契りきぬ 山本周五郎 ⑲

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プレイ回数1017難易度(4.4) 2678打 長文
不遇を脱したい一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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問題文

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(よっかめのあさ、かどやいちべえがたつとき、おなつはやどはずれまで)

四日目の朝、角屋市兵衛が立つとき、おなつは宿はずれまで

(おくっていった。きりのふかいあさで、いわねやまのしゃめんは)

送っていった。霧のふかい朝で、岩根山の斜面は

(こいちちいろのまくにおおわれていたが、ようえいするきりのあいだから)

濃い乳色の幕に掩われていたが、揺曳する霧のあいだから

(ときおりもえるようなこうようがあざやかにみえた。)

ときおり燃えるような紅葉が鮮かに見えた。

(「またかえりによらせてもらいますよ、こんどはあまりていねいなことは)

「また帰りに寄らせて貰いますよ、こんどはあまり丁寧なことは

(しないようにね、こっちもきがやすまらないから、たのみますよ」)

しないようにね、こっちも気が安まらないから、頼みますよ」

(こういってかどやしゅじゅうはわかれていった。)

こう云って角屋主従は別れていった。

(かれらはすぐきりのなかへみえなくなったが、おなつはややしばらく)

かれらはすぐ霧の中へ見えなくなったが、おなつはやや暫く

(そこにたってみおくっていた。)

そこに立って見送っていた。

(それからひきかえしたのであるが、やどのいえなみにかかるところで、)

それから引返したのであるが、宿の家並にかかるところで、

(やはりどこかのやどをたってきたらしい、しごにんのきゃくとすれちがった。)

やはりどこかの宿を立って来たらしい、四五人の客とすれちがった。

(こいきりがまいているので、ちかづくまでわからなかったが、)

濃い霧が巻いているので、近づくまでわからなかったが、

(すがたがみえたときかれらがぶけであるのをしり、)

姿が見えたときかれらが武家であるのを知り、

(はっとしてわきへそむいて、あしばやにすれちがった。)

はっとして脇へそむいて、足ばやにすれちがった。

(そのときかれらのなかで、あっというこえをあげたものがある。)

そのときかれらのなかで、あっという声をあげた者がある。

(おなつはたしかにそれをきいたようにおもって、)

おなつはたしかにそれを聞いたように思って、

(たちどまってこちらをみるようなけはいをかんじた。)

立停ってこちらを見るようなけはいを感じた。

(しっているひとではないだろうか。)

知っている人ではないだろうか。

(そうおもうとふあんで、ごろくにちはきもちがおちつかなかった。)

そう思うと不安で、五六日は気持がおちつかなかった。

(しかしそれからべつにかわったこともなくいそがしいじきもぶじすぎて、)

しかしそれからべつに変ったこともなく忙しい時期も無事過ぎて、

など

(しだいにきゃくあしもすくなくなり、やがてかわかみのやまやまにゆきがふりはじめた。)

しだいに客足も少くなり、やがて川上の山々に雪が降りはじめた。

(じゅうがつのすえにみっかばかりあめがつづき、それがあがったとおもうと)

十月の末に三日ばかり雨が続き、それがあがったと思うと

(さるやまにもゆきがきた。ここではたいしてつもるようなことはない、)

猿山にも雪が来た。ここではたいして積るようなことはない、

(ちょうどふゆのつゆといったぐあいで、よいのうちとか、)

ちょうど冬の梅雨といったぐあいで、宵のうちとか、

(ごぜんとかごごとか、ひとしきりふるとまもなくはれる。)

午前とか午後とか、ひとしきり降るとまもなく晴れる。

(きんざいのひとたちはそれを「さるやまのきちがいゆき」というそうであるが、)

近在の人たちはそれを『猿山のきちがい雪』というそうであるが、

(そのゆきがきはじめてじゅういちがつにはいり、よっかのひのごごになって)

その雪が来はじめて十一月にはいり、四日の日の午後になって

(とつぜんきたはらせいのすけがたずねてきた。)

とつぜん北原精之助が訪ねて来た。

(おなつはそのときはなれのえんがわで、たかじろうをだいてちちをのませていた。)

おなつはそのとき離れの縁側で、鷹二郎を抱いて乳をのませていた。

(そこはもとやのうしろのすこしたかくなったおかのちゅうふくで、)

そこは本屋のうしろの少し高くなった丘の中腹で、

(みなみのひをいっぱいにうけ、すわっていてもぼっとするくらいあたたかかった。)

南の日をいっぱいにうけ、坐っていてもぼっとするくらい暖かかった。

(こどもはまんぷくしたらしく、ちくびはくわえるだけで、いいきげんに)

子供は満腹したらしく、ちくびはくわえるだけで、いいきげんに

(はなごえをたてながら、しきりにてでりょうのちぶさをいたずらしていた。)

鼻声をたてながら、しきりに手で両の乳房をいたずらしていた。

(「さあもういいの、おいたをするならないないちまちょ、)

「さあもういいの、おいたをするならないないちまちょ、

(ね、またあとでーー」そういってちちをはなそうとしていると、)

ね、またあとでーー」そう云って乳を離そうとしていると、

(もとやへつうずるみちを、いねがおちつかないようすでのぼってきた。)

本屋へ通ずる道を、いねがおちつかないようすで登って来た。

(ほんのうてきなびんかんとでもいうのだろう、せかせかしたいねのあしどりを、)

本能的な敏感とでもいうのだろう、せかせかしたいねの足どりを、

(きんちょうしたかおつきをみるなり、おなつははっといろをかえ、)

緊張した顔つきをみるなり、おなつははっと色を変え、

(こどもをだいてにげるようにざしきのなかへかくれた。)

子供を抱いて逃げるように座敷の中へ隠れた。

(いねはあとからはいってくると、えんがわのしょうじをしめ、)

いねはあとからはいって来ると、縁側の障子を閉め、

(おなつのそばへきてすわった。)

おなつの側へ来て坐った。

(「あのかたがおいでになったのよ、きたはらさんとおっしゃったわね、)

「あの方がおいでになったのよ、北原さんとおっしゃったわね、

(いままでおあいてをして、いろいろおはなしをうかがったけれど」)

今までお相手をして、いろいろお話をうかがったけれど」

(「あたしが、いるって、ここにいるって、いっておしまいになったの」)

「あたしが、いるって、ここにいるって、云っておしまいになったの」

(「まだそうはいわないけれど、でもすっかりしっておいでに)

「まだそうは云わないけれど、でもすっかり知っておいでに

(なったらしい、あんたいつかおさむらいとすれちがったとき)

なったらしい、あんたいつかお侍とすれちがったとき

(どうとかいってたでしょ、あのときのかたがきぬまきさんとかいうひとで、)

どうとか云ってたでしょ、あのときの方が衣巻さんとかいうひとで、

(それからてをまわしておしらべになったようだわ」)

それから手をまわしてお調べになったようだわ」

(「それでもおかみさんがしらないといいとおしてくだされば、)

「それでもおかみさんが知らないと云いとおして下されば、

(ひとちがいだといってくださればいいわ、そうでなければあたし」)

人ちがいだと云って下さればいいわ、そうでなければあたし」

(「まあとにかくおちつきなさいよ」)

「まあとにかくおちつきなさいよ」

(いねはこういって、びっくりしているたかじろうをあやし、)

いねはこう云って、びっくりしている鷹二郎をあやし、

(じぶんのほうへだきとった。そのときしょうじをあけて、)

自分のほうへ抱き取った。そのとき障子をあけて、

(せいのすけがそこへはいってきたのである。)

精之助がそこへはいって来たのである。

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