竹柏記 山本周五郎 ⑤
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問題文
(げんぎんをあつかうやくめだし、まだわかいことではあるし、)
現銀を扱う役目だし、まだ若いことではあるし、
(あやまちていどならどうじょうしてもいいかもしれない。)
あやまち程度なら同情してもいいかもしれない。
(が、やつかのばあいは、てのこんだからくりがしてあり、)
が、八束のばあいは、手のこんだからくりがしてあり、
(うっかりすると、ほかのせきにんになりかねないような、ほうほうがとってあった。)
うっかりすると、他の責任になり兼ねないような、方法がとってあった。
(こうのすけはやつかにちゅういした。まだだれもしらないから、いまのうちに)
孝之助は八束に注意した。まだ誰も知らないから、いまのうちに
(しまつをするがいい。もしひつようなら、ふそくのかねはようだてる、といった。)
始末をするがいい。もし必要なら、不足の金は用立てる、と云った。
(やつかはすなおにあたまをさげ、やむをえなかったじじょうをのべて、)
八束はすなおに頭をさげ、やむを得なかった事情を述べて、
(じゃっかんのしゃくようをもとめた。こうのすけはそれだけのかねを(かなりむりをして))
若干の借用を求めた。孝之助はそれだけの金を(かなり無理をして)
(かしたが、そのときのやつかの、すこしのべんかいもせず、)
貸したが、そのときの八束の、少しの弁解もせず、
(わるびれたふうもなく、あまりにすなおにかしつをみとめ、)
悪びれたふうもなく、あまりにすなおに過失を認め、
(あたまをさげたようすが、ほんらいならよいかんじをうけるはずでであるのに、)
頭をさげたようすが、本来なら好い感じを受ける筈であるのに、
(なにかしらんふゆかいな、はぐらかされたようないんしょうをうけた。)
なにかしらん不愉快な、はぐらかされたような印象を受けた。
(かれはまたおなじようなことをやる。こうのすけはそうおもった。)
彼はまた同じようなことをやる。孝之助はそう思った。
(うっかりしんらいのできないおとこだ。そのかんじはうごかしがたいものであった。)
うっかり信頼のできない男だ。その感じは動かしがたいものであった。
(そして、そのやつかが、かさいのすぎのとふみのこうかんなどしていて、)
そして、その八束が、笠井の杉乃と文の交換などしていて、
(すぎのがりょうしんにはげしくしかられた。ということをきいたとき、)
杉乃が両親に激しく叱られた。ということを聞いたとき、
(こうのすけは、すぎのをじぶんがよめにもらおう、とけっしんした。)
孝之助は、杉乃を自分が嫁に貰おう、と決心した。
(ほかのものならともかく、おかむらにだけはわたしてはならない、)
ほかの者ならともかく、岡村にだけは渡してはならない、
(どんなことがあっても、やつかのよめにだけは、だんじて。)
どんなことがあっても、八束の嫁にだけは、断じて。
(うまれてはじめて、こうのすけは、もえるようなとうしにかられた。)
生れて初めて、孝之助は、燃えるような闘志に駆られた。
(かれはじかにやつかとあって、じぶんがすぎのをあいしていること、)
彼はじかに八束と会って、自分が杉乃を愛していること、
(すぎのをもらうためには、いかなるしゅだんをもじさない、ということを、)
杉乃を貰うためには、いかなる手段をも辞さない、ということを、
(せんこくするようなくちぶりでいった。どうしてわたしにことわるんです。やつかは)
宣告するような口ぶりで云った。どうして私に断わるんです。八束は
(あいきょうのいいかおで、しかしかなりひにくなわらいかたをし、)
愛嬌のいい顔で、しかしかなり皮肉な笑いかたをし、
(かるいちょうしでこういった。それはすぎのさんしだいじゃありませんか。)
軽い調子でこう云った。それは杉乃さんしだいじゃありませんか。
(おばによばれてから、とおかほどたって、しゅうげんのひがせまり、)
叔母に呼ばれてから、十日ほど経って、祝言の日が迫り、
(すべてのよういもととのい、どちらもきんちょうのゆるむ、すうじつがきた。)
すべての用意もととのい、どちらも緊張の緩む、数日が来た。
(こうのすけがごういんに、このえんぐみをまとめたのはけっしておかむらやつかの)
孝之助が強引に、この縁組をまとめたのは決して岡村八束の
(かんけいだけではない、かれはずっといぜんからすぎのをあいしていた。)
関係だけではない、彼はずっと以前から杉乃を愛していた。
(どうしてもすぎのでなければ、というきょうれつなかんじょうではなかった。)
どうしても杉乃でなければ、という強烈な感情ではなかった。
(もしよめにもらうなら、というくらいの、ほのかな、ごくじんじょうな)
もし嫁に貰うなら、というくらいの、ほのかな、ごく尋常な
(こいごころにすぎなかった。かさいへはたまにしかゆかないが、)
恋ごころにすぎなかった。笠井へはたまにしかゆかないが、
(すぎのをみるとこころがあたたまり、しずかな、あんそくとなぐさめをかんじた。)
杉乃を見ると心が温たまり、静かな、安息と慰めを感じた。
(そしてひそかに、このひとだけはいつもしあわせに、)
そしてひそかに、このひとだけはいつもしあわせに、
(ふこうやかなしみをしらずに、いっしょうをおくらせたいものだ。)
不幸や悲しみを知らずに、一生を送らせたいものだ。
(そうおもうのであった。あうたびに、きまっておなじことをおもった。)
そう思うのであった。会うたびに、きまって同じことを思った。
(こんどえんだんがはじまってから、かれはいちどもかさいへはいっていない。)
こんど縁談が始まってから、彼はいちども笠井へはいっていない。
(なこうどは、ろうしょくではんこうのがくとうをつとめる、さたばいしょにたのんだ。)
仲人は、老職で藩校の学頭を勤める、佐多梅所に頼んだ。
(ばいしょはちちとしたしいし、かかくからいって(おもみといういみで))
梅所は父と親しいし、家格からいって(重みという意味で)
(てきとうだとおもったのである。かさいではすうじつのまをおいて、しょうだくのへんじをし、)
適当だと思ったのである。笠井では数日の間をおいて、承諾の返辞をし、
(どうじに「なるべくはやく」というきぼうをだしてきた。)
同時に「なるべく早く」という希望を出してきた。
(おかむらやつかのほうは、こうのすけがもうせんげんしてあった。)
岡村八束のほうは、孝之助がもう宣言してあった。
(すぎのにたいして、りょうしんがどうせっとくしたか、)
杉乃に対して、両親がどう説得したか、
(すぎのがほんとうにしょうだくしたか、どうか。)
杉乃が本当に承諾したか、どうか。
(こうのすけはまったくしらないし、またしろうともおもわなかった。)
孝之助はまったく知らないし、また知ろうとも思わなかった。
(かれはただ、すぎののいっしょうをこうふくにしてやりたい、)
彼はただ、杉乃の一生を幸福にしてやりたい、
(やつかとけっこんすればふこうになるおそれがたぶんにある、)
八束と結婚すれば不幸になるおそれが多分にある、
(じぶんのところへきてくれさえすればいい、)
自分のところへ来て呉れさえすればいい、
(じぶんなら、けっしてふこうにはしない。こうおもうばかりであった。)
自分なら、決して不幸にはしない。こう思うばかりであった。
(こんやくのできたすぐあとのことであるが、じょうちゅうでてつまからよびかけられた。)
婚約のできたすぐあとのことであるが、城中で鉄馬から呼びかけられた。
(はなしたいことがあるのだが。こういうかおいろをみて、)
話したいことがあるのだが。こう云う顔いろを見て、
(こうのすけはそれにはおよばない、とくびをふった。)
孝之助はそれには及ばない、と首を振った。
(てつまははじめからこのえんぐみにはんたいしていた。)
鉄馬は初めからこの縁組に反対していた。
(そのときもかれがなにをいうか、こうのすけにはおよそわかった。)
そのときも彼がなにを云うか、孝之助にはおよそわかった。
(それで、だいじょうぶだよと、びしょうしていった。)
それで、大丈夫だよと、微笑して云った。
(おれはあせらないしょうぶんだからね、じかんをかけるほうはとくいだから。)
おれはあせらない性分だからね、時間をかけるほうは得意だから。
(てつまはそのとき、だまってめをふせた。)
鉄馬はそのとき、黙って眼を伏せた。