竹柏記 山本周五郎 ㉔
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問題文
(そのよくじつはげじょうがおくれた。というのは、しゅっしするとすぐ)
その翌日は下城が後れた。というのは、出仕するとすぐ
(かろうによばれ、かんじょうぶぎょうにおおせつけられる、というむねを、)
家老に呼ばれ、勘定奉行に仰せつけられる、という旨を、
(つたえられたのである。かろうはわだちともさぶろうといって、)
伝えられたのである。家老は和達友三郎といって、
(ごくおんこうなただしそれだけのひとであったが、どうしてきゅうに、)
ごく温厚な但しそれだけの人であったが、どうして急に、
(そんなおおせがでたか、じぶんでもけんとうがつかないというようすであった。)
そんな仰せが出たか、自分でも見当がつかないというようすであった。
(「すみつきのとうちゃくしだい、げんぶぎょうとそくじつこうたいせよというおたっしである、)
「墨付の到着しだい、現奉行と即日交代せよというお達しである、
(いかなるぎょいからでたかはわかりかねるが、ともかくすぐに)
いかなる御意から出たかはわかりかねるが、ともかくすぐに
(じむのこうたいをするように」こうのすけはちょっととうわくした。)
事務の交代をするように」孝之助はちょっと当惑した。
(このとつぜんのにんめいをきいて、やつかのことを(またしても))
このとつぜんの任命を聞いて、八束のことを(またしても)
(おもいだしたのである。かならずなにかでおやくにたちたい。)
思いだしたのである。必ずなにかでお役に立ちたい。
(こういったが、このにんめいがやつかのほんそうによるものだとすると、)
こう云ったが、この任命が八束の奔走によるものだとすると、
(かれのいまのたちばとして、うけるきもちにはなれない。じたいすべきだとおもった。)
彼の今の立場として、受ける気持にはなれない。辞退すべきだと思った。
(できることならそうしたかったが、はんしゅがじきじきにめいじたやくめを、)
できることならそうしたかったが、藩主がじきじきに命じた役目を、
(りゆうなしにじたいするわけにはゆかない。)
理由なしに辞退するわけにはゆかない。
(そして、かれのりゆうはりゆうにならないのである。)
そして、彼の理由は理由にならないのである。
(「どうしたのか、まさかふとくしんではあるまいな」)
「どうしたのか、まさか不得心ではあるまいな」
(かろうにこういわれて、こうのすけにはいうことばがなく、)
家老にこう云われて、孝之助には云う言葉がなく、
(おうけをするとこたえた。げんぶぎょうのいだじゅうえもんは、)
お受けをすると答えた。現奉行の依田重右衛門は、
(すでにこのこうたいをしっていた。かれはじぶんのがらにないやくをあてられて、)
すでにこの交代を知っていた。彼は自分の柄にない役を当てられて、
(わずかなきかんであったが、そうとうへこたれていたらしい。)
僅かな期間であったが、相当へこたれていたらしい。
(こうのすけをみるといそいそとてをすり、もうすぐにも、やくどころから)
孝之助を見るといそいそと手を擦り、もうすぐにも、役所から
(とびだしてゆきたそうにした。「これでやっといきがつけます、)
とび出してゆきたそうにした。「これでやっと息がつけます、
(さいわいもとのやくにかえれましたのでね、あしがるくみがしらですよ、さっそくひとつ、)
幸い元の役に帰れましたのでね、足軽組頭ですよ、早速ひとつ、
(おもうぞんぶんにかけまわってやります」)
思う存分に駆けまわってやります」
(そんなわけで、かさいのいえへいったときは、もうともしのつくじこくに)
そんなわけで、笠井の家へいったときは、もう灯のつく時刻に
(なっていた。かんじょうぶぎょうしゅうにんのことは、かさいのひとたちにもわかっていて、)
なっていた。勘定奉行就任のことは、笠井の人たちにもわかっていて、
(こうのすけがゆくと、うちいわいのしたくをしているところだった。)
孝之助がゆくと、内祝いの支度をしているところだった。
(「そのまえにはなしたいことがある」かれはてつまにささやいた。)
「そのまえに話したいことがある」彼は鉄馬に囁いた。
(「こちらのごふさいと、すぎのとわたしのよにんだけではなしたいんだ。)
「こちらの御夫妻と、杉乃と私の四人だけで話したいんだ。
(すまないがどこかへやをたのむ」てつまはしょうちして、じぶんのいまをえらんだ。)
済まないがどこか部屋をたのむ」鉄馬は承知して、自分の居間を選んだ。
(すぎのがはなしたのだろう、あによめのおぬひは(じぶんのくちからでたことなので))
杉乃が話したのだろう、兄嫁のおぬひは(自分の口から出たことなので)
(しんぱいそうなうかないかおをしていたし、てつまもしっているらしい、)
心配そうな浮かない顔をしていたし、鉄馬も知っているらしい、
(これはひどくむずかしいめつきで、かたをはるようにすわっていた。)
これはひどくむずかしい眼つきで、肩を張るように坐っていた。
(すぎのはおっとのわきにいたが、きちんとひざをただし、)
杉乃は良人の脇にいたが、きちんと膝を正し、
(まどのほうへめをむけたまま、しまいまでみうごきもしなかった。)
窓のほうへ眼を向けたまま、しまいまで身動きもしなかった。
(「これまでは、たとえどんなうわさがでても、じぶんだけのことなので、)
「これまでは、たとえどんな噂が出ても、自分だけのことなので、
(すてておいてもいいとおもったが、こんどはあねうえというものができ、)
棄てておいてもいいと思ったが、こんどは義姉上というものができ、
(ごじっかにもめいわくのおよぶことをかんがえなければならないので、)
御実家にも迷惑の及ぶことを考えなければならないので、
(こんごのためにひつようだとおもうてんをはなすことにします」)
今後のために必要だと思う点を話すことにします」
(こうのすけはこうかたりだした。もちろんおかむらやつかとなはささなかったが、)
孝之助はこう語りだした。もちろん岡村八束と名はささなかったが、
(ぜんごのかんけいでわかるにちがいない。ようてんはこうきんひしょうのことで、)
前後の関係でわかるに違いない。要点は公金費消のことで、
(それをないみつでかたづけるためにじぶんがむりをしてかねをつくったこと、)
それを内密で片づけるために自分が無理をして金を作ったこと、
(それはあいてによることではなく、たとえなんのゆかりのないにんげんでも、)
それは相手によることではなく、たとえなんのゆかりのない人間でも、
(そういうたちばになれば、だれでもすることであって、)
そういう立場になれば、誰でもすることであって、
(むろんかねをかしたなどというきもちもないし、はじめからかえしてもらおうとは)
むろん金を貸したなどという気持もないし、初めから返して貰おうとは
(おもっていない。さいわいあいてにうんがまわってきて、)
思っていない。幸い相手に運がまわってきて、
(どうやらしゅっせするめあてがついたのだろう、かりたかねはちかいうちに)
どうやら出世するめあてがついたのだろう、借りた金は近いうちに
(へんさいするといっていたが、それはあいてのきもちしだいであって、)
返済すると云っていたが、それは相手の気持しだいであって、
(じぶんはいまでもそんなものはもとめていないのである。)
自分は今でもそんなものは求めていないのである。
(これだけのことを、こうのすけらしいひかえめなひょうげんではなした。)
これだけのことを、孝之助らしい控えめな表現で話した。