契りきぬ 山本周五郎 ③

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不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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(ちちのもきちとあにのいちのじょうとは、しちばんあらいぜきというもちばをまもっていたが、)

父の茂吉と兄の市之丞とは、七番洗堰という持場を守っていたが、

(こうずいのためながされていっしょにしに、)

洪水のため流されていっしょに死に、

(ははとおなつとはあしがるながやにいて、つぶれたいえのしたじきになり、)

母とおなつとは足軽長屋にいて、潰れた家の下敷になり、

(おなつはぶじだったけれども、)

おなつは無事だったけれども、

(はははこしとみぎのふともものほねをおってしまった。)

母は腰と右の太腿の骨を折ってしまった。

(へいせいならそんなことはないのだが、)

平生ならそんなことはないのだが、

(りょうないぜんぱんにわたるたいさいで、ちちやあにのとむらいはともかく、)

領内全般にわたる大災で、父や兄の葬らいはともかく、

(ははのことはおなつのうえにぜんぶかかってきた。)

母のことはおなつのうえに全部かかってきた。

(しんるいもしるべもみなおおかれすくなかれみずにやられている。)

親類も知辺もみな多かれ少なかれ水にやられている。

(けっきょくはかねをかり、かりたかねにしばられて、)

結局は金を借り、借りた金に縛られて、

(りんぱんのこんなとちへおちてきたのであるが、)

隣藩のこんな土地へ堕ちて来たのであるが、

(おなつがこっちへくるまえかのじょのそんなぎせいにもかかわらず、)

おなつがこっちへ来るまえ彼女のそんな犠牲にもかかわらず、

(はははついにしんでしまった。だんしがいなければはんとのかんけいはたえる。)

母はついに死んでしまった。男子がいなければ藩との関係は絶える。

(またいずれにしてもこんなみじめなきょうがいにおちるとすれば、)

またいずれにしてもこんなみじめな境涯に堕ちるとすれば、

(いっそははにはしんでもらったほうがよかったかもしれない。)

いっそ母には死んで貰ったほうがよかったかもしれない。

(こうなったのはじぶんのつみではない。)

こうなったのは自分の罪ではない。

(どうしてもやむをえないじじょうだったのだ。)

どうしてもやむを得ない事情だったのだ。

(けれどもこれからさきはじぶんのもんだいだ。)

けれどもこれからさきは自分の問題だ。

(おなつはこうおもった。そういうせかいへはいってしまえば)

おなつはこう思った。そういう世界へはいってしまえば

(もうおしまいだという。それがせけんいっぱんのつうねんである。)

もうおしまいだという。それが世間一般の通念である。

など

(だがじぶんはそうかんたんにあきらめはしないとおもった。)

だが自分はそう簡単に諦めはしないと思った。

(このんでおちたのではない、ぬきさしならぬわけがあって、)

好んで堕ちたのではない、ぬきさしならぬわけがあって、

(そのほかにしゅだんがなくておちてきたのである。)

そのほかに手段がなくて堕ちて来たのである。

(だからこんどはこっちのばんだとおもった。)

だからこんどはこっちの番だと思った。

(むねたというかめいもなくなりおやもきょうだいもない、)

宗田という家名もなくなり親もきょうだいもない、

(ばあいによればいのちをすててもいいのである。)

ばあいによれば命を捨ててもいいのである。

(おなつはそうかくごをきめていた。)

おなつはそう覚悟をきめていた。

(さんじゅうしちはっけんあるしょうかのなかでも、)

三十七八軒ある娼家の中でも、

(「みよし」のおてつというおんなあるじははらのひろいのんきなしょうぶんで、)

『みよし』のおてつという女あるじは肚のひろい暢気な性分で、

(そんなかぎょうによくある、おんなたちをむりにはたらかせるとか、)

そんな稼業によくある、女たちをむりに働かせるとか、

(きゃくからあこぎにしぼるなどということがなく、)

客からあこぎに絞るなどということがなく、

(いえもおおきくへやのかずもおおく、さけさかなもぎんみするというふうで、)

家も大きく部屋の数も多く、酒さかなも吟味するというふうで、

(「みよしはごけのごくらくだ」などといわれていた。)

「みよしは後家の極楽だ」などといわれていた。

(おなつにはすぐにきゃくがついた。)

おなつにはすぐに客がついた。

(きりょうもよかったが、そだちがちがうのでどこかひとめをひくらしい。)

きりょうもよかったが、育ちが違うのでどこかひと眼をひくらしい。

(みぶんはあしがるにもせよぶしはぶしというほこりがあって、)

身分は足軽にもせよ武士は武士という誇りがあって、

(あるてんではむしろみぶんのたかいぶけよりきちんとそだてられた。)

ある点では寧ろ身分の高い武家よりきちんと育てられた。

(ひかえめなせいしつでいて、どことなくおりめのりんとしたきょそ、)

ひかえめな性質でいて、どことなく折目の凛とした挙措、

(そんなところがきゃくのこうきしんをそそるようであった。)

そんなところが客の好奇心をそそるようであった。

(おなつはすなおにせきのとりもちをした。)

おなつはすなおに席のとりもちをした。

(そのあいだにさけをのめるだけのみ、)

そのあいだに酒を飲めるだけ飲み、

(きゃくとふたりだけになるとわるよいでくるしみだす、)

客と二人だけになるとわる酔いで苦しみだす、

(てんてんとへやじゅうもがきまわったり、おうとしたり、)

転々と部屋じゅうもがきまわったり、おうとしたり、

(くるしがってなきわめいたり、きゃくをののしったりした。)

苦しがって泣き喚いたり、客を罵ったりした。

(「ひどいやつだ、あんなおんなははじめてだ」)

「ひどいやつだ、あんな女は初めてだ」

(ひとばんじゅうかいほうさせられたうえ、ののしられらんぼうをされて、)

ひと晩じゅう介抱させられたうえ、罵られ乱暴をされて、

(こんなふうにおこってかえるきゃくがある。)

こんなふうに怒って帰る客がある。

(もうけっしてあんなおんなにはかまわないといいながら、)

もう決してあんな女には構わないと云いながら、

(つぎにくるとかならずまたかのじょをよぶのであった。)

次に来ると必ずまた彼女を呼ぶのであった。

(「おい、こないだのばんのことはわすれちゃいないだろうな、)

「おい、こないだの晩のことは忘れちゃいないだろうな、

(ひどいめにあわせたぜほんとうに」)

ひどいめにあわせたぜ本当に」

(「ごめんなさい」おなつはみみまであかくなってうつむく。)

「ごめんなさい」 おなつは耳まであかくなって俯向く。

(じぶんにはじているのだが、あいてはもちろんそうはとらない。)

自分に恥じているのだが、相手はもちろんそうはとらない。

(またそうしているうちはきわだったかおだちの、)

またそうしているうちは際立った顔だちの、

(とにめがうつくしく、たちいがきびきびしていて、)

とに眼が美しく、起ち居がきびきびしていて、

(しかもぜんたいがしっとりとおちついている。)

しかもぜんたいがしっとりとおちついている。

(「なにもそんなにかたくなっていることはないじゃないか、)

「なにもそんなに固くなっていることはないじゃないか、

(さあひとついこう、ただしこんやはかいほうはごめんだぜ」)

さあ一ついこう、但し今夜は介抱はごめんだぜ」

(こうしてきゃくのほうからしぜんとさけをすすめる。)

こうして客のほうからしぜんと酒をすすめる。

(いっぱいがじゅっぱい、わんのふたになりわんでのみだし、)

一杯が十杯、椀の蓋になり椀で飲みだし、

(たべもしないさかなやかしをちゅうもんさせ、しまいにそこらじゅうの)

食べもしない肴や菓子を注文させ、しまいにそこらじゅうの

(へやのとこのまからはなをあつめてきて、それをりょうてでだいて、)

部屋の床間から花を集めて来て、それを両手で抱いて、

(「おまえだけよ、あたしのなかよしはおまえたちだけだわね」)

「おまえだけよ、あたしの仲良しはおまえたちだけだわね」

(そんなことをいって、はなのなかへかおをうずめてなきだし、)

そんなことを云って、花の中へ顔をうずめて泣きだし、

(なきながらねむってしまう、そんなこともめずらしくはなかった。)

泣きながら眠ってしまう、そんなことも珍しくはなかった。

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