竹柏記 山本周五郎 ⑰
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問題文
(ほうようのあと、このいえではめずらしく、にぎやかなしゅえんになった。)
法要のあと、この家では珍しく、賑やかな酒宴になった。
(きゃくもしんぞくのほかに、やくどころのうわやくやどうりょうたちもきて、)
客も親族のほかに、役所の上役や同僚たちも来て、
(ぜんぶでさんじゅうよにん、ふたつのきゃくまからはみだすくらいだった。)
ぜんぶで三十余人、二つの客間からはみだすくらいだった。
(それにとしがあけるとげんかんじょうぶぎょうのにんきがみち、こうのすけがかわって)
それに年が明けると現勘定奉行の任期が満ち、孝之助が代って
(しゅうにんするはずだったから、ざのくうきはしぜんとようきになっていった。)
就任する筈だったから、座の空気はしぜんと陽気になっていった。
(おじのせぎくらんどはいいきげんによって、)
叔父の瀬木蔵人はいいきげんに酔って、
(「これからはひとつ、たかやすのかふうをかいぜんしてもらうんだな、)
「これからはひとつ、高安の家風を改善して貰うんだな、
(もっととしょうじをあけはなして、あかるいかっきのあるいえにしてもらいたい、)
もっと戸障子をあけ放して、明るい活気のある家にして貰いたい、
(そういってはなんだが、こじんはどうもきむずかしくて)
そう云ってはなんだが、故人はどうも気むずかしくて
(もんくがおおくていけなかった、ここではさけもゆっくりのめなかった、)
文句が多くていけなかった、ここでは酒もゆっくり飲めなかった、
(これからはそこをなんとか、ひとつ」などといった。するとれいによって、)
これからはそこをなんとか、ひとつ」などと云った。すると例によって、
(ははかたのおじのわたなべまたべえが、わきにいてはなでわらった。「どうもばばしたは)
母方の叔父の渡辺又兵衛が、脇にいて鼻で笑った。「どうも馬場下は
(のんきなものだ、いしをわらわせるためにどうけるようなことをいう」)
暢気なものだ、石を笑わせるために道化るようなことを云う」
(「おかしなことをいうじゃないか、わたしのどこがどうけているんだ」)
「おかしなことを云うじゃないか、私のどこが道化ているんだ」
(「ふかのうなことにしたをつからせていることさ、こうのすけというものには)
「不可能なことに舌を疲らせていることさ、孝之助という者には
(あだながある、りちぎのすけといってな、そのてんではこじんをしのぐじんぶつだろう、)
仇名がある、律義之助といってな、その点では故人を凌ぐ人物だろう、
(いくらうまいようなこといったところで」)
いくらうまいようなこと云ったところで」
(「いやうまいようなことなどいやあしない、わたしはただかふうについて、)
「いやうまいようなことなど云やあしない、私はただ家風について、
(おじのたちばから、ひとこと」そうこうふんすることはない、)
叔父のたちばから、一言」 そう昂奮することはない、
(おじはばばしたひとりではないのだから。)
叔父は馬場下ひとりではないのだから。
(いやじぶんはけっしてこうふんなどしてはいないし、するわけもない。)
いや自分は決して昂奮などしてはいないし、するわけもない。
(といったぐあいに、とめどのないたいわがつづいた。)
といったぐあいに、とめどのない対話が続いた。
(こうのすけはこのふたりのおじの、つみのないくちあらそいをきくのがすきで、)
孝之助はこの二人の叔父の、罪のない口争いを聞くのが好きで、
(びしょうしながらついひきいれられていると、)
微笑しながらついひきいれられていると、
(ひだりにいたてつまが、「おかむらがやられたよ」とみみもとでささやいた。)
左にいた鉄馬が、「岡村がやられたよ」と耳もとで囁いた。
(こうのすけはおかむらときいただけでどきりとした。)
孝之助は岡村と聞いただけでどきりとした。
(「なにかあったのか」「これまでのふぎょうせきさ、ちょくせつにはせんたくまちあたりの)
「なにかあったのか」 「これまでの不行跡さ、直接には洗濯町あたりの
(しゃくざいがこじれたものらしい、しょくろくはんげん、ごじゅうにちのきんしんというはなしだ」)
借財がこじれたものらしい、食禄半減、五十日の謹慎というはなしだ」
(こうのすけはにわかにくらいきもちになった。)
孝之助はにわかに暗い気持になった。
(たいうんじがはらのことがあってから、こうのすけはやつかとあっていない。)
大雲寺ヶ原の事があってから、孝之助は八束と会っていない。
(けっとうのいまわしいじじつは、てつまのほんそうで、おもてざたにならずにすんだ。)
決闘の忌わしい事実は、鉄馬の奔走で、表沙汰にならずに済んだ。
(きやとくとふたりのこぶんはとうぼうし、やつかもじゅうぜんどおりつとめだしていた。)
木屋徳と二人の子分は逃亡し、八束も従前どおり勤めだしていた。
(こうのすけはうたれたこうとうぶがときどきいたみ、)
孝之助は打たれた後頭部がときどき痛み、
(きゅうにたったりするとくらくらすることもあるが、)
急に立ったりするとくらくらすることもあるが、
(いしゃにみせたところでは、ほねにべつじょうがあるわけでもなく、)
医者に診せたところでは、骨に別状があるわけでもなく、
(ときがたてばそんないわもなくなるだろうとおもえた。)
時が経てばそんな異和もなくなるだろうと思えた。
(きけんなところまでいったが、どうやらきりぬけた。)
危険なところまでいったが、どうやらきりぬけた。
(うまくゆけばぶじにおさまるかもしれない。)
うまくゆけば無事におさまるかもしれない。
(そうおもっていたのであった。こまったことになった。)
そう思っていたのであった。困ったことになった。
(こうのすけはやりきれないほどきがしずんだ。)
孝之助はやりきれないほど気が沈んだ。
(しょくろくはんげん、きんしんごじゅうにちといえば、そうとうにおもいばつである。)
食禄半減、謹慎五十日といえば、相当に重い罰である。
(いちおうあれるだけあれて、いくらかこころのおれかかているやつかに、)
いちおう荒れるだけ荒れて、いくらか心の折れかかっている八束に、
(このだげきがどうひびくか。すなおにつみをみとめればいいが、)
この打撃がどうひびくか。すなおに罪を認めればいいが、
(もしじぼうじきになったとしたら。)
もし自暴自棄になったとしたら。
(「もちゅうにこんなことがあるなんて、おりがわるかった、)
「喪中にこんなことがあるなんて、折が悪かった、
(おれがとじょうしているときなら、なんとかしゅだんがあったものを」)
おれが登城しているときなら、なんとか手段があったものを」
(こうのすけはおなじことをつぶやいては、おもいあぐねたように、)
孝之助は同じことを呟いては、思いあぐねたように、
(くりかえしためいきをついた。)
繰り返し溜息をついた。
(それからついすうじつのちのことであった。しんじょへはいるまえに、)
それからつい数日のちのことであった。寝所へ入るまえに、
(つまのへやをみまった。すぎのがひきこもるようになってから、)
妻の部屋をみまった。杉乃がひきこもるようになってから、
(ひにさんどはかならずようすをききにゆく。)
日に三度は必ずようすを訊きにゆく。
(すぎのは(かしてきてからずっと)かたくからをとじているかんじで、)
杉乃は(嫁して来てからずっと)固く殻を閉じている感じで、
(かれがなにかといかけると、「はい」とか「いいえ」と)
彼がなにか問いかけると、「はい」とか「いいえ」と
(かんたんにこたえるが、ほとんどはなしらしいはなしをしたことがなかった。)
簡単に答えるが、殆んど話らしい話をしたことがなかった。
(そのときも、きぶんはどうかときいて、かれはすぐにさるつもりだったが、)
そのときも、気分はどうかと訊いて、彼はすぐに去るつもりだったが、
(やぐのうえにおきていたつまが、ものといたげなひょうじょうをするので、)
夜具の上に起きていた妻が、もの問いたげな表情をするので、
(めずらしくそこへすわった。かみもなでつけただけだし、けしょうもしていず、)
珍しくそこへ坐った。髪もなでつけただけだし、化粧もしていず、
(ねまきのうえにはおりをかさねたままのせいか、すぎのはひどくやつれて、)
寝衣の上に羽折を重ねたままのせいか、杉乃はひどくやつれて、
(しんけいがとがっているようにみえた。)
神経が尖っているようにみえた。