菊千代抄 山本周五郎 ⑭

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プレイ回数1245難易度(4.2) 3084打 長文
武家の因習で男として育てられた娘の話。
自分は男であると疑わず育った菊千代。
物心がつきはじめ、女であることに気づくが受け入れられない。
葛藤を抱える日々、衝動的に凄惨な事件を起こしてしまう。
起承転結の「結」が非常に素晴らしい出来。
山本周五郎の隠れた傑作。

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問題文

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(ぜんていにはまつやくりやならなどのはやしがあり、)

前庭には松や栗や楢などの林があり、

(そのはしにたつとひろいたにかいがながめられる。)

その端に立つとひろい谷峡が眺められる。

(ながれのはやいかわにそって、しろいみちがとおくのやまのかなたへとのびているが、)

流れの早い川に沿って、白い道が遠く山の彼方へと延びているが、

(それはかさまからやまごしにほくりくどうへつうじているそうで、)

それは嵩間から山越しに北陸道へ通じているそうで、

(しかしあまりひとのいききはなく、)

しかしあまり人の往来はなく、

(みかけるのはおおくふきんのきょうそんのものであった。)

みかけるのは多く付近の郷村の者であった。

(きくちよはやいちだけつれて、うまでりょうないをまわったり、)

菊千代は弥市だけ伴れて、馬で領内をまわったり、

(ゆみをもってもりからやまへわけいったりした。)

弓を持って森から山へわけ入ったりした。

(ひたちびとはがんこでいじがつよいときいていたが、)

常陸人は頑固で意地がつよいと聞いていたが、

(さんそんのひとびとにもそういうきふうがあって、)

山村の人々にもそういう気風があって、

(たてぬしとしってもふひつようなさわぎはしない。)

館主と知っても不必要な騒ぎはしない。

(きくちよはたびたびでさきでべんとうをつかったが、)

菊千代はたびたび出先で弁当をつかったが、

(ごくまずしいのうかなどでもさほどおそれかしこむようなふうはなかった。)

ごく貧しい農家などでもさほどおそれかしこむようなふうはなかった。

(にど、さんどとたちよるうちには、ろうじんなどがきらくにせけんばなしをしかけたり、)

二度、三度とたち寄るうちには、老人などが気楽に世間話をしかけたり、

(またべんとうのさいやしるをつくってだしたりした。)

また弁当の菜や汁を作って出したりした。

(「おくちにはあいますまいが、めしあがっていただこうとおもってこしらえたですから」)

「お口には合いますまいが、召上って頂こうと思ってこしらえたですから」

(そんなふうにいって、ぬりのはげたわんやかけざらなどをならべる。)

そんなふうに云って、塗の剥げた椀や欠け皿などを並べる。

(やきぼしのかわざかなとやさいをにたもの、みそしる、ふるづけのたくあん。)

焼干しの川魚と野菜を煮たもの、味噌汁、古漬けのたくあん。

(たいていこういったもので、なるほどきくちよのくちにはあわなかった。)

たいていこういったもので、なるほど菊千代の口には合わなかった。

(ただかれらのこういをむにしたくないだけではしをつけたのであるが、)

ただかれらの好意を無にしたくないだけで箸をつけたのであるが、

など

(なれればやかたのりょうりとはちがったふうみがあり、)

馴れれば屋形の料理とは違った風味があり、

(やがてだされたものはあまさずたべるようになった。)

やがて出されたものは余さず喰べるようになった。

(たべものになれるにしたがって、かれらのせいかつにもなれていった。)

喰べ物に馴れるにしたがって、かれらの生活にも馴れていった。

(いちねんばかりのあいだにたちよるいえはおよそきまったが、)

一年ばかりのあいだにたち寄る家はおよそきまったが、

(このんでよるのはなみやまむらのもへい、はらのたけつぐ、)

好んで寄るのは波山村の茂平、原の竹次、

(やすけむらのたくろうというさんけんであった。)

保毛村の太九郎という三軒であった。

(これらはみなまずしいこさくにんで、とくにはらのたけつぐはひどいせいかつをしていた。)

これらはみな貧しい小作人で、特に原の竹次はひどい生活をしていた。

(いちはらかずえもんというみょうだいなぬしのはなしによると、)

市原数右衛門という名代名主の話によると、

(たけつぐふさいはかさまのにんげんであって、)

竹次夫妻は嵩間の人間であって、

(りょうしゃともしょうかそだちであるがこいなかになったのをゆるされず、)

両者とも商家そだちであるが恋仲になったのを許されず、

(いろいろとめんどうなわけもあって、)

いろいろと面倒なわけもあって、

(じゅうねんほどまえついにふたりでかけおちをし、)

十年ほどまえついに二人でかけおちをし、

(このとちへきていついたのだという。)

この土地へ来て居着いたのだという。

(「このへんではひゃくしょうはひえをくってさんだいというくらいで、)

「このへんでは百姓は稗を食って三代というくらいで、

(あのふうふもまあまごのだいまでしんぼうするきがあれば、)

あの夫婦もまあ孫の代まで辛抱する気があれば、

(ひゃくしょうでくえるようにもなるでしょうが・・・」)

百姓で食えるようにもなるでしょうが・・・」

(かずえもんはそういったが、)

数右衛門はそういったが、

(それはそのままでかれらふうふのくるしいせいかつをよくいいあらわしていた。)

それはそのままでかれら夫婦の苦しい生活をよくいいあらわしていた。

(はらはやかたにちかかったし、ふさいのみのうえをきいてからたしょうはこうきしんもあって、)

原は屋形に近かったし、夫妻の身の上を聞いてから多少は好奇心もあって、

(きくちよはしげしげたけつぐのいえへいった。)

菊千代はしげしげ竹次の家へいった。

(ときにはひとりで、にわへあるきにでたままゆくこともあった。)

ときには独りで、庭へ歩きに出たままゆくこともあった。

(たけつぐもおいくというつまもとしよりはずっとふけてみえた、)

竹次もおいくという妻も年よりはずっとふけてみえた、

(ふたりのあいだにしょうたといってななつになるこがあるが、)

二人のあいだに正太といって七つになる子があるが、

(おやこともそろってむくちで、)

親子とも揃って無口で、

(けれどもいつもさんにんいっしょにもくもくとはたらいていた。)

けれどいつも三人いっしょに黙々と働いていた。

(たでもはたけでも、まききりにゆくにもかならずさんにんいっしょだった。)

田でも畑でも、薪伐りにゆくにも必ず三人いっしょだった。

(やすむひまのない、そのうえなれないろうどうと、)

休む暇のない、そのうえ慣れない労働と、

(ひんきゅうしたくらしのためにつかれきったふうである。)

貧窮した暮しのために疲れきったふうである。

(こいなかなどというなまめいたはなしとはえんのとおいすがたであった。)

恋仲などというなまめいた話とは縁の遠い姿であった。

(かれらがいっしょにいるのをみるたびに、)

かれらがいっしょにいるのを見るたびに、

(すをおわれたすずめのおやこが、みをよせあって)

巣を逐われた雀の親子が、身を寄せあって

(じっとさむさをしのいでいるようにおもえ、)

じっと寒さを凌いでいるように思え、

(きくちよはひそかにこうつぶやいたものだ。)

菊千代はひそかにこう呟やいたものだ。

(あのふたりはじぶんたちのこいをくやんでいるのではないだろうか、)

あの二人は自分たちの恋を悔んでいるのではないだろうか、

(じぶんたちのこいのためにおたがいをにくむようなことはないだろうか。)

自分たちの恋のためにお互いを憎むようなことはないだろうか。

(そのとしのあきのあるひ。)

その年の秋の或る日。

(それはいねかりのじきのことであるが、)

それは稲刈りの時期のことであるが、

(きくちよがかれらのたのちかくをあるいていたとき、)

菊千代がかれらの田の近くを歩いていたとき、

(たけつぐといくとがはげしくいいあらそっているのをみた)

竹次といくとが激しくいいあらそっているのを見た

(きくちよはひとりで、もりからおかへぬけて、しらないやまみちをおりてくると、)

菊千代は独りで、森から丘へぬけて、知らない山道を下りて来ると、

(ぐうぜんかれらのたのわきへでたのである。)

偶然かれらの田の脇へ出たのである。

(たけつぐといくだ。ふたりのたかいこえとすがたをみてすぐにきがつき、)

竹次といくだ。二人の高い声と姿を見てすぐに気がつき、

(われしらずみちばたのかんぼくのしげみへみをかくした。)

われ知らず道ばたの灌木の茂みへ身を隠した。

(たはみちからいちだんひくいので、)

田は道から一段低いので、

(ふうふのそばでしょうたがないているのもみえた。)

夫婦の側で正太が泣いているのも見えた。

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