
(「それはもう、しさいというほどのことはなし、)
「それはもう、仔細というほどのことはなし、
(まるでおわらいぐさのようなものですが」)
まるでお笑い草のようなものですが」
(いへえはみのうえのあらましをはなした。)
伊兵衛は身の上のあらましを話した。
(しゅうかんとしてきゅうしゅかのなはそれとはいわない。)
習慣として旧主家の名はそれとは云わない。
(ほのめかすていどであいてもなっとくするわけであるが、)
ほのめかす程度で相手も納得するわけであるが、
(かれのはなしぶりのけんじょうさが、ないようのふめいかくさをおぎなったとみえ、)
彼の話しぶりの謙譲さが、内容の不明確さを補ったとみえ、
(ろうにんしたりゆうも、そのあとのにんかんがうまくいかなかったわけも、)
浪人した理由も、その後の任官がうまくいかなかったわけも、
(しゅぜんにはおよそりかいがついたようであった。)
主膳にはおよそ理解がついたようであった。
(「そういうこともありそうですな、うむ、)
「そういうことも有りそうですな、うむ、
(わたしなどにはおくゆかしくおもわれるごしょうぶんが、)
私などには奥ゆかしく思われる御性分が、
(ほかのばあいにはかえってじゃまになる、まわりあわせというか、)
他のばあいには却って邪魔になる、まわりあわせというか、
(うんふうんというか、しゅくめいというか」)
運不運というか、宿命というか」
(しゅぜんはなにやらいってうなずいて、「ではけんぽうのほかにもきゅうばそうじゅつ、)
主膳はなにやら云って頷いて、「では剣法のほかにも弓馬槍術、
(やわらなどもごたんのうなわけですな」)
やわらなども御堪能なわけですな」
(「たんのうなどとはとんでもない、)
「堪能などとはとんでもない、
(もうしあげたとおりまことにそこつなものでございまして」)
申上げたとおりまことに疎忽なものでございまして」
(「いやわかりました、うちあけていうとこんなそうきゅうにおまねきしたのは、)
「いやわかりました、うちあけて云うとこんな早急にお招きしたのは、
(わたしのほうにもひとつおねがいがあるのです」)
私のほうにも一つお願いがあるのです」
(つまりもういちどここでうでをみせてもらいたい、)
つまりもういちどここで腕を見せて貰いたい、
(じつはそのためにあいてをするものをさんにんまたせてある、というのであった。)
実はそのために相手をする者を三人待たせてある、というのであった。
(そのときはもうかなりさけがはいっていた。)
そのときはもうかなり酒がはいっていた。
(しゅぜんがいしきてきにのませたようでもあるが、)
主膳が意識的に飲ませたようでもあるが、
(いへえはどちらかというとすこしよっているほうがいいので、)
伊兵衛はどちらかというと少し酔っているほうがいいので、
(むろんかいかつにしょうちした。)
むろん快活に承知した。
(「よろしかったらただいまでもけっこうです」)
「よろしかったら唯今でも結構です」
(「ではごめいわくでもあろうが」)
「では御迷惑でもあろうが」
(しゅぜんがこえをかけるとうしおだいろくがきた。つぎのまにいたらしい。)
主膳が声をかけると牛尾大六が来た。次の間にいたらしい。
(あちらのよういをきいてまいれといわれ、さがっていったが、)
あちらの用意をきいてまいれと云われ、さがっていったが、
(すぐによういのできていることをふくめいした。)
すぐに用意のできていることを復命した。
(あんないされたのはどうじょうであった。)
案内されたのは道場であった。
(このいえについてたてられたもので、)
この家に付いて建てられたもので、
(おもやのろうかをふたまがりしたところにあり、)
母屋の廊下を二た曲りしたところに在り、
(ちいさいながらもつくりもせいしきだし、ひかえべやもあるもようだった。)
小さいながらも造りも正式だし、控え部屋もあるもようだった。
(しゅぜんのあとからいへえがはいってゆくと、そのひかえのほうからもさんにん、)
主膳のあとから伊兵衛が入ってゆくと、その控えのほうからも三人、
(こちらとまをあわせるようにでてきた。)
こちらと間を合わせるように出て来た。
(だがどうしたことか、そのさんにんのなかのひとりは、)
だがどうしたことか、その三人の中の一人は、
(いへえのすがたをみるとぎょっとし、つれのものになにごとかいうと、)
伊兵衛の姿を見るとぎょっとし、伴れの者になにごとか云うと、
(そのままひかえべやへひきかえしてしまった。)
そのまま控え部屋へ引返してしまった。
(いへえはべつにきにもとめず、すみへいってはかまのももだちをしぼり、)
伊兵衛はべつに気にもとめず、隅へいって袴の股立をしぼり、
(だいろくのもってきたぼくとうのなかからよくえらみもせずにいっぽんとった。)
大六の持って来た木刀の中からよく選みもせずに一本取った。
(はちまきもたすきもしないのである。)
鉢巻も襷もしないのである。
(むこうでもひとりがしたくをし、ややながいぼくとうをもって、)
向うでも一人が支度をし、やや長い木刀を持って、
(しゅぜんになにかささやいていた。)
主膳になにか囁いていた。
(にじゅうしちはちになるこがらなせいねんで、)
二十七八になる小柄な青年で、
(いろのくろいせいかんそうなかおに、しろいはがきわだってみえた。)
色の黒い精悍そうな顔に、白い歯が際立ってみえた。
(やがてしゅぜんのしょうかいでふたりはあいたいした。)
やがて主膳の紹介で二人は相対した。
(せいねんははらだじゅうべえというそうで、)
青年は原田十兵衛というそうで、
(いへえのかまえをみると、にやっとびしょうした。)
伊兵衛の構えを見ると、にやっと微笑した。
(こしののびたまのぬけたようなかまえがおかしかったらしい。)
腰の伸びた間のぬけたような構えが可笑しかったらしい。
(いへえはそうともしらず、めをほそくしてほほえみかえし、)
伊兵衛はそうとも知らず、眼を細くして頬笑み返し、
(おまけにひょいとおじぎをしたので、はらだせいねんはあやうくしっしょうしそうになった。)
おまけにひょいとおじぎをしたので、原田青年は危うく失笑しそうになった。
(むろんしっしょうしはしない、からくもがまんしたが、)
むろん失笑しはしない。辛くもがまんしたが、
(おおいにきはらくになったらしく、せっきょくてきにかけごえをあげて、)
大いに気は楽になったらしく、積極的に掛け声をあげて、
(しきりにとうしのさかんなところをしめした。)
頻りに闘志のさかんなところを示した。
(いへえのかまえはずんべらぼうとしたものだった。)
伊兵衛の構えはずんべらぼうとしたものだった。
(まるっきりつかまえどころがない。)
まるっきり捉まえどころがない。
(たくましくあついかたをすこしまえかがみにして、ぼくとうをまえへつきだして、)
逞しく厚い肩を少し前かがみにして、木刀を前へつき出して、
(しりさがりのめでものやさしげにあいてをながめている。)
尻下りの眼でものやさしげに相手を眺めている。
(うっかりするとにらめっこでもはじめそうなかっこうだった。)
うっかりすると睨めっこでも始めそうな恰好だった。
(はらだせいねんがするどくさけび、ひじょうないきおいでからだごとうちこんだ。)
原田青年が鋭く叫び、非常な勢いで躯ごと打ち込んだ。
(こがらなからだがつぶてのとぶようにみえた。)
小柄な躯がつぶての飛ぶように見えた。
(が、いへえはただつまさきでたって、)
が、伊兵衛はただ爪さきで立って、
(ぼくとうをすっとずじょうへあげただけである。)
木刀をすっと頭上へ挙げただけである。
(はらだせいねんはすっとんでいってどうじょうのはめいたへあたまでもってつきあたり、)
原田青年はすっ飛んでいって道場の羽目板へ頭でもって突き当り、
(ひとりではねかえって、ぶったおれて、だがすぐはんみをおこして、)
独りではね返って、ぶっ倒れて、だがすぐ半身を起こして、
(ちょっとかんがえて、「まいった」とさけんだ。)
ちょっと考えて、「まいった」と叫んだ。