菊千代抄 山本周五郎 ①

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プレイ回数2341難易度(4.1) 3628打 長文
武家の因習で男として育てられた娘の話。
自分は男であると疑わず育った菊千代。
物心がつきはじめ、女であることに気づくが受け入れられない。
葛藤を抱える日々、衝動的に凄惨な事件を起こしてしまう。
起承転結の「結」が非常に素晴らしい出来。
山本周五郎の隠れた傑作。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 kanta 4695 C++ 4.9 95.5% 729.6 3592 166 79 2024/03/11

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問題文

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(きくちよはまきのえちごのかみさだながのだいいっしとしてうまれた。)

菊千代は巻野越後守貞良の第一子として生れた。

(はははまつだいらいずみのかみのりすけのおんなである。)

母は松平和泉守乗佑の女である。

(さだながはがんのまづめのちょうさんだいぶで、そのころじしゃぶぎょうをつとめ、)

貞良は雁の間詰の朝散太夫で、そのころ寺社奉行を勤め、

(なかなかはぶりがよかった。)

なかなかはぶりがよかった。

(まきのけのかみやしきはまるのうちにあったが、)

巻野家の上屋敷は丸の内にあったが、

(きくちよはおもににほんばしはまちょうのなかやしきか、)

菊千代はおもに日本橋浜町の中屋敷か、

(ふかがわおなぎさわのしもやしきでそだてられた。)

深川小名木沢の下屋敷でそだてられた。

(よういくのせきにんしゃはひぐちじろうべえといい、)

養育の責任者は樋口次郎兵衛といい、

(もとじせきかろうをつとめたきんげんでしずかなろうじんだった。)

もと次席家老を勤めた謹厳でしずかな老人だった。

(みのまわりのせわはまつおといううばがした。)

身のまわりのせわは松尾という乳母がした。

(かのじょはきのしたいちろうえもんというかるいみぶんのもののむすめで、)

彼女は木下市郎右衛門という軽い身分のものの娘で、

(いちどものがしらのやしろふじしちへかしたが、)

いちど物頭の屋代藤七へ嫁したが、

(にねんめにこをうむとまもなくしべつしてしまった。)

二年めに子を産むとまもなく死別してしまった。

(そのときはすでにきくちよのうばにあがっていたので、)

そのときはすでに菊千代の乳母にあがっていたので、

(いらいずっとそばをはなれずつかえとおした。)

以来ずっと側をはなれず仕えとおした。

(ちちのさだながはつきにごたびくらいはかかさずあいにきた。)

父の貞良は月に五たびくらいは欠かさず会いに来た。

(ひげのこい、めのおおきな、こわいようなかおで、)

髭の濃い、眼の大きな、こわいような顔で、

(せたけのごしゃくはっすんあまりもある、)

背丈の五尺八寸あまりもある、

(からだつきのたくましいひとだったが、)

躯つきの逞しい人だったが、

(くちのききぶりはしずかでやさしく、)

口のききぶりはしずかでやさしく、

など

(わらうとこいくちひげのしたにまっしろなきれいなはがみえ、)

笑うと濃い口髭の下にまっ白なきれいな歯が見え、

(かたほうのほおにえくぼができる。)

片方の頬にえくぼができる。

(いかにもおだやかなあたたかそうなわらいがおで、)

いかにも穏やかな温かそうな笑い顔で、

(これにはだれもがひきつけられずにはいられなかったようだ。)

これには誰もがひきつけられずにはいられなかったようだ。

(あいにくると、ちちはきくちよをまえにすわらせてたのしそうにさけをのんだ。)

会いに来ると、父は菊千代を前に坐らせてたのしそうに酒を飲んだ。

(そのせきにはきゅうじのためにしょうねんのこしょうをふたり、)

その席には給仕のために少年の小姓を二人、

(それとうばのまつおしかちかよせなかった。)

それと乳母の松尾しか近よせなかった。

(またどんなきゅうようがあってもとりつぎはきんじられていた。)

またどんな急用があっても取次ぎは禁じられていた。

(まだきくちよがうばのてにだかれているじぶんから、)

まだ菊千代が乳母の手に抱かれているじぶんから、

(さだながはしきりにさけをのませた。)

貞良はしきりに酒を飲ませた。

(みっつよつになるとぜんをならべさせ、「さあわか、ひとつまいろう」)

三つ四つになると膳を並べさせ、「さあ若、ひとつまいろう」

(などとまじめなかおでさかずきをもたせたりした。)

などとまじめな顔で盃を持たせたりした。

(ははにはごくたまにしかあわなかった。)

母にはごくたまにしか会わなかった。

(いちねんにさんかいかごかいくらい、ひつようのあるしきじつにかみやしきへゆくので、)

一年に三回か五回くらい、必要のある式日に上屋敷へゆくので、

(そのときあうわけであるが、きくちよあまりははがすきではなかった。)

そのとき会うわけであるが、菊千代はあまり母が好きではなかった。

(かみのけがおもたそうにみえるほどおおく、ほおがこけて、)

髪毛が重たそうにみえるほど多く、頬がこけて、

(あとできくとびょうしんだったというが、いつもしずんだかおつきで、)

あとで聞くと病身だったというが、いつも沈んだ顔つきで、

(きくちよをいつもかわいがってくれるようなことはなかった。)

菊千代をいつも可愛がって呉れるようなことはなかった。

(むしろきくちよのすがたをみるのがつらいような、)

むしろ菊千代の姿を見るのがつらいような、

(めをそむけたいといったふうなようすさえかんじられた。)

眼をそむけたいといったふうなようすさえ感じられた。

(そうだ、ははにはつらかったのだ。)

そうだ、母にはつらかったのだ。

(ずっとのちになってそうきづいたが、とうじはなにもしらなかったので、)

ずっとのちになってそう気づいたが、当時はなにも知らなかったので、

(こちらでもあまえるきもちなどはおこらず、)

こちらでもあまえる気持などは起こらず、

(あいさつをしてほんのしばらくいるだけでもきづまりなくらいだった。)

挨拶をしてほんの暫くいるだけでも気づまりなくらいだった。

(じぶんのからだにいじょうなところがあるということを、)

自分のからだに異常なところがあるということを、

(はじめてしったのはろくさいのなつであった。)

初めて知ったのは六歳の夏であった。

(そのまえのとしからあそびあいてとしてしちにんばかり、)

そのまえの年から遊び相手として七人ばかり、

(かちゅうのおなじとしごろのこどもがえらまれてきた。)

家中の同じとしごろの子供が選まれて来た。

(これらのうちはっきりおぼえているのは、わずかにひだりのさんめいだけである。)

これらのうちはっきり覚えているのは、僅かに左の三名だけである。

(しょうごまんのすけちゅうろうかくざえもんのさんなん)

庄吾満之助  中老角左衛門の三男

(まきのちからべっけおうみのかみやすときのごなん)

巻野 主税  別家遠江守康時の五男

(すぎむらはんざぶろうそばようにんはんだゆうのじなん)

椙村半三郎  側用人半太夫の二男

(そのほかには「あか」とか「かんぷり」とか)

そのほかには「赤」とか「かんぷり」とか

(「ずっこ」などいうあだながきおくにあるが、)

「ずっこ」などいうあだ名が記憶にあるが、

(そのいみもわからないし、かおかたちもたいていわすれてしまった。)

その意味もわからないし、顔かたちもたいてい忘れてしまった。

(さてろくさいのときのことであるが、はまちょうのやしきのにわであそんでいるうち、)

さて六歳のときのことであるが、浜町の屋敷の庭で遊んでいるうち、

(うばのまつおがちょっとそばをはなれたすきをみて、)

乳母の松尾がちょっと側を離れた隙をみて、

(だれかがいけのさかなをつかまえようといいだした。)

誰かが池の魚をつかまえようと云いだした。

(きくちよのほかにさんにんばかり、すぐさまはかまをぬぎ、)

菊千代のほかに三人ばかり、すぐさま袴をぬぎ、

(すそをまくって、いけのなかへはいってさかなをおいまわした。)

裾を捲って、池の中へはいって魚を追いまわした。

(そのうちにきくちよのまえへまわったひとりが、)

そのうちに菊千代の前へまわった一人が、

(とつぜんおおきなこえでさけんだのである。)

とつぜん大きな声で叫んだのである。

(「やあ、わかさまのおちんぼはこわれてらあ」)

「やあ、若さまのおちんぼはこわれてらあ」

(きくちよはぎくっとして、)

菊千代はぎくっとして、

(まくっていたすそをはんしゃてきにおろしてぼうだちになった。)

捲っていた裾を反射的におろして棒立ちになった。

(さけんだものがだれであったかおもいだせない、そのしゅんかんのじぶんのきもちも、)

叫んだ者が誰であったか思いだせない、その瞬間の自分の気持も、

(ばくぜんとしたきょうふというくらいのいんしょうしかのこっていないが、)

漠然とした恐怖というくらいの印象しか残っていないが、

(ふしぎなことには、まわりにいたものがみんなぴたりとなりをひそめ、)

ふしぎなことには、まわりにいた者がみんなぴたりと鳴りをひそめ、

(いきをのんだようないようなかおつきをしたことだけは、)

息をのんだような異様な顔つきをしたことだけは、

(かなりねんげつがたってからもあざやかにおもいだすことができた。)

かなり年月が経ってからもあざやかに思いだすことができた。

(そのちんもくはごくみじかいじかんであった。)

その沈黙はごく短い時間であった、

(ちはんにいたひとりがはかまのままいけのなかへはいってきて、)

池畔にいた一人が袴のまま池の中へはいって来て、

(「なにをいうのか、おまえはわるいやつだ」)

「なにを云うのか、おまえは悪いやつだ」

(こういういみのことをさけんで、そのぼうげんをくちにしたものをつきとばした。)

こういう意味のことを叫んで、その暴言を口にした者を突きとばした。

(そうしてきくちよのかたをだくようにして、)

そうして菊千代の肩を抱くようにして、

(いけからたすけあげるところへ、まつおがはしってきたのである。)

池から助けあげるところへ、松尾が走って来たのである。

(きくちよはなきだした、なきながらまつおにとびつき、)

菊千代は泣きだした、泣きながら松尾にとびつき、

(みんなのめからにげるように、)

みんなの眼から逃げるように、

(まつおのてをつかんでごてんのほうへかけだした。)

松尾の手を掴んで御殿のほうへ駆けだした。

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