契りきぬ 山本周五郎 ①

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不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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問題文

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(「またよっちまったのかい、しようのないこだねえ、)

「また酔っちまったのかい、しようのないこだねえ、

(おきゃくさんはどうしたの」)

お客さんはどうしたの」

(「いまきくちゃんがでてるわ、こうなっちゃだめよかあさん、)

「いま菊ちゃんが出てるわ、こうなっちゃだめよかあさん、

(このひとにはおさむらいはいけないって、あたしそいってあるじゃないの」)

このひとにはお侍はいけないって、あたしそ云ってあるじゃないの」

(「おさむらいばかりじゃないか、)

「お侍ばかりじゃないじゃないか、

(おきゃくっておきゃくをふるんじゃないか、)

お客ってお客を振るんじゃないか、

(それあいまのうちはいいさ、かせぐことはかせいでくれるんだから、)

それあ今のうちはいいさ、稼ぐことは稼いで呉れるんだから、

(こっちはまあいいけどさ、こんなこっちゃおまえ、)

こっちはまあいいけどさ、こんなこっちゃおまえ、

(いまにおきゃくがだまっちゃいないよ、さんざっぱらおまわりだの)

いまにお客が黙っちゃいないよ、さんざっぱらおまわりだの

(すきなようにひきまわしておいてさ、)

好きなようにひきまわしておいてさ、

(いざとなるとみんなおあずけなんだもの、あれじゃあんまりひどいよ」)

いざとなるとみんなおあずけなんだもの、あれじゃあんまりひどいよ」

(「あたしだってはじめのうちはそうだったわ、)

「あたしだって初めのうちはそうだったわ、

(ひとにもよるだろうけれど、)

ひとにもよるだろうけれど、

(よごれないうちはついいちにちのばしにしたいもんよ」)

汚れないうちはつい一日延ばしにしたいもんよ」

(「このこはそんなうぶなんじゃないね、)

「このこはそんな初心なんじゃないね、

(どうして、そうとうしょうばいずれがしているよ、)

どうして、相当しょうばいずれがしているよ、

(しろうとでこんなにさけびたりになれるもんじゃないし、)

素人でこんなに酒びたりになれるもんじゃないし、

(しょうわるでゆうめいなかしげんさんまでてだまにとるところなんかさ)

性わるで有名な柏源さんまで手玉にとるところなんかさ

(たまものまえじゃないけれど、いまにきっとしっぽをだすからみてごらん」)

玉藻前じゃないけれど、いまにきっと尻尾を出すからみてごらん」

(よいつぶれたおなつはうつらうつらとそこまできいていた。)

酔いつぶれたおなつはうつらうつらとそこまで聞いていた。

など

(かなしいなとおもった。そうしていつものように、)

悲しいなと思った。そうしていつものように、

(くちのなかでははのなをよびながら、いつかねむってしまったらしい。)

口のなかで母の名を呼びながら、いつか眠ってしまったらしい。

(そのどろのようなふゆかいなねむりのなかで、)

その泥のような不愉快な眠りのなかで、

(めずらしくおやしきのせいじろうさまのゆめをみた。)

珍しくお屋敷の正二郎さまの夢を見た。

(まるまるとふとったほっぺたをあかくして)

まるまると肥った頬っぺたを赤くして

(たけのぼうでいっしょけんめいにじめんをほっていらっしゃる。)

竹の棒でいっしょけんめいに地面を掘っていらっしゃる。

(なにをしていらっしゃるのかときくと、)

なにをしていらっしゃるのかときくと、

(このなかにいいものがあるんだよ。)

この中にいい物があるんだよ。

(まっといで、いまみんなおまえにやるからね。)

待っといで、いまみんなおまえにやるからね。

(こういっているうちに、そのほったあなから)

こう云っているうちに、その掘った穴から

(どんどんみずがわきだした。)

どんどん水が湧きだした。

(さあてをいれておとりというので、)

さあ手を入れてお取りというので、

(みずのなかへてをいれてかきさぐると、いっしゅぎんがざくざくでてきた。)

水の中へ手を入れて掻きさぐると、一朱銀がざくざく出て来た。

(いくらでもでてくるのである。)

幾らでも出て来るのである。

(うれしさのあまりむねがどきどきし、)

うれしさの余り胸がどきどきし、

(これでおこめもかえるしかあさんのおくすりもかえる。)

これでお米も買えるし母さんのお薬も買える。

(こうおもいながらみずのなかからつかみだしてはておけへいれていると)

こう思いながら水の中から掴みだしては手桶へ入れていると

(きゅうにしゅういでわらいごえがおこった。)

急に周囲で笑いごえが起った。

(びっくりしてみまわすと、せいじろうさまはかげもかたちもなく、)

びっくりして見まわすと、正二郎さまは影もかたちもなく、

(きんじょのあくどうたちがおおぜいとりまいて、みているのである。)

近所の悪童たちが大勢とりまいて、見ているのである。

(かれらのげらげらわらいはやすこえと、)

かれらのげらげら笑いはやす声と、

(みのちぢむようなはずかしさとでおもわずうめきごえをあげ、)

身の縮むような恥かしさとで思わず呻きごえをあげ、

(そのうめきごえでめがさめた。)

その呻きごえで眼がさめた。

(めがさめてもわらいごえはやまない。)

眼がさめても笑いごえはやまない。

(そっとあたまをあげてみると、ほうばいのおんなたちがごにん)

そっと頭をあげてみると、朋輩の女たちが五人

(あかるくしたあんどんのまわりで、ももをたべながらはなしたりわらったりしていた。)

明るくした行燈のまわりで、桃を食べながら話したり笑ったりしていた。

(むやみにあかいいろのねまきの、すそもむねもあらわにして)

むやみに赤い色の寝衣の、裾も胸もあらわにして

(おしろいのはげたつかれたようなかおに、)

おしろいの剥げた疲れたような顔に、

(ねのくずれたかみのけがかぶさるのもかまわず、)

根の崩れた髪の毛がかぶさるのも構わず、

(くちやてゆびををびしょびしょにしながらももにかぶりつき、)

口や手指をびしょびしょにしながら桃にかぶりつき、

(あけすけなことばできゃくのしなさだめをしてはわらうのである。)

あけすけな言葉で客のしなさだめをしては笑うのである。

(なんてたのしそうだろう、このひとたちにはこんなせいかつが、)

なんて楽しそうだろう、このひとたちにはこんな生活が、

(くるしくもはずかしくもないのだろうか。)

苦しくも恥かしくもないのだろうか。

(おなつはそっとねがえりをうち、)

おなつはそっと寝返りをうち、

(あまみずのしみのあるかべのほうへむいてめをつむった。)

雨水のしみのある壁のほうへ向いて眼をつむった。

(「おとこってへんなものよ、きぬまきさんのごれんちゅうさ、)

「男ってへんなものよ、衣巻さんの御連中さ、

(みんなそうとうなおいえがらのむすこさんばかりでしょ、)

みんな相当なお家柄の息子さんばかりでしょ、

(やなぎまちあたりでずいぶんはでにあそぶっていうのに、それですまなくって、)

柳町あたりでずいぶん派手に遊ぶっていうのに、それで済まなくって、

(しゃみせんもろくにひけないこんなかしっぷちへくるんだもの」)

三味線もろくに弾けないこんな河岸っぷちへ来るんだもの」

(「ごちそうばかりたべてると、)

「御馳走ばかり食べてると、

(たまにはおこうこでちゃづけがほしくなるのさ」)

たまにはお香こで茶漬が欲しくなるのさ」

(「あらごちそうはこっちのほうじゃないか」)

「あら御馳走はこっちのほうじゃないか」

(おきくといういちばんとしかさのおんながいった。)

お菊といういちばん年嵩の女が云った。

(「やなぎちょうなんかはいちりゅうとかなんとかいってさ、)

「柳町なんかは一流とかなんとかいってさ、

(いやにおたかくとまってきれいごとなあそびしかさせやしないさ、)

いやにお高くとまってきれいごとな遊びしかさせやしないさ、

(そこへいくとあたいたちはみえもきどりもありやしない、)

そこへいくとあたいたちはみえも気取りもありやしない、

(あぶらののったこってりとしたところをそれこそしょくしょうするほど」)

脂の乗ったこってりしたところをそれこそ食傷するほど」

(わあっとわらってたたいたりさけんだり、)

わあっと笑って叩いたり叫んだり、

(しょうじがおとをたてるようなさわぎがおこった。)

障子が音をたてるような騒ぎが起った。

(いいえそうじゃない、このひとたちもみんなきのどくなみのうえなんだ。)

いいえそうじゃない、このひとたちもみんな気の毒な身の上なんだ。

(こんなどんぞこのようなせいかつへおちるまでには、)

こんなどん底のような生活へ堕ちるまでには、

(かなしいつらいじじょうがあったにちがいない。)

悲しい辛い事情があったに違いない。

(ああやってたのしそうにわらっているけれど、)

ああやって楽しそうに笑っているけれど、

(こころのなかではみんなはずかしさとくるしさにないているのだ。)

心のなかではみんな恥かしさと苦しさに泣いているのだ。

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