めおと蝶 山本周五郎 ①

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね2お気に入り登録
プレイ回数2333難易度(4.1) 3757打 長文
妻に頑なな大目付の夫・良平、結婚は失敗だと思い夫を拒む信乃。
信乃は情の薄い夫・良平を好きになることができない。ある日かつて思いを寄せていた智也が投獄される。

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問題文

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(「ただいやだなんて、そんなこどものようなことをいってどうなさるの、)

「ただいやだなんて、そんな子供のようなことを云ってどうなさるの、

(あなたらいねんはもうにじゅういちになるのでしょう」)

あなた来年はもう二十一になるのでしょう」

(「いくつでもようございますわ、いやなものはいやなんですもの」)

「幾つでもようございますわ、いやなものはいやなんですもの」

(こういってふみよはすましたかおでかしをつまんだ。)

こう云って文代はすました顔で菓子を摘んだ。

(ちいさいころから、「あたしのおはなはてんじょうをむいているのよ」)

小さい頃から、「あたしのお鼻はてんじょうを向いているのよ」

(とじまんしていたはなが、そんなふうにすますとただしくそってみえ、)

と自慢していた鼻が、そんなふうにすますと正しく反ってみえ、

(こどもっぽいあいきょうがでるのでおもしろい。)

子供っぽい愛嬌が出るので面白い。

(しのはついわらいそうになりながら、ちゃをついでやった。)

信乃はつい笑いそうになりながら、茶を注いでやった。

(「いったいそのたけいというかたのどこがおきにいらないの、)

「いったいその武井という方のどこがお気にいらないの、

(ごかぞくもすくないというし、ごみぶんのつりあいもいいし、)

御家族も少ないというし、御身分のつりあいもいいし、

(もうしぶんはなさそうじゃないの」)

申し分はなさそうじゃないの」

(「ですからもうしあげたでしょう、そのかたにはふそくはないんですのよ、)

「ですから申上げたでしょう、その方には不足はないんですのよ、

(ただいやなんです、ほんとうはわたくしけっこんするということがいやなんです」)

ただいやなんです、本当はわたくし結婚するということがいやなんです」

(「まだそんなつまらないことをいって、だってあなた、)

「まだそんな詰らないことを云って、だってあなた、

(おんなはどうしたって、いつかはいえをでなければならないものなのよ」)

女はどうしたって、いつかは家を出なければならないものなのよ」

(「ええわかっていますわ、でもけっこんしなくっても)

「ええわかっていますわ、でも結婚しなくっても

(おいえをでることはできるでしょう、あまさんになってもいいし、)

お家を出ることはできるでしょう、尼さんになってもいいし、

(なにかげいごとをおしえてひとりでくらしてもいいし)

なにか芸事を教えて独りで暮してもいいし

(わたくしだってそのくらいのことはかんがえていますわ」)

わたくしだってそのくらいのことは考えていますわ」

(ふみよのことばつきにはいつもとはちがって、)

文代の言葉つきにはいつもとは違って、

など

(なにかおもいつめたようなひびきがあった。)

なにか思いつめたような響きがあった。

(しのはちょっとおどろいていもうとのかおをみた。)

信乃はちょっと驚いて妹の顔を見た。

(「あなたそれはまじめにおっしゃってるの、ふみよさん」)

「あなたそれはまじめに仰ってるの、文代さん」

(「まじめですとも、わたくしもうずっとまえからそうおもっていたんです」)

「まじめですとも、わたくしもうずっとまえからそう思っていたんです」

(こどもっぽくすましていたふみよのかおが、)

子供っぽくすましていた文代の顔が、

(そのときひもをしめるようにかたくなった。)

そのとき紐を緊めるように硬くなった。

(「ふじたのゆみえさまはもうふたりもおこがあるし、)

「藤田の弓江さまはもう二人もお子があるし、

(ほかのおともだちもたいていむこをとったりおよめにいってますわ、)

ほかのお友達もたいてい婿を取ったりお嫁にいっていますわ、

(そのかたたちのおくらしぶりをみていて、)

その方たちのお暮しぶりをみていて、

(わたくしつくづくけっこんというものがいやになったんですの、)

わたくしつくづく結婚というものがいやになったんですの、

(もっとちょくせつにいえばおねえさまよ、おねえさまだってこのうえむらへ)

もっと直接にいえばお姉さまよ、お姉さまだってこの上村へ

(いらしってごねんになり、こうのすけさんというおこもあって、)

いらしって五年になり、甲之助さんというお子もあって、

(よそめにはへいおんぶじにみえるかもしれないけれど、)

よそ眼には平穏無事にみえるかもしれないけれど、

(けっしておしあわせでないということはふみよにはよくわかっていますわ」)

決しておしあわせでないということは文代にはよくわかっていますわ」

(「まあ、あなたなにをいうの」しのはびっくりしてさえぎった、)

「まあ、あなたなにを云うの」信乃はびっくりして遮った、

(「そんならんぼうなことをいいだしたりして、)

「そんな乱暴なことを云いだしたりして、

(もしひとにきかれでもしたらどうなるの」)

もし人に聞かれでもしたらどうなるの」

(「ではおねえさまはおしあわせですの」)

「ではお姉さまはおしあわせですの」

(ふみよはしんけんなめでみつめる、)

文代はしんけんな眼でみつめる、

(「けっこんしてごねんもたつのに、おふたりのようすは)

「結婚して五年も経つのに、お二人のようすは

(まるでたにんのようじゃございませんか、)

まるで他人のようじゃございませんか、

(おにいさまはあのいしぼとけのようなつめたいおかおで、)

お義兄さまはあの石仏のような冷たいお顔で、

(なにもかもきにいらないというめつきで、)

なにもかも気にいらないという眼つきで、

(はかばかしくはくちもおききにならない、おねえさまはただもうえんりょして、)

はかばかしくは口もおききにならない、お姉さまはただもう遠慮して、

(ごきげんをそこねないようにとたえずきをはっていらっしゃる、)

ごきげんを損ねないようにと絶えず気を張っていらっしゃる、

(こんなふうでいて、それでもおねえさまはおしあわせだとおっしゃいますの」)

こんなふうでいて、それでもお姉さまはおしあわせだと仰しゃいますの」

(「もうそれでおやめなさい、いいえたくさん、)

「もうそれでおやめなさい、いいえたくさん、

(おやめにならないとおこってよ」しのはつよくこういった。)

おやめにならないと怒ってよ」信乃は強くこう云った。

(じっさいおこりそうなかおつきであったが、)

じっさい怒りそうな顔つきであったが、

(そのうつくしくすんだめにはろうばいのいろがあらわれていた。)

その美しく澄んだ眼には狼狽の色があらわれていた。

(いもうとがだまると、しのはしずかにちゃをいれながら)

妹が黙ると、信乃は静かに茶を淹れながら

(おちついたゆっくりしたちょうしでこうつづけた。)

おちついたゆっくりした調子でこう続けた。

(「にんげんのこうふこうはたやすくはんだんのできるものではないわ、)

「人間の幸不幸はたやすく判断のできるものではないわ、

(ことにふうふのあいだのことはむずかしいものよ、)

ことに夫婦のあいだのことはむずかしいものよ、

(はたからみてなかがよいとかわるいとかいうかんじだけでは、)

はたから見て仲が良いとか悪いとかいう感じだけでは、

(とうていわからないことがたくさんあるの、)

とうていわからない事がたくさんあるの、

(けいけんのないあなたがじぶんのめだけをしんじて、)

経験のないあなたが自分の眼だけを信じて、

(そんなふうにかんがえるのはたいへんなまちがいよ」)

そんなふうに考えるのはたいへんなまちがいよ」

(ふみよはあねのことばをうわのそらにききながした。)

文代は姉の言葉をうわのそらに聞きながした。

(はいはいなどとおじぎをして、そのはなしはそれでやめにしたが、)

はいはいなどとおじぎをして、その話しはそれでやめにしたが、

(なにかまだいいたいことがあるらしい。)

なにかまだ云いたいことがあるらしい。

(ようすがおちつかないとおもっていると、)

ようすがおちつかないと思っていると、

(やがてさりげないかおつきで、いがいなことをいいだした。)

やがてさりげない顔つきで、意外なことを云いだした。

(「おねえさま、にしはらのともやさまがろうやへおはいりになったこと)

「お姉さま、西原の知也さまが牢舎へおはいりになったこと

(ごぞんじでしょう」「ともやさまが、・・・なんですって」)

ご存じでしょう」 「知也さまが、・・・なんですって」

(「かじさまいわみつさまおおいさまなどろくにんいっしょに、)

「梶さま岩光さま大炊さまなど六人いっしょに、

(ひとつきばかりまえにおめしだしになって、)

ひと月ばかりまえにお召出しになって、

(そのままおしろのろうにいれられておしまいなすったんですって、)

そのままお城の牢にいれられておしまいなすったんですって、

(ごぞんじなかったんですか」「いいえ、ちっとも」)

ご存じなかったんですか」 「いいえ、ちっとも」

(しのはからだのふるえてくるのをけんめいにおさえながら、)

信乃は体の震えてくるのをけんめいに抑えながら、

(とつぜんきっとしたきもちになり、)

とつぜんきっとした気持になり、

(いくらかあおくなったかおをあげていもうとをみた。)

いくらか蒼くなった顔をあげて妹を見た。

(「でもふみよさん、あなたはどうして)

「でも文代さん、あなたはどうして

(そんなことをわたくしにおっしゃるの、)

そんなことをわたくしに仰しゃるの、

(にしはらさんのことなんてわたくしにかかわりがないじゃないの」)

西原さんのことなんてわたくしに関わりがないじゃないの」

(「ええ、べつにかかわりありませんわ」)

「ええ、べつに関わりありませんわ」

(ゆがんだびしょうをしてふみよはうなずいた。)

歪んだ微笑をして文代は頷いた。

(「そんなつもりでいったんじゃないんです、)

「そんなつもりで云ったんじゃないんです、

(わたくしたちふるくからしたしくしていたし、)

わたくしたち古くから親しくしていたし、

(あんまりおもいがけないことになったので、)

あんまり思いがけない事になったので、

(おねえさまはごぞんじかとおもっておききしただけなんです」)

お姉さまはご存じかと思っておききしただけなんです」

(「わたくしなんにもしりません、それにごせいじむきのことなんて、)

「わたくしなんにも知りません、それに御政治むきの事なんて、

(しりたいともおもいませんわ」ふみよはじっとあねをみあげた。)

知りたいとも思いませんわ」文代はじっと姉を見あげた。

(それからくいとかおをそむけ、かたてでめのうえをおおうようにしながら、)

それからくいと顔をそむけ、片手で眼の上を掩うようにしながら、

(ひくいこえでそっとささやいた。「おかわいそうなおねえさま」)

低い声でそっと囁いた。「お可哀そうなお姉さま」

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