竹柏記 山本周五郎 ⑬
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問題文
(やつかのうしろにいるのが、いつかのきやとくというおとこと、)
八束のうしろにいるのが、いつかの木屋徳という男と、
(そのこぶんたちであるのを、こうのすけはみた。これはいけない。)
その子分たちであるのを、孝之助は見た。これはいけない。
(やつかひとりなら、むしょうぶにしてわかいのほうほうがとれるとおもった。)
八束ひとりなら、無勝負にして和解の方法がとれると思った。
(そのくらいのじしんはあったのだが、さんにんもじゃまものがいては、)
そのくらいの自信はあったのだが、三人も邪魔者がいては、
(ぶじにすませるのぞみはほとんどない。したくをしながらみやると、)
無事に済ませる望みは殆んどない。支度をしながら見やると、
(やつかの(さすがにはかまこそつけているが)ふところてをして、)
八束の(さすがに袴こそつけているが)ふところ手をして、
(ぬっとたっているかっこうは、がいぶんもみえもすてた、)
ぬっと立っている恰好は、外聞もみえも棄てた、
(ふてぶてしさそのものであったし、ほかのさんにんは、すそをはしょり、)
ふてぶてしさそのものであったし、他の三人は、裾を端折り、
(はちまき、たすきをかけ、はやくもながわきざしをぬいていた。)
鉢巻、襷をかけ、早くも長脇差を抜いていた。
(そのまま、ぶらいなかまのけんかといったけしきで、)
そのまま、無頼なかまの喧嘩といったけしきで、
(はたしあいということばのもつせいけつさは、みじんもなかった。)
はたし合という言葉のもつ清潔さは、微塵もなかった。
(ふりかえってみたが、かさいてつまもそのほかのだれのくるようすもない。)
ふり返ってみたが、笠井鉄馬もそのほかの誰の来るようすもない。
(こうのすけはけっしんして、かれらのほうへあゆみよった。)
孝之助は決心して、かれらのほうへ歩み寄った。
(「おひとりとはさっそうたるものだな、きょうはろんぱんでにげるわけには)
「お一人とは颯爽たるものだな、今日は論判で逃げるわけには
(いかないぜ」「わたしはげろうなどはあいてにしない」こうのすけはしずかにこたえた。)
いかないぜ」「私は下郎などは相手にしない」孝之助は静かに答えた。
(「あいてはおかむらやつかひとりだ」かれがそういったとたん、)
「相手は岡村八束ひとりだ」彼がそう云ったとたん、
(「ほざくな」とわめいて、こぶんのひとりがひだりから、)
「ほざくな」と喚いて、子分の一人が左から、
(まるでかたなをたたきつけるようないきおいで、きりこんできた。)
まるで刀を叩きつけるような勢いで、斬り込んで来た。
(こんなむほうなしかたはよそうもしなかった。)
こんな無法な仕方は予想もしなかった。
(あやうくかわしたが、きっさきでそでをさかれた。やつかが「やめろ」とさけんだ。)
危うく躱したが、切尖で袖を裂かれた。八束が「やめろ」と叫んだ。
(どうじにみぎから、きやとくがつっこんできた。)
同時に右から、木屋徳が突っ込んで来た。
(こうのすけはぬきあわせ、あしばをひろくとろうとして、うしろへとびすさった。)
孝之助は抜き合せ、足場を広くとろうとして、うしろへとび退った。
(するともうひとりのこぶんが、みぎうしろからこぶしだいのいしをなげつけた、)
するともう一人の子分が、右うしろから拳大の石を投げつけた、
((ちからいっぱいなげた)のが、こうのすけのぼんのくぼにあたった。)
(力いっぱい投げた)のが、孝之助のぼんのくぼに当った。
(みみががんとし、めがくらんで、まえへのめった。)
耳ががんとし、眼がくらんで、前へのめった。
(しまった。そうおもったが、のめりながらふったかたなに、)
しまった。そう思ったが、のめりながら振った刀に、
(てごたえがあり、わっというひめいがきこえた。)
手ごたえがあり、わっという悲鳴が聞えた。
(こうのすけはよこさまにたおれ、くさのうえで、からだをさんてんしながら、)
孝之助は横さまに倒れ、草の上で、躯を三転しながら、
(うちこみにそなえて、すばやくはんみをおこし、かたなをとりなおした。)
打込みに備えて、すばやく半身を起こし、刀をとり直した。
(「やられた、ちくしょう、やりゃあがった」)
「やられた、畜生、やりゃあがった」
(きわめてふゆかいな、しゃがれごえで、そうさけぶのがきこえた。)
極めて不愉快な、しゃがれ声で、そう叫ぶのが聞えた。
(ずっとわきのほうである、とうにんのすがたはみえないが、さけびごえはなおつづいた。)
ずっと脇のほうである、当人の姿は見えないが、叫び声はなお続いた。
(「きりゃあがった、ちくしょう、あのやろう」こうのすけはつよくあたまをふった。)
「斬りゃあがった、畜生、あの野郎」 孝之助は強く頭を振った。
(あたまがくらくらすると、しせんがふあんにみだれる。)
頭がくらくらすると、視線が不安に乱れる。
(かれたくさのいろがゆれ、すぐむこうにいるさんにんのすがたが、)
枯れた草の色が揺れ、すぐ向うにいる三人の姿が、
(そのくさのいろにまぎれこむようにみえた。)
その草の色に紛れこむようにみえた。
(「それだけはよせ」やつかのこえがした、)
「それだけはよせ」八束の声がした、
(「きやとく、そいつはあんまりだ」)
「木屋徳、そいつはあんまりだ」
(いじょうのことは、ごくみじかいじかんのことだった。)
以上のことは、ごく短い時間のことだった。
(おそらくごびょうしばかりのできごとだったろう、)
おそらく五拍子ばかりの出来ごとだったろう、
(こうのすけはからくもたった。まだめのしょうてんがあわなかった。)
孝之助は辛くも立った。まだ眼の焦点が合わなかった。
(しかし、ふみこんできたひとりをかわし、ほかのひとりに(かたなをかえして))
しかし、踏み込んで来た一人を躱し、他の一人に(刀を返して)
(みねうちをくれ、よろめきながら、おおきくわきのほうへあしばをひろげた。)
みね打をくれ、よろめきながら、大きく脇のほうへ足場をひろげた。
(もういちど、さらにいちど、くびをふり、めをみひらいた。)
もう一度、さらに一度、首を振り、眼をみひらいた。
(たいうんじのもりがみえ、そうげんのひろさがややはんぜんとしてきた。)
大雲寺の森が見え、草原の広さがやや判然としてきた。
(するとはじめて、いかりがこみあげてきた。)
すると初めて、怒りがこみあげてきた。
(うしろからいしをなげられたことが、)
うしろから石を投げられたことが、
(そのひれつさよりも、ぶじょくかんでかれをふんぬさせた。)
その卑劣さよりも、侮辱感で彼を忿怒させた。