契りきぬ 山本周五郎 ㉑

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不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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(わきへそむけているおなつのほおに、さっきからなみだがすじを)

脇へそむけているおなつの頬に、さっきから涙がすじを

(なしてながれている。せいのすけはそのなみだをみた、)

なしてながれている。精之助はその涙を見た、

(すりよってだきしめたいしょうどうにかられたらしい、)

すり寄って抱き締めたい衝動にかられたらしい、

(つとみうごきしたが、しかしくっとくちびるをひきむすび、)

つと身動きしたが、しかしくっと唇をひき結び、

(さらにこうことばをついだ。「あのひ、ともだちをよんだのは、)

さらにこう言葉を継いだ。「あの日、友達を呼んだのは、

(かたちばかりだがないしゅうげんのつもりだった、ともだちもそのつもりで、)

かたちばかりだが内祝言のつもりだった、友達もそのつもりで、

(くちにはださなかったが、みんないわってくれた、)

口にはださなかったが、みんな祝ってくれた、

(ちちとははのしょうぞうをぶつまへかざったきもちは、あのときいったはずだ、)

父と母の肖像を仏間へ飾った気持は、あのとき云った筈だ、

(しかし、こんなことはじつは、すこしもはなすひつようはないんだ、なつ、)

しかし、こんなことは実は、少しも話す必要はないんだ、なつ、

(おれはおまえをあいしていた、いまでも、これからも、)

おれはおまえを愛していた、今でも、これからも、

(おれにはおまえのほかにつまはない、おれのあいすることのできるのは)

おれにはおまえのほかに妻はない、おれの愛することのできるのは

(おまえだけだ、なつかえってくれ」)

おまえだけだ、なつ帰ってくれ」

(よいのうちからふりだしたゆきが、さらさらとふけたあまどにおとをたてている。)

宵のうちから降りだした雪が、さらさらと更けた雨戸に音をたてている。

(たかじろうをねかせてあるそばで、いねがなきおなつもなきながらはなしていた。)

鷹二郎を寝かせてある側で、いねが泣きおなつも泣きながら話していた。

(あぶらがすくなくなったのだろう、あんどんのひがじりじりつぶやきながらゆれ、)

油が少くなったのだろう、行燈の火がじりじり呟きながら揺れ、

(ひおけのすみびは、しろくあつくはいをかむっていた。あれからせいのすけは)

火桶の炭火は、白く厚く灰をかむっていた。あれから精之助は

(たかじろうとながいことあそび、いいきもちそうにさけをのんでねた。)

鷹二郎とながいこと遊び、いい気持そうに酒を飲んで寝た。

(よくわかりました。それではかえらせていただきます。)

よくわかりました。それでは帰らせて頂きます。

(おなつがそうこたえたのをしんじて、これでようやくあんしんしてねられる。)

おなつがそう答えたのを信じて、これでようやく安心して寝られる。

(ひさしぶりでこんやはばかのようにねむれる。)

久しぶりで今夜は馬鹿のように眠れる。

など

(そんなことをいったが、そのときのほんとうにあんどしたような)

そんなことを云ったが、そのときの本当に安堵したような

(うれしそうなかおがまだみえるようであった。)

うれしそうな顔がまだ見えるようであった。

(「あたしかげできいていたわ、そしてもらいなきをしたわよ、なつさん」)

「あたし蔭で聞いていたわ、そしてもらい泣きをしたわよ、なつさん」

(いねはなみだをふいて、ささやくようにいった。)

いねは涙を拭いて、囁くように云った。

(「あんなになつさんのことをおもっているんじゃないの、)

「あんなになつさんのことを思っているんじゃないの、

(あんなにいろいろきをくだいていらっしゃるじゃないの、)

あんなにいろいろ気をくだいていらっしゃるじゃないの、

(それをまたにげるなんて、あれだけおもってくれるきもちを)

それをまた逃げるなんて、あれだけ思ってくれる気持を

(うけないなんて、それじゃあんまりひどいとおもうわ」)

受けないなんて、それじゃあんまりひどいと思うわ」

(「あたしだってそうしたいわ、あたしだってあのかたのおそばへゆきたいのよ」)

「あたしだってそうしたいわ、あたしだってあの方のお側へゆきたいのよ」

(おえつがのどをふさぎ、いくらふいてもあとからあとからなみだがほおをぬらした。)

嗚咽が喉をふさぎ、幾ら拭いてもあとからあとから涙が頬を濡らした。

(いますぐにとびだして、そのひとのふところへすがりついて、)

今すぐにとびだして、そのひとのふところへすがりついて、

(こえかぎりになきたいとおもう、だがそうすることはできない。)

声かぎりに泣きたいと思う、だがそうすることはできない。

(おなつはみもだえをし、はをくいしばって、むせびながらつづけた。)

おなつは身もだえをし、歯をくいしばって、むせびながら続けた。

(「あたしあのかたがすきなの、しょうがいでたったひとりのかただわ、)

「あたしあの方が好きなの、生涯でたったひとりの方だわ、

(だからそれだからおそばへはゆけないのよ」)

だからそれだからお側へはゆけないのよ」

(「わからない、あたしにはわからないわ」)

「わからない、あたしにはわからないわ」

(「あたしがはじめてあのかたのところへいったのは、)

「あたしが初めてあの方のところへいったのは、

(あのかたをくどきおとして、おきゃくにして、みよしからおかねをもらい、)

あの方をくどきおとして、お客にして、みよしからお金を貰い、

(しょうもんをとって、みんなをあっといわせるつもりだったの、)

証文を取って、みんなをあっと云わせるつもりだったの、

(ひどい、じぶんでいまかんがえてもあんまりひどい、はずかしい、)

ひどい、自分でいま考えてもあんまりひどい、恥かしい、

(いやらしいきもちだわ・・・あたしがあのかたをほんとうにおもい、)

いやらしい気持だわ・・・あたしがあの方を本当に想い、

(あのかたがあたしをおもってくださるのは、すこしもうそのないきれいな、)

あの方があたしを想って下さるのは、少しも嘘のないきれいな、

(まじりけのないものよ、だからあたしにはできないの、)

まじりけのないものよ、だからあたしにはできないの、

(はじめのいやらしいきたないきもちさえなかったら、どんなむりをしたって)

初めのいやらしい汚い気持さえなかったら、どんな無理をしたって

(おそばへゆくわ、でもあたしにはできない、いちばんはじめのいやしいきもちは、)

お側へゆくわ、でもあたしにはできない、いちばん初めの卑しい気持は、

(どうしたってじぶんでゆるすことができないのよ」)

どうしたって自分でゆるすことができないのよ」

(おなつはたもとでかおをおおい、こえをしのばせてなきいった。)

おなつは袂で顔を掩い、声を忍ばせて泣きいった。

(そうしてくつうをうったえるもののようにくいしばったはのあいだから、)

そうして苦痛を訴えるもののようにくいしばった歯のあいだから、

(たえだえにこういった。)

絶え絶えにこう云った。

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