竹柏記 山本周五郎 ⑨
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問題文
(ごじちょっとすぎにかさいのひとたちがとうちゃくした。)
五時ちょっと過ぎに笠井の人たちが到着した。
(そのじぶんはもう、すっかりくらくなっていたので、)
そのじぶんはもう、すっかり暗くなっていたので、
(かくざしきやへやはもちろん、ろうかなどにもともしをいれたし、)
各座敷や部屋はもちろん、廊下などにも灯をいれたし、
(こうのすけのゆうじんたちごにんもやってきて、)
孝之助の友人たち五人もやって来て、
(いえのなかはようやく、にぎやかにかっきだってきた。)
家の中はようやく、賑やかに活気だってきた。
(しきのはじまるすこしまえのことであったが、)
式の始まる少しまえのことであったが、
(かれのへやへかさいてつまがあらわれて、「すまないが、ちょっと」)
彼の部屋へ笠井鉄馬があらわれて、「済まないが、ちょっと」
(そこにいるおばたちに、ざをはずしてもらうようにという、めくばせをした。)
そこにいる叔母たちに、座を外して貰うようにという、眼くばせをした。
(おばたちはでていった。こうのすけはかれのようすで、なんのはなしか)
叔母たちは出ていった。孝之助は彼のようすで、なんの話か
(およそさっしがついた。「おかむらからか」)
およそ察しがついた。「岡村からか」
(そうだ、とてつまはうなずいて、いっつうのふうしょをさしだした。)
そうだ、と鉄馬は頷いて、一通の封書をさしだした。
(「いえをでようとするときにきて、これをおいていった、)
「家を出ようとするときに来て、これを置いていった、
(しきのあとでわたしてくれとたのまれたんだが」「ではあとでみよう」)
式のあとで渡して呉れと頼まれたんだが」 「ではあとで見よう」
(「いやここであけてくれないか、おれもぶんめんをしりたいんだ」)
「いやここであけて呉れないか、おれも文面を知りたいんだ」
(てつまはけしきばんでいた。かれにはしらせたくない、じぶんだけで)
鉄馬はけしきばんでいた。彼には知らせたくない、自分だけで
(しまつしたかったが、もうすぐぎけいになる、というかんけいばかりでなく、)
始末したかったが、もうすぐ義兄になる、という関係ばかりでなく、
(いちばんしたしくちかしい、ともだちとして、てつまはみずにはいないだろう、)
いちばん親しく近しい、友達として、鉄馬は見ずにはいないだろう、
(とおもわれた。こうのすけはふうしょをあけた。)
と思われた。孝之助は封書をあけた。
(それはひだりふうじであって、なかはいうまでもなく、)
それは左封じであって、中はいうまでもなく、
(にちじとばしょをしていした、けっとうじょうであった。)
日時と場所を指定した、決闘状であった。
(じゅうがつとうか、ごぜんしちじ、ばしょはたいうんじがはらである。)
十月十日、午前七時、場所は大雲寺ヶ原である。
(「なのかさきだな」てつまがいった。「おれがかいぞえをひきうけよう」)
「七日さきだな」鉄馬が云った。「おれが介添をひきうけよう」
(「なのかさき」とこうのすけはくちのなかでつぶやいた。)
「七日さき」と孝之助は口のなかで呟やいた。
(やつかがどれほどのうでか、まるでしらない。)
八束がどれほどの腕か、まるで知らない。
(しょうぶはうでだけでなく、そのときのはずみにもよるし、)
勝負は腕だけでなく、そのときのはずみにもよるし、
(きりょくやとうしにもさゆうされる。こうのすけはじぶんのうでにそうじしんはないが、)
気力や闘志にも左右される。孝之助は自分の腕にそう自信はないが、
(むざむざまけようとはかんがえられない。)
むざむざ負けようとは考えられない。
(だが、やつかのひのえらびかたに、ちょっとぎゃくをとられたようにおもった。)
だが、八束の日の選び方に、ちょっと逆を取られたように思った。
(かさいのひとたちが、いえをでるちょくぜんに、このはたしじょうをわたした。)
笠井の人たちが、家を出る直前に、このはたし状を渡した。
(こうのすけにではなく、てつまのてをつうじて、)
孝之助にではなく、鉄馬の手を通じて、
(それは、てつまもこれをみるだろう、ということと、)
それは、鉄馬もこれを見るだろう、ということと、
(じじつをしゅうげんのまえにくりあげられることをさけるためにちがいない。)
時日を祝言の前にくりあげられることを避けるために違いない。
(かれはすぎのにもおもいしらせるつもりなのだ。)
彼は杉乃にも思い知らせるつもりなのだ。
(いちどよめにゆかせて、なのかめにおっとをしなせてやろう。)
いちど嫁にゆかせて、七日めに良人を死なせてやろう。
(そういうやつかのたくらみと、ゆがんだれいしょうとが、みえるようであった。)
そういう八束の企みと、歪んだ冷笑とが、見えるようであった。
(「かいぞえのことは、そのときまた」こうのすけはそういいながら、)
「介添のことは、そのときまた」孝之助はそう云ながら、
(それをまいてふうにおさめた。しきがおわり、きゃくたちもかえり、)
それを巻いて封におさめた。式が終り、客たちも帰り、
(しゅくえんのあとかたづけがすんだのはじゅういちじにちかいころであった。)
祝宴のあと片づけがすんだのは十一時に近いころであった。
(はんのふるくからのしゅうかんで、しゅうげんのあとかたづけには、しんふうふも)
藩の古くからの習慣で、祝言のあと片づけには、新夫婦も
((たいていけいしきだけではあるが)てつだわなくてはならない。)
(たいてい形式だけではあるが)手つだわなくてはならない。
(おそらくはすでにきょうりょくせいかつがはじまったということを、)
おそらくはすでに協力生活が始まったということを、
(きょうかいするものであろう。またいっぱんとはちがってなこうどふさいもあとにはのこらず、)
教戒するものであろう。また一般とは違って仲人夫妻もあとには残らず、
(しぜんねやのさかずきはふたりだけでとりかわすしきたりであった。)
しぜん寝屋の盃は二人だけでとり交わすしきたりであった。
(きがえをするまえに、すぎのはもういちど、りょうへいのところへあいさつにいった。)
着替えをするまえに、杉乃はもういちど、良平のところへ挨拶にいった。
(しゅうげんのときには、びょうしょうをうつして、ねたままでしきにのぞんだのであるが、)
祝言のときには、病床を移して、寝たままで式に臨んだのであるが、
(かのじょはあらためて、びょうまへもいったのである。)
彼女は改めて、病間へもいったのである。
(そんなすなおなきもちに、なっていてくれたのだろうか。)
そんなすなおな気持に、なっていて呉れたのだろうか。
(これからよめとしてつかえる。というけんきょなきもちのようにおもえて、)
これから嫁として仕える。という謙虚な気持のように思えて、
(こうのすけはふとむねのあたたまるのをかんじた。)
孝之助はふと胸の温たまるのを感じた。
(ねやにはびょうぶを(やぐをかくすように)とりまわし、)
寝屋には屏風を(夜具を隠すように)とりまわし、
(しょくだいのそばに、さほうどおり、さかずきのしたくがしてあった。)
燭台のそばに、作法どおり、盃の支度がしてあった。