契りきぬ 山本周五郎 ⑤

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不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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問題文

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(ほかのさんにんがゆからかえり、おてつがようたしからもどると、)

ほかの三人が湯から帰り、おてつが用達しから戻ると、

(じょうだんからこまがでたようなかたちで、)

冗談から駒が出たようなかたちで、

(このきみょうなけいやくがあらためておてつとおんなたちのあいだにとりかわされた。)

この奇妙な契約が改めておてつと女たちのあいだに取交わされた。

(おなつがすすんでそのなかまにはいるといったことは、)

おなつが進んでその仲間にはいると云ったことは、

(おんなたちにいっしゅのけいぶのきもちをおこさせたらしい。)

女たちに一種の軽侮の気持を起させたらしい。

(あんなにけっぺきそうにきゃくをふりつづけてきたのに、)

あんなに潔癖そうに客を振り続けてきたのに、

(ことにおさむらいのきゃくにはけっしてでなかったのに、)

ことにお侍の客には決して出なかったのに、

(やっぱりよくはおそろしい、ななりょうにぶとしょうもんをまかれるときいて、)

やっぱり慾は恐ろしい、七両二分と証文を巻かれると聞いて、

(いままでかくしていたしょうたいをだしたのだ。)

今まで隠していた正体を出したのだ。

(そんなふうにおもうようすが、)

そんなふうに思うようすが、

(たがいのめまぜのなかにあらわなくらいでていた。)

互いのめまぜのなかにあらわなくらい出ていた。

(なんとでもおもうがいい、いまにわかることさ、)

なんとでも思うがいい、いまにわかることさ、

(あたしがどんなおんなになるか、そのときになってびっくりしないがいい。)

あたしがどんな女になるか、そのときになってびっくりしないがいい。

(おなつはへいぜんとそっぽをむいていた。)

おなつは平然とそっぽを向いていた。

(さっきおきくによびかけたときから、ふしぎにどきょうがきまっていた。)

さっきお菊に呼びかけたときから、ふしぎに度胸がきまっていた。

(ひゃくよにちのせいかつでいつかかんじょうがなれていたのかもしれない。)

百余日の生活でいつか感情が慣れていたのかもしれない。

(いきるためにはにんげんはいろいろなことをする。)

生きるためには人間はいろいろなことをする。

(ぬすんだり、ひとをさっしょうするものさえある。)

盗んだり、人を殺傷する者さえある。

(いちがいによごれたせかいというけれども、)

いちがいに汚れた世界というけれども、

(あれだけおおくのきゃくがここへきてたのしんでゆくではないか。)

あれだけ多くの客がここへ来て楽しんでゆくではないか。

など

(ここにいるおんなたちだって、)

ここにいる女たちだって、

(じぶんのすきでやっているものもなくはないだろうが、)

自分の好きでやっている者もなくはないだろうが、

(おおくのものはおやきょうだいかみうちをいかすためにかせいでいる、)

多くの者は親兄弟か身内を生かすために稼いでいる、

(なかにはやんでいるおっとやこどものあるものもいるという。)

なかには病んでいる良人や子供のある者もいるという。

(みんないきるためなのだ。)

みんな生きるためなのだ。

(これがよごれたせかいだとすれば、)

これが汚れた世界だとすれば、

(こんなせかいのそんざいをよぎなくさせるせけんもまたけがらわしいはずだ。)

こんな世界の存在を余儀なくさせる世間もまた汚らわしい筈だ。

(このなかでいきてやれ、だれよりもこのせかいのおんならしく、)

このなかで生きてやれ、誰よりもこの世界の女らしく、

(みんながあっというようないきかたをしてやれ。)

みんながあっというような生きかたをしてやれ。

(おなつはこうはらをきめ、そして、それにはぜひとも)

おなつはこう肚をきめ、そして、それにはぜひとも

(きたはらというそのひとをだいいちのきゃくにしようとけっしんしたのであった。)

北原というその人を第一の客にしようと決心したのであった。

(「まあごまめのはぎしりだね、きのどくだけれど」)

「まあごまめの歯ぎしりだね、気の毒だけれど」

(おてつはこういってわらった「ーーあのかただけはだめさ、)

おてつはこう云って笑った「ーーあの方だけはだめさ、

(あのはっぽうやぶれにゃてもあしもでやしないよっ、)

あの八方やぶれにゃ手も足も出やしないよっ、

(どうしてどうして、おまえさんたちがしゃちょこだちをしたって」)

どうしてどうして、おまえさんたちがしゃちょこ立をしたって」

(それからにさんにちしてきぬまきたちがきた。)

それから二三日して衣巻たちが来た。

(くれがたまではれていたのが、くらくなってまもなくかみなりがなりだし、)

昏れがたまで晴れていたのが、暗くなってまもなく雷が鳴りだし、

(いっとききもちのいいゆうだちがきた。)

いっとき気持のいい夕立が来た。

(それがあがるかとおもったのが、すこしよわくなったままじあめになり、)

それがあがるかと思ったのが、少し弱くなったまま地雨になり、

(よいをすぎてもやむけしきがなかった。)

宵を過ぎてもやむけしきがなかった。

(きぬまきたちはそのあめのなかをやってきたのである。)

衣巻たちはその雨の中をやって来たのである。

(えんかいのくずれとみえ、)

宴会のくずれとみえ、

(まつおかちょうの「やそはち」というりょうていのしるしいりのかさをもっていた。)

松岡町の『八十八』という料亭の印いりの傘を持っていた。

(かれらがざしきへおさまってから、)

かれらが座敷へおさまってから、

(おなつはほうばいのなみというおんなをとらえ、)

おなつは朋輩のなみという女をとらえ、

(すどのそとまでいって、どれがきたはらというひとかときいた。)

簾戸の外までいって、どれが北原という人かときいた。

(「そらあれがきぬまきさん、あんたきぬまきさんはしってんでしょ、)

「そらあれが衣巻さん、あんた衣巻さんは知ってんでしょ、

(あのふとったひと、そのみぎがいまむらさん、ええいませんすをもってるひと、)

あの肥った人、その右が今村さん、ええいま扇子を持ってる人、

(そのとなりがきたはらさんよ、へいきなかおでにやにやしてるでしょ、)

その隣りが北原さんよ、平気な顔でにやにやしてるでしょ、

(いつもあのとおりなの、ーーあら、どうかして」)

いつもあのとおりなの、ーーあら、どうかして」

(「いいえなんでもない、なんでもないわよ、わかったわ」)

「いいえなんでもない、なんでもないわよ、わかったわ」

(「あんたおざしきどうするの、でないの」)

「あんたお座敷どうするの、出ないの」

(「ええあとでゆくわ、いまちょっと」)

「ええあとでゆくわ、今ちょっと」

(おなつはろうかをじぶんたちのへやのほうへともどった。)

おなつは廊下を自分たちの部屋のほうへと戻った。

(こころはひどくどうようしていた、ふしぎだ、たしかににている、)

心はひどく動揺していた、ふしぎだ、たしかに似ている、

(しょうじろうさまのおさながおにそっくりだ。)

正二郎さまの幼な顔にそっくりだ。

(へやへはいると、おなつはくずれるようにそこへすわり、)

部屋へはいると、おなつは崩れるようにそこへ坐り、

(くらいかべのひとつところをもうぜんとみまもった。)

暗い壁のひとつところを惘然と見まもった。

(おなつはこのあいだみたゆめをおもいだした。)

おなつはこのあいだ見た夢を思いだした。

(しょうじろうがせっせとじめんをほっている、)

正二郎がせっせと地面を掘っている、

(このなかにいいものがある、みんなおまえにやるという。)

この中にいい物がある、みんなおまえにやると云う。

(みずのわきだすそのあなのなかから、いっしゅぎんがざくざくでてきた。)

水の湧きだすその穴の中から、一朱銀がざくざく出て来た。

(うれしさにむねがどきどきし、)

うれしさに胸がどきどきし、

(これでおこめもかえるしかあさんのおくすりもかえるとおもった。)

これでお米も買えるし母さんのお薬も買えると思った。

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